MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

情熱の表現

2012-12-29 00:00:00 | その他の音楽記事

12/29          情熱の表現



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                 内側から聞える




 で、ラヴェルの曲は何がお好きですか? ボレロ?

 「あれはいいねぇ。 曲の持ってる色々な側面が
味わえるから。」



 やっぱり管弦楽曲ですか。

 「だって色彩的じゃない?」



 ラ・ヴァルスなんかは?

 「あれは極致だよ。 ピアノ版もいいけど、
オーケストラ版には敵わないね。」



 やっぱり洒落た曲がいいんですね?

 「いや、“ツィガーヌ” みたいなのも好きだよ。
気違いじみてるところがいい。」




 告別式の後の、会席の場。 そこで、同じ
一年四組だったA君と、隣りになりました。

 「あの時は嬉しかったな。」…と、A君。



 二年になるとクラス変え。 A君と私は、別のクラスに別れ
ました。 二人とも石井先生のクラスではなくなりましたが、
間もなく、彼は転校することに…。

 そこで、送別会が開かれました。 旧一年四組の人間が
集まって。



 それを計画してくれたのが、石井先生だったのです。

 もう担任でもないのに。 先生は、そういうかたでした。




 先生は、誰にも等しく愛情を注いでくれました。

 それは、先生が最初の3年間に担任を務めた、1の4、
2の7、3の6、どのクラスにおいても、きっと同じだった
ことでしょう。 もちろん、その後も。

 でも…。



 入学したての新入生。 それが一年後、二年後になると、
受験が重くのしかかって来ますね。 生徒の意識や立場も
微妙に変わっていきます。



 私たち “1の4” は、“ついていた” のかもしれません。

 また、“最初が肝心” だったからかも…。




 まだオリエンテーション気分の五月のこと、全校の体育祭
がありました。 そこで学年優勝してしまった
のです。




 続く六月のヴァレボール大会にも優勝です。 男女とも!
一学年の人数は500人以上で、クラスの数は10ありました。




 秋になると十月には、沿線近くの湖までピクニック。





 翌月の文化の日には、室内でゲーム大会。 クラスの
ほぼ全員が参加しました。



 新入生たちと、若い新任教師。 いずれも “暇を持て
余していた” のさ…! そう言い切るのは簡単です。




 でも、同じ立場の教師なら、他の誰でも応じてくれる
だろうか? いや、ひょっとすると、“言いだしっぺ” は
先生だったのかもしれないのです。

 今となっては、我々の記憶もあやふやですが…。



 …いずれにせよ、これで私たち “1の4” が纏まったのは
事実です。

 先生は、まるで空気のように見えず、触媒のような存在…。

 そして、誰言うとなく “でこクラス”!



 “でこ” って? ご想像に任せます。




 先生は、そんな強い情熱を秘めながらも、語り口はソフトで
ゆっくり。 一対一でも、こちらが気押されることなど、決して
ありません。

 「こんな事、口にしたら、何か手痛く説教されないかな…。」

 そんな危惧は、まったく不要でした。



 私などは、要らん事まで、ベラベラ喋ってしまいそうでした。
それを黙って聴いているか、言葉が返って来れば、それは
いつも配慮に満ちた、有益な助言。

 その意味でも、先生の姿勢は “対等” でした。 “上から
目線” でなく。




 これが一たび積極的になると、途端に速口に。 声
が時々ひっくり返るほど、甲高くなる。

 授業でも同じでした。 教壇上を、忙しく左右に歩き
回る。 ある時は、茶色の皮のジャンパーを着て。

 そして誕生した、別のニックネームが、“ウォーキング
・ベア”。 歩く熊さんです!




 ところが、これを一旦興奮させてしまうと、エライことに
なります…。

 卒業後、私がヨーロッパ旅行をした際の話を聞いて
いただいたときの話。

 『フランクフルトに行って来ました。 “アム・マイン”
のほうです!』



 私は、かつて地理の授業で先生が使った語句を、
そのまま踏襲しました。 もちろん、喜んでもらえる
…と思ったから。



 でも先生の反応は、まったく正反対!

 「何だって…!? 当たり前じゃないか! じゃあ、もう一つは、
どこのフランクフルトだね! 一体、何を聞いてたんだい?
あそこは、数学さえ出来れば合格できる…っていうけど、
やっぱりね~…。」



 若干解説しましょう…。 私が訪れたのは、当時の西ドイツ、
マイン川沿いの都市です。 東ドイツの “アン・デァ・オーデル”
には、簡単に行けるわけがないのです。



 そこまで明確に答弁できれば、逆に褒められたかもしれない
のに…。 この時ばかりは、しどろもどろ。

 先生から受けた、最大の詰問、非難でした。






           28歳頃の石井先生 (中央)

(二年七組担任当時の修学旅行の際。 旧一年四組 O君提供)。




 音源は、ラヴェルの “ツィガーヌ” からです。

 (最初の音が大き過ぎるので、ご注意ください。)

 ピアノ K.Y.さん、ヴァイオリンは私です (2005/11/24)。