MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

"メサイア" を巡って (12) 三鷹木曜会 ③

2008-11-26 00:01:25 | その他の音楽記事

11/26    ヘンデルの "メサイア" を巡って

            (12) 三鷹木曜会



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 今回の記事を掲載するに当たって、
私は木曜会のその後について調べてみました。


 「会の活動は今どうなっているのだろう?
そうだ! ホームページがあれば色々判るかもしれない。」

 そう思って、さっそく検索を始めました。

 "木曜会、木曜会"…。




 しかし、木曜会のサイトは、いくら探しても見つからないの
です。 検索方法を色々変えてみて、やっとヒットしたのが
下記のサイトで、このシリーズの (7) でもご覧いただいた
ものです。 


      [日本語で歌うヘンデル 『メサイア』

      [日本語で歌う「メサイア」 コンサート本番!

 ここでは、木曜会のメンバーの現在の様子が描かれています。




 次いで私は、1989年にご一緒して以来、今も年賀状の
やり取りをしている、当時のメンバーの方々の何人かに、
木曜会の活動について、メールで尋ねてみました。


 ほどなくして送られてきた資料の中から、私に宛てられた
挨拶文を、今回の一番最後に皆様にご覧いただき、
"メサイア" シリーズを終わらせていただきます。


 ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました。




 英語メサイアと邦語メサイアの、どちらがいいのか?

余りにも大きな問題なので、これは私には分りません。




 そして次に、どの邦語メサイアがいいのか?

 これも即断はできないし、
"木曜会版は、改良の余地がまったく無いほど優れものだ"
などとも思いません。

 もともと、誰がやっても困難極まりない作業だからです。


 ただ、演奏に携わる者のひとりとして感じるのは、

"演奏の現場で試練を長期間受け続け、精錬されてきたものが

少なくとも貴重でないはずはない" ということです。



 何だか、木曜会版に対して失礼なことを申し上げたかも
しれません。 すでに活字になっているものを眺めている
だけだからこそ、こんな勝手なことを言えるのだと思います。

 まず "叩き台" を創るのがもっとも重要で、また難しい
といいますから。 会議でも、物の製作でも。

 "岡目八目" という言葉に免じて、どうかお赦しください。




 それを思うと、ほとんど何も無い状態から出発された

中田羽後師のご苦労は、如何ばかりだったかと察せられます。




 聖言 (みことば) には "同労者" という言葉が出てきます。


 私がここで最後にただ一つだけ願いたいのは、

 どの邦語版にも優れた点があるならば、認め合い、取り入れ、
関係者の方々は、その芽を摘まず、出来れば伸ばしてほしい、

 そのことだけです。



 「私たちは神の同労者 (協力者) であり、

    あなた方は神の畑、神の建物です。」  (使徒行伝 : 3-9)




[No.17  "Glory to God in the Highest"]


 いと高き所に、栄光が、神にあるように。

    地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。

              (ルカ 2-14)




木曜会1998年版歌詞


 (あめ) には 栄光(さかえ) 神にあれ。

     地には平和、神の喜びたもう人にあれ、

         恵み、民にあれ。




以下は音源です。


The London Philharmonic, Sir Adrian Boult


The Church of Jesus Christ of Latter-Day Saints
            (レチタティーヴォ付き)


Brisbane Concert Choir, Sinfonia of St Andrew's


Of the Markgraefler Gymnasium Muellheim High School




 三鷹木曜会版が刊行される前の1980年、斉藤氏は以下のように
書いています。

    (中田羽後訳日本語メサイア10年記念演奏会プログラムより抜粋)


 「私達は10数年間中田羽後師の日本語歌詞にとりくみ、そして
 どう唄ったら訳詞が音楽の美しさの中で生きるか、その唄い方を
 夢中になって模索して参りました。 (中略)

  歌詞を変更する場合は、それが余程すぐれた提案であり、
 皆が成る程と思った場合に限られます。 (中略)

  私達は10有余年中田羽後先生の日本語メサイアにとりくみ、
 よりよい演奏のために多少の歌詞の変更は致しましたけれど、
 昭和46年、半盲の状態で、かつ心臓の痛みに悩まされながら、
 日本語のメサイアを出版された先生の偉業をたたえる私達の
 気持は、年と共に強まるばかりです。 (中略)

