最近ようやく冬らしい寒さとなったのですが、昨日の朝食時に私が洟水(鼻水)を出しているのを見たLindaが「それは『はな』ですか?」と尋ねました。続いてテーブル上の花を指して「ではこれは『はな』?」それを聞いて「彼女もそういうこと(アクセント)を訊くようになったのか」と思ったのでした。(この記事では以後もアクセント位置を太字で示します。タグ付けが面倒ですが。)
とりあえず当地(いちおう関西)のアクセントではそれが正解です。(私が職場にいる間は父と日本語で会話しますから、教えてもらったのでしょう。)けれども「花」は標準語(東京語)では逆なのが厄介。
「はなこうてくるわ」(花買うてくるわ←普通助詞は付けない)
「はなをかってきます」(花を買ってきます)
これを知ったらLindaはきっと閉口するでしょう。スペイン語では場所(国、地域、地方)によって単語のアクセント位置が異なったりはしないでしょうから。(少なくとも私は寡聞にして知りません。)
また標準語では「鼻・洟」も「花」も「はな」でアクセント位置は同じ。それでちょっと困ったことになります。
「はなをかみます」(洟をかみます)
「はなをかいます」(花を買います)
たった一字違うだけでイントネーションが変わってしまう。その区別は文脈(後に来る動詞の違い)から明らかなのですが、これも外国人にとっては決して容易でないはず。(こういうのは面倒でも一つ一つ憶えるしかないのでしょうね。私たちが幼少時からそうしてきたように。)
さらに今度はもう10年以上前のことですが、私が毎週土曜教えている長浜の日本語教室も加入しているびわこ日本語ネットワーク(BNN)の研修会で聞いた話。日常会話で出てくる「はし」には「箸」「橋」「端」の三つありますが、それらを使った「はしがおちた」という全く同じ文章が標準語ではどう読まれるかといえば・・・・・
「はしがおちた」(箸が落ちた)
「はしがおちた」(橋が落ちた)
「はしがおちた」(端が落ちた)
ということで、単独では同じ読み方になる「橋」と「端」を続く助詞「が」の強弱で区別するという高等戦術まで使っています。普段私たちは意識していませんが・・・・同じこと(聞き分けと使い分け)ができる外国人は余程の上級者に限られるでしょう。(ダメ押しですが、関西弁では「箸」が「はし」、「橋」が「はし」で標準語と逆、そして「端」は「はし」と平板に発音されます。)
なお、わが国でも漢字廃止論、さらに進んでローマ字化を主張する人は今もいるようですが、やはり同音異義語がこれだけ多い言語では弊害が大きすぎて現実的でないと改めて思いました。もちろん話し言葉に影響はありませんが、書き言葉がものすごい制約を受けることは必至。(曖昧さが生じないようにするため、書き方をガラッと変える必要があります。勘違いをテーマにした読み物を書く場合にはそれを逆用できるでしょうけど。)あるいはスペイン語みたいにアクセント記号を振れば良いのかもしれませんが・・・・・それは想像したくないなぁ。
おまけ
こちらに東西で強弱の異なる例がいくつか出ていますが、「春夏秋冬」のようにここまで真逆だと単語の区別というよりは地域の特色を打ち出すため、さらには対抗意識でわざとアクセントを変えているんじゃないかと思ってしまいます。(そういう例は動物だけを例にとっても「犬」「馬」「熊」「猿」など枚挙にいとまがありません (ちなみに関西では「猿」のみ第2節にアクセント)。ところが「猫」「牛」「豚」は東西で同じ。まるで規則性がない。)
なお、その記事で中間型の「垂井式アクセント」(初耳)というのが紹介されていますが、たしかに東と西の境界線を岐阜県の関ヶ原あたりで引けるものはいくつかあるみたいです(例えばエスカレーターの左右どちらを空けて乗るか)。しかし、ここで採り上げた関西式のアクセントについては近江八幡までと聞いたことがあります。そうなると私の勤務地である彦根や居住地の長浜は推移帯ということになるのでしょうか。だから余計にややこしい。
おまけ2
以前中級コースを教えていた中国人(香港)の生徒さんは既に日本語が十分堪能(後に日本語能力試験の1級に合格)だったのですが、ちょっと長い熟語(合成語)の発音は最後まで苦手らしく、「今でもしょっちゅう間違える」とこぼしていました。とはいえ・・・・・
「かいがい」+「りょこう」が、なぜ「かいがいりょこう」になるのか? さらに「こくない」はアクセント位置が違うのに、どうして「こくないりょこう」では一緒になってしまうのか?
