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イエス・キリストのブログ
プロテスタント(バプテスト派)

このブログについて

2009-09-28 10:14:55 | キリスト教
ときどき、他宗教から来られる方もおられるようです。

このブログについて書かせて頂きたいと思います。

私はキリスト教のプロテスタントのバプテスト派に属する1人の信徒です。
なので、牧師ではありませんので、聖職者でもありません。

私が聖書を読んで感想、日々の生活の証、社会ニュースで感じたことなど、個人で感じたことを書いているブログ(日記)です。
そのような中で、主イエスを救い主として信じる者同士で分かち合いが出来たらいいなあという思いでブログを書いています。

未信者の方には、主イエスがこんな方なのかなと感じて頂ければ幸いであります。
他宗教の方には、気になる記事を読んで欲しいと思います。

このブログは公な形を取っているので、誰でも目に止まれば見れるブログになっています。
私は、他宗教を批判する意図はありません。
もちろん、質問・疑問などがあれば、コメント欄よりお答えさせて頂きたいと思います。


キリスト教の信仰とは
天の父(エロヒーム)は生きておられる。 そして、目のみえない所に存在しています。
主イエスは、天の父のことを証して来られた方であります。
私たちは主イエスを信じることによって、天の父を知ることが出来ます。

ユダヤ教は、天の父が生きておられること。
キリスト教では、主イエスを信じること。

なので現在のいまでも、キリスト教は(主イエスを通して)天の父(エロヒーム)が生きておられることを言っているだけなのです。


現在の私たちは、天の父が働いていることを身近な所では感じている方もいると思います。
※もちろん働いていることが、感じない方もいると思います。
※感じなくても、インドのマザー・テレサ、南アフリカのキング牧師、キリスト教の日本の病院(聖路加病院など)からキリスト教の影響を感じる方もいると思います。
しかし、天の父のことをもっと詳しく知るには、聖書(旧約聖書・新約聖書)を読まないと分かりません。
なので、聖書(のみ)を通して天の父のことを知ることが出来ます。

聖書は霊感によって書かれた書物という言い方は、主イエスを信じている者同士で語られる言い方であります。
未信者や他宗教の方に語るには、ふさわしい言葉ではありません。
聖書は、天の父と人との間の物語などが書かれている書物と言うことが、適切だと思います。

この物語が、天の父の愛について、天の父の前では人は原罪を持っている、主イエスはメシア(救い主)として来られたことが、天の父と人との間に書かれた物語の書物であります。


今後とも、このキリスト教のブログをよろしくお願いします。

ヨナ書

2009-09-24 15:33:27 | 聖書
最近は、ヨナ書の個所を開く事が多いです。
新約聖書でも、ヨナのしるしについて読みました。(マタイによる福音書 12章 38-42節)

ヨナ書は、4章からなる旧約聖書の預言書です。
旧約聖書の中で1番短い章は、オバデヤ書の1章です。

ヨナ章のお話は、ニネベの町に悔い改めを天の父からヨナに言われます。
しかし、ヨナはニネベに言うことを嫌がります。
それで、ヨナは魚に食べられて3日3晩、魚のお腹の中にいますが、ついに天の父の言うとおりに、ニネベに悔い改めを言います。
そして、ニネベの町の人々が悔い改めます。

礼拝の時に

2009-09-20 21:30:39 | 教会
今日は礼拝を守れました。

礼拝に時に、礼拝堂の十字架を見て、エロヒームと思うようになりました。
聖書の原典を読むと、エロヒームを信仰していることが、はっきりと分かったので、自然とそう思うようになりました。
※エロヒームは創造主の呼び名です。

話は変わりますが、今週は連休ですね!
私は、水曜日は家庭教師が夕方にありますが、月・火は何も用事がないので、教会の誰かとお話をしたいと思いますが、誰かいませんか?
PM1:00からであれば、体調は良いと思うので、お話をしたいなあと思います。

あまり、家にこもっていると体に悪いので、外に出て人と話した方が健康にも良いと思うからです。

あなたは価高く

2009-09-17 18:49:49 | 聖書
わたしの目にあなたは価高く、貴く
わたしはあなたを愛し
===== イザヤ書 43章 3節 =====
(新共同訳)

わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
===== イザヤ書 43章 3節 =====
(新改訳)


新改訳で有名な個所です。

天の父は、あなたは価高く、貴い。
そして、天の父はあなたを愛しています。

罪の告白

2009-09-14 06:49:46 | 
クリスチャンになっても、罪は犯す者です。

私がバプテスマを受けた時は、天の父を自分の創造者としていないことでした。
親族が他の宗教でした。 なので、異なる方を創造者として崇めていました。
十戒に「わたしをおいてほかに神があってはならない。」とあります。
教会に通い、天の父を崇めて、主イエスを救い主として受け入れてバプテスマを受けました。

最近は、ある神学校よりヘブライ語の受講が出来る状況までありました。
しかし、教会の推薦状が必要でした。 私は、思い悩みました。
十戒に「安息日を心に留め、これを聖別せよ。」とあります。
病気で教会に行っていない私には、教会の推薦状はとても、重い物でした。
礼拝(安息日)に行けない者に、教会の推薦状はふさわしくないと思い、自分から辞退しました。
でも、しかしヘブライ語、ギリシャ語の原典より聖書は読み続けています。

病気より他の方に迷惑をかけたり、ブログなどより人を傷つけていたりなどなど、私が気がつかないところで、多くの人を傷つけているならば、どうかお赦しください。

私はクリスチャンになっても、肉的には弱い存在です。
以前の記事にも書きましたが、主イエスの愛の内にいることを忘れてはならないと思いました。

わたしの愛にとどまりなさい

2009-09-10 06:31:08 | 聖書
あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。
そうすればかなえられる。
あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。
わたしの愛にとどまりなさい。
わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。 これがわたしの掟である。
===== ヨハネによる福音書 15章 7-12節 =====