  歌詞に多少の変更があろうとも、中田羽後訳、邦語メサイア
 演奏会、これが私達三鷹木曜会合唱団のいつも変わらざる
 旗印です。 そしてこのメサイアの歌詞が、他の合唱団で採用
 され、演奏されたとき、私達はその使命の一部を達成されたと
 考えてよいと思っております。」




木曜会改訂版(1998)の巻末に掲載された斉藤信彦氏の文


 「…… 本書のあとがきで、これ程中田先生にふれた理由は、

 我々が中田先生の訳詞で出発したからであり、先生の偉業が

 なかったら、今日の三鷹木曜会合唱団が存在したかどうか

 疑問であると思われたからである。」



          歌詞の抜粋を記した CDの背表紙

             

      2000/11/23 青山学院講堂における木曜会演奏会の CD より




 [メンバーのお一人から私に宛てられた挨拶状の文面 (抜粋)




 …木曜会は2000年第30回の後、

メンバーの減少、高齢化により解散しました。




 Dr.斉藤の改訳は今なお、中田羽後師の弟子の批判の対象に
なっているようです。 関係者が天国に集まった時の中田先生の
言葉を私も聞いてみたいのですが、私は天国入りを断られるかも。


 中田師原訳のメサイアは荻窪栄光教会と和田健治先生の
クリスチャンクワイアによって毎年演奏が続けられており私も
栄光教会の演奏は毎年聞いております。 荻窪では数年前
からは差別、軽蔑語は直して歌っております


 日本語で歌うために訳することは確かに困難なことです。
外国でもマタイなどを母国語で歌うことがあると聞きます。

 欧米の言葉を母国語にする場合は語源や文法が似ているか
同じで訳し易いかも知れません。 日本語は言葉の成り立ちが
全く違うのでより困難なのでしょう。

 直訳ではなく意訳になっても、それでもなお私たちは日本語で
歌う場合、心に響くものは非常に大きいと感じて来ました。
お聞きになる方も同じ様です。


 メサイアは中田訳のほかに幾つかあり、マタイも3ツ程ある
ようです。 東京バッハ合唱団の大村恵美子さん
バッハを日本語で歌うため長年、多くのカンタータとマタイを
日本語にして演奏活動をしておりますが本当に大変な仕事で
あると思います。 …
                             R. N.


 (この項終わり)




 三鷹木曜会メンバーの連絡先をご希望の場合は maru までご一報ください。



  以下は、本文中でご紹介したウェブサイトの内容をそのまま引用させて
 いただきます。 大変失礼ながら、万一のリンク切れに備えてです。






      [日本語で歌うヘンデル 『メサイア』



作成日時 : 2007/08/22 21:15



日本語で歌うヘンデル 『メサイア』



へンデルの「メサイア」の合唱練習、一緒に行きませんか?という嬉しいお誘いを頂きました。
もちろん私は聞かせていただくだけなのですが(笑)

私が通う教会の聖歌隊でも、年末のクリスマス、また来年のイースターでこの曲の中の「ハレルヤ・コーラス」を歌うという予定もありましたので、喜んでご一緒させていただきました。
合唱団の大半のメンバー、そしてソリストはソプラノを除き東京在住の方たち。
地元諏訪からは、今回のコンサートを主催されるシオン音楽院聖歌団を中心にして、教会関係の方たち数名が加わられての、日本語による「メサイア」コンサートです。
正直言って、1971年の初演以来、30年以上、日本語でこの「メサイヤ」を歌い続けてきたというお話を聞いても、ぴんときませんでした。
「メサイア」に限らず、わたしには、声楽曲(それも宗教曲は特に)は、原語で歌われるべきだという強い想いがあったからです。
原語には原語しか持ち得ない力があります。
それは「音」としての言葉であり、リズムであり、長い歴史の中でその言葉そのものに込められたエネルギーがあるはずだと思うからです。
特に宗教曲。
ラテン語の意味はしかとわからないまでも、魂に直接触れ訴えてくる音楽という芸術には、言葉の理解を超えて伝わる普遍的な真実と感動がある、と思っています。



