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イエス・キリストのブログ
プロテスタント(バプテスト派)

「主にあって」とは

2012-05-21 12:20:16 | 聖書
フィリピへの信徒への手紙 4章4節

(口語訳)
あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。

(新改訳 第3版)
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

(新共同訳)
主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。

(New King James Version)
Rejoice in the Lord always. Again I will say, rejoice!

(Today's English Version)
May you always be joyful in your union with the Lord. I say it again: rejoice!

「主にあって」、「主において」とは、どのような意味なのでしょうか?
何となくキリスト教の独特な表現に感じる方がいるようです。

Χαίρετε ἐν κυρίῳ πάντοτε· πάλιν ἐρῶ, χαίρετε.
これは、ギリシャ語のἐν(エン)の前置詞の訳し方で、ニュアンスが異なります。

ἐν(エン)とは「中に、間に、で、よって、に」という意味です。
直訳をすると、「いつも主の中で喜びなさい」、「いつも主の間で喜びなさい」です。

「主にあって」、「主において」とは「主の中で」、「主の間で」という意味です。

最近、心に響く御言葉

2012-05-11 07:40:49 | 聖書
与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。
押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。
あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。
===== ルカによる福音書 6:38(新共同訳) =====

いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
===== テサロニケの信徒への手紙一 5:16-18(新共同訳) =====

何だか、最近、心に響く御言葉です。