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MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

久しぶりのクラス会

2012-12-27 00:00:00 | その他の音楽記事

12/27        久しぶりのクラス会



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                 内側から聞える




 クラス会。 貴方はよく足を向け、昔の仲間に頻繁に
会われますか?

 私は、あまり気乗りがしません。 土日に重なること
が多いのは、私にとって辛い…というのが、まず切実
な事情。 そして、“現在の仲間” にお相手してもらう
には、研鑽のための時間が足りないからです。



 …なーんて、実際は、私が “付き合いの悪い” 人間
だからなのでしょう。



 そんな私でも、「これだけは逃したくない!」…と思う
クラス会があります。 それは高校一年のクラス会。
今を去る50年近く前の仲間たちです。

 そして欠かせない存在は、担任の教師。 社会科の
石井先生です。




 2011年9月。 今から一年ちょっと前です。 久々
にクラス会が開かれました。

 定刻の少し前に、会場に入ろうとしたときのこと。
ちょうど先生も到着され、一緒になりました。 同じ
クラスの女性が一人、なぜか付添いに。




 「先生! お元気ですか!?」

 先生は、笑顔で振り返りました。 でも無言…。 いつもの
とおり、才気煥発ながら温かい言葉が返ってくるのを期待し
ていた私は、肩すかしを食いました。

 「何か違う。 ひょっとして、僕の顔を忘れたのかな…。」

 でも私は、ちゃんと自分の名前を付け加えて挨拶して
いたのです。

 「何か言ってくれてもいいのに…。」



 先生はすでに現役を退かれています。 30年余の間に担任
を受け持ったクラスの数は、優に20を超えるでしょう。

 ですから、顔を忘れておられても無理はありません。



 でも私は卒業以来、個人的に何度もご一緒していただく機会
に恵まれていました。 結婚式にも来ていただきましたし。

 それに、何にも増して、先生はクラシック音楽の大ファン!
在学中から音楽談義に、一緒に花を咲かせたほどなのです。
後年になってからは、私が指揮していた学生オケの演奏会に、
何度も足を運んでくださいました。




 まもなく会が始まろうとしたとき、幹事の一人が私に耳打ち。

 「先生、認知症なの…。」

 えっ!?