ところで、ヘンデルはイギリスに帰化した音楽家。
当時のイギリスは(今でも)カトリックではなく英国国教会です。
カトリック教会での音楽が全てラテン語で作曲されていたことに対し、イギリスの教会音楽で使われていたのは英語でした。
したがって「メサイア」の原語は、英語なのです。

それにしても、日本語による「メサイア」。
見当もつかないまま、会場へ・・・

会場のチャペルに集まったメンバーは、時節がら15人足らず。
東京のメンバーとは、本番になって初めて顔を合わせるのだそうです。
指揮者の先生は東京と諏訪を往復してのご指導とのこと。
たまたま、指揮の先生と今回のコンサートをプロデュースなさった先生とは、今回の練習に誘ってくださった友人を交え、て3ヶ月ほど前にお食事をご一緒させていただいたこともあって、まったくの初対面ではなかったのですが、これから練習を始めるというお二人には、挨拶する事もはばかられる緊張感がありました。

そして始まった練習。

驚くべきことに!
日本語で歌われているという違和感が、まったくないのです。
15年と言う長い歳月をかけて、繰り返し吟味され、改定を繰り返し、ゆっくり熟成していったのであろう、美しい日本語はヘンデルの音楽と完全にひとつとなっていました。
そしてもしかしたら、日本語だからこそ、合唱団のメンバーも、より深いところで共感しながら歌っているのではないかと思える、素晴らしい合唱だったのです。
もちろん、まだまだ練習不足である事は否めません。
それを差し引いてなお、そこには聴く者を感動させる「力」がありました。



何回も繰り返された練習。
第7曲「彼はレビの息子たちを清め」
第12曲「ひとりのみどり子われらのためにうまれたり」
そして第17曲の「いと高きところには神に栄光」
この17曲目で「地には平和」と歌われる合唱を聴いたとき、言葉の意味が、ずしりとした重みと共に心の深い部分にまで届いたような気がして、身体が震える想いでした。
思わず涙が頬を伝いました。
これは、日本語の力であったのでしょうか。

私の場合、英語にしても、歌の歌詞として歌われたときは、なかなか意味を聴き取りにくい。
ましてやラテン語ともなれば知識として記憶している翻訳に頼るしかありません。
(もちろん歌われる歌にもよりますが)瞬間での理解は原語では不可能です。
けれども日本語で歌われた今回の「メサイア」には、歌詞と意味との間に生じる一瞬のタイムラグというものがありませんでした。
そしてそれは聴く側だけでなく歌う側にとっても、同じことが言えるのではないでしょうか。
日本語であったればこそ、言葉はまっすぐ、魂の奥底にまで響いてきたのです。

原語、日本語。
どちらがいい悪いではなく、このように感じることが出来た今回は、言葉と言うものについて考えさせられたた、大切な経験になりました。
本番が楽しみです!!



CDは練習とは関係のないNAXOSのもの。
でもこれはおもいがけず素晴らしい演奏でした。
まず、目を引いたのが1751年版による演奏だということ。
「メサイア」の初演が、1742年だったことから考えても、これはほとんど「手付かずの楽譜」による演奏と考えていいと思います。
そして、ロンドン上演を再現するべく、独唱者、合唱団に女性が登場しません。
代わって高い音を担当するのはボーイ・ソプラノ。

エドワード・ヒギンボトム指揮によるアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック。
オックスフォード大学ニューカレッジ聖歌隊。
アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックはホグウッドの録音ですでに折り紙つきです。
NAXOS、あなどれません!!
NAXOS、おそるべし!!



☆練習で歌われたときには、それぞれの歌の番号や、タイトルの説明はありませんでしたし、楽譜も見ておりませんので、7、12、15曲以外にも歌われたものがあったかも知れません。
また、確かに7,12,15であったという裏づけもありません。
記憶をたどってああこれは、と思い出しながら聴いた曲、あとになって番号を確認いたしました。

記憶違い、勘違いがございましたらご容赦ください。





      [日本語で歌う「メサイア」 コンサート本番!



