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MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

名は体を表す

2013-10-13 00:00:00 | その他の音楽記事

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 〔“G・S・M” - マティルデに祝福あれ - ですって…。
羨ましいわ。 あなたの『ヴァルキューレ』のスコアに名前
が記されて残っているなんて。 (*1)〕

 (『音楽家の恋文』 (クルト・バ―レン 著、池内 紀 訳、1996年、
西村書店) より引用の上脚色。 (以後、*1 と約す)





 ミンナとの愛は大きな苦悩なしに結ばれてしまい、創作とは
あまり関係がない。 その後も彼は創作の問題について彼女
と語ることがほとんどなかった。 (*2

 (『リヒャルト・ワーグナーの芸術』 新版 (渡辺 護 著、1987年、
音楽之友社) (以後、*2 と約す)





 〔ねえ、リヒャルト。 『ヴァルキューレ』の第一幕では、ジ―ク
リンデとジ―クムントが激しく愛し合うわよね。 ブリュンヒルデ
…なんて女も、後から出て来るけど。 少なくとも一部は、M.と
あなたの仲が反映されている…ってわけなんでしょ?〕

 「いや、あれはまだ知りあって間もない頃のことだ。 私の場合
は、作品の登場人物が先で、そのイメージを後から現実の女性
に見出すことが多かったのだ。 『トリスタンとイゾルデ』にしても、
マティルデと出会うずっと以前から構想を温めていたものなのだ。
よく誤解されるが。」



 〔本当かしらね…。〕

 「作品の構想一つにしても、すべて事前に膨大な時間を費やし、
調査した結果なのだ。 単なる思い付きで女性を登場させたりは
しておらぬ。」




 “音楽家の中の文献学者” と呼ばれるワーグナーは、新作に
取り組むさいにくまなく関係文献を渉猟し、それこそ文献学者の
ような手つきで伝承に批判的な検討を加えた。 …

 つくづく感じ入るのは … 彼の身にとりついた始原への情熱
である。 彼は素材となる伝承の大本 (おおもと) にあるものを突
きとめなければ、収まらなかった。 …

 だいたい手始めに『ニーベルンゲンの歌』などを研究していた
彼が北欧神話にのめり込んでいったのは、『エッダ』や『サガ』
の方が『ニーベルンゲンの歌』よりも “古い”、“より異教の源泉
に近い” と見たからである。 (*3

 (『知られざるワーグナー』 (三光 長治 著、1997年、法政大学出版局)
(以後、*3 と約す)





 「それは『タンホイザー』でも同様だ。 実在した放蕩三昧の詩人
を扱ったのが、何種類かの “タンホイザー” 伝説。 もう一つは、
“歌合戦” の伝説。 後者には “聖なるエリーザベト” も出てくる
が、枝葉末節的な存在にすぎない。 それを私が中心に据えたの
は、必要があってのことなのだ。」

 〔ご立派なこと。 だから私はあなたを尊敬はしたわ…。〕



 「だから歌劇の正確な題名は、『タンホイザーとヴァルトブルクの
歌合戦』なのだ。」

 〔…あら…? そのほかに題名がもう一つあったような気がする
んだけど…。 思いだせないわ…?〕



 「だから、登場する女性だけが問題なのではない。 ましてや、
目の前の女性が “創作と関係があるかどうか” は、単純なイン
スピレーションの問題ではないのだ。 詩的、音楽的想念を論じ
合い、批判・検討に値する意見を述べる、もっと次元の高い…。」




 〔…どうせ私は次元が低いですよ…。 私が作品に与えた影響
なんか皆無だって言いたいんでしょ…。〕

 「そんなことはない。 『タンホイザー』の作曲中は、君のイメージ
にピッタリだと、いつも思っていたよ。 …… 自分の死と引き換え
にタンホイザーを救済するエリーザベト…だがね。」

 〔私がエリーザベト…。 まあ、嬉しいわ…。〕



 「いっそのこと、『タンホイザーとエリーザベトとヴァルトブルクの
歌合戦』にすればよかった。 “名は体を表す” というからな。」

 でも、ちょっと変じゃない? さっきの本、見せてくれる?〕



 ワーグナー自身のことばによると、「エリザベートを演ずる歌手
は、うらわかく、処女らしい天真爛漫さの印象をあたえねばなら
ない。」 ……エリザベートはブリュンヒルデやイゾルデやジーク
リンデと同類ではないのである。 ……演ずる歌手に……作者
の要求するような、若く、ういういしい爛漫さが欠けていたならば
……罪深いタンホイザーに捧げられた処女の愛の感動的悲劇
を、充分共感することができなくなるであろう。(*2)」



