Ombra Mai Fu ~ 優しい樹の下で

POP ♡ OPERA SINGER 
 増田 いずみ ~ OFFICIAL BLOG

祝!阪神タイガース

2005年09月30日 | masudaizumi.com
昨夜は阪神タイガース優勝!おめでとうございます。

たまたま、文楽の地方公演が尼崎で初日を迎え、先月の「油地獄」に続き、今度の演目は「勧進帳」!!!しかも主人は<富樫>の役をいただいて、もう張り切りまくって練習していたもので、これは見に行かないと、と尼崎アルカイックホールまで出かけました。

あまり深く考えず、阪神電車にのり、尼崎につくと、駅前広場にはまだ昼間なのに大型モニターテレビを囲んで阪神ファンの方がもう盛り上がっているではありませんか?

そして公演を観終わっての感動も、また尼崎駅に戻ってきたとたん、現実に帰りました。大型モニターテレビ横には舞台が組まれていて、モモレンジャー&黄レンジャー&白レンジャーのような縦じまの衣装を着た三人が「みんな~~~っ!!今日は阪神の優勝を見届けるぞ!お~~~~~!」と踊りまくって、試合を盛り上げてました。



怖くなって急いで帰り、自宅のテレビで優勝を見届けました。


他の阪神電車の駅は静かなのに、なぜ尼崎だけあんなに盛り上がっているのでしょ?ご存知の方、おしえてください。

テレビを見ながら、尼崎商店街のフィーバーをみるに、自分はなんというとこにいたのだと、本当に怖くなってしまいました。

大阪に引っ越してきて初めての阪神優勝でしたが、その後、母と楽しみにしている「チャングムの誓い」をみてから、夕飯を食べ、戎橋の中継でもみるか、とテレビをつけると、なんとテレビジャック。NHK、BSまで含め阪神タイガース一色。関西のテレビってすごいですね。


昨日は、遅くまでカーステレオから流れる「は~んし~んタイガ~~~~ス!ふれーーっふれっふれっふれーっ」という大音量の音と合唱する声が深夜三時過ぎまで聞こえていました。




え?私は阪神タイガースファンか?


いや~・・・どちらかというとダイエーファンだったのですが、この町と主人に洗脳されつつあります。


阪神の貴重な優勝を、この町で体験できて、光栄です。

優勝して嬉しそうなファンの皆さんの表情が感動的で、つい深夜までテレビをみてしまいました。


私個人としては、いつか、ロッテの黒カラス軍団と阪神の猛虎軍団の応援合戦を日本シリーズでみてみたいと思います。


阪神に乾杯!!  


いずみ

歌舞伎鑑賞

2005年09月27日 | masudaizumi.com
今夜は、大阪に戻ってすぐではありましたが、松竹座の歌舞伎をみてきました。

文楽と歌舞伎は同じ演目をやっても全く雰囲気が違います。
とくに、松本幸四郎さんが演出する梨園座の「夢の仲蔵 千本桜」は市川染五郎さんと親子で出演される作品で、オペラでいう「アドリアーナ・ルクブルール」のようなシナリオ。森田屋の歌舞伎に出演している役者・中村仲蔵の一座の舞台を劇中劇でみせ、次の場面では舞台が回転して楽屋裏を舞台にお芝居にしてしまう、たいへん劇的な作品です。

あ、、ちなみに「アドリアーナ・ルクブルール」はフランスのコメディーフランセーズの舞台とトップ女優・アドリアーナの楽屋がセットになっています。私の好きなお芝居のひとつです。このオペラのセット、舞台奥にその当時のお客様がいるような設定になっていて、楽屋から舞台が見える奥行きが二重になっている演出効果や、そこからもれる音や歓声などがうまく使われています。


話をもどすと、「仲蔵 千本桜」は歌舞伎のいろいろな名場面が次々に登場し、梨園ではなく大部屋からのし上がった名優・仲蔵の1770年当時の森田屋の事件も盛り込んであり見ごたえ充分。勉強不足で歌舞伎にまだ慣れていない初心者の私には、オペラにはない華やかな舞台で、役者さんそれぞれの踊りや所作、華やかな衣装と隈取に大変美しい夢をみさせていただいた4時間でした。

今月は、文楽は半蔵門の国立劇場にて「女殺油地獄」が催され、映画や歌舞伎では生々しい、油まみれの殺しの場面を、人形が演じることで、美学として昇華され、芸術になった原点が感じられました。