作成日時 : 2007/12/16 23:19



しばらく前に練習を覗かせていただいたメサイアのコンサートに行って参りました。

開演一時間前に会場に到着。
開場30分前には、玄関前に順番待ちの行列が・・・
やれやれ。
何とか最前列を確保することができ、サックスによる「アメイジング・グレイス」が静かに演奏されるのを聴きながら、開演を待ちました。



合唱は、東京からの参加者と、地元「シオン音楽院聖歌団」のメンバーを中心にした混成チーム。
ソリストも東京と諏訪、双方からの参加でした。
東京からの参加者は「三鷹木曜会」のメンバーの方たちです。
30年にわたって日本語でメサイアを歌ってきたというグループ。
さすがに高齢の方が目立ちますが、30年と言うキャリアはすごい!
若手を中心とした諏訪のメンバーは、パワーのある発声と豊かな感性での参加です。
中にはまだおぼつかない日本語で、この「メサイヤ」に初めて挑んだアメリカ人の青年もお二人。
豊かな経験と、若々しいチャレンジ精神の、幸福な融合とも言うべきこのコンサートを企画されたのは、諏訪でシオン音楽院を主宰されている浅間由美先生。
指揮は、指揮者として、またファゴット奏者として、オペラ公演や室内楽の演奏でも活躍していらっしゃる牧師の中村響樹先生です。
ソリスト4名もそうそうたる経歴の持ち主ばかり。

  ◆ソプラノ  : 渡辺しおりさん   ◆アルト : 大森佳子さん
  
  ◆テノール : 古俣貴弘さん    ◆バス : 藤森秀則さん

いずれの方も、オペラや合唱で活躍中のプロの方たちです。

ヘンデルの、と言うだけでなく、数あるオラトリオの中でも最高傑作のひとつ、と言われるこの「メサイア」、日本語によるコンサートについては以前のブログでも書きましたが、今日の本番は予想を遥かに超えた、素晴らしいものでした。

ヘンデルが滂沱の涙と共に作曲したと伝えられる「ハレルヤ・コーラス」は、このオラトリオの中でも、もっとも多くの人たちに知られた曲かもしれません。
死に打ち勝ったキリストの勝利への歓喜と賛美の、沸きあがる大合唱です。
でも、ハレルヤばかりではありません。
「メサイア」は全部で53曲もの合唱、重唱、独唱からなる大曲です。
今回の演奏会で歌われたのは53曲中の38曲。
かつての名声も地に堕ち、貧困と病苦にさいなまれていたヘンデルは、この「メサイア」の台本を目にしたときから、取り憑かれたように作曲に打ち込みました。
全曲演奏で2時間にも及ぶこの曲を、彼はわずか3週間で書き上げたと言われています。

「汝れは慰めよ 民を慰めよと御神はのたもう・・・」

イザヤ書40章の一節から始まるこのオラトリオは、作曲者ヘンデル自身が絶望の底から天を仰ぎ、神を希求した、深い信仰から生まれた「音楽の奇跡」と言っても過言ではないかもしれません。
終曲で繰り返されるアーメンの大合唱は、ヘンデルの歓喜する魂の音楽です。
あるときは囁くように、またあるときはどよめくように歌われる音楽。
それはまさしく「メサイア」(救世主)キリストの生涯を、降誕から受難、その死と復活を、祈りと希望、喜びと歓喜の音楽によって追随する、壮大で栄光に満ちた物語です。
人間の声が持つ力強さ、豊かさ、美しさ・・・
合唱と言う形の、想いと言葉、そして音楽が完全にひとつになった祈りです。

オルガン、ヴァイオリン、チェロ、チェンバロの情感溢れる素晴らしい伴奏。
天上の声、天上の音楽を象徴する、ピッコロ・トランペットの演奏も加わって総勢38名の合唱団と4人のソリストたちの歌声は、カテドラルの中で大きく豊かに広がり、立ち昇って行きました。



そして言葉の力。
三鷹木曜会合唱団版の楽譜で歌われる日本語の歌詞は、練習の時にも増して、この本番において、いっそう真っ直ぐに、まるで放たれた矢のごとく私たち聴く者の心の中に飛び込んできました。
30年という年月、「生きている日本語によるメサイア」を目指し、気も遠くなるような試行錯誤を繰り返して、精錬され、成熟してきた言葉たちは、言葉本来の力を取り戻して私たちを突き動かします。
私の頬にはいつしか、はらはらと滴り落ちてくるものがありました・・・