goo blog サービス終了のお知らせ 

LogicalInSpace

イエス・キリストのブログ
プロテスタント(バプテスト派)

ヨナ書

2009-09-24 15:33:27 | 聖書
最近は、ヨナ書の個所を開く事が多いです。
新約聖書でも、ヨナのしるしについて読みました。(マタイによる福音書 12章 38-42節)

ヨナ書は、4章からなる旧約聖書の預言書です。
旧約聖書の中で1番短い章は、オバデヤ書の1章です。

ヨナ章のお話は、ニネベの町に悔い改めを天の父からヨナに言われます。
しかし、ヨナはニネベに言うことを嫌がります。
それで、ヨナは魚に食べられて3日3晩、魚のお腹の中にいますが、ついに天の父の言うとおりに、ニネベに悔い改めを言います。
そして、ニネベの町の人々が悔い改めます。

あなたは価高く

2009-09-17 18:49:49 | 聖書
わたしの目にあなたは価高く、貴く
わたしはあなたを愛し
===== イザヤ書 43章 3節 =====
(新共同訳)

わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
===== イザヤ書 43章 3節 =====
(新改訳)


新改訳で有名な個所です。

天の父は、あなたは価高く、貴い。
そして、天の父はあなたを愛しています。

わたしの愛にとどまりなさい

2009-09-10 06:31:08 | 聖書
あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。
そうすればかなえられる。
あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。
わたしの愛にとどまりなさい。
わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。 これがわたしの掟である。
===== ヨハネによる福音書 15章 7-12節 =====

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。」と書かれています。
私は、ここを読んで主イエスがわたしを愛して下さったから、その愛を大事にするべきだと解釈をしていました。
つまり、主イエスは私たちの罪を赦して、主イエスの教えを私たちは守るようにと書かれていると思いました。
そして、主イエスの愛を受け続けることが大事だと解釈をしていました。

それは、日本語訳の聖書を何度も読んでもそう読むと思っていました。
実は、ギリシャ語の聖書を読むまでは・・・。


英語訳の聖書が原典に近いので、英語訳の聖書では・・・。
If you remain in me and my words remain in you, then you will ask for anything you wish, and you shall have it.
My Father's glory is shown by your bearing much fruit; and in this way you become my disciples.
I love you just as the Father loves me;
remain in my love.
If you obey my commands, you will remain in my love, just as I have obeyed my Father's commands and remain in his love.
I have told you this so that my joy may be in you and that your joy may be complete.
My commandment is this: love one another, just as I love you.
===== John 15:7-12 =====

「I love you just as the Father loves me; remain in my love.」と書かれています。
代名詞で書かれているので、直接に名詞で書きなおしたいと思います。

Jesus love you just as the Father loves Juses; (You) remain in Juses love.

確かに「remain in my love(remain in Juses love)」は、「私の愛に(主イエスの愛に)」と訳するのは正しいと思います。
しかし、「in my love(in Juses love)」なので、「私の愛の内に(主イエスの愛の内に)」と理解するのが正しいと思いました。

そう解釈をすると、私たちは主イエスの愛の内に包まれている状態にあることに気付きました。
それは、私たちが罪人の時だったときは、主イエスの愛の内に包まれていることに気が付かなかったことになります。
主イエスの愛の内に包まれていることを知った時に、主イエスの愛の内に包まれていることを、忘れてはならないと解釈することが正しいと思いました。

英語では「in」、ギリシャ語では「εν」が日本語では「~中に」という意味があるので、実はこの部分がとても重要だと感じました。
また、とどまる(remain)は、忘れないで欲しいという意味だったのですね!


私たちは、何か困難、災害、病気などにあった時に、主イエスは私たちを本当に愛しておられるのですか? と嘆きたい時があります。
それは、主イエスの愛を大事にしているので、主イエスにつながっていることで、主イエスの愛を受け続けようと思っていたのです。

実はそうではなくて、私たちはどんな時でも主イエスの愛の内に包まれていたのです。
特に、困難、災害、病気などにあった時でも、主イエスは私を愛の内に包まれていることを忘れてはいけないのですね!

なので、あなたは主イエスに愛されていますよ! とメッセージをするのではなく。
あなたは主イエスの愛の内に包まれているのですよ! それを忘れないで欲しいです!
「わたしの愛にとどまりなさい。」とは、「主イエスの愛を受け続けること」と思っていましたが、「主イエスの愛の内にいることを忘れないで欲しい」の意味だったのですね!

