国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

やっとかめ

2017-11-25 | 日記
名古屋のブラジル領事館に観光ビザを申請するだけなら私一人が日帰り旅行すれば済む話ですが、Lindaから「あなたが学んでいた大学や住んでいたところが見たい」とせがまれたため、前日から出かけることになりました。


最初に訪れたのがそのかつて(1998年3月まで)学んでいた大学の農学部の建物です。私が所属していた研究室にも行きたかったのですが、警備員に呼び止められ、許してもらえませんでした。部外者の訪問にはだいぶ厳しくなっているみたいです。


それで仕方なく圃場へ。この大学には地元に戻ってからも出張で何度も来ていますが、ここは本当に久しぶり。数々の栽培実験をした場所ですが、最近はほとんど使われていないようで荒れ果てていました。「そういえばこれらのハウスは自分達で建てたんだっけ」と思い出して懐かしさを覚えました。

(その名の通り上から見るとT社の車に見えるという講堂です。)

その後しばらくキャンパス内を散策。私の職場の何倍も広いのでだいぶ端折りましたが。

これはスルーのつもりでしたが、「ボリビア国旗の3色が使われている」というLindaの一言で撮影。ちなみに彼女の従姉妹の旦那、K君は一時期このサークルの技術指導をしていたそうです。

地下鉄に乗って私が下宿していた地区へ移動。今は大学名を冠した駅があり、環状線(名城線)が完成したのでラクですが、昔のままだったらちょっと面倒(バス→地下鉄→バス、あるいは徒歩で1時間弱)なことになっていました。(当時は自転車通学していました。)私が住んでいた木造アパート(家賃16000円だったかな?)は既になく、新しい建物ができていましたが表札の姓はそのままでした。が、30年近く経ってれば当然代変わりしているはずなので、挨拶せずに立ち去りました。

次の駅近くのうどん屋で昼食。もちろん名古屋の二大うどん(きしめん&味噌煮込み)を食べるつもりだったのですが、事前にチェックしていた店があいにくの定休日(調査不足)。それで別のセルフ店に入ることとなり、味噌煮込みの方は普通の味噌うどんになりました。十分美味でしたが。

そのまま環状線を進んで市役所駅で下車。目指すは名古屋城です。名古屋には1983〜98年まで(パラグアイ滞在の2年半を挟んで)計12年住みましたが、ここには一度も足を踏み入れていません。単に興味がなかったからです。



中に入ってLindaはちょっとガッカリした様子。彦根城とは異なり、この城が再建されたものであることを教えたら、「こんな立派な建物をどうして壊してしまったの?」と訊いてきました。それで「壊したんじゃなく燃やされたんだよ」と言ったら黙ってしまいました。空襲のことを知らなかったみたいです。(戦国時代のドサクサで破壊されたと勘違いしていたのかも。)







先週は「今年はもう終わり」と書きましたが、ここの庭園と次に訪れた名城公園で紅葉を満喫しました。

東急ハンズで製パン用グッズを購入後の一コマ。マッサージチェアに何とも微妙な表情を浮かべていました。

ホテルにチェックイン後、手羽先の有名なチェーン店に行く予定でしたが、フロントで1人3本無料のクーポン券をもらったので近くの姉妹店に変更。他にも土手煮や味噌串カツ、名古屋コーチンの引きずり(すき焼き)などを注文しました。

名古屋めしを堪能するLinda。

酩酊状態のLinda。ホテルのウェルカムドリンクでビールを飲んだので、飲み物は冷酒、それも名古屋城にちなんで地酒「金鯱」にしました。普段飲まない人なので貴重な写真です。初日はここまで。
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