日本には、こんなに素晴らしい舞台芸術があるのに、難しそうだし、、といってまだ鑑賞をしたことない方がまだたくさんいらっしゃるのは、とても残念。オペラも同様ですが、なんたって、言葉がわかるだけ日本の伝統芸能は入りやすいと思います。敷居は高くないのですが、高そうにみえてしまうのですよね。

でも一度見たら病み付きで、通わずにはいられなくなります。酒井順子さん著のベストセラー「負け犬の遠吠え」にも、そんなことがかいてあったけれど、そういうお年頃なのかなあ・・・。

私はNYに留学するまで、どっぷり洋物カブレだったのが、海外生活を終えると、やっぱ日本でしょ~と日本にはまってしまいました。そんな方多いそうです。


歌舞伎や文楽の劇場は、オペラの劇場のように大きくなくて、一階の一番奥の席でも役者さんの息遣いが聞こえたり、臨場感があるとこが好きです。

来月は、文楽は、年に二回の皆様のお近くの劇場にての地方公演です。私が楽しみにしているのは、弁慶&富樫の「勧進帳」。まだ文楽ではみたことがないので楽しみです。


少しづつ自分のペースで日本を味わいたいな。
歳をとるって、素敵ですね。


いずみ





オペラ歌手になりたい・・・その④

2005年09月25日 | masudaizumi.com
台風一過、とても綺麗な夕焼けでした。

今日は母校である国立音楽大学から招かれてファミリーコンサートで<サマータイム>を歌いました。なにより三歳くらいのおこさまも聴いているのは、私にとってなにより幸せでした。


私の小さいころといえば、3歳から6歳まで小児喘息。療養ということで、東京にいる両親と離れ、宮崎の母の実家、つまり祖父母の家に預けられ、緑溢れる田舎でおばあちゃんの読んでくれる世界童話文学全集というのをなんどもなんども聴いていました。

世界中の見知らぬ土地の名前や人の名前、竜がでてきたり、船に乗って探検したりして、空想力がたくましくなったのが、私の音楽の起源だと思っています。

今日聴いてくれた小さいお子さん達は、色々な楽器の音色を浴びて、感性豊かに感じてくださったことでしょう。

山下洋輔さんのパワフルな「ラプソディ イン ブルー」最高でした。
もう・・・言葉ではいえない、音楽とはかくあるべし!という感動をいただきました。私もあんなにでなくても、ジャズピアノが弾けたら人生薔薇色だろうな~


たまに大學を訪れると、いろいろな思い出がよみがえってきます。




そうそう、、、「オペラ歌手になりたい」のシリーズは、高校二年生までお話したのですよね。



ではその後の展開をお話ししましょう。




それは不思議な人の縁でした。



高校三年になると、志望大学をきめます。歌の先生の薦めで志望校の「夏期講習」をうけてはどうか、ということになりました。


夏期講習というのは、普通大學にはないでしょうが、音楽大学の場合、ソルフェージュの講義のほか、歌とピアノの実技を、実際の大學の先生にレッスンしていただける、2週間のプログラムです。普通大學でいえば、大學三年から始まる修士論文のゼミみたいなものかもしれません。

私はピアノが下手で、「あなた、センスないわね、音楽にむいてないわよ」と言われました。
そんな厳しい言葉もでるような、結構ぴりぴりした雰囲気の厳しい講習です。

大學を選ぶとき、普通は、高校のときに習った先生の紹介で、大學の先生も紹介してもらうのです。よって自動的に私は武蔵野音楽大学をうけるはずだったのですが、武蔵野の学科は難しくて自信がなくて、どうしても国立音楽大学にしたい、という希望を押し通しました。


ソルフェージュを習う音楽教室のなかでも、皆、地元の先生のルートをたどっているので、武蔵野音楽大学か地元の芸術大学。私だけかなりわがままを通した形で、国立音楽大学用の傾向に併せてレッスンしていたので、一人で浮いていました。


でも、もしこのとき、武蔵野を受けていたら、まったく違った人生だったでしょう。
ほんとうは、地元のS先生も武蔵野にいってほしかったのだろうと思います。

それなのに、「国立音楽大学なら、この地方によくコンサートにきていた伊藤京子さんがいいでしょう」と全く知らない間柄なのに、S先生は京子先生に手紙をだしてくださり、夏期講習でレッスンしていただけることになりました。

