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イエス・キリストのブログ
プロテスタント(バプテスト派)

無視されている気分

2014-08-23 11:15:18 | 教会
私は、現在の所属する教会の方々に無視されている気分です。

私は、前職の正社員のプログラマーを辞めたのは、2008年2月です。
休職を始めたのは、2006年5月です。

バセドウ病になり、ひどい睡眠障害になり、昼夜逆転になりました。
今でも少し睡眠障害が残っていますが、パートをしながら頑張っています。

現在は2014年8月です。
2006年の休職を始めてから約8年です。

教会に行けるときは、比較的に体調が良い時です。
それは、1番苦しい姿を見ていないから、分からないのでしょう。

私には、本音で話が出来る信仰の友はいません
小5年から、通っている教会なのに・・・。
また、教会の人から、最近はどう?
そのような心配する連絡は、約8年間ありません。

そして、約8年間も午前中の礼拝に出席が出来ないことが、信仰的に異常な状態と理解をしてもらないこと。
それが異常だと思わない教会の方々がいること。

初めの5年ぐらいは、それぞれ家庭環境が違うし、忙しいから連絡がないだろうと思っていました。
しかし、約8年も連絡がなければ、一般的には、忙しいは理由にはならないです。
私の事はただの他人事なのでしょう。

私の事は他人事だと思うと・・・。
個人的には、無視されている気分です。
おそらく、無視をしているのでしょう。

苦楽を共にする信仰の友がいないのは、残念です。
楽しい時だけの信仰の友は、本当の信仰の友とは、私は思いません。
苦しい時も、共に苦しんでくれる友が、本当の信仰の友ですよね。

私が言ってから対応する方は、私の要望がないとしないの?
なぜ、自主的に判断してしてくれないの?
なので、このブログを読んで対応する方には、私は感謝より、むしろ絶望に感じます。

主なる神には、いつも希望がありますが、教会の方々の対応には希望がもてません。
9月からパートを始めます。
生活のリズムが変わります。

教会の対応

2014-03-03 08:15:56 | 教会
教会の対応というより、教会のメンバーの対応が基本、私たち夫婦を相手にしてくれません。
つまり無視しています。

約7年も継続的に礼拝に行けないことが異常だと思っていないことが、教会のメンバーの感覚がおかしいと私は思います。
ときどき、礼拝に行くと心配するように、話しかけて来ますが、その場だけの心配です。

何も相談に乗ってくれるくれる訳ではないし、仕事を探しを手伝ってくれる訳でもないし。
私自身が複雑な家庭環境(今まで本心を打ち明けたことは誰にもありません。)にあるので、私と距離が出来てしまうのも原因の1つであることがあります。

教会のメンバーに無視されているので、疎外感を感じます。
病気でいけないこともありますが、約7年も継続的に礼拝に行けないことを異常だと、教会のメンバーが思ってくれていないことが、とても寂しいです。

最近は・・・

2013-11-24 23:09:26 | 教会
体調(バセドウ病より睡眠障害)が悪いので、所属教会の礼拝には出席が出来てません。
その為、最寄り教会で夕拝があるので、そちらに毎週、礼拝を守っています。

所属教会で礼拝するのが、1番良いのですが、体調の問題があるので、「主なる神を礼拝すること」を大事にしようと夫婦で考えています。
なので、最寄り教会の夕拝を守るようにしています。

しかし、ここ2週間、私の体調が悪く、夕拝を守れない日々です。
1週目は、バセドウ病の薬(プロパジール)の副作用より、ANCA(血管の炎症)がありました。
症状は、寒気、倦怠感です。
バセドウ病のブログ(13/11/16)
バセドウ病のブログ(13/11/24)
とにに詳細は書いています。

2週目は、睡眠障害です。
平日の普段は、2度寝をしています。
今日の日曜日は、午前6時に起きました。
それから眠気が来ないので、ずっと起きていました。
午後から夕拝に行く時間になっても眠気がなかったので、いつ眠気が来るのか分からない状態です。
ちょうど、夕拝に行く時間に眠気が来て、2時間寝てしまいました。

主イエスへの信仰が守られますよう、お祈りに覚えて頂けたら嬉しいです。

ハバクク書

2013-09-24 21:23:34 | 教会
9/22(日)は、最寄りの教会でハバクク書(1:5-11)からの説教でした。
ハバクク書の時代背景は、南のユダ王国が滅び、預言者ハバククが、なぜイスラエルの国が災いの中にいるのに、救ってくださらないのですか? と訴えている預言書です。
つまり、イスラエルの国がバビロンに捕囚され、その災いをハバククが主なる神に訴えている時代背景です。

そこには、聖書全体として、申命記28章の神の祝福と呪いについてモーセを通して語られた言葉が、実現していることでした。...
(神の祝福)
「もし、あなたが、あなたの神、【主】の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、【主】は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。申命記(28:1)【新改訳】」
(神の呪い)
「もし、あなたが、あなたの神、【主】の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。申命記(28:15) 【新改訳】」

