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イエス・キリストのブログ
プロテスタント(バプテスト派)

信仰生活について

2009-03-30 10:22:35 | 聖書の原典
最近は、私の教会ではないが、最寄の教会で礼拝が守られつつある。

<礼拝の優先順位>
1)私の教会で礼拝する
2)最寄の教会で礼拝する
3)教会のサークル活動に参加する

聖書は、原点で読みたいと思っているので、語学を勉強中である。

原点で読むと愛という言葉だけでも、色々な意味があるので面白い。
αγαπη(agape : アガペー) 無償愛。 これが神の愛である。
φιλια(filia : フィリアー) 友情愛
ερως(eros : エロス) 男女間の性愛
στοργη(storge : ストルゲー) 親子愛

聖書の愛は、αγαπη(アガペー)の愛が用いられている。

ギリシャ語では、神の愛、友情愛、男女愛、親子愛は区別して用いられているということである。

日本の愛は、すべてを愛で表現をしているので、混乱をしているかもしれない。
キリスト教でも、愛を混同して使用しているかもしれない。

お笑いの陣内さん

2009-03-26 07:26:34 | 社会について
5億円の結婚式をした、陣内さんと藤原さんです。
しかし、離婚しました。

聖書の十戒の「(7)には姦淫をしてはならない」と書いてあります。

お金が豊かにあっても、罪を犯しては大切な方を失ってしまいます。
人は弱いので、仕方がないのですが・・・。

地位、お金があっても、何をしてもいい訳ではありません。
罪を犯しては意味がありませんね!

十字架について

2009-03-25 18:04:36 | キリスト教
最近は、十字架について思い巡らします。

十字架は、縦と横の関係を表していると思います。
縦は、神様と私の関係
横は、人と私の関係
その中心(クロスの部分)には、イエス様が居ておられます。

十字架で血を流したのは、神様が私たちを愛しているからです。
私たちは罪人であって、イエス様が血を流して、あがなって下さいました。

このブログは十字架を中心に書いているのかな? と考えることがあります。
いつも、十字架を思い巡らして、ブログを書いて行きたいと思います。

ソロモン王の夢

2009-03-24 05:02:54 | 聖書
その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。
ソロモンは答えた。
「あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。
またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました。
わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。
しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。
僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。
どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。
そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」
主はソロモンのこの願いをお喜びになった。
神はこう言われた。
「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた
見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。
わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。
生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。
もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう。」
ソロモンは目を覚まして、それが夢だと知った。
ソロモンはエルサレムに帰り、主の契約の箱の前に立って、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ、家臣のすべてを招いて宴を張った。
===== 列王記上 3章 5~15節 =====

That night the Lord appeared to him in a dream and asked him, "What would you like me to give you?"
Solomon answered,
"You always showed great love for my father David, your servant, and he was good, loyal, and honest in his relation with you.
And you have continued to show him your great and constant love by giving him a son who today rules in his place.
O Lord God, you have let me succeed my father as king,
even though I am very young and don't know how to rule.
Here I am among the people you have chosen to be your own, a people who are so many that they cannot be counted.
So give me the wisdom I need to rule your people with justice and to know the difference between good and evil.
Otherwise, how would I ever be able to rule this great people of yours?"
The Lord was pleased that Solomon had asked for this,
and so he said to him,
"Because you have asked for the wisdom to rule justly, instead of long life for yourself or riches or the death of your enemies,
I will do what you have asked.
I will give you more wisdom and understanding than anyone has ever had before or will ever have again.
I will also give you what you have not asked for: all your life you will have wealth and honor, more than that of any other king.
And if you obey me and keep my laws and commands, as your father David did, I will give you a long life."
Solomon woke up and realized that God had spoken to him in the dream.
Then he went to Jerusalem and stood in front of the Lord's Covenant Box and offered burnt offerings and fellowship offerings to the Lord.
After that he gave a feast for all his officials.
===== 1King 3:5-15 =====

神様は、ソロモンのところに夢で現れました。
ソロモンが王位に即位する直前の出来事でした。

神様は、ソロモンが求めるものを与えたいと考えていました。
その問いに、ソロモンは「あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるよう」と求めました。

神様は、本当に不思議な出来事をするのですね!
神様を賛美して、褒め称えたいと思います。

聖書の原典

2009-03-22 05:01:39 | 聖書の原典
現在は、聖書の原典である、ヘブライ語、ギリシャ語を勉強しています。
最寄のキリスト教書店に、聖書箇所を引用した例文や文法解説の書物がありました。
今は、その本を読んでいる最中です。
ご存じの方は、聖書の原典の読み方のコツを教えて頂けませんか?

