LogicalInSpace

イエス・キリストのブログ
プロテスタント(バプテスト派)

聖書の神への不信仰

2011-12-29 11:47:50 | キリスト教
3・11の震災から、約9カ月が過ぎました。

日本では、キリスト教の信徒が1%と言われています。
つまり、99%は、キリスト教の信徒でないことになります。

ここ、約9カ月の間、聖書の神である、エロヒーム(ヘブライ語の発音)を呼び求めることがなかった。
これは、クリスチャンとしては、非常に残念なことです。


3・11の震災は、聖書の神である、エロヒームに対する日本人の不信仰からではないだろうかと思う。
多くの日本人がエロヒームを求めて、信仰していたならば、これほどの大災害がなかったかもしれないと思う。


キリスト教の教えとしては、イエス・キリストを救い主と信じる信仰から、バプテスマ(洗礼)を受けることが理想ですけど。
そうではなく、「聖書の神よ、いつも私と共にいてください。」と心の中で思うだけでも良いと思います。

いきなり信じることは、大半の方は無理なことだと思います。
だから、心の中で「聖書の神よ、いつも私と共にいてください。」と思うことで良いと思います。

3・11の大震災を救える方は、エロヒームのみだと、私は思います。


God bless you!
(神のご加護がありますように・・・!)

クリスマス

2011-12-18 20:25:21 | キリスト教
イエス・キリストの誕生

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。
母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。

このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。
マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
マリアは男の子を産む。
その子をイエスと名付けなさい。
この子は自分の民を罪から救うからである。」


このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、
男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。
===== マタイによる福音書 1章 18-25節(新共同訳) =====


イエス・キリストの誕生日をお祝いする意味について
『この子は自分の民を罪から救うからである。』
イエス・キリストが、私たちの罪(天の父との悪い関係、的外れな生き方)を救うために、この地にお生まれになったことを、お祝いする日です。

メリークリスマス!!!
良いクリスマスを、過ごせるといいですね^^

イエス様の愛(アガペー)が、多くの方に伝わるといいなぁと思う今日この頃です。

神の国と神の義

2011-12-07 00:19:58 | 聖書の原典
<神の国と神の義について>
それはみな、異邦人が切に求めているものだ。
あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

だから、明日のことまで思い悩むな。
明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。
===== マタイによる福音書 6章 32-34節(新共同訳) ======

πάντα γὰρ ταῦτα τὰ ἔθνη ἐπιζητοῦσιν·
οἶδεν γὰρ ὁ πατὴρ ὑμῶν ὁ οὐράνιος ὅτι χρῄζετε τούτων ἁπάντων.
ζητεῖτε δὲ πρῶτον τὴν βασιλείαν [τοῦ θεοῦ] καὶ τὴν δικαιοσύνην αὐτοῦ,
καὶ ταῦτα πάντα προστεθήσεται ὑμῖν.

μὴ οὖν μεριμνήσητε εἰς τὴν αὔριον,
ἡ γὰρ αὔριον μεριμνήσει ἑαυτῆς·
ἀρκετὸν τῇ ἡμέρᾳ ἡ κακία αὐτῆς.

===== マタイによる福音書 6章 32-34節(ギリシャ語) ======

なぜなら異邦人がすべて、このことを探し求めます。
なぜならあなたの天の父は、このことすべてを必要であることを知っています。(現在完了形の「知っている」)
さてまず、[神の]支配と彼の正しさを探し出しなさい、
そして、このことすべては、あなたを増す(延ばす)だろう。

明日のために心配するな、
なぜなら、明日自身が心配するだろう、
彼の苦労(悪・災い)は、その日に十分である。
===== マタイによる福音書 6章 32-34節(Logical直訳) ======


<<<Logicalの解釈>>>
(神の国について)
<<<マタイによる福音書 5章 3節>>>
口語訳:こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
新改訳:心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
新共同訳:心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
ギリシャ語:Μακάριοι οἱ πτωχοὶ τῷ πνεύματι, ὅτι αὐτῶν ἐστιν ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν.
Logical直訳:その霊の貧しい者たちは幸いです、なぜなら天の支配は彼らにあります。


新共同訳では、「天の国」と「神の国」は同じ意味で使われています。
大まかなイメージとして、マタイは「天の国(ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν)」、ルカは「神の国((τὴν βασιλείαν τοῦ θεοῦ)」と表現している場合が多いです。

口語訳では、『天国』という表現が使われている箇所があります。(マタイ 5:3) それは、新共同訳の「天の国」、「神の国」と同じ意味を持っています。
『天国』には死後の世界のイメージがありますが、死後の世界だけのことを意味していないと私は思います。

直訳をすると分かりますが、「神の国」とは、「神の支配」とも訳せます。
今の現在も、この世界を「天の父が支配しています」と私は考えています。
「天の国」、「神の国」とは、広義の意味では、「天の父が支配している世界」のことを指すと思いますので、「現在の世界」、「天の世界」の両方の意味があると思います。

(求めなさいについて)
Logical直訳の「さてまず、[神の]支配と彼の正しさを探し出しなさい」の「探し出しなさい」は、新共同訳の「求めなさい」の部分になります。
新共同訳の「求めなさい」を能動的に受けとめるか、積極的に受けとめるかで、違いがあると思います。
例えば、交通ルールで「青信号は進め、赤信号は止まれ」を考えて見ましょう。
能動的に受けとめるならば、文字通り「青信号は進め、赤信号は止まれ」です。
しかし、積極的に受けとめるならば、「青信号は、前方の安全を確認した上で進め、赤信号は、前方を注意して止まれ」です。

ギリシャ語原文では、積極的に「探し出しなさい」を意味していると思います。
レビ記、申命記に律法について書かれていますが、それを文字通りに守ることが、「求めるさい」という意味なのでしょうか?
時代の違い、文化の違い、若い世代、高齢の世代など、「何」が、[神の]支配と彼の正しさなのかを、積極的に「探し出すこと」を意味していると思います。

(ニュアンスについて)
ときどき、聖書の御言葉を文字通りに受けとめる方がいます。
そういう方に限って、真剣に御言葉を受けとめて、生活の中で生かされようとしている方が多いようです。
※実際に、「1点1画」と書かれてある聖句がありますが、それはヘブライ語の文字のことを意味します。

私は、新共同訳の80%の意味では伝わっていると思います。
やはり、100%の意味で伝わっているかと言われると、必ずしもそうではないと思います。
ニュアンスの違いで、日常生活の信仰のあり方まで、影響を与える場合もあると感じています。

「神の国」を『天国』と考える場合と、「神の国」を「神の支配」と考える場合では、日常生活の信仰のあり方まで、影響を与える場面があるのではないかと、推測します。

(最近の私について)
ここ数日は、何が神の支配で、神の正しさなのだろうと考えることがあります。
そして、何が神の支配、神の正しさなので、それを基準にして、どんな言動や行動が良いのか、考えることの大切さを感じています。