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 増田 いずみ ~ OFFICIAL BLOG

古典芸能とリトミック

2009年06月25日 | masudaizumi.com
6月から、パパさんと、文楽の「三番叟」の語りのお稽古をしているリトル。


お稽古を4回して、気がつきました。

三味線さんが一緒に付き添ってくださらない稽古の場合、いつも音程が変わるのです。

つまり、パパさんは、絶対音感はなく、移動度だった?

ということで、、質問してみました。

「古典芸能では、その曲での音程はきまっていないの?」

すると、びっくりの回答。

三味線さんは、人によって「調子」、つまり「音程」が違うそうなんです。
だから、基本的に、普段の稽古では、師匠の真似をする、ということを求められるそうです。

それじゃ、音程を記憶していたらだめってこと???
ふむ~~~
私の解釈が間違っているかもしれないですが。。。

西洋音楽では、小さな曲なら、音の高低を変える事は許されていますが、オペラとか、ストーリー性のあるお芝居で作品ができているものは、音がちょっと自分には高い、または、低いから、ここのシーンだけ、音程を変えましょう、なんてあり得ない。
でも日本の古典芸能では、三味線さんが、音程を変えてくる。。。


ってことは、、、、つまり、西洋音楽でいうと、いきなりオーケストラが、違う調で弾き始めて、それに合わせて歌手が歌うってこと???




本当だろうか。

さすが「楽譜」がなくて、日本語の台詞しか書いていない「床本」を使っているだけのことはある、、、。



リトルのような3歳には、まだ文楽の語りや空白の間のリズム感が身体に馴染めないので、正座して間合いをとって語ることは、難しいのでは?と思っていましたが、4回のお稽古で、すっかり集中できるようになり、「違うでしょ!」「はいッ!」という繰り返しに、私のほうが気分が悪くなって、くらくらして、、、よく、まぁ辛抱強く、やっていると思います。



華道、茶道、柔道、、、なになに道といわれているものは、日本人特有の「型」「正座」「礼」があることで、精神的な強さを産む、と本でよんだことがあります。レッスンで、30分間を緊張して、自分の能力を爆発させるためには、正座したり、椅子に座ったり、固まることも「型」として大事と思います。

でも、私の思い出では、そんなレッスンは、週一回で充分、、、、と思ってしまいます。


というのも、呼吸が浅くなってしまうような気がして。
あくまで私の経験ですが、伊藤京子先生の週一回のレッスンでは、がちがちに緊張して、息が吸えなかったことを思い出すから。



リトミックを知ってからは、なぜリトルが手を使いながら語った方が、正確に覚えれるのかが、理解できるようになりました。
普段の訓練では、ピアノも歌も、語りでも、身体を動かす事で、リズム感を感じながら、大きく息を吸うほうが、最終的に表現することにつながるのですね。


師匠に、「だめ」、「違う」、「もう一回」と繰り返し言われ続けると、どんどん頭で考えるようになって、身体は固くなるし、声も小さくなって、メロディの最後は、かならず息が続かないで、ひゅるるるる~~って声が震えて、叱られて、、、


しかも同じことを怒られてるから、わたしにゃ~才能が無いんや、ってことで、へこんでいく。


そこで、大学時代、呼吸法のレッスンに、別の先生のところに通ったりしてましたが、そこでも、ちょっと膝を曲げてみたり、腰を屈めてみたり、、、体操のようなことで、息を吸ったり、吐いたり、、、喜怒哀楽という感情は、その場には、まったくなし。

これはあかんかった。
NYで受けたレッスンで、すべては解決されましたが、息を全部吐けば、自然と吸える、それだけのものでした。
息を吸う事ばかりに意識がいっていて、吐ききることをしていなかったのですね。
失敗は成功のもと、というところでしょうか







話は変わりますが。。。


子供は狂言の語りにものすごく反応するそうです。
言葉のリズムなのか、声の出し方なのか?

実際、私がリトミックの宿題で、動きながらリズムをとって歌っていると、「ママ、なに狂言やってるの?」と大はしゃぎして、私の横にくっついて、真似をしています。

にほんごであそぼ、のなかで、「どっどどどど~ど、、、」と言いながら動いているのと似ているらしいです。

狂言は、私には未知の世界ですが、子供が、日本語や表現することを感じる、たくさんの秘密が眠っているのでしょう。



いまは、混沌と、西洋音楽も古典芸能も、リトミックも、、習いたての小さな知識がぐちゃりと混ざっている状態で、まだまだ学ぶ事がたくさんです。

もし、ここに書いた事で、間違っていることがあったら、是非ご指摘くださいね。