まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

愛情って?

2009年01月10日 21時44分01秒 | Weblog
 1月4日のブログに保育士の方からコメントを頂きました。一度コメントから返答をさせて頂いたのですがどうも伝わらないと感じ削除いたしました。今日は返答という事ではないのですが思うことを。

 私が農業を始めて子育てに関して感じたことはサラリーマンでは子供のことをジックリと見てやる事が出来なかったという事です。また嫁が子供に対しての接し方、子育ても見ていなかったでしょう。

 新入職員だった私は子育てに比重を置くことは余りありませんでした。休みの時も自分の休養として使っていました。その頃から嫁は私に子育てに関する鳥山敏子さん(賢治の学校)の本を読むようにと薦めましたが見向きもしませんでした。最近ようやく読み始めた所です。

 農業を始めようと思う最大のきっかけは子供です。子供にとってどういう環境で育つのが良いのか?と日々思う毎日でした。答えは簡単でした。しかし、農業への決断は簡単ではありませんでした。
 決断する時に思っていたことは「太陽の今は今しかない」という事でした。私が新入職員というのは親の都合、太陽を見なくて良いという理由にはなりません。

 ある人の言葉を借りるとフィクションではなくノンフィクションである事。
 将来子供の為に一生懸命サラリーマンをするのではなく今の事実においてどうするか?「自分自身ホントに子供のことを思うなら」と考えた時答えは出ました。

 今の社会、本当に愛情が足りた社会なのか?と問われれば、私は足りていないと答えます。

 どれだけの人がフィクションで物事を考え今を大事にしていないか。それは愛情でも何でもありません。親の都合です。
 子供の悲鳴は多くの形で現れています。犯罪の低年齢化。学級崩壊。自殺。拒食。過食。リストカット。

 愛情とは何なのでしょうか?子供の将来を思う心?子供の為に一生懸命働くこと?それによって裕福になること、不便を感じさせないことが親の愛情と言うものなのでしょうか?
 
 もし社会が愛情の溢れる社会であれば今ほど両親が揃わない家庭も少なかっただろうし、揃わない子供も安心して育てたのでは。
 昔では村が一丸となり子供を大事にし育てていました。私も小さい頃はそうだった記憶があります。そうであればどういう状況の子供であれ愛情に飢えることは無かったのではと思うのです。

 今の社会は私達一個人が作り上げているということ。多くの人が一生懸命働くことで社会は愛情の溢れる社会へと向かっているようには思えません。子供達が多くの愛情を受けられる社会にするためのも少しでも多くの親が少々将来の不安があろうとも少しでも多く子供の近くに居てやって欲しいと思うのです。今と言う時に少しでも多くの愛情をと思うのです。 

 親が一生懸命働くのは勝手です。しかし、働く必要のない家庭で生後5ヶ月の子供を預ける母親はどうなのでしょうか?子供が本当に必要な物は母親のノンフィクションの愛情ではないでしょうか?