 〔これ、同じ本に書いてある内容よ。 まさか
“若く、ういういしい爛漫さ” が私のイメージだ…
なんて言うんじゃないでしょうね!? リヒャルト!〕

 「………。」



 〔また騙したわね。 それじゃ、私はヴェーヌス…?〕




 「最近ではエリーザベトとヴェーヌスを、一人二役で歌わせる
演出もあるほどなのだ。 それも一理あるが、やりすぎだね。」

 〔やりすぎ? なぜなの?〕



 「それでは、女性の裏表、深層心理を暴こうとするだけだ。
人間の両面や葛藤を表わすのは、タンホイザーだけで充分
さ。 ぼくが描こうとした内容はね、もっと多岐に亘っている
のだ。 いわば “高次元の対立” と言ってもいい。」

 〔対立? 何の?〕



 「個人の範疇を超えた対立のことさ。 宗教面だけを見ても、
色々あるよ。 キリスト教と異教。 いくら懺悔をしても厳格さ
を崩さないカトリックと、我が身を犠牲に恋人を救済してしまう
うら若い女性。 禁欲主義を唱えるばかりのカトリックを、ぼく
が嫌っていたのは、よく知っていたろう、君だって。」

 〔懺悔だって。 ご都合主義のプロテスタントね、あなたは。
だって、こんなことも書いてあるわよ。〕




 ワーグナーに言わせれば、「私たちの神は金であり、私たち
の宗教は金儲けである」というわけで、主神のヴォータンもその
風潮に染まっていることでは人後に落ちないのである。 (*3




 〔ねえ、芸術作品は素晴らしいんだけど…。 あなたも少しは
懺悔したらどうなの? 私も至らなかったけど、苦しんだのよ。〕

 「そう言うな。 晩年は、私も辛かったのだ…。」




 ワーグナーは先妻のミンナが “生活保護” を受けるほど困窮
しているのに、見殺しにしているという非難を浴びたこともある。
事実無根の中傷だったが、この件も彼の夢に現われた。 ミンナ
がとっくに他界した晩年になってからも、しばしば「彼女に送金し
なかった」という夢を見た。

 コジマは彼の夜ごとの夢も丹念に記録しているが、その大半
は悪夢である。 彼を夜な夜な苦しめた悪夢は、深淵を孕んだ
波乱万丈の生涯の、余震や余波の類だった。 同義的に多くの
罪を重ねたことについての、当人の無意識裡の自覚の現われ
だった。 (*3



 真実に栄光を。

 “ミュンヒナー・ヴェルトボーテン” 紙におけるあやまった記事
に対し、私はここに真実に忠実に申し述べる。 私は現在まで、
別居中の夫リヒャルト・ヴァーグナーから扶助を受けている。
この扶助により、私は十分な、不安のない生活をしている。

 1866年1月9日、ドレスデン
            ミンナ・ヴァーグナー (旧姓、プラーナー)

 これを新聞に発表して16日後にミンナは亡くなっている。 (*1




 「宗教だ、懺悔だと言うな。 作品群の、ほんの一面にすぎない
のだから。 それに “愛の限界” も大きな問題だ。 現世の愛と、
死して他を救済するより術のない愛。 この “愛と死” の問題は、
『タンホイザー』以後の、大きなテーマとなるのだ。 この世では
実現しない愛、偉大な芸術への愛と身を引く愛、共に苦しまねば
他を救済できぬ愛…。」

 〔……。〕



 「『タンホイザー』は、私の新たな出発の記念碑的作品なのだ。
ドレスデンでは『リエンツィ』も成功し、やっと落ち着いて着手する
ことが出来たのだ。 だから君には感謝している。」

 〔本当に? その後だって、散々苦労させておいて…。 しかし
あのパリでは、本当に悲惨だったわね。〕




 劇場での成功から見放されたワーグナーは貧窮のどん底に落
ちた。 彼は妻のミンナとともに文字通り飢餓線上をさまよった。
ときには夕闇にまぎれ、塀ごしに通りに枝をさしかけている他人
の屋敷の胡桃の木から、実をたたき落として飢えを凌ぐようなこと
さえあった。