そのとき、レッスンしていただこうと、夏期講習のレッスン曲に提出した曲が、夏のコンクールで歌う予定の、イタリアオペラ「ラ・ボエーム」のなかのアリア<私の名はミミ>でした。京子先生から「声もできあがっていないときからイタリアオペラなんて歌っては、本当はいけないのよ。大學卒業したらいくらでもでれるんだからコンクールは今回限りで出場するのはやめてちょうだい」といわれたのです。


「はい、わかりました」と返事をしたものの、とにかくコンクールは予選で落ちると思っていたので、予選が終わったら真剣に基礎から勉強しようと思っていたのが、予選通過!!!その後、県大会で優勝してしまい、大分で催される滝廉太郎コンクールというのに、県代表で派遣されることになってしまいました。


滝廉太郎記念声楽コンクールは西日本の高校生を対象にしているのですが、なんと、ここで伊藤京子先生が審査員でいらっしゃるではありませんか?????


やっば~~~~~  (^~^;)


伊藤先生の「オペラはまだ早い、コンクールはやめてね。約束よ」というあの講習会のレッスンのことばが頭に響きましたが、もう目の前にいるのですから仕方ありません、、、、


そして審査がおわり、一位から三位までが読み上げられ、顔を隠しながら帰ろうとしたその瞬間、さらにアナウンスが・・・


「いつもはこのような賞は設けていないのですが、今回は、お一人に特別賞を差し上げることになりました・・・・増田いずみさん!」



ひぇ~~~~~~~~?????




腰が抜けました。そして、伊藤先生からなんと特別賞の賞状を授与され、私はこっそり帰るつもりが、先生に舞台の上で顔を合わせてしまい・・

心の中で、つぶやいたものです「ご、ごめんなさい先生、いや忘れていたわけではなく、予選に受かってしまって、、、、本当になんと申し上げていいのやら」


大分の会場の公衆電話から地元のS先生に「先生、特別賞頂きました」と報告すると「へ?誰が??」と言われました。「・・・・・あの~私が・・・・」「え~~~~~~???」っとS先生も驚く始末。


その後、毎日音楽コンクール九州ブロックでも優勝してしまい、全国大会ではさすがに優勝は逃し、東京ブロック代表のバリトンが全国一位になったのですが、これが、いまバリバリに活躍している青戸知さんでした。そのころから、ダントツ激ウマ


そして冬の講習の準備のころ、、、、、、


なんと、私の母!!!ある日、学校からかえると


「いまね京子先生と話したの」と受話器を置く母




聴けば、音楽大学に電話を入れて、京子先生の自宅電話番号を聞き出し、「冬の講習も是非京子先生に!!!」と電話したというではありませんか


関係者の縁のない一般ピープルは、アタックするしかないのだ!


この母の、常識破りの行動が功を奏して、私はめでたく国立音大の冬の講習も、大學に合格してからも、京子先生の門下生になることができたのでした。
もちろん母は、その当時伊藤先生が日本を代表するプリマとは知りません。「とっても気さくでいい方だった」と満足げ、、、、


いま考えると、とっても乱暴なやり方ではありましたが、音楽大学という世界にまったく縁がなかったし、国立音大に知り合いもいないから、恥はかき捨てでした。


初めて夜行列車に揺られて東京に一人ででかけていった大學の夏期講習、いまでもあのどきどきは忘れられません。


次の回では、大學の話を紹介しましょう。


お楽しみに。


あ~した天気にな~あれっ!


いずみ  

ハルとナツ

2005年09月20日 | masudaizumi.com
みなさん、、、ごめんなさい。

急にNHKの予定が変わり、9月20日にオンエア予定だった「ハルとナツ」予告CMが今日流れてしまいました。私もつい先程きいて、急いで自宅に帰って観ました。

告知をできず非常に残念です。

もう一度オンエアーをしてほしいなあ

渡辺俊幸さんの挿入歌をNHK試写室で歌ったのですが、その様子を色々な方向のカメラから収録をして、4時間もかかった撮影でした。

私はこういった挿入歌のお仕事がとても好きです。いつも映像をイメージして歌っているのですが、このハルとナツほど、人間の愛の深さを感じた音楽はありませんでした。

橋田壽賀子先生のドラマはいつも「家族愛」をテーマに描かれていますが、ただ優しいだけでなく、毎日一緒に過ごすなかでうまれる些細な出来事から、時代背景をからめると、今回のドラマほど、人間の強さ、絆、喧嘩や許し合い、さらには憎しみと悲しみ・・・・いろいろな感情を伴う家族の愛に、いちテレビドラマでそうそう出会うことはないのかもしれません。