こんなん私だってよう説明しません。
おまけ3
「日本語は高低アクセントで欧州系言語のような強弱アクセントとは違う。だからテレビに出ている外国人タレントなどの話し方はどうしても大袈裟になってしまうのだ。」(派手なジェスチャーも加わると余計そうなりますね。さすがにピーター・バラカン氏とかロバート・キャンベル氏クラスになればネイティブと区別の付かない日本語を話しますけど。)以前はそういう説明に十分納得していましたが、今はちょっと疑問。高く読もうとすればどうしたって声は大きくなるでしょうから(逆に「音量を変えずに音程だけ上げられる?」と聞き返したいくらい)、結局は強弱アクセントと五十歩百歩じゃないかと思ってしまいます。それよりも欧州系言語の「2音節以上の単語は必ずどこか1箇所にアクセントを付ける」という原則が災いしているのではないかと考えます。あと和製英語が原語の発音に引っ張られてしまう傾向もあるような。
「わたしはアメリカからきました」
上の例みたいに一音節上げてすぐ戻してしまったら不自然に聞こえて当然でしょう。要はフラットな読み方に慣れていない。そうなると関西では例えば「端」とか「柿」が(標準語では「低高」なのに対し)どちらも「高高」だったりするので、さらに奇妙に響いてしまうんじゃないかと思ったのでした。関西弁の上手い外国人も時々テレビで見ますけど。
とりあえず当地(いちおう関西)のアクセントではそれが正解です。(私が職場にいる間は父と日本語で会話しますから、教えてもらったのでしょう。)けれども「花」は標準語(東京語)では逆なのが厄介。
「はなこうてくるわ」(花買うてくるわ←普通助詞は付けない)
「はなをかってきます」(花を買ってきます)
これを知ったらLindaはきっと閉口するでしょう。スペイン語では場所(国、地域、地方)によって単語のアクセント位置が異なったりはしないでしょうから。(少なくとも私は寡聞にして知りません。)
また標準語では「鼻・洟」も「花」も「はな」でアクセント位置は同じ。それでちょっと困ったことになります。
「はなをかみます」(洟をかみます)
「はなをかいます」(花を買います)
たった一字違うだけでイントネーションが変わってしまう。その区別は文脈(後に来る動詞の違い)から明らかなのですが、これも外国人にとっては決して容易でないはず。(こういうのは面倒でも一つ一つ憶えるしかないのでしょうね。私たちが幼少時からそうしてきたように。)
さらに今度はもう10年以上前のことですが、私が毎週土曜教えている長浜の日本語教室も加入しているびわこ日本語ネットワーク(BNN)の研修会で聞いた話。日常会話で出てくる「はし」には「箸」「橋」「端」の三つありますが、それらを使った「はしがおちた」という全く同じ文章が標準語ではどう読まれるかといえば・・・・・
「はしがおちた」(箸が落ちた)
「はしがおちた」(橋が落ちた)
「はしがおちた」(端が落ちた)
ということで、単独では同じ読み方になる「橋」と「端」を続く助詞「が」の強弱で区別するという高等戦術まで使っています。普段私たちは意識していませんが・・・・同じこと(聞き分けと使い分け)ができる外国人は余程の上級者に限られるでしょう。(ダメ押しですが、関西弁では「箸」が「はし」、「橋」が「はし」で標準語と逆、そして「端」は「はし」と平板に発音されます。)
なお、わが国でも漢字廃止論、さらに進んでローマ字化を主張する人は今もいるようですが、やはり同音異義語がこれだけ多い言語では弊害が大きすぎて現実的でないと改めて思いました。もちろん話し言葉に影響はありませんが、書き言葉がものすごい制約を受けることは必至。(曖昧さが生じないようにするため、書き方をガラッと変える必要があります。勘違いをテーマにした読み物を書く場合にはそれを逆用できるでしょうけど。)あるいはスペイン語みたいにアクセント記号を振れば良いのかもしれませんが・・・・・それは想像したくないなぁ。
