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イエス・キリストのブログ
プロテスタント(バプテスト派)

地震のニュースを見て

2011-03-25 21:58:17 | 社会について
2週間が過ぎて、地震のニュースを見ていて、次の聖句が思い浮かびました。

だれも、二人の主人に仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。
あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。
===== マタイによる福音書 6章 24節 =====

11日に巨大地震があって、神を求める報道がないことを、改めて痛感をしました。
被災者の国への保障、放射能、ほうれん草の国への保障など。
スーパーへの買い物、ガソリンスタンドの行列など、困難な時でも秩序ただしく並んでいること。

日本人は、お金の価値を認めているから、「保障」、「秩序ただしい行列」のような光景が見える。
もちろん、「保障」、「秩序ただしい行列」は良いことなので、そのことは悪くない。

お金(物資、保障など)が生活の根底にあるような気がします。
もちろん、生活をするには、ある程度の金銭が必要です。
しかし、生活の根底に金銭があることは、どうなのかな・・・。


また、次のような聖句もあります。
イスラエルよ。
今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。
ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、
わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることではないか。
===== 申命記 10章 12-13節 =====

要約をすれば、「神を畏れ、神を愛する」こと。
神を畏れることが、ニュースの報道を見て聞いて、あまり感じられない。
日本人の愛は、神を愛するというより、隣人を愛することに重きを置いている気がします。
そういう意味では、愛が偏っていると感じます。

お金の価値が生活の根底にある、日本人に、主イエスの福音を伝えることの困難さを、ニュースを見ていて感じます。


私は、困難な状況の時こそ、神を求めることが重要だと聖書的には、信仰的には大切なことです。
神を求められないことが、とても残念に思います。


でも、私は今回の地震でいつもお祈りをしています。
余震が収まりますように。
原子力発電所の故障が修復されますように。
地震、津波、放射能による被害者の方々に、神の慰め、憐れみ、祝福がありますように。
日本の経済が修復されますように。
主イエス・キリストの御名を通してお祈りをします。
アーメン。


私がなぜ、このような困難なときに、このような記事を書いている訳は、やはり、普段の生活の中で神の働きを感じるからです。
神の働きを、聖霊と言い換えられるかどうかは、分からないです。
しかし、この記事を書いていることは、神の働きかは、分からないです。 単に、私の思いだけかもしれないです。
なかなか、神の働きと私の思いの区別は、難しいです。
ただ、私の思いだとしても、聖書的に書く必要があると思います。

聖書と地震について

2011-03-20 13:17:54 | 社会について
テレビの地震、津波の災害を見て、神(エロヒーム)はいないと思った方は多くいたのではないのでしょうか?
※新共同訳から引用です。

いくつかの聖書の言葉を確認したいと思います。


神は愛です。
(ヨハネの手紙 一 4章16節)
この「愛」とは、どういう意味でしょうか?


モーセの十戒(律法)には、次のように書かれています。

見よ、わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。
わたしが今日命じるとおり、あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなたは命を得、かつ増える。
あなたの神、主は、あなたが入って行って得る土地で、あなたを祝福される。
もしあなたが心変わりして聞き従わず、惑わされて他の神々にひれ伏し仕えるならば、わたしは今日、あなたたちに宣言する。
あなたたちは必ず滅びる。ヨルダン川を渡り、入って行って得る土地で、長く生きることはない。
わたしは今日、天と地をあなたたちに対する証人として呼び出し、生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く
あなたは命を選び、あなたもあなたの子孫も命を得るようにし、あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい
それが、まさしくあなたの命であり、あなたは長く生きて、主があなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた土地に住むことができる。
(申命記 30章 15-20節)

重要なことは、「その道に従って歩み」です。
これは、神(エロヒーム)の愛(無償の愛)に対して、それに応えることが、神(エロヒーム)が人に求めておられることです。
つまり、神(エロヒーム)は、人が神(エロヒーム)に従うことを求めておられます。


わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。
神は愛です。
愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。
こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。
この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。
愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。
なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。
わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。
「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。
目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。
神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。
これが、神から受けた掟です。
(ヨハネの手紙 一 4章 16-21節)

私たちは、愛することに対して無知であることを、認識をしないといけません。
神が私たちを愛して下さったことを知らなければなりません。
「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。」と書かれてあります。

愛はつぎのようになります。
神の愛 ⇒ 私の愛 ⇒ 隣人への愛 (これが正しき愛です。)
神の愛 ⇒ 私の愛 ⇒ (神の愛 ⇔ 私の愛)

よく誤解されること。
私の愛 ⇒ 神の愛 ⇒ 私の愛 ⇒ 隣人の愛 (これは誤りです。)
私の愛 ⇒ 神の愛 ⇒ (私の愛 ⇔ 神の愛)
私が神を愛するから、神が愛して下さるとは、大きな誤りです。

申命記では、神が十戒(律法)を与えることが、人を愛していることです。
その神の愛に、人が答えるのは十戒(律法)に従うことです。(旧約聖書の考え方)


また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。
父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。
あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。
ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。
それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。
わたしは、人からの誉れは受けない。
しかし、あなたたちの内には神への愛がないことを、わたしは知っている。
(ヨハネによる福音書 5章 38-42節)

聖書はイエスを証する書物であることが分かります。


そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、
イエスは言われた。
わたしが命のパンである。
わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。...」
(ヨハネによる福音書 6章 34-35節)

