LogicalInSpace

イエス・キリストのブログ
プロテスタント(バプテスト派)

定めた生き方

2008-07-17 09:03:14 | 聖書
おのおの主から分け与えられた分に応じ、それぞれ神に召されたときの身分のままで歩みなさい。
これは、すべての教会でわたしが命じていることです。
割礼を受けている者が召されたのなら、割礼の跡を無くそうとしてはいけません。割礼を受けていない者が召されたのなら、割礼を受けようとしてはいけません。
割礼の有無は問題ではなく、大切なのは神の掟を守ることです。
===== コリントの信徒への手紙 一 7章 17節 =====

今ある身分のままで歩みなさいと神様は言っています。
そして、神の掟を守ることが大切だと言っています。


===== 2008/07/18 9:00 追記 =====
身分とは、現代では立場と解釈できると思います。
イギリスの貴族、天皇家の皇族など身分(立場)は、今でもあると思います。

また立場は、社長の立場、部長の立場、課長の立場、平社員の立場と立場によって、それぞれ収入が異なると思います。
今ある立場(収入)によって、生活をして、神の掟を守って歩みなさいと言っていると思います。

分け与えられた分に応じるとは、現在、私に与えられている能力と解釈出来ると思います。
私であれば、プログラマー、手話、現在の仕事より得られる収入などなどが、「分に応じる」と思います。
もちろん、他の方から見ればデメリットの部分で、私の姉で言えば、ろう者より障害者年金を与えられることも「分に応じる」と思います。

ろう者

2008-07-16 15:04:37 | その他
私の姉がろう者です。

安倍昭恵のスマイルトーク(2008/07/04)
前阿部首相の昭恵夫人の記事に手話について書いてありました。

「日本手話」「日本語対応手話」の2種類があります。
これを昭恵夫人は知らなかったと言っていました。

私の手話は、基本的に「日本語対応手話」を主に使っています。
「私は あたなが 好き」(日本語対応手話)
「私は 好き あなたが」(日本手話)
単語ごとに区切るとこんな感じになります。

公立では、今でも口話教育をしていると聞いています。
口話とは、教師が口で話をして、子供のろう者が口の動きを見て、読み取る訓練をするものです。

姉に手話はどこで、覚えるの? と質問したことがあります。
姉より友達と話して、覚える と答えが返ってきました。

手話で教育をされると、社会人になると大人の口を見て読み取ることが出来ないので、社会になじんで行けるのか、少し不安になります。
反面、口話教育より学力低下になるのも、問題だと思います。


サタンについて

2008-07-15 00:58:16 | 聖書
聖書でサタン(悪魔)が直接に出てくる箇所が、ヨブ記とヨハネの黙示録であります。

ウツの地にヨブという人がいた。
無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。
===== ヨブ記 1章 1節 =====

ヨブは義人として有名なユダヤ教の信徒です。
その後に、サタンが現れます。


ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。
主はサタンに言われた。
「お前はどこから来た。」
「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。
主はサタンに言われた。
「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。
地上に彼ほどの者はいまい。
無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」
サタンは答えた。
「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。
あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。
彼の手の業をすべて祝福なさいます。
お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。
ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。
面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」
主はサタンに言われた。
「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。
ただし彼には、手を出すな。」
サタンは主のもとから出て行った。
===== ヨブ記 1章 6~12節 =====

「ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。」と書いてある通り、サタンは元々は御使いでありました。
しかし、神様をだますサタンがいました。 神様を欺くことから、サタンは悪魔と言われるようになりました。
サタンは御使いなので、神の御使いにも変わることも可能な訳でもあります。

反面、聖書にこのように書かれていると、神様の存在を認めるならば、サタンの存在も認めなければいけません。

神様は私たちを愛してくれます。 しかし、サタンは巧妙に私たちを闇の淵に落そうと考えています。
この世に生きていると、サタンとの戦いでもあります。
しかし、イエス・キリストはサタンにも勝利した方であるので、イエス・キリストを信じる以外にサタンに打ち勝つことは出来ないと思います。