 それで謎が解けました。 先ほどの受け答えが、なぜ不自然
だったのか…。 “忘れた” というより、“言葉が出なかった”…
のでしょう。 症状の一つです。

 今回、久しぶりに先生を交える会を開いたのは、「症状が
進んでしまう前に、早く顔を合わせておいたほうがいい…。」
そんな思惑からだったのです。




 会が始まると、まず先生の挨拶。

 「…まあ、こんな具合で…。 多少不自由だが、すぐに命が
どうこういう病気じゃないんで…。」

 そんなお言葉が、5分ほど続きました。 みんな、シーンと
聴き入っています。



 しかし、あの “頭の回転が速過ぎる”…と言われた先生
の面影はありません。 話は展開せず、堂々巡り…。

 「先生ご自身が、きっと無念で堪らないだろう…。」 そう
感じない仲間は、一人もいなかったでしょう。




 会が終り、たくさんのプレゼントや花束に囲まれた先生。
私も荷物持ちになり、靴置き場までご一緒しました。

 「先生、どの靴でしたっけ?」



 そう口にした私は、一瞬 “しまった!” と思いました。
案の定、先生は思い出せなかったのです。 どの靴を
履いてきたのか…。

 そればかりか、帽子を被ってきたのも忘れておられた
のが、直後に判りました。



 “下手に気を遣ってもまずい。” …誰もがそう思ったはず。

 「お~い、先生の靴、これだっけ??」

 「違うよ、そっちの茶色のだよ!」



 大声で。 …先生と僕らの仲。 それでいいのです。

 年齢も、10歳あまりしか違わない。 先生は大学を出て、
新任の一年目に、僕ら一年四組の担任となったのです。





 しかし、それを単に “親近感” と呼ぶだけでは済まされ
ない、先生の何かが、私たち全員を常に捉えていました。

 この晩も、クラス50名中、20人ほどの出席がありました。
その他、すでに他界してしまった仲間も何人か。




 会場は、先生のお宅の近くでした。 徒歩で迎えに
来られた奥様にも、全員がご挨拶できました。

 「先生、お元気で!」



 荷物持ちの女性と三人で、先生は交差点を渡って行きました。




 そして、二次会の席上。

 「これは、年一回のペースでやってかないと駄目だな…。」



 誰もがそう思っていました。

 「次の幹事、誰、やる? サボったら承知しないぞ。」




 それから一年が過ぎ、秋になっても、
クラス会の通知はありません。

 「冬になっちゃうよ。 これじゃ寒くて、
先生の健康に差し障るな。」



 十二月も押し詰まった、そんなある日、仲間からメールが。
件名には、“残念なお知らせ” とあります。

 「なんだ。 今年はクラス会は無し…ということか?」



 そう思ってメールを開こうとしたとき、
嫌な予感が胸をよぎりました。

 もしや…。




    








         写真は2枚とも S君 (左) の提供です。




 音源は、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調、
第Ⅰ楽章 “Vivace ma non troppo” から (2004/10/19)。

 (最初の音が大き過ぎるので、ご注意ください。)

 ピアノ 竹澤洋、ヴァイオリンは伊神優です。



宗派を超えて

2012-10-10 00:00:00 | その他の音楽記事

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 今回は、二つの演奏会のご案内です。

 東京23区内のことで恐縮ですが、事情の許すかたは、
ぜひお運びください。




      ① 三鷹木曜会版 日本語メサイア

            2012年11月17日

 末日聖徒イエス・キリスト教会 武蔵野ステークセンター
       東京都武蔵野市吉祥寺東町1-7-7



   12_10_09_01_Messiah




 「日本語メサイア」の普及活動には、これまで多くのかたや
団体が尽くしてこられました。 その中の一つが三鷹木曜会。
とある教会堂を練習の場とし、木曜の夜に練習を重ねたこと
から、そう名付けられました。

 その歴史は50年近くに及びますが、団員の高齢化などで
徐々に弱体化してしまい、残念ながら現在では、単独で活動
してはいません。



 かつて順調だった最盛期においてさえ、難題は尽きなかった
はずです。 中でも、『メサイア』演奏のための母体が無かった。
それはおそらく、諸々の根本的な原因となったことでしょう。

 その大きな問題の一つが “オーケストラ” でした。 地元の
三鷹市管弦楽団の賛同を得て、何度も共演しています。

 私もそれに紛れ、一度だけ指揮を務めさせていただいたことが
あります。 木曜会合唱団の結成者、斉藤信彦氏とお近づきに
なったからですが、その氏も、すでに他界されました。



 氏は、木曜会の大きな精神的支柱でした。 団員にとっても、
きっと大きなショックだったことでしょう。

 しかし艱難は尽きません。 “木曜会版 日本語メサイア” の
普及活動を阻む要因は、ほかにも幾つかあったようです。



 そんな中で、木曜会版メサイア演奏に感銘し、ぜひ広めたいと
協力を申し出たのが、吉祥寺のモルモン教会員たちでした。

 CDとして残っている “木曜会” の演奏会の場にも、実は多くの
かたがたが賛助として参加しています。 吉祥寺や都内の会員
のみならず、小田原や筑波などからも駆けつけたとのことです。



 “木曜会版 日本語メサイア” の演奏は、現在は教会としての
行事にまでなっていますが、やはり広範な地域から、月二回の
練習に参加されるかたが多いそうです。 ちなみに伴奏者、独唱
者も、基本的には教会員が担当しています。




 これまでの演奏は『メサイア』からの抜粋のみでしたが、今回は
初の全曲演奏になります。 それが当初からの目標だったので、
演奏者全員の思いも、ひときわ強いことでしょう。

 ご興味をお持ちいただけるようでしたら、ぜひお運びください。




          ② 気ままな午後のコンサート

               2012年10月14日

          旧前田侯爵家駒場本邸・サロン



     12_10_09_02_気ままなコンサート




 木曜会の一人として尽力してこられた、“ひろまる” さん
参加する演奏会です。 私の怠慢から、直前のご案内になり
ました。 画像が小さいので、曲目などが判り難いですね。