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。」と書かれています。
私は、ここを読んで主イエスがわたしを愛して下さったから、その愛を大事にするべきだと解釈をしていました。
つまり、主イエスは私たちの罪を赦して、主イエスの教えを私たちは守るようにと書かれていると思いました。
そして、主イエスの愛を受け続けることが大事だと解釈をしていました。

それは、日本語訳の聖書を何度も読んでもそう読むと思っていました。
実は、ギリシャ語の聖書を読むまでは・・・。


英語訳の聖書が原典に近いので、英語訳の聖書では・・・。
If you remain in me and my words remain in you, then you will ask for anything you wish, and you shall have it.
My Father's glory is shown by your bearing much fruit; and in this way you become my disciples.
I love you just as the Father loves me;
remain in my love.
If you obey my commands, you will remain in my love, just as I have obeyed my Father's commands and remain in his love.
I have told you this so that my joy may be in you and that your joy may be complete.
My commandment is this: love one another, just as I love you.
===== John 15:7-12 =====

「I love you just as the Father loves me; remain in my love.」と書かれています。
代名詞で書かれているので、直接に名詞で書きなおしたいと思います。

Jesus love you just as the Father loves Juses; (You) remain in Juses love.

確かに「remain in my love(remain in Juses love)」は、「私の愛に(主イエスの愛に)」と訳するのは正しいと思います。
しかし、「in my love(in Juses love)」なので、「私の愛の内に(主イエスの愛の内に)」と理解するのが正しいと思いました。

そう解釈をすると、私たちは主イエスの愛の内に包まれている状態にあることに気付きました。
それは、私たちが罪人の時だったときは、主イエスの愛の内に包まれていることに気が付かなかったことになります。
主イエスの愛の内に包まれていることを知った時に、主イエスの愛の内に包まれていることを、忘れてはならないと解釈することが正しいと思いました。

英語では「in」、ギリシャ語では「εν」が日本語では「~中に」という意味があるので、実はこの部分がとても重要だと感じました。
また、とどまる(remain)は、忘れないで欲しいという意味だったのですね!


私たちは、何か困難、災害、病気などにあった時に、主イエスは私たちを本当に愛しておられるのですか? と嘆きたい時があります。
それは、主イエスの愛を大事にしているので、主イエスにつながっていることで、主イエスの愛を受け続けようと思っていたのです。

実はそうではなくて、私たちはどんな時でも主イエスの愛の内に包まれていたのです。
特に、困難、災害、病気などにあった時でも、主イエスは私を愛の内に包まれていることを忘れてはいけないのですね!

なので、あなたは主イエスに愛されていますよ! とメッセージをするのではなく。
あなたは主イエスの愛の内に包まれているのですよ! それを忘れないで欲しいです!
「わたしの愛にとどまりなさい。」とは、「主イエスの愛を受け続けること」と思っていましたが、「主イエスの愛の内にいることを忘れないで欲しい」の意味だったのですね!

○○祭

2009-09-06 21:18:08 | 教会
今日は、午後から教会で、教会のオリジナルの○○祭が行われました。

午前の礼拝には出席は出来ませんでした。
しかし○○祭には、体調が悪かったですが、初めから最後までいました。

今日は、動悸がして、体がだるく、頭がボーとしました。
夕方、家に帰ってからも同じ症状でした。

恵みはあったかもしれませんが、体調が悪かったので、だいぶ疲れました。
でも何はともあれ、教会に足を運べたことは良かったです。

衆議院選挙

2009-09-01 22:20:37 | 社会について
キリスト教のブログでありますが、宗教的な意味合いは全然ありません。
純粋に衆議院選挙に感じたことを書きたいと思います。


マスコミの報道を見ても、民主党に入れたいと声は全然聞こえなかった。
私は、自民党以外に政権を渡して、再生された自民党になって欲しいという意思表示に思えました。

自民党以外となると、現実的には民主党しかなかった訳でです。
国民は自民党以外であれば、実はどこの党でも良かったと感じました。

自民党は、総理大臣が2代続いて辞める事態になりました。
また、大臣は国会議員としての能力がありながら、つまらないことでマスコミで報道されて、大臣を辞任する。
※中川財務大臣が、ろれつの回らない会見をして辞任など。

私は、議員の能力はあるが、社会常識がない議員が大臣になっている感じがしました。
なので、大臣としての資質が問われていると感じました。
また、今の自民党には大臣の業務が出来る人がいないと感じました。
※大臣の椅子がいくつは知りませんが、20人の椅子があれば、15人ぐらいしか大臣の業務をこなせる方がいない意味です。


国民は民主党に政権をやって欲しいとは思っていないと思います。
あくまでも、自民党以外に政権をして欲しいと思っています。
そういう意味では、民主党は政権能力のアピール、大臣の業務をこなせる方、そして、自民党には再生させないことが、民主党政権を維持するには、必要だと感じました。

民主党は、そうとう気を引き締めて頑張って欲しいと思います。


国民が感じていることは、今の政治は良くないと感じているから、政権を交代して新しい日本の政治を確立して欲しいと願っていると思います。
つまり、自民党⇒○党⇒再自民党を国民が期待していると思います。
自民党は、政権を渡しても日本が良くならない。
○党は、実はどこでも良い訳です。
現実的には自民党と民主党の2つの党しかなかったので、民主党に票が流れたと思います。
再自民党が、期待している国民の新しい自民党です。

私はマスコミの報道を見ていて思いました。