キリスト教の生活

2008-07-14 01:19:56 | 聖書
愛には偽りがあってはなりません。
悪を憎み、善から離れず、
兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。
怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。
希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。
===== ローマの信徒への手紙 12章 9~12節 =====

愛は神から頂くものであります。 その愛に偽りがあってはなりません。
善をいつも行うように、神を畏れなければなりません。

隣人を愛して、隣人に対して尊敬の念をいつも、もたなければなりません。
聖霊様よりいつも、神に仕えるように、心がけなければいけません。

いつも、どんな時でも希望をもって、祈り続けることが大切であります。


===== Logical Spaceの祈り ======
神様、いつも、どんな時も神様の道を歩んでいけるように、守り導いてください。
アーメン!

アダムとキリスト

2008-07-13 09:55:34 | 聖書
このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。
すべての人が罪を犯したからです。
律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。
しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。
実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。
しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。
一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。
この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。
裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。
一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。
そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。
一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。
律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。
しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。
こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。
===== ローマの信徒への手紙 5章 12~21節 =====

アダムより原罪が入り込んで、イエス・キリストによって原罪は贖われました。
アダムの原罪より裁かれても、イエス・キリストの恵みよっては、その原罪は無罪となります。

知恵の悩み・知識の痛み

2008-07-11 16:47:20 | 聖書
知恵が深まれば悩みも深まり
知識が増せば痛みも増す。
===== コヘレトの言葉 1章 18節 =====

知恵とは、良いアイデアであります。
新しい技術を発想する時に考えるアイデアであります。
新しい技術を考える時は、よく悩むものであります。

知識とは、歴史とか覚えることです。
いろいろと覚えると、頭が痛くなります。


すべてに耳を傾けて得た結論。
「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。
神は、善をも悪をも一切の業を、隠れたこともすべて裁きの座に引き出されるであろう。
===== コヘレトの言葉 12章 13~14節 =====

コヘレトの最後の言葉です。

主の名をみだりに唱える

2008-07-10 16:58:04 | 聖書
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
===== 出エジプト記 20章 7節 =====

Logical SpaceのHPを開始したのは、2005年8月です。
病気で休職したのが、2006年5月です。
そう考えると9ヶ月後に病気で休職しました。

それを考えると、HPで神の名をヤハウェと表現している時期がピッタリなので、神様からの罰が、私に甲状腺とうつ病の睡眠障害として現れた感じです。

なので、すべてを見直して、神と表現を統一しようと思います。

これで数ヶ月後に、病気が治れば、私が律法(十戒)の罪を犯したことになります。
神様、どうか赦してください。 アーメン!


===== 2008/07/10 23:55 追記 =====
HPとブログの神様の名前の部分を神に統一しました。

幸い

2008-07-10 02:22:52 | 聖書
心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。
天には大きな報いがある。
あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
===== マタイによる福音書 5章 3~12節 =====

人は原罪を持っている罪人であります。 なので、心に隙間があります。

心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
神は、人からの愛情を受けていない心の貧しい方を、天の国で招いてくださいます。

悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
神は、人の痛みを知っている方を慰めてくださいます。

柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
神は、優しい人、心の豊かな人に天の土地を与えてくださいます。

義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
神と関係を正しく出来ない方に、義の関係を満たして下さいます。

憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
神は、隣人に優しさを持つ方に神の優しさを受けることが出来ます。

心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
心が清いので、この世界が神のものであることを、素直に感じることが出来ます。

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
神は、平和を求めています。 平和はあるのでなく、築くものであります。 平和を築く方には神の子と呼ばれます。

義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
神との関係を断たれる方は、天の国はその人に与えられます。


===== Logical Spaceより =====
ここで重要なことは、この世では辛いことは沢山ありますけど、天の国には確かな希望があるということです。