 ひろまるさんからは、以下のような文をいただいています。



 「私は、ワーグナーの楽劇 『タンホイザー』 からエリザベート
のアリア 『歌の殿堂』、ヴェルディの 救いの無いオペラ 『トロ
ヴァトーレ
』 からアズチェーナの悲劇的アリア 『炎は燃えて』、
ドヴォルザークの美しい歌曲 『我が母の教え給いし歌』、そし
て『竹田の子守唄』 という、もはや実験的とも言えるような無茶
クチャな選曲で どうなりますことか、皆様にご心配おかけする
状態ではありますが、よろしければ、どうぞご来聴ご高評頂け
ましたら嬉しく存じます。」

 「なお、演奏順はまだ決まらず、トップになる可能性も高く、また
お席に限りもありますので (立ち見になる危険もありますので)、
何卒お早めのご来場をお待ちしております。」




 順序が逆になりましたが、ひろまるさんからは、以下のような
文もいただいています。



 「初めての参加者も多い教会員たちの熱心さに打たれながら、
私たち 元木曜会メンバー10数人も、演奏できる喜びを感謝し
つつ共に練習しています。 母国語による真に内容の伝わる
『メサイア』で、ぜひ皆様と感動を共有したいと存じます。」



愛の場面に泣く

2012-07-23 00:00:00 | その他の音楽記事

07/23       愛の場面に泣く




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「見ると聞くとは大違い。」



 よく使う表現ですね。 [Weblio辞書]には、こうあります。

 「話に聞いていたのと実際に見るのとでは大変な違いが
あること。 実見してみると伝え聞いていたより劣っている
時に用いることが多い。」



 なるほど…。 でも今回は、「耳で先に親しんだ名曲を、
後から楽譜で見たとき」…の話です。




 アマチュア オーケストラがよく取り上げる曲に、『マイスター
ジンガー』前奏曲がありますね。 もちろん第一幕のほうです。
華々しいハ長調で始まり、同じハ長調で堂々と終ります。
演奏時間にして10分前後でしょうか。

 かつて私が、ある学生オケにタッチしていたときのことです。
この曲が "選曲委員会" を無事に通過し、いよいよ練習が
始まりました。



 すると、あるグループが呟き始めたんです。

 「なに? これ! こんな曲だったの…?」



 それは、Viola パートのメンバーたち。 全員が女性でした。
「弾いてみたら、イメージと全然違う…。」と言うのです。

 話を聞くと、主な原因が二つあったようです。




 まず、この曲は幾つかの異質な部分から成っており、単純
な一本調子の曲ではない。 拍子こそ、終始 4/4 ですが。

 調性も、ハ長調の部分だけではありません。 Viola パート
が、もし "曲の威勢の良さ" に釣られて手を上げたとしたら、
とんでもないことです。 なにせ、一癖も二癖もある作曲家の
曲ですから…。

 また、動機が幾つも出てきます。 呼び方を簡略にすると、
"マイスタージンガー"、"熱情"、"行進"、"芸術"、"嘲笑"…。
前奏曲に登場する動機の一部です。



 二つめは、対旋律の豊富な曲であること。 音源を聞いて
際立つ声部以外に、全く別のラインが同時に鳴っているの
です。 それも、一つだけとは限りません。

 単なる "伴奏音形" ではないので、きちんと仕上げるのは、
どのパートにとっても大変なことでしょう。



 努力は大いに讃えます。 かと言って、歯を食いしばって
"嘲笑の動機" を練習されてもね…。




 「先生、"大変な曲だ" って、どうして教えてくれなかったん
ですか?」

 当時はオケの Violaセクションに所属していた私に、"非難"
が集中しました。 もちろん冗談半分ですけど。



 だってボクは、よほどの事が無ければ、選曲委員会の審議に
は口を挟まないもんね。 決める前にもっとスコアを見なきゃ!
"見ると聞くとは大違い" なんだよ? ハハハ。

 「意地悪!」 …なんて、陰で嘲笑されてたりして…。




 さて、下のスコアの中段では、"愛の動機" を Vn.Ⅰ
が奏でています。 劇中では青年ヴァルターが3拍子
で歌いますが、ここでは 4/4拍子。

 その二段下では、Viola が蠢いています。

 ほかにもクラリネット、ホルン、ファゴットが、出たり
入ったり。







 あの "カッコイイ音楽" の中に、こんなにロマンチックな歌が
あり、こんなに弾きにくいラインが、それに絡んでいたなんて…。

 彼女たちが大学へ入り、初めて手にした楽器が、もし Viola
だったら、確かに可哀そうです。 "最低弦" のC線上なので、
左手も右手も "遠くて不自由" になりやすい。

