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LogicalInSpace

イエス・キリストのブログ
プロテスタント(バプテスト派)

妻からの質問

2011-04-15 12:25:11 | 聖句
次の聖句の質問がありました。

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。 何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
===== フィリピの信徒への手紙 4章 6節(新共同訳) ======
※「フィリピの信徒への手紙」は、口語訳、新改訳では「ピリピ人への手紙」です。

ここの「感謝を込めて祈りと願い」とは、どういう意味なの? と質問がありました。
妻は、「私の感謝を私の祈りと私の願いをささげる」という意味で捉えていました。


<他の翻訳の聖書>
では、他の翻訳を見てみましょう。

何事も思い煩ってはならない。 ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
===== ピリピ人への手紙 4章 6節(口語訳) ======

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
===== ピリピ人への手紙 4章 6節(新改訳 第3版) ======

Be anxious for nothing, but in everything by prayer and supplication, with thanksgiving, let your requests be made known to God;
===== Philippians 4:6 (New King James Version) =====

Don't worry about anything, but in all your prayers ask God for what you need, always asking him with a thankful heart.
===== Philippians 4:6 (Today's English Versoin) =====


<ギリシャ語の原典>
ギリシャ語の原文では、次のように書かれています。
μηδὲν μεριμνᾶτε, ἀλλʼ ἐν παντὶ τῇ προσευχῇ καὶ τῇ δεήσει μετὰ εὐχαριστίας τὰ αἰτήματα ὑμῶν γνωριζέσθω πρὸς τὸν θεόν.
===== Προσ Φιλιππησιουσ 4:6 =====

本来は、文章の全体の流れによって翻訳をしますが、この4章6節から、Logicalの直訳と翻訳の訳をします。

(ギリシャ語の単語の意味)
προσευχῇ 神への祈り
δεήσει 神への願い、神への懇願
εὐχαριστίας  感謝を捧げること

(Logical直訳1)
何も心配するな、けれども、感謝を捧げることに対して、すべて、神への祈りと神への願いによって、あなた方の願いは、神のところへ知らせなさい。
(Logical直訳2)
何も心配するな、けれども、感謝に対して、すべての祈りと願いによって、あなた方の願いは、神のところへ知らせなさい。
※直訳1と直訳2の違いは、太文字の部分です。

(Logical翻訳1)
何事も心配するな、むしろ、すべてにおいて、神に向かって祈りと願いを込めて、感謝を捧げて、あなたたちの願いを神のもとへ知らせなさい。
(Logical翻訳2)
何事も心配するな、むしろ、すべてにおいて、祈りと願いを込めて、感謝をして、あなたたちの願いを神のもとへ知らせなさい。
※翻訳(意訳)1と翻訳(意訳)2の違いは、太文字の部分です。

※直訳と翻訳の違い
直訳は、ギリシャ語の文法に沿って訳しているのでぎこちないです。
翻訳は、意味に沿って、日本語として流暢に訳しています。
ポイントは、「ギリシャ語の文法に沿う訳し方」と「意味に沿う訳し方の違い」です。


<聖句の解釈>
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。 何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
===== フィリピの信徒への手紙 4章 6節(新共同訳) ======

すなおに、「思う煩うことを止めて、何事も、私が感謝をして、私の祈りと願いをささげて、求めるものを神に打ち明ける。」
この翻訳では、このような解釈も可能だと思います。
私が主体(主語)と解釈をすることです。 「私が感謝をして、神に打ち明ける。」

μηδὲν μεριμνᾶτε, ἀλλʼ ἐν παντὶ τῇ προσευχῇ καὶ τῇ δεήσει μετὰ εὐχαριστίας τὰ αἰτήματα ὑμῶν γνωριζέσθω πρὸς τὸν θεόν.
===== Προσ Φιλιππησιουσ 4:6 =====

何も心配するな、けれども、感謝に対して、すべての祈りと願いによって、あなた方の願いは、神のところへ知らせなさい。
===== フィリピの信徒への手紙 4章 6節(Logical直訳) ======

