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イエス・キリストのブログ
プロテスタント(バプテスト派)

世を愛された

2007-08-28 22:08:31 | Weblog
神は、その独り子(イエス)をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子(イエス)を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子(イエス)を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子(イエス)によって世が救われるためである。
御子(イエス)を信じる者は裁かれない。
信じない者は既に裁かれている。
神の独り子(イエス)の名を信じていないからである。
光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。
それが、もう裁きになっている。
悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。
しかし、真理を行う者は光の方に来る。
その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。
===== ヨハネによる福音書 3章 16~21節 =====

有名な聖書箇所です。
クリスチャンでも、この聖句が好きな方もいます。

神は、その独り子(イエス)をお与えになったほどに、世を愛されました。
人類のすべてがイエス様の愛の御手の中に入ることを、神は望んで折られます。
それは、「永遠の命を得るためである。」とはっきりと書かれています。 

真理を行う者は光の方に来る。と書かれているます。
ここで言う真理とは、義(正しい)の道を示しているます。
この義の道をイエス様がお示しになりました。
光とはイエス様自身を指しています。

隣人とは誰ですか?

2007-08-27 23:07:08 | Weblog
隣人とは誰ですか?

すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。
「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」
と言われると、
彼は答えた。
「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」
イエスは言われた。
「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」

しかし、彼は自分を正当化しようとして、
「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。
イエスはお答えになった。
「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。
追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、
近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。
『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
律法の専門家は言った。
その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。
「行って、あなたも同じようにしなさい。」
===== ルカによる福音書 10章 25~37節 =====


1)何をしたら、永遠の命をいただけますか?
律法の専門家は、イエス様に聞きました。
律法では何と書いてあるか? と問い直しました。

<答え>
「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』


2)隣人とは誰ですか?
律法の専門家は、さらに、イエス様に聞きました。

<登場人物>
追いはぎを受けた方:ユダヤ人と思われる
祭司:律法の専門家
レビ人:12部族の祭司職(律法の専門家)
サマリア人:ユダヤ人と交流を持たない民族

ここで注目は、祭司、レビ人とユダヤ教のお偉い方が、追いはぎの方を助けなかったことです。
逆に、交流をもたないユダヤ人とサマリア人の間の中で、サマリア人が追いはぎの方を手当てをしました。

イエス様の隣人を愛することに対することは、抽象的ではなく、本当に具体的です。

<余談>
すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。
ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。
===== ヨハネによる福音書 4章 9節 =====

ユダヤ人とサマリア人は交際をしませんでした。

イエスとサマリアの女の話も、面白いのですが、またの機会に書きたいと思います。

2007-08-26 18:54:02 | Weblog
神様は、ただ一人です。

天地を創造しました。
全知全能の方が、神です。

楽園である、エデンの園にアダムとエバを住まわせました。
アダムとエバは、園の中央にある、木の実を食べてはいけないと神より言われていました。

しかし、蛇にそそのかされて、木の実を食べました。
そのため、人に罪が入り込みました。
そして、人は死ぬ者となりました。

その人の罪を救うために、イエス様をこの世にお遣わしになりました。
イエス様を信じることによって、天の国で永遠の命をいただく権利を得るようになりました。

私たちは聖霊を通して、イエス様を信じるようになります。

このブログを見て、一人でも救われてクリスチャンになってくれる方がいることを、期待しています。

言(ことば)

2007-08-24 22:57:46 | Weblog
初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は光を理解しなかった。
神から遣わされた一人の人がいた。
その名はヨハネである。
彼は証しをするために来た。
光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
わたしたちはその栄光を見た。
それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。
「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。
わたしよりも先におられたからである』
とわたしが言ったのは、この方のことである。」
わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。
いまだかつて、神を見た者はいない。
父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。
===== ヨハネによる福音書 1章 1~18節 =====

In the beginning the Word already existed;
the Word was with God, and the Word was God.
From the very beginning the Word was with God.
Through him God made all things;
not one thing in all creation was made without him.
The Word was the source of life, and this life brought light to people.
The light shines in the darkness, and the darkness has never put it out.
God sent his messenger, a man named John,
who came to tell people about the light, so that all should hear the message and believe.
He himself was not the light;
he came to tell about the light.
This was the real light―the light that comes into the world and shines on all people.
The Word was in the world, and though God made the world through him, yet the world did not recognize him.
He came to his own country, but his own people did not receive him.
Some, however, did receive him and believed in him;
so he gave them the right to become God's children.
They did not become God's children by natural means, that is, by being born as the children of a human father;
God himself was their Father.
The Word became a human being and, full of grace and truth, lived among us.
We saw his glory, the glory which he received as the Father's only Son.
John spoke about him.
He cried out, "This is the one I was talking about when I said, "He comes after me, but he is greater than I am, because he existed before I was born."'
Out of the fullness of his grace he has blessed us all, giving us one blessing after another.
God gave the Law through Moses, but grace and truth came through Jesus Christ.
No one has ever seen God.
The only Son, who is the same as God and is at the Father's side, he has made him known.
===== John 1.1-18 =====

言(ことば)は、イエス・キリストであります。
言によって成った。 つまり、イエス・キリストによって万物がなりました。
言は光であった。 つまり、イエス・キリストは光でありました。

イエス様は、私たちを照らす、光であります。
私たちの罪を照らしてくれます。

キリスト教について

2007-08-24 00:22:53 | Weblog
キリスト教とは、どんな宗教でしょうか?