 C線上のアリャー…。



 Viola の女性軍が一番泣かされたのが、"愛の場面" だった
なんて。 ボク、知~らない…。

 もう35年も前の出来事ですが。 真剣に悩みながら練習して
いた、彼女たちの顔、顔…。 今でも忘れません。




            [前奏曲 音源サイト]



1,000小節は天国? 地獄?

2012-06-14 00:00:00 | その他の音楽記事

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 一つの楽章だけで小節数が643もある、そんな弦楽
四重奏曲があります。

 「まさか…」とお考えかもしれませんね。

 しかも、演奏は7分そこそこで終わってしまう。 これ、
本当なんですよ?



 「あ、知ってるよ。 あれじゃないかな?」 曲をご存じで、
さっそく譜面を取り出した方はいますか?

 "正解" の発表は後ほど。 しばらくご一緒にお付き合い
ください。




 200年近く前に、交響曲の怪物が登場しました。

 例の "Beethoven の第九" で、当時の常識では、"交響曲
の形式の破壊" と言ってもいいほど。 ヴィーンの音楽界を
大混乱に陥れました。

 その原因は、もちろん第Ⅳ楽章ですね。 小節数にして940
もあります。



 演奏時間は、あるサイトの数字によれば22~26分。

 最も長いのは、バーンステインの "26分23秒"、次いでフルト
ヴェングラーの "25分10秒"。 オケは共にヴィーン フィルです。

 短い方では、22分を切る演奏もありました。 しかしそれでも
及ばないのが、先ほどの "643小節、7分" というハイ ペース。



 「何を言ってるんだ。 単純に小節数だけ見たって、意味が
無いだろう。 まず問題なのは、曲の拍子だよ?」

 そのとおりですね。 あの "歓喜のテーマ" の部分は 4/4
拍子で、テンポは "2分音符=80" と書かれています。

 もしこのとおりに演奏すれば、"1分間に40小節" という計算
になりますね。 今日聞き慣れたテンポよりは、かなり速く、私
には違和感があります。




 ところがこの前後には、"けたたましい 3/4拍子のプレスト"
が置かれています。

 指定されたテンポは、"66小節を1分間で"! 1秒以内に
3つの拍子が収まってしまうという、驚異的な速さです。

 オーボエやファゴットはお手上げ。 しかし、そんなことには
無頓着なのが Beethoven です。 喧騒の表現に打ってつけ
なのが、この狂乱ペースなのでしょう。



 この終楽章は、ほかにも幾多の部分から成っています。
構造は異様で、分析者の頭痛の種。 単純に小節数だけ
を見ても、確かに意味がありません。




 その点では、この曲の第Ⅱ楽章のほうが、まだ単純です。

 スケルツォとトリオの交代で、拍子は異なりますが、実質的
には、速い音楽のまま。

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 小節数は954もありますが、いくら遅いテンポでも15分以内に
収まります。

 逆に、カラヤン、ベルリン フィルの演奏では、"10分26秒" と
いう数字もあります。 ただし、「繰り返しをしているかどうか」
…を確認しないと、厳密な比較は出来ませんが。



 ちなみにスケルツォ部分は 3/4拍子ですが、指定されたテンポ
だと、"1分間に116小節"! これは "2小節をほぼ1秒で演奏
しろ"…ということになるので、先ほど以上に演奏不可能です。



  参考サイト [ベートーベン交響曲第9番の概要と演奏]