何事も心配するな、むしろ、すべてにおいて、祈りと願いを込めて、感謝をして、あなたたちの願いを神のもとへ知らせなさい。
===== フィリピの信徒への手紙 4章 6節(Logical翻訳) ======


ギリシャ語の文法上の主語は、私の直訳では「あなた方の願いは、神のところへ知らせなさい。」の「願いは」です。
直訳の方が、文法上の主語である「願いは」だと、はっきりと分かります。

つまりは、私の翻訳では、「あなたたちの願いを神のもとへ知らせなさい。」
新共同訳では「あなたたちの願いを神のもとへ知らせなさい。」の内容が中心の文章になります。


次のように考えてもよいです。
(Logical翻訳)
むしろ、すべてにおいて、祈りと願いを込めて、感謝をして)、あなたたちの願いを神のもとへ知らせなさい。
願いの内容は、(_)の部分です。
「(_)の願いを、神のもとに知らせる。」と解釈が出来ます。

(新共同訳)
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ)、求めているものを神に打ち明けなさい。
「(_)の求めているものを神に打ち明けなさい。」と解釈が出来ます。


(妻の理解)
「私の感謝を私の祈りと私の願いをささげる」とは。
「思う煩うことを止めて、何事も、私が感謝をして、私の祈りと願いをささげて、求めるものを神に打ち明ける。」と解釈ができます。
(私の理解)
私の翻訳では「心配する中で、私の(神への祈りと願いを感謝として捧げる)願いを、神のもとへ知らせる。」と理解が出来ます。

(要約)
前者:私が感謝をして、求めるものを神に打ち明ける。
後者:心配する中で、私の願いを、神のもとに知らせる。


<まとめ>
μηδὲν μεριμνᾶτε, ἀλλʼ ἐν παντὶ τῇ προσευχῇ καὶ τῇ δεήσει μετὰ εὐχαριστίας τὰ αἰτήματα ὑμῶν γνωριζέσθω πρὸς τὸν θεόν.
===== Προσ Φιλιππησιουσ 4:6 =====

何事も心配するな、むしろ、すべてにおいて、祈りと願いを込めて、感謝をして、あなたたちの願いを神のもとへ知らせなさい。
===== フィリピの信徒への手紙 4章 6節(Logical翻訳) ======

ここの「感謝を込めて祈りと願い」とは?
「(神に向かって)祈りと願いを込めて、感謝を捧げる」という意味です。

幸い

2011-02-18 09:07:44 | 聖句
いかに幸いなことでしょう
弱いものに思いやりのある人は。
災いのふりかかるとき
主はその人を逃れさせてくださいます。
主よ、その人を守って命を得させ
この地で幸せにしてください。

貪欲な敵に引き渡さないでください。
主よ、その人が病の床にあるとき、支え
力を失って伏すとき、立ち直らせてください。

わたしは申します。
「主よ、憐れんでください。あなたに罪を犯したわたしを癒してください。」

敵はわたしを苦しめようとして言います。
「早く死んでその名も消えうせるがよい。」
見舞いに来れば、むなしいことを言いますが心に悪意を満たし、外に出ればそれを口にします。

わたしを憎む者は皆、集まってささやき わたしに災いを謀っています。
「呪いに取りつかれて床に就いた。二度と起き上がれまい。」

わたしの信頼していた仲間 わたしのパンを食べる者が 威張ってわたしを足げにします。
主よ、どうかわたしを憐れみ 再びわたしを起き上がらせてください。
そうしてくだされば 彼らを見返すことができます。

そしてわたしは知るでしょう
わたしはあなたの御旨にかなうのだと敵がわたしに対して勝ち誇ることはないと。
どうか、無垢なわたしを支え とこしえに、御前に立たせてください。
主をたたえよ、イスラエルの神を世々とこしえに。

アーメン、アーメン。
===== 詩編41編 =====


エロヒームによる幸いを信じて歩んで行きたいです。
エロヒームの御名を讃美します。

11月の聖句

2010-11-30 23:00:00 | 聖句
あなたのまことにわたしを導いてください。
教えてください
あなたはわたしを救ってくださる神。
絶えることなくあなたに望みをおいています。
===== 詩編 25編 5節(新共同訳) =====

キリスト教で言う、教えとは何だろうか?
簡単な教え、または難しい教えだろうか?

