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イエス・キリストのブログ
プロテスタント(バプテスト派)

祈るときには

2008-11-28 09:01:50 | 聖書
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マタイによる福音書 6章 5~15節

祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。
偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。
はっきり言っておく。
彼らは既に報いを受けている。
だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。
そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。
異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。
彼らのまねをしてはならない。
あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
だから、こう祈りなさい。
『天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。
御国が来ますように。
御心が行われますように、天におけるように地の上にも。
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』

もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。

(ポイント)
・あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。

<祈りとは>
『天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。
御国が来ますように。
御心が行われますように、天におけるように地の上にも。
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』

これは、『主の祈り』と呼ばれる祈りであります。
何を祈れば、分からない時は、この祈りをするといいです。

施しをするときには

2008-11-27 08:28:17 | 聖書
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マタイによる福音書 6章 1~4節

見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。
さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。
はっきりあなたがたに言っておく。
彼らは既に報いを受けている。
施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
あなたの施しを人目につかせないためである。
そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。

(補足)
簡単に言えば、人が見ている行動より、人が見てない行動を神様は見ています。
という意味です。

敵を愛しなさい

2008-11-25 13:31:57 | 聖書
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マタイによる福音書 5章 43~48節

あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。
徴税人でも、同じことをしているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。
異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

(補足)
えっ! 敵を愛するの? なんで・・・!?
という言葉が聞こえて来る箇所です。

聖書の前提には、この世には善人はいない。
神様から見れば、善人は存在しないのです。 人は多かれ少なかれ、罪を持っています。

しかし、神様はこの世の人々を愛しておられます。
そう、すべての方を愛しておられます。

私たち人間の視点で見れば、敵は悪人ですが、神様から見れば、私も敵も罪人であることは変わりないのです。

だから、神様は次のような祈りを求めておられます。
敵の罪を赦してください。 そして、私の罪を赦してください。

敵の罪を赦す行為が、相手を愛することにつながるのです。

復讐してはならない

2008-11-22 17:40:34 | 聖書
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マタイによる福音書 5章 38~42節

あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
悪人に手向かってはならない。
だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。
求める者には与えなさい。
あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。

(補足)
『目には目を、歯には歯を』は、レビ記 24章 19~20節にあります。
人に傷害を加えた者は、それと同一の傷害を受けねばならない。
骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない。
傷害を受けた場合の規定です。

※1ミリオン:約1,480m ≒ 約1.5km

誓ってはならない

2008-11-20 10:56:53 | 聖書
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マタイによる福音書 5章 33~37節

また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。

しかし、わたしは言っておく。
一切誓いを立ててはならない。

天にかけて誓ってはならない。
そこは神の玉座である。

地にかけて誓ってはならない。
そこは神の足台である。

エルサレムにかけて誓ってはならない。
そこは大王の都である。

また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。
髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。

あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。
それ以上のことは、悪い者から出るのである。

離縁してはならない

2008-11-18 07:18:02 | 聖書
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マタイによる福音書 5章 31~32節

『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。
離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。

姦淫してはならない

2008-11-17 11:05:36 | 聖書
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マタイによる福音書 5章 27~30節

あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。
体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。
もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。
体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。

(補足)
この世の中は、男と女しかいません。
なので、異性に興味を持つことは自然な気持ちであります。 それが、正常な心だと思います。

姦淫の意味は、独身で性行為をしてはならない。 既婚ならば妻以外に性行為をしてはならない。 という意味です。
もう少し細かい部分で言えば、独身であれ既婚であれ、親族とは性行為をしてはならないも含みます。 例えば、父と娘、義理母と義理息子などです。

イエス様は、心が引かれると性行為まで人は想像することを知っておられたので、あえて、「みだらな思いで見る者」と釘を刺して言っていおられます。

異性に興味を持つことは自然なことだと思いますけど、過剰になることはいけないという意味だと思います。

腹を立ててはならない

2008-11-15 08:52:08 | 聖書
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マタイによる福音書 5章 21~26節

あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。
兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。
だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、
その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。
あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。
さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。
はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。

※一デナリオン:ローマの銀貨(1日の賃金に当たる)
※一クァドランス:ローマの青銅貨(一デナリオンの1 / 64)