keikoさんより、ギリシャ語についてコメントを頂きました。
ローマへの信徒への手紙の「義について」の聖書箇所について紹介がありました。
<新共同訳>
11 神は人を分け隔てなさいません。
12 律法を知らないで罪を犯した者は皆、この律法と関係なく滅び、また、律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれます。
13 律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。
14 たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。
===== ローマへの信徒への手紙 2章 11-14節 =====
義について書かれてある箇所だと思います。
律法を実行することによって、天の父の前で正しい人になる訳ではなく、イエス・キリストを信じることによって天の父の前で正しい人にされます。
イエス・キリストによって、義にされるということです。
聖書全体のメッセージは、イエス・キリストによって、義にされるということですが、ローマの信徒への手紙ではさらに、詳しく書かれています。
<ギリシャ語>
11:ου γαρ εστιν προσωποληψια παρα τω θεω.
12:οσοι γαρ ανομως ημαρτον, ανομως και απολουνται, και οσοι εν νομω ημαρτον, δια νομου κριθησονται.
13:ου γαρ οι ακροαται νομου δικαιοι παρα τω θεω, αλλ οι ποιηται νομου δικαιωθησονται.
14:οταν γαρ εθνη τα μη νομον εχοντα φυσει τα του νομου ποιωσιν, ουτοι νομον μη εχοντες εαυτοις εισιν νομος.
<Logicalの直訳>
11:なぜなら、神からえこひいきはない。
12:何事でも、なぜなら律法なしに(彼らは)罪を犯した、律法なくそして(彼らは)滅ぼすだろう、そして、何事でも律法の中で(彼らは)罪を犯した、律法を通して(彼らは)裁かれるだろう。
13:なぜなら、律法を聞く者は神から正しいのではなく、しかし、律法を行う者が正しいことを証明されるだろう。
14:なぜなら、律法がない異邦人が律法の本性を持つことをするとき、この律法を持たないことが、彼自身の律法である。
私の発見は、「παρα τω θεω」の「神から」と書かれている部分です。
11節の「神からえこひいきはない」、13節の「神から正しいのではなく」の部分です。 「神から」の「えこひいき」や「正しさ」ではないことが分かりました。
12節は、動詞が(アオリスト⇒未来)と2回続けて書かれていることです。 「罪を犯した・・・滅ぼすだろう、罪を犯した・・・裁かれるだろう」の部分です。
ギリシャ語の過去形は3種類あります。
未完了過去:行為が継続している過去
アオリスト:過去の行為があったこと
過去完了:ある過去から以前の出来事。
ここでは、過去の行為があり、未来へと書かれてあることです。
12節の動詞が3人称複数なので、直訳では「彼らは」(新共同訳では「・・・者」)と複数の人々を表していることが分かりました。
ギリシャ語で読むと、誰からとか、動詞の時制の違いが分かり、なるほどと聖書の御言葉がストレートに入って来る感じです。
今後とも、よろしくお願いします。