見捨てない

2009-08-30 13:04:50 | 聖書
苦しむ人、貧しい人は水を求めても得ず渇きに舌は干上がる。
主であるわたしが彼らに答えよう。
イスラエルの神であるわたしは彼らを見捨てない。
===== イザヤ書 41章 17節 =====

イザヤは、ヒゼキヤ王(B.C.716-687年)の時代です。
王様一覧より

天の父がイスラエルの民を見捨てないと、イザヤを通して言われた言葉です。

実は、1つだけ見捨てない条件がありました。
それは、天の父に従うことです。

ソロモンの即位

2009-08-23 14:30:11 | 聖書
ソロモンの即位の場面です。


その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。

ソロモンは答えた。
「あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。
またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました。
わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。
しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。
僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。
どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。
そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」

主はソロモンのこの願いをお喜びになった。
神はこう言われた。
あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。
見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。
あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。
わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。
生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。
もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう。」

ソロモンは目を覚まして、それが夢だと知った。
ソロモンはエルサレムに帰り、主の契約の箱の前に立って、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ、家臣のすべてを招いて宴を張った。
===== 列王記上 3章 5-15節 =====

ソロモンは、天の父から何が欲しいか聞かれました。
ソロモンは、長寿、富、敵の命ではありませんでした。
ソロモンが望んだことは、民をまとめる知恵でした。
天の父は、ソロモンに富や栄光を加えて与えました。

私はソロモンが善と悪を判断する力を望んだことが、とても素晴らしいと思います。
武力、権力などより、正しい知恵こそが真の力であることを、天の父は示していると思います。
そして、私の罪がその正しい知恵が分からなくなっているので、イエス・キリストを通して真の道を示していると思います。

ルツ

2009-08-16 14:24:14 | 聖書
女ルツという人物が聖書に登場します。

ルツは結婚をしましたが、夫に先立たれてしまいました。
姑のナオミと一緒に暮らしていました。

ナオミの故郷はユダです。 ルツの故郷はモアブです。 
ナオミは、ルツに次のように言いました。
「自分の里に帰りなさい。
あなたたちは死んだ息子にもわたしにもよく尽くしてくれた。
どうか主がそれに報い、あなたたちに慈しみを垂れてくださいますように。
どうか主がそれぞれに新しい嫁ぎ先を与え、あなたたちが安らぎを得られますように。」

ルツは次のように答えました。
「いいえ、御一緒にあなたの民のもとへ帰ります。」

ルツはナオミの故郷に一緒に行くことになりました。
ナオミの親戚にボアズがいました。

ルツは、「畑に行ってみます。だれか厚意を示してくださる方の後ろで、落ち穂を拾わせてもらいます」

そこの落ち穂を拾う所有地はボアズの畑地であった。

ボアズはルツに言った。
「わたしの娘よ、よく聞きなさい。
よその畑に落ち穂を拾いに行くことはない。
ここから離れることなく、わたしのところの女たちと一緒にここにいなさい。
刈り入れをする畑を確かめておいて、女たちについて行きなさい。
若い者には邪魔をしないように命じておこう。
喉が渇いたら、水がめの所へ行って、若い者がくんでおいた水を飲みなさい。」

ルツは、顔を地につけ、ひれ伏して言った。
「よそ者のわたしにこれほど目をかけてくださるとは。
厚意を示してくださるのは、なぜですか。」

ボアズは答えた。
「主人が亡くなった後も、しゅうとめに尽くしたこと、両親と生まれ故郷を捨てて、全く見も知らぬ国に来たことなど、何もかも伝え聞いていました。
どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。
イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように。」

ルツは言った。
「わたしの主よ。
どうぞこれからも厚意を示してくださいますように。
あなたのはしための一人にも及ばぬこのわたしですのに、心に触れる言葉をかけていただいて、本当に慰められました。」

後にボアズとルツは、結婚することになります。


ルツの話は、66巻の聖書の1巻(ルツ記)のお話でもあります。

マタイによる福音書の系図を見ると次のように書かれてあります。
ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。
ボアズ(妻はルツ)⇒オベド⇒エッサイ⇒ダビデ

ルツは、ダビデの曾おばあちゃんになります。
ルツの子孫にイエス・キリストが誕生します。

ルツの人生は、幸福な人生ではなかったかもしれません。
それは、夫を亡くして、異国の地で生活して、落ち穂拾いをして、精神的には大変なことが多いからです。

ルツは天の父に守られていました。
どんなに苦しい時でも、天の父が守っていてくださったことが、お話から分かります。

私たち人間には、苦しいと思うことでも天の父を信じることは、どんな恵にも変えられないことだと思います。