この告知が出来なかったお詫びの代わりに、更新情報をご報告します。

それは、ギャラリーです。


私が新しい曲を歌う前、またアルバム制作のとき、夜に夢を見たとき、その感情をかならずイラストで形にするようにしています。もうこういったイラストを10年くらい描きためているのですが、このホームページで一部を公開することにしました。

夜にみる夢は、私の音楽の味付けソースのような存在で、なくてはならない異次元空間です。小さいときから、カラーで冒険のような夢をみるのが大好きでした。いったことのない外国もひとっ飛びだけど、空を飛んだり、地底をモグラのように歩いたり、、、。ストレスがたまっているときは、勝手に私がイタリアンマフィアの娘になっていて、シシリアにいたりします。


妄想症。


毎日あまりに綺麗な景色なので、イラストにし始めましたが、芸術家の方には横尾忠則さんなど夢から刺激されて活動していると最近知って、自分を変わり者だと思っていたのですが、ちょっと安心しました

お楽しみください。


良い夢を・・・・   



いずみ

素晴らしい世界のオペラ歌手

2005年09月19日 | masudaizumi.com
本物のオペラも、たまにはいいな、って思いました。


というのも、二、三日前BS-2の深夜番組で、モーツァルトの<魔笛>を放映していて、感動してしまったのです

実は<魔笛>は嫌いな演目でした。
でも久しぶりにみたら「これって、こんなに幸せ感溢れた作品?」とびっくり。
その原因は女性ソプラノ歌手の、声と歌い方が魅力的だったのかもしれません。
体を突き抜ける声の鳴りは美しさというか、体が楽器として鳴っていることに快感を感じました。

<魔笛>と<ヘンゼルとグレーテル>はの二作品だけは、ストーリーがファンタジー過ぎて、ヒロインの感情に共感できず、あまり好きになれなかったのですが、王子とパミーナが出会って二重唱をしているシーンなど、聴いていてとても幸せに酔いました。



いま、アイーダを始め色々なオペラが来日していますが、まずチケットが高くてあきらめてしまいます。どうして日本には立ち見席がないのかしら?どの劇場でも15から20ドルで立ち見がみれるのに。

NHK BSー2さんありがとう。


日本の歌手のかたのお話は、最近劇場にいっていないのでここでコメントは控えますが、海外の歌手で、私の好きな歌手をご紹介します。

一口に歌手といっても、いろいろなタイプがあって、時代が違うと歌い方も違うのですが。



私が大学時代、最初にハマったのは超絶技巧のコロラトゥーラと呼ばれるソプラノ歌手の中でも特に高くてスピーディな音楽を歌う歌手。

代表的なスーパースターは 1世代前のマリア・カラスの時代だとサザーランド、つい10年前まではエディタ・グルベローバが女王でしたが、最近は、アメリカの若手歌手ナタリー・デッセイが最高です。

それに対して、ソプラノはレッジェーロ(軽い声)、リリコ(ちょっと柔らかい情緒的な声)、ドラマティック(強い迫力ある声)と細かく分かれていますが、私の声は最初はレッジェーロでしたが、最近は、年齢とともに太くなり、リリコだと言われています。

よく女性が二回目の声変わりをするといいますよね。


みなさんも、だんだん年齢と経験を重ねると、声も変わってきていることお気づきですか?


びっくりしたのが、私の好きなゲオルギューがデビューのころは、優しい感じのリリコな声だったのが、しばらくアメリカで仕事をするのをやめて、イタリアで歌っていたからなのか、マリア・カラスみたいな歌い方や声になってきたことです。アメリカのメトロポリタンでは毎日世界中の有名な歌手が歌ドラマティック歌手になっています。ビジネスとしてアメリカで歌うのではなく、本場イタリアの聴衆に鍛えられるとこんなに変わるのかしら・・・と驚きでした。


私の好きなのは、個性的なアメリカ人の女性歌手。
シルヴィア・マックネア、キャスリーン・バトル、ドーン・アップショー、そしてルネ・フレミング。この4人は自分のオリジナルレパートリーを持っていて、オペラ歌手としてだけでなく、ジャズやミュージカル、現代音楽まで個性的な音楽性をもっていることが好きだったのです。

特にキャスリーン・バトルは、声が小さいにもかかわらず、大きな音のオーケストラと大勢の大迫力の歌手陣の中で、自分の細い声に誇りをもって、チャーミングということを武器に歌い方を変えず、歌手活動を続けているのは、尊敬に値します。


また、劇場でオペラを聴きたくなりました。

芸術の秋ですね。



いずみ