 「曲の長さは天国的だ。」 有名な Schumann の言葉ですね。

 彼はまた、「これは Beethoven 以来の最高の器楽作品だ。」
…と語ったとも言われます。



 これ、"Schubert の 大きなハ長調 交響曲" のこと。 今日
では "第8番" と呼ばれています。 演奏時間は50分、場合
によっては60分もかかる曲。

 長いのは演奏時間だけでなく、息の長さ! 「一つの部分
に明確な終りがあってから、先へ進む」…ような、区切りは
感じにくい曲なのです。 特に、最初の二つの楽章は。

 いや、第Ⅲ楽章トリオの木管、楽器間の "掛け合い" で
進んで行く第Ⅳ楽章も、やはり似たようなもの。 結局、曲
の全部がそうです。

 これが、曲の印象をさらに長くしています。 鑑賞者だけ
でなく、演奏者にとっても。



 「おい、お前、どう思う? メロディーの一つぐらいは、今までに
出て来たかな…?」

 リハーサル中に、楽員同士が交わした会話の内容だそうです。
楽章は第Ⅰ楽章。 単なる伝説でしょうが、笑い話だとしても、
うまく核心を突いていると思います。




 さて、この交響曲のフィナーレ、第Ⅳ楽章は、実に1155小節
もあります。 2/4拍子、Allegro vivace と書かれていますが。

 参考サイトによれば、演奏時間は11~16分。 しかし演奏側
としては、「行けども行けども先が見えない」…というのが実感
です。



    [シューベルト交響曲第8番の概要と演奏]



 そして、この楽章には、繰り返し部分が385小節あります。
…足すと、1,540小節…。




 「そんなに長いのが嫌なら、速いテンポで、さっさと終わら
せればいいじゃないか…!」

 そんな、簡単に言わないでくださいよ…。 細かい音符や、
難しいリズムだらけなんだから、それでは自分の首を絞める
ようなもの。 テンポの主導権は指揮者にありますし。

 二拍子とは言っても、通常は "一つ振り" の快速テンポ。
指揮者はいくらでも速く振れますが、演奏者はその間に
"三連符の8分音符6個"、"16分音符を8個" を、正確に
入れ続けなくてはなりません。 



 かと言って、テンポがゆっくりだと、苦しみは長引くばかり…。

 天国的な長さ、それに、地獄の責め苦が続きます。




 さて、肝心の弦楽四重奏曲の話が、まったく手付かずですね。

 小節数が643あり、7分で終ってしまう、一楽章の曲。

 えーと、それ、何だったかな…? 忘れちゃった……。



 Schubert の "息の長さ" どころか、物事を放置して未完成
のままにしてしまいました。 相変わらずの悪いクセです。




      [Schubert の 交響曲 ハ長調 D944]

      [音源ページ    [音源ページ




演奏者の僕 (しもべ)

2012-06-07 00:00:00 | その他の音楽記事

06/07      演奏者の僕 (しもべ)



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 「2、3年の間、死んでみたいんですよ。 向こうから見て
いたい。 一体、本当に・・・音楽界に・・・私が必要なのか
どうか・・・」



 リハーサル3日目、途中の僅かな休憩時間。 控室に戻る
とへたり込むように椅子に腰を落とし、荒い息を吐きながら、
途切れ途切れ絞り出すように呻いた。

 疲労の極みに達していた。 3時間程の睡眠が1ヶ月間も
続いている。 リハーサルで疑問が残ったパートの譜面は
自宅に持ち帰り、朝方までかけて全て自分で直すのが習慣
になっている。 この日も朝の7時までかかった。 テーブル
に肘をつき、うなだれたまま眼を瞑り、じっとして動かない。



 「みんなは私が死んだ後、『あいつがいないとまずいよ』
と言うのか、『あの野郎、死にやがった』と言うのか・・・」



 憔悴ぶりに気を使ってか、リハーサル開始予定を5分
程すぎてマネージャーを務める女性団員が呼びに来た
時、烈火のごとく怒りをあらわにした。 「何もかも演奏
者のために用意周到に準備して、こっちはいるんだ。
約束を守らない、と思われたらどうするんだ!」



 ふっと弱い声になり「一事が万事、これです」。 怒りが
残していった光が、微かながら眼に宿っている。 「誰か
私の代わりに寝てくれませんかね」。 冗談のように言い
おいて指揮台に向かっていく。




 (これは、あるウェブサイトから一部を抜粋、引用したものです。
 それは後ほどご紹介することにして、もうしばらくお読みください。





          軍手をはめたマエストロ



 新宿オペラシティのリハーサルルーム。 初日。 自分で運転
してきたトラックを搬入口につけると、指揮者自らステージ作り
のための資材を降ろし始める。 1つ1つ演奏者の位置を確認し
ながら、演奏台を修正し、椅子、譜面台の位置を確かめていく。