<持っている書物>
=== ヘブライ語 ===
・原点のヘブライ語の聖書
・聖書へブル語四週間(簡単な解説書)
・現代ヘブライ語辞典

=== ギリシャ語 ===
・原点のギリシャ語の聖書(英語での説明の辞書付き)
・聖書ギリシャ語四週間(簡単な解説書)
・聖書ギリシャ語入門

後は、日常会話の初歩の方が学ぶ、「まずはこれだけ ヘブライ語」、「まずはこえだけ ギリシャ語」を持っています。

※ヘブライ語のことをへブル語とも言います。

赦すこと

2009-03-20 13:59:40 | 聖書
そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。
「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
イエスは言われた。
「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」
===== マタイによる福音書 18章 21-22節 =====

私たちは、人に嘘をつかれたり、性的なことが行われたり、身近な人が殺されたりすることがあります。

えっ! そういう人を赦すの?
そんなことは、感情的に赦すことは出来ないとはっきりと言います。

実は、人を赦せないということは、人が人を裁いていることになります。
人が人を裁いて良いのでしょうか?

実は、裁きを行う方は神様のみであります。
なので、次のように考えることが良いと思います。
「私は赦せない気持ちでいっぱいです。 しかし、人を裁くことはしません。 神様に裁きをお任せを致します。」

なので、裁きはすべて神様にお任せするというスタンスが大事だと思います。

2009-03-12 11:03:55 | 聖書
私は、旧約聖書、新約聖書の両方を重んじているので、比較的に旧約聖書の「神を畏れ、愛しなさい」という表現が多いと思います。

今日は、新約聖書の愛を書きたいと思います。

新約聖書では、「神は愛である」と書かれています。
===== ヨハネの手紙 一 4章 16節 =====

<< 抽象的な愛 >>
愛とは・・・!?
「コリントの信徒への手紙 一 13章」に愛について書かれています。

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。
ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。
預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。
幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。
わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。
だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。
わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。
その中で最も大いなるものは、愛である。

・愛がなければ、わたしは騒がしいどら
何をしても愛がないところには、騒がしいことであります。

・山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい
どんなに神様に対する信仰があろうとも、神様を愛し、隣人を愛することが出来なければ、価値がないと書かれています。(無 = 価値がない)

・愛は忍耐強い。愛は情け深い。
忍耐と情けが愛には必要なことであります。

・不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は不義でなく、真実を喜ぶ。 愛の性質として、忍び、信じ、望み、耐えるとあります。

・それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。
昔も今も未来も、残るものは、「信仰、希望、愛」であります。

・その中で最も大いなるものは、愛である。
1番大事なものは、「愛」であります。


<< 具体的な愛 >>
なんだか、少し抽象的ですね! 具体的に書かれている部分があります。
「ルカによる福音書 10章 25~37節」

すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。
「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、
彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」
イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。
イエスはお答えになった。
「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。
追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。
『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。
「行って、あなたも同じようにしなさい。」

ある律法の専門家は、永遠の命を得るには何をすれば良いですか?
とイエス様に尋ねました。
イエス様は、聖書に何と書いてあるか? と確認しました。
律法の専門家は、次のように答えました。
1)心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい
2)隣人を自分のように愛しなさい
次の2点を答えました。

では、律法の専門家は隣人とは誰ですか?
イエス様は、具体的に答えました。
追いはぎを受けた方います。
しかし、祭司、レビ人、サマリア人の3人が通り過ぎました。
・祭司は、もちろんユダヤ教の聖職者であります。 キリスト教で言えば神父(牧師)の役職にある方です。
・レビ人は、祭司職の部族のことです。 12部族の中で土地を持たない部族です。 もちろん、レビ人は律法に精通しています。
・サマリア人は、ユダヤ人から迫害を受けていた民族であります。

しかし、サマリア人は追いはぎの方を手当をしました。
イエス様は、このサマリア人のようにすれば、隣人を愛することであると言われました。


愛は叫ぶものではありません。 実行するものだと思います。
しかし、それがなかなか出来ないですよね!

手話サークル

2009-03-11 13:58:57 | 教会
今日は、自分の教会の手話サークルに行きました。

以前、体調が良ければ来てくださいと言われたので、行きました。
手話の講師がいない状態だそうです。
数人で独学で手話を勉強しているそうです。

その後は、牧師たちや事務ボランティアの方と話をして、帰って来ました。
私がいない間に色々と変わっているのですね!