約2000年前に、ベツレヘムの地でお生まれになった、救い主(メシア)です。
それが、イエス・キリストです。

ベツレヘムは、イスラエルから約15Kmの場所です。

イエス様が生まれる前は、ユダヤ教が主流でした。
もちろん、イエス様もユダヤ教です。

ユダヤ教では、アブラハムを父とする宗教です。
その後に、モーセが神から十戒の板を頂きました。
それから、十戒より律法の規定が細かく定められました。

律法の規定が、しだいに間違って解釈されて、イエス様がそれを正しい方向へと戒めました。

イエス様は、律法を戒めたり、罪人を癒したり、神の教えを説いたりしました。
それが、ユダヤ教のラビ(教師)から反発が起こりました。
それから、ユダヤ教とは別にキリスト教が独立する道を歩みました。


話は変わりますが、ユダヤ教は救い主(メシア)が現れると、預言者より預言されていました。
ユダヤ教では、ダビデ王のように、民のリーダーとなるような方が現れると思っていました。
しかし、それとは反対に、罪人と一緒に食事をするイエス様でした。
これは、ユダヤ教の方との期待とは反していました。
実はイエス様は、私たちの罪を救いのために、神より遣わされました。

また、少し話しは変わります。
ユダヤ教では、神は、畏れる存在でした。
ノアの洪水のように、罪人を全滅させるほど畏れる存在でした。
しかし、イエス様は、神は愛の存在であることを教えてくれました。

キリスト教は、そのようなことを背景に、イエス様(正しい方)が天の国の神から遣わされた方であり、私たちの罪を救うために来られた方であることを信じる宗教です。


※注意
宗教とは・・・

仕事

2007-08-21 22:43:50 | Weblog
アダムが禁断の木の実を食べたので、男子は苦労をして収入を得るようになりました。

その後、モーセの十戒で次のように書かれています。
十戒で6日間は、働きなさいと書かれています。

なぜ、働くのだろう?
それは、アダムが神の掟を守らなかったからです。
それで、男性は働かなければいけません。

仕事は、家族を養うためとしての目的もあります。
しかし、神の掟としての側面もあります。

がんばって、体調を整えて仕事ができるようになりたいです。
お祈りをお願い致します。

在主 Logical Space

職場の仮復帰

2007-08-20 23:11:10 | Weblog
8月21日から職場を仮復帰することになりました。

<病名>
・甲状腺機能亢進症(バセドウ病)
・睡眠障害(途中覚醒)

うつ病の疑いは、ないようです。
眠気は、低酸素(軽い無呼吸症候群)、睡眠薬、うつの薬などが原因でした。
眠気の原因がころころ変わるので判断が難しかったです。

1ヶ月様子を見て、復帰できるか様子を見ようと思います。

神は愛

2007-08-20 23:03:38 | Weblog
愛する者たち、互いに愛し合いましょう。
愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。
愛することのない者は神を知りません。
神は愛だからです。
神は、独り子(イエス)を世にお遣わしになりました。
その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。
ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子(イエス)をお遣わしになりました。
ここに愛があります。
愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。
いまだかつて神を見た者はいません。
わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。
神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。
このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。
===== ヨハネの手紙 一 4章 7~12節 =====

Dear friends, let us love one another, because love comes from God.
Whoever loves is a child of God and knows God.
Whoever does not love does not know God, for God is love.
And God showed his love for us by sending his only Son into the world, so that we might have life through him.
This is what love is:
it is not that we have loved God, but that he loved us and sent his Son to be the means by which our sins are forgiven.
Dear friends, if this is how God loved us, then we should love one another.
No one has ever seen God, but if we love one another, God lives in union with us, and his love is made perfect in us.
===== 1 John 4.7-12 =====

私たち人間が神を愛していません。

神が、私たち人間を愛してくださいます。
神が、御子(イエス)を世にお遣わしました。
御子(イエス)を世にお遣わしたことに神の愛があります。

それゆえ、愛は神から出るものです。
神の愛から、お互い愛し合うことを学びます。

律法(十戒)について

2007-08-17 14:33:33 | Weblog
わたしが来たのは律法(十戒)や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。
廃止するためではなく、完成するためである。
はっきり言っておく。
すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法(十戒)の文字から一点一画も消え去ることはない。
だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。
しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。
言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。
===== マタイによる福音書 5章 17~20節 =====

イエス様は、律法(十戒)は完成させるために、地上に来られました。
廃止するためではありません。

ここ、数日間は、律法(十戒)を10回に分けて解説しました。

律法(十戒)は、罪を明らかにするだけであり、救いをもたらすものではないと、聖書には書かれています。

イエス様の愛を知れば、律法(十戒)は自然と守るべきものだと、私は考えます。
イエス様への信仰が、神の関係を義として下さいます。

そして、天上界では律法(十戒)を守ることは、大いなる者と呼ばれます。

救いは、イエス様を信じることによって救われます。
しかし、罪は律法(十戒)によって明らかにされ、イエス様を信じることによって、神との関係を義として下さいます。

イエス様を信じることによって、律法(十戒)も自然と守れるようなれると思います。

十戒 10

2007-08-16 23:39:19 | Weblog
十戒の10番目

隣人の家を欲してはならない。
隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。
===== 出エジプト記 20章 17節 =====

人ものを欲してはなりません。

あの人が、良い物を持っているから、欲しいなあと思う気持ちは良いです。
しかし、人から盗んで奪ってはなりません。
自分で、購入して手に入れる必要があります。