 譜面台に置かれる楽譜はこの2ヶ月の間に指揮者自身が作成
したものだ。 隙間なく五線譜が並べられた市販の楽譜から一段
ずつ拡大コピーして切り貼りする。 譜めくりの時に演奏に支障を
来さないよう、各パートの休みの箇所がめくりの場所になるよう
配慮されている。 眼に優しいように少しクリームがかった色の紙
を特注している。 練習の時に、散らばった楽譜を集めても直ぐに
パートが分かるようにパート毎に表紙の色を変えている。

 こんなことまで指揮者がやらなければいけないのか、という思い
がよぎる。 こうした様々な配慮がされているのも、演奏者が音楽
だけに集中できる環境を可能な限り作りたいためだと気付いたの
はリハーサルが始まってからだった。 そう、それらが語っている
ことは「演奏では一切手抜きをさせないぞ!」だった。



 リハーサルが始まる。 曲が始まった途端の停止。 演奏者
ごと名指しの注意、説明。 同じ場所を繰り返すうち、次第に
語気は荒くなっていく。 ニュアンスをピアニカで吹いてみせ、
どのような思いを込めて演奏するかの比喩があり、叱責があり、
罵倒があり、時に笑わせ、嘆き、ついには哀願がある。 威嚇、
戒め、叱咤、激怒、肯定、悲嘆、失意、謝罪、激励、合点、納得、
称賛、感謝。 人の持つあらゆる感情、表情がそこにある。

 そうしながら、ほんの少しずつ先へ進んでいく。 曲の深み、
意味を伝えていくのに、その部分のメインの奏者が一種の
生贄になる。 1人を罵倒しながら全員に伝えているのだ。



  宇宿允人 - NTTファシリティーズ (2003年夏) より

 (注) "隙間なく五線譜が並べられた市販の楽譜" とは、
    指揮者用スコアのことです。





 前回までお聴きいただいた、指揮者、宇宿 允人
(うすき まさと) 氏の映像音源

 そしてそれを取り上げた Facebook 内のページ。

 演奏に対する様々なコメントもお読みいただきました。



 コメントの中には、以下のようなものもありました。




 演奏者が尊敬の念を抱いていないのは明らかだわ。
彼が登場しても、みんな座ったままなんだから!

 obviously they have no respect as did not stand for
his entrance !




 音楽は演奏者次第で、指揮者次第ではありません。 それが
幸いしましたね。 さもなくば、列車は直ちに脱線するでしょう。

 Good thing the music is really up to the performers and not
the conductor or that would be a train derailing so fast.




 指揮をするのは、オケに君臨してる者だわ…
そうなると…それも、ここまで来るとね…。

 da dirigiert der Orchesterbestuhler. . . .wenns
so was gibt. . . wow, so was von daneben,. . . .




 音楽家たちは曲を知り尽くしているから、どのみち、実際は
指揮者なんて要らないのよ。

 The musicians know the piece by heart so they don't really
need a conductor anyway.




 指揮者なんて、本当に必要なの!??????? そのいい例
だわよね。

 goes to show, do you really need a conductor!???????




 これらが如何に的外れであるか、よくお解りいただける
でしょう。



 そもそも前記の音源映像がリンクされていたのは、Facebook
内のClassical Music Humorなるページでした。 タイトル
は "How to ignore the conductor...." (こうして指揮者を無視
する、2012_05_27) です。

 予断を持って視聴した者も、きっと多かったことでしょう。



 しかしまた一方で、嘲笑とは一線を画した真摯なコメントも
見られます。 音源映像をシェアした者は、この記事をアップ
した時点で288名、「いいね!」と賛同の意を表した者は511
名に上ります。 ただし、このページの他のトピックに比べる
と、共に少ないと言えます。

 笑いの材料として喧伝した者もいるでしょうが、好意的な方
が一人でも多からんことを、切に望むものです。




 否定的なコメントが多かったわけですが、それらに全然根拠が
無いわけではありません。 特に、指揮の動作に言及したものが
多く見られました。

 ご本人によれば、「かっこ良さなど、考えたことが無い。 そんな
余計なことを考えると、ふと隙間風が入り込んで来てしまう。」

 また、再三お断りしてきたように、演奏者の視点で彼の動作
を眺めれば、決して見やすい指揮とは言えません。 まことに
僭越ながら直言すれば、「手の動きがほとんど常に下向きなの
で、行き場を失って細かく震える」…ということになるでしょう。
今回の映像に限った話ですが。



