MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

ズノーだけじゃないよ!?

2011-06-08 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

06/08 私の音楽仲間 (272) ~ 私の室内楽仲間たち (246)



           ズノーだけじゃないよ!?




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 "B La F" の名による、合作の弦楽四重奏曲。

 四人目は、第Ⅳ楽章を作曲したGlazunov (Глазунов
グラズノ―フ) です。




 これまでに登場した作曲家との関係で言えば、グラズノ―フは
リームスキィ=コールサコフの弟子。 またリャードフは、10歳
年上の兄弟子に当たります。

 そしてグラズノ―フをべリャーエフに引き合わせたのは、先輩
リャードフ。 この17歳の作曲家との出会いは、べリャーエフが
ロシア音楽に対して、大きく貢献するきっかけになりました。



 音楽を愛し、自らも Viola 演奏を嗜んだ、46歳のべリャーエフ。
グラズノ―フの才能と能力に目を見張り、この若者を育てようと
心に誓ったのでした。

 やがてグラズノ―フ以外の作曲家たちも、その保護、育成の
対象となります。 ロシアの作曲家の作品を広く紹介し、ロシア
音楽界全体の貢献に尽くすべく、べリャーエフは決意したので
しょう。




 散発的に始まった交響楽演奏会は、やがて定期的なものと
なりました。 また自身の出資によって、楽譜の出版社まで
創業しました。 今日でもべリャーエフ (Belaieff) 社として、
大きな役割を果たしています。



 事業範囲が拡大するに連れ、他の作曲家や作品の "選別"
を、専門的な見地から行なう必要が出てきました。 これは
べリャーエフ自身では無理。

 そのために出版社の顧問となったのが、リームスキィ=
コールサコフ、リャードフ、グラズノーフでした。



 この3人を含む作曲家たちの集団は、ぺリャーエフ サークルと
呼ばれ、保護や恩恵に浴しつつ、作品で恩返しをしています。
その中の一人、Borodin (バラヂーン) が4人目として加わり、
この合作四重奏曲が出来たのでした。




 4人の作曲家たちは、"B La F" の音、また、その音程関係を、
至る所に散りばめ、創意工夫を凝らしています。 またどの楽章
でも、まず Viola が "B La F !" と発言して、音楽が始まります。

 彼らは、この曲でべリャーエフが Viola を弾く様子を、果たして
目撃したのでしょうか? またべリャーエフは、どんな表情で演奏
したのでしょうか。 全員の笑顔が思い浮かんできてしまいます。




 この曲が "完成" された翌年の、1887年2月、Borodin が
亡くなります。 動脈瘤の破裂でした。



 同じ年に、ベリャーエフの命名日 (聖人ミトロファーンの日)
を祝って作曲された、弦楽四重奏曲があります。

 第Ⅰ楽章『栄光あれ』は、グラズノーフ。 第Ⅱ楽章『讃美歌』
は、リャードフ。 第Ⅲ楽章『ホロヴォート (スラヴの輪舞)』は、
リームスキィ=コールサコフ。



 4つ目の楽章はありません。 もちろん、バラヂーンの急死
を悼んでのことでした。



 べリャーエフ サークルでは、その後も合作四重奏曲が
幾つも作られています。 中には、10人の作曲家による
ものまで。




 グラズノーフの作曲した第Ⅳ楽章 Finale は、ソナタ形式の
Allegro。



 12小節の序奏では、Viola がいきなり元気よく "B La F !"。
チェロもすぐに "B La F !" と加わり、主部が始まります。

 ゆっくりと、歌うような第二主題は ViolinⅡが、なだらかに
"B La F"。 これも全員が唱和します。

 最後の6小節は "Sostenuto molto" と書かれ、"Grandioso"
と言ってもよい堂々たる雰囲気のうちに、この8分ほどの楽章
は終わります。




 演奏例は、第二主題が登場して間もない箇所です。

 ViolinⅠの音がかなり埋もれていますが、音源がスタートする
と、すぐ "B (Si) La F↑"。 同じ音程関係は、"Fa Mi Do"、
"Do Si Sol" と繰り返されます。

 一旦静まると、今度は Vn.Ⅱが "B La F"。 オクターヴ
下でもう一度。



 説明するとこのようになりますが、かなり意識していない
と、頭ではその存在に気付きません。 それだけ「自然で
抒情的な歌になっている」ということなのでしょう。




 ちなみに、今回この "B La F" を演奏したのは、Violin が私、
Y.さん、Viola Sa.さん、チェロ Si.さん

 Y.さんとは初めてご一緒しましたが、アンサンブルの勘所を
正確に捉えた弾き方には、とても助かりました。



 そして、譜面は Si.さんのもの。 「持ってない譜面は無い
のではないか!」と言われるほどの、蔵書家です。

 「いつか出来ると思い、買っておいた甲斐がありましたよ。
これでべリャーエフさんも、陽の目を見ることが出来ました!」
と、大変喜んでおられました。

 そのうち、貸譜屋さんでも創業しませんか?




 Viola を担当した Sa.さんの、この日の口癖は、「また私??」
どの楽章も、Viola が言い出しっぺだからです。

 普通は、Violin の合図に従って弾き出すことが多いのに。



 「べリャーエフって Viola、弾いたのかもしれないね」…と、
Si.さん。 この時点では、4人とも知らなかったのです。

 「べリャーエフが Viola 弾きだった」ことを…。




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