まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

食べ物が食べ物である世の中

2010年07月14日 20時42分12秒 | Weblog
以前ワンドロップさんが来られた時「無いから始めたんです」と私たちも同じ。

でもこれとても効率が悪い。



以前嫁さんが勤めていたところは後継ぎがいない。ここを勤めた多くの人は新しく何かを始めている。
農家になったり、カレー店を始めたりとそこを通過点として若い人達が沢山巣立ちその経験を生かし何かをしている。
うちの嫁さんもそう。

でも人が築き上げたもの、思想、経験、仕組み、知識、お客さん、店舗、そこが無くなれば全て無くなる。

それは使い捨ての時代そのもの。。

そのまま次へと繋がれば形が変化したとしてもその積み上げられた上に立つ事が出来る。


私も兼業農家の次男として生まれた。
長男が継ぐか次男が継ぐかはさて置き・・昔のまま農地がそこにあれば農業を継ぐ事が出来た。
わざわざ地元を離れるという事をしなくて済んだのだ。


これは時代の移り変わりがあまりにも早いからだ。
一世代であまりにも多くの変化があり2代目に移る時にはその取り巻く環境の変化が大きすぎる。

その形を継ぐには時代の変化について行かず新しい何かが必要な時代。
あまりにも効率が悪く人の労働も無駄になってしまう。

世の中の在り方は
より便利になることでも無いはず。
より保障の手厚い世の中でもない。

皆が幸せに暮らせる世の中であるはず。

この時代のスピードはそれに反する。


さてどうしたものかと考える。

このスピードを落とす為には唯一の方法がある。

そのモノがそのモノであれる世の中。

農家が言えば食べ物が食べ物であれる世の中。
その為にはお金の価値よりも食べ物の価値が上回らなければならない。

サラリーマンが作るお箸ではなく職人が作るお箸を世の中は評価しなければならない。
多くの人が職人として働き、生活のために働く。

その仕事が生活そのものであるように。



農業をしていても金が無ければ暮らせない世の中で、どう効率良く、商品にするか。。行く先は遺伝子組み換えなどの最先端技術。
日本は世界の農業効率からすればとてつもなく低い。

日本の農業に世界の競争力なんて馬鹿げた話。

食べ物が食べ物である事がこれからも出来なければ、米の貿易自由化で日本の農家は確実に打撃を受け、遺伝子組み換えも日本で栽培されるようになる。


もう少し足元の生活を大事に丁寧に。
子育ても時間をかけてジックリと。。

それが唯一の手がかりかもしれない。

今晩はニョッキ。
おしいねぇ。