 打楽器関係の方はよくご存じのことですが、叩く際に重要なの
は、バチの上向きの運動です。 「バチが上がりきったところで
音が出る」…つもりで叩け。 そう聞いています。

 また弦楽器も、発音原理はよく似ています。 もっとも上下運動
の距離には大幅な差がありますが。 またこれを演繹すれば、管
楽器や歌唱の原理にも行き着きます。



 上向きの運動は、力の解放にとって必須のものです。 ダンス
がいい例ですね。

 指揮も、運動としては、これと同じ。 それを視る奏者たちも、
無意識に同調し、準備し、呼吸しながら音を出します。




 しかし、どんな指揮者にもクセがあります。 また今回は
指揮者ごとに比較する場ではなく、私にはその権限も無い
ので、ここまでにします。




 それどころか、私も氏から演奏上の指摘を受けたことが
あります。 リハーサル際中でした。



 ただし、痛罵されたのではありません。 若い奏者の方々
が多い中、たまたま年配者だったので、配慮してくれたので
しょう。

 それは、当夜のプログラムにあった、バッハの管弦楽組曲
第2番の中の、ある曲、そのテンポ感に関するものです。



 私は今でもそれを忘れません。 なぜその指摘を受けた
のか、思い当ることが多々あるからです。 これには今でも
感謝しています。




 若輩の私が氏とご一緒できたのは、たった5日間だけ。
4回の練習と、本番当日でした。

 氏は、2011年3月5日に他界されました。



 その唯一の演奏会が、たまたま Facebook 上でリンク
されたわけです。 私の友人 Hさんが、教えてくれたの
でした。 まさか、そこで私が弾いていたとは知らずに。



 面白い偶然の連鎖ですね。 そのお蔭で、この一連の
記事を書くことになったのですから。




 なお蛇足ですが、前回私が記した文章の中から一箇所
だけ、再度お読みいただきたいと思います。

 「聞えて来る音と、視覚との一致を望むのは、鑑賞者の
視点。 そして、客受けを狙う派手好みの指揮者が用いる、
常套手段でもあります。 でも、呼吸の準備が必要な演奏
家は違う。 すべてを事前に整える必要があるのです。
オケでも、室内楽でも、またソロの場合でも。」





 最後に、友人Hさんの名文をご覧いただきましょう。 今回の
記事と直接の関連はありませんが、ご了承をいただけたので、
ここに掲載させていただきます。

 溢れるユーモアの中に顔を出す真理。 お楽しみください。




 「有名」と「一流」とはまったく別の概念である。

 有名人がみな一流なわけではないし,一流の人がみな有名な
わけではない。 しかし,「有名どころ」を支持する人の中には,
大変生意気な言い方で恐縮だが,全く物事がわかっていない
人が結構いるように思われてならない。

 これを「有名どころ」の演奏会を例にとって説明すると・・・



 「あの指揮者,かっこいい~!」 (←格好だけは良いが,
肝心の棒・・・ここでは指揮者がやろうとした音楽の内容の
こと・・・は全く「デクノボウ」だ,このべらボウめ!)

 「あの女性奏者の衣装がステキ!」 (←衣装だけはステキ
だが,肝心の音楽の内容は全然ステキじゃないんですけど!)

 「今日の演奏,迫力満点だった!」 (←迫力だけは満点だが,
それ以外の音楽の要素はすべて零点!)

 ・・・てな具合。


 
 とにかく,「有名」が「一流」だとは,ユーメーユーメー思うなかれ!




 以下は関連サイトです。



         宇宿 允人(うすき まさと) (wikipedia)



          宇宿允人の世界 公式サイト]



  孤高の指揮者宇宿允人を偲ぶ西部邁ゼミナール 2011年7月9日放送]



  孤高の指揮者宇宿允人を偲ぶ2西部ゼミナール 2011年7月16日放送]




         上記を含む 宇宿允人検索サイト]