何千年もの人々に語っている聖書の教えとは・・・!?

また、「あなたのまことに」と訳されている、「まこと」とはヘブライ語では「アーメン」です。
祈りの終わりに「アーメン」と言いますが、ヘブライ語で読むと、「まこと」などに訳されていたりします。

ヘブライ語の「アーメン」の簡易の意味は、「真理、真実、確かさ、安定、信頼性、信頼できること」とあります。
祈りの終わりの「アーメン」は、「真実、まこと」の意味で言っていると思います。

10月の聖句

2010-10-31 23:59:00 | 聖句
<山上の垂訓>
心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
===== マタイによる福音書 5章 3-12節(新共同訳) =====


霊に貧しい幸いな人々、というのは、天の国は彼らのものです。
悲しんでいる幸いな人々、というのは、彼らは慰められるだろう。
柔和な幸いな人々、というのは、彼らは地を相続するだろう。
義を飢えているそして渇いている幸いな人々、というのは、彼らは満たされるだろう。
憐れみ深い幸いな人々、というのは、彼らは憐れみを受けるだろう。
心に清い幸いな人々、というのは、彼らは神を見るだろう。
平和をつくる幸いな人々、というのは、彼らは神の子と呼ばれるだろう。
義のために迫害された幸いな人々、というのは、天の国は彼らのものです。
わたしのために偽ること、あなたをののしった、そして迫害した、そしてあなたに向かってすべて悪く言った、とされた時、幸いな人々である。
大いに喜びなさい、そして歓喜しなさい。 というのは、あなたの報いは天の中で大きい。 すなわち、あなたの前の預言者たちはそれ程に迫害された。
===== マタイによる福音書 5章 3-12節(Logical直訳) =====

少しぎこちないと思いますが、直訳をしてみました。
単語、文法に忠実に訳してみましたが、やはり日本語に直訳すると、ややぎこちない文章になると思います。

幸いな人々の「人々」ですが、「人々」の単語はなく、幸いの複数形です。
「というのは」は、接続詞の単語があったので、そのままの形で訳しました。
新共同訳の「その人たち」は、原文では3人称の複数形です。 私の直訳は「彼らは」と訳しました。
私の直訳の「だろう」は、動詞の未来形の意味です。
新共同訳の「喜びなさい。大いに喜びなさい。」は、喜ぶを2回使われています。 実は異なる単語を使われています。 私の直訳では「大いに喜ぶ」、「歓喜する」の命令形の2つの単語となります。
「霊に」、「義を」、「心に」、「義の」などの「に」、「を」、「に」、「の」は、「与格」、「対格」、「与格」、「属格」を意識して訳しました。


※10月の間は、2番目の記事になっています。
※新しい記事は3番目になっています。

9月の聖句

2010-09-30 23:59:00 | 聖句
<<< 9月の聖句 >>>
すべてに耳を傾けて得た結論。
「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。
神は、善をも悪をも一切の業を、隠れたこともすべて
裁きの座に引き出されるであろう。
===== コヘレトの言葉 12章 13-14節 =====

すべてのことをご存じであられる、天の父であります。
天の父を知り、畏れて、戒めを守ることを、人は教えられます。

イエス様は、順番を逆にしました。
古い方は、天の父の戒めを守る ⇒ 天の父の民になる
新しい方では、イエス様の愛を知る ⇒ 愛の内には律法が完成されること ⇒ クリスチャン(キリスト者)になる

8月の聖句

2010-08-31 23:59:00 | 聖句
<<< 8月の聖句 >>>
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
神はその光を見て、良しとされた。
神はその光とやみとを分けられた。
===== 創世記 1章 2-4節 =====

水のおもてにいた天の父の霊です。
そして、天の父は、光を良しとしました。
天の父のご臨在を感じます。