神を愛しているならば、イエスを愛する。
イエスを信じることは、神を愛することと同じことです。

旧約では、「神の愛に、人が答えるのは十戒(律法)に従うこと」
新約では、「イエス・キリストを信じること」


地震について
イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。
「おっしゃってください。
そのことはいつ起こるのですか。
また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
イエスはお答えになった。
「人に惑わされないように気をつけなさい。
わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。
そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。
そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。
また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。
そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。
不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。
それから、終わりが来る。」
(マタイによる福音書 24章 3-14節)

聖書では、地震が起こることは書かれています。
だが、聖書のどこを読んでも、地震は神が起こしているとは書かれていません。

神は地震が起こることは知っているが、神が起こしているとは書かれていないことに注意しないといけません。
そこを勘違いすると、つまづくことになります。


<まとめ>
神の愛とは、神の愛に対して、人がその道に従うこと。 つまりは、イエスを愛することです。
神は地震が起きることはご存じですが、地震は神が起こしている訳ではないです。

神は、良い時(状況)でも、悪い時(状況)でも、人がその道に従うこと(イエスを救い主として信じること)を、神が人に求めておられます。

県知事より

2011-03-15 08:53:24 | 社会について
11日の地震の震度は、14:46は震度6強、15:15は震度6弱でした。(Yahooより再確認)

金・土の2日間は、ラジオ(茨城放送・NHK放送)が情報源でした。
改めて、日・月とテレビを見ると、地震の津波、原子炉の問題に行政(政府)が対応している。

後で、調べて分かりましたが、震源地があちこち転々とあることが分かりました。
茨城南部の場所では、震度4以上が14回もありました。
この14回の内の震源地は、主に5ヵ所ありました。



<茨城放送の橋本知事より>
14日の県知事は、2点の報告がありました。

1)迷惑メール
茨城県は14日、東京電力福島第1原発で爆発が相次いだことに絡み、県内で「化学物質が大量に含まれる雨が降る」などといった内容のメールが不特定多数の人に送信されていたことを明らかにした。
県は「誤った情報に惑わされないように」と注意を呼び掛けている。
メールは「原発で働いている人からの情報です」として、「化学物質が大量に含まれると予想されるため、皮膚に接触すると大変危険です。
被爆者になります」などと記載。
メールを読んだ人から県職員に問い合わせがあったという。
県は福島県との県境に近い北茨城市などに設置した放射線監視装置に異常な数値は出ていないと説明している。

茨城の県知事は、注意を促しています。


2)計画停電に対して、茨城の県知事が菅首相に申し入れをしました。
被害である茨城県に対して、ライフラインが復旧をしていないから、止めて欲しいと申し入れをしたようです。


茨城放送(ラジオ)
茨城県の方は、茨城放送が身近で生活に密着した情報が多いので、おすすめです。
インターネットでも、USTREAM(ユーストリーム)で茨城放送(ラジオ)の生放送をしています。

===== 2011/03/25 AM10:30 追記 =====
茨城放送のUSTREAM の配信は、2011/03/19 に終了しました。

地震について

2011-03-13 11:18:23 | 社会について
11日の2時46分の時は、震度6弱でした。

この2日間は、停電でした。
情報源は、ラジオでした。 ラジオは、茨城放送とNHK放送です。

現在は、停電は復旧して、断水状態です。
また、余震が続いています。
体感でも震度3ぐらいです。

テレビを見ると、宮城県、岩手県がひどいですね。
ラジオでは、そこまで報道していなかったので、知らなかったです。


<祈り>
天の父よ。
地震の震災に遭われた方々の上に、主の憐れみ、慰め、癒し、祝福がありますように。
また、多くの方々の支援が、スムーズに進みますように、お導きください。
この祈りを主イエス・キリストの御名を通してお祈り致します。
アーメン!

手話奉仕について

2011-03-10 23:24:42 | 教会
大和カルバリ-チャペルのインターネットの水曜日の祈祷会の手話奉仕の証がありました。

ある1人の女性の証でした。
初めは、口パクでもいいから、手話奉仕をして欲しいとろう者の方から依頼があり、口パクの奉仕から始めたそうです。

そして、讃美の曲しか手話が出来なくて、みじめに思った時もあった。
そして、説教の通訳が出来なくて、大泣きをしたときもあったと、言っていました。

私は、その女性の次の言葉に感動をしました。
一生懸命に話をしてくれる牧師の通訳が出来なかった。」

私は、その女性が神の御言葉を、牧師を通して、ろう者に伝える役目の重荷を感じていることに、すごく感動をしました。


ヘブライ語、ギリシャ語の勉強をしている今の私は、次のような思いが与えられています。
牧師の日本語を、手話通訳をすることは、2重訳の側面を否定が出来ない部分があること。
2重訳になると、原文の意味から離れている場合が時に応じてあることを感じています。


ときどき、日常の手話とキリスト教の手話と2種類ある場合があります。
2例をあげると、「神」と「罪」が日常とキリスト教の2種類の手話があります。
「神」は、日常では神社に参拝する時に「手を合わせる」の手を合わせると日常の手話の神です。
もう1つは、指文字で「か」として、右上に上げると、右上の「か」がキリスト教の神です。

「罪」は、警察が手錠をかける時に、グーのまま腕をクロスさせると、日常の手話の罪です。
もう1つは、蛇の手話が、原罪が蛇から由来することから、蛇がキリスト教の罪です。


言葉とは、なかなか難しいと改めて感じています。
全国の手話奉仕をしている皆さんの上に、主の祝福がありますように。