おまけ
こちらに東西で強弱の異なる例がいくつか出ていますが、「春夏秋冬」のようにここまで真逆だと単語の区別というよりは地域の特色を打ち出すため、さらには対抗意識でわざとアクセントを変えているんじゃないかと思ってしまいます。(そういう例は動物だけを例にとっても「犬」「馬」「熊」「猿」など枚挙にいとまがありません (ちなみに関西では「猿」のみ第2節にアクセント)。ところが「猫」「牛」「豚」は東西で同じ。まるで規則性がない。)
なお、その記事で中間型の「垂井式アクセント」(初耳)というのが紹介されていますが、たしかに東と西の境界線を岐阜県の関ヶ原あたりで引けるものはいくつかあるみたいです(例えばエスカレーターの左右どちらを空けて乗るか)。しかし、ここで採り上げた関西式のアクセントについては近江八幡までと聞いたことがあります。そうなると私の勤務地である彦根や居住地の長浜は推移帯ということになるのでしょうか。だから余計にややこしい。
おまけ2
以前中級コースを教えていた中国人(香港)の生徒さんは既に日本語が十分堪能(後に日本語能力試験の1級に合格)だったのですが、ちょっと長い熟語(合成語)の発音は最後まで苦手らしく、「今でもしょっちゅう間違える」とこぼしていました。とはいえ・・・・・
「かいがい」+「りょこう」が、なぜ「かいがいりょこう」になるのか? さらに「こくない」はアクセント位置が違うのに、どうして「こくないりょこう」では一緒になってしまうのか?
こんなん私だってよう説明しません。
おまけ3
「日本語は高低アクセントで欧州系言語のような強弱アクセントとは違う。だからテレビに出ている外国人タレントなどの話し方はどうしても大袈裟になってしまうのだ。」(派手なジェスチャーも加わると余計そうなりますね。さすがにピーター・バラカン氏とかロバート・キャンベル氏クラスになればネイティブと区別の付かない日本語を話しますけど。)以前はそういう説明に十分納得していましたが、今はちょっと疑問。高く読もうとすればどうしたって声は大きくなるでしょうから(逆に「音量を変えずに音程だけ上げられる?」と聞き返したいくらい)、結局は強弱アクセントと五十歩百歩じゃないかと思ってしまいます。それよりも欧州系言語の「2音節以上の単語は必ずどこか1箇所にアクセントを付ける」という原則が災いしているのではないかと考えます。あと和製英語が原語の発音に引っ張られてしまう傾向もあるような。
「わたしはアメリカからきました」
上の例みたいに一音節上げてすぐ戻してしまったら不自然に聞こえて当然でしょう。要はフラットな読み方に慣れていない。そうなると関西では例えば「端」とか「柿」が(標準語では「低高」なのに対し)どちらも「高高」だったりするので、さらに奇妙に響いてしまうんじゃないかと思ったのでした。関西弁の上手い外国人も時々テレビで見ますけど。
ここの日本地図ではたしかに垂井・関ヶ原あたりで東西に分かれているようですね。
https://jp.quora.com/nihonjin-ha-rei-ba-hashi-to-haji-to-hashi-nado-no-intone-shon-wo-machigae-ru-koto-ga-arima-suka/answers/159235774?ch=10&share=56ecace5&srid=odayR
あと、これを見て「了見の狭い日本人」にはなるまいと思いました。