主なる神は、良い時も悪い時も、主なる神に立ち帰ること(主なる神のみを礼拝すること)を望んでおられることが、聖書全体としてのメッセージだと、私は理解をしています。

先週の復習でハバクク書(1:3)、妻が翻訳のニュアンスの違いに戸惑いを覚えました。
最寄りの教会では【新改訳】、妻の聖書では【新共同訳】での翻訳のニュアンスの違いです。
翻訳のニュアンスの違いは、ハバクク書の全体を新改訳、新共同訳で読んで、意味を理解する方法と、ヘブライ語で直接に読む方法があると思います。
しかしながら、一般信徒にはヘブライ語で読む環境がないのが普通だと思います。
そういう意味では、ヘブライ語で読める環境が整えられているのは、恵みであり、感謝です。

「なぜ、あなたは私に、わざわいを見させ、労苦をながめておられるのですか。暴行と暴虐は私の前にあり、闘争があり、争いが起こっています。ハバクク書(1:3)【新改訳】」

「どうして、あなたはわたしに災いを見させ労苦に目を留めさせられるのか。暴虐と不法がわたしの前にあり争いが起こり、いさかいが持ち上がっている。ハバクク書(1:3)【新共同訳】」

「暴行と暴虐【新改訳】」と「暴虐と不法【新共同訳】」のニュアンスの違いに戸惑いを覚えたようでした。
ヘブライ語では、次のように書かれています。(ヘブライ語は左から右に読みます)
למה תראני און ועמל תביט ושד וחמס לנגדי ויהי ריב ומדון ישא(ハバクク書1:3)
(発音)lama tareani aven veamal tabit ushod vehamas lenegedi vayahi rib umadon isha
(単語)なぜ 見る むなしいこと 苦労 目を留める 破壊(暴虐) 暴虐(不正) 前に ある 闘争(口論) 争い(いさかい) 上げる
※ ××(××) ⇒ 新改訳(新共同訳) の意味です。

שד(shod)は、暴虐、破壊、乳房の意味があります。 新改訳は「破壊(暴行)」、新共同訳は「暴虐」です。
חמס(hamas)は、暴力、強奪、暴虐、残忍、不正の意味があります。 新改訳は「暴虐」、新共同訳は「不正(不法)」です。
ヘブライ語の単語の意味が複数あるため、翻訳者が何を使っているのかによって、翻訳のニュアンスが違うことがあるようです。
個人的にはヘブライ語の勉強になりました。
そして、聖書(神の言葉)は奥深い書物だと改めて感じました。もっと見る

最近の礼拝

2012-08-12 11:07:52 | 教会
午後からは、比較的に体調の調子がいいです。

毎月、第2週、第4週は、私の教会では、インドネシア礼拝が午後4時から行われています。
他の週は、最寄りの教会で、オープン礼拝が午後6時から行われています。

最近は、午後からの礼拝に出席するように、心がけています。

十字架

2011-08-26 12:43:56 | 教会
イエス・キリストは、十字架にかかって死なれました。

説教では、「コリントの信徒への手紙 一 1章」からのメッセージでした。
その中で、次の箇所があります。

コリント 一 1章 23節(新共同訳)
わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。

コリント 一 1章 23節(ギリシャ語)
ἡμεῖς δὲ κηρύσσομεν Χριστὸν ἐσταυρωμένον
(カタカナ読み)
エメイス デ ケリスソメン クリストン エスタユロメノン

ここでは、「十字架につけられた」と過去形で訳されていますが、ギリシャ語で読むと、ἐσταυρωμένον(エスタユロメノン) と現在完了形で書かれています。

説教のとき、牧師がこのことを話しておられました。
今週、ずっとそのことを思いめぐらしています。


σταυροω(スタユロオ)が語幹になります。
そして、μένον(メノン)が現在完了形を表す部分になります。

現在完了形というのは、中学3年の英語の「have + 過去分詞」と同じ意味です。
現在の状態を述べる、現在形とも異なり、過去の事実を述べる、過去形とも異なります。
過去から現在まで、継続を述べるのが、現在完了形です。

ゴルゴダの丘で十字架にかかられて、今もなお十字架にかかっておられるということなのです。

教会で礼拝

2011-07-24 15:44:12 | 教会
今日は、教会に行って分級(聖書の学び)、礼拝をして来ました。

教会に行く時に、持参する物は、聖書(新共同訳)、讃美歌です。
その他には、ヘブライ語聖書、ギリシャ語聖書、ヘブライ語辞書、ギリシャ語小辞典です。

原典では、どのように書かれているのかを、確認するために持参しています。


原典で読むと、やはりメリットとデメリットはあると思います。
<メリット>
ある原語には、複数の意味がある場合には、翻訳では、その複数の意味の1つしか使われていない。
また別に、日本で読むと違う意味だと思っていたら、実は同じ原語が使われていることが分かる。
つまり、聖書の意味について、広がりを持つことが出来ること。

<デメリット>
ヘブライ語、ギリシャ語が分かる方が、牧師を除いていないので、言語について会話できる方が少ないこと。
独学なので、ちょっと寂しいです。

恵まれた1日です

イースター(復活祭)

2011-04-25 20:59:46 | 教会
昨日の日曜日は、イースター(復活祭)です。

イエス・キリストが3日目によみがえったことを、記念します。
主イエスが、死に打ち勝ち、よみがえったことを信じることが、大切なことです。

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」
===== ヨハネによる福音書 14章 16節 =====

重要な言葉は「命」と表現している部分です。
神である主イエスは、私たちに「命」を与えてくれるお方であります。