 女優だったミンナの舞台衣装や二人の結婚指輪が質種になり、
あげくには質札を質種に使うような窮乏ぶりで、リガから連れて
来た愛犬までが主人に愛想をつかして行方をくらました。

 ロッバーというこのニューファンドランド犬は “おそろしく大食い”
だったようだから、飢餓線上の暮らしは飼い主以上に身にこたえ
たのかも知れない。 (*3




 「この著者は、都会パリをヴェーヌスベルクに、自然豊かな
ドイツをヴァルトブルクに例えている。 面白い解釈だ。 私が
ドレスデンに帰ってホッとしたのは事実だから。」




 〔ヴェーヌスベルク…。 ヴェーヌスベルクね、
『タンホイザー』の。 それで思いだしたわよ!〕



 このオペラには出版元からの申し入れによって撤回された
もう一つの題名があった。 もとの題名は『ヴェーヌスベルク』
であり、ヴェーヌスベルクは、キリスト教世界から追放された
ヴェーヌス (ヴィーナス)の隠れ棲む山であり、副次的にはいわ
ゆる “ヴィーナスの丘” mons pubis を意味する。

 出版元の懸念もそこにあって、ドレスデンの医学生たちが
女性の恥部を暗示する題名をジョークの種にしていることを
作者に注進して、題名を変えるように求めたことが改題に
つながった。 (*3



 〔医学生じゃなくたって、容易に連想するわよ! 自分の死と
引き換えにタンホイザーを救済するエリーザベトが私のイメージ
にピッタリ? いい加減になさいよ! 私はせいぜい官能的な
ヴェーヌス止まりだって言いたいんでしょ? あなたを肉欲に
誘う。 でも私ヴェーヌスみたいに、あなたを手招きした覚え
なんかないわよ。 大体ね、こんなこと書いて寄こしたのは、
どこの誰だったかしら?〕



 君を感じ、君の眼差しのなかに身を沈め、君の
いとしい身体と婚礼をあげ、ぼくの苦しみすべて
を甘美なる抱擁の中で溶かすのだ! (*1



 「確かに当初は “ロマン的オペラ、ヴェーヌスベルク” だった。
無意識に浮かんだ題名だよ。」

 〔題名を? 無意識にですって…? そんな題名のままでなく
て、本当によかったわ。 ただでさえ恥ずかしいんだから…。〕



 「……詩的な高揚気分を解さぬ女だ…。」



天才の道具

2013-10-12 00:00:00 | その他の音楽記事

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 すべてが彼には結局のところ唯一の目的、すなわち作品
のための手段にすぎなかった。 目的は手段を正当化する
だろうか? ふつうの道徳観念はこの問いをきっぱりと否定
する。 しかしヴァーグナーはふつうの人間ではない。 (*1

 (『音楽家の恋文』 (クルト・バ―レン 著、池内 紀 訳、1996年、
西村書店) より引用。 (以後、*1 と約す)




 「音楽家の恋文…? 何だ、これは!? そんな書物が
刊行されておるのか。」

 「ふつうの人間ではない…だと? 吾輩が異常な人間
で、“非道徳的” だとでも言うのか…。」



 彼は天才であり、とてつもない任務をはたさねばならない
のである。 彼がすべてを唯一の目的に従属させるとき、
それも無意識にやっているのだとすれば、彼を非難する
ことができるだろうか。 (*1



 「そのとおりである。 我が生涯の任務は、音楽を巡る
諸芸術の全体的革命だ。 歌劇、楽劇などという名称は、
吾輩が目指す包括的芸術を表わすには足らん。」

 「それを思えば、金持ちが吾輩に出資するのは当然の
ことであろうが。 “貸す” などというケチな根性にしがみ
付いているようでは、我が称賛を得られぬぞ。」




 「しかしこの書物。 我が書簡をよくも集めたものだ。 それ
だけではない。 著者のやつまで勝手なことを書きおって…。」



 ヴァーグナーは一人の人間、それも若く魅力的な女性が、
かたく内に秘めた、音楽的想念を察知し、理解してくれるの
をはじめて知った。

 …1857年のチューリヒ … 登場人物は今や45歳になった
音楽家と、若く才気あふれる美しい女性、非常に気高い心の
もち主で演劇に深い理解を示すオットー・ヴェーゼンドンク、
そしてミンナの四人である。

 彼女は自分よりも若く美しく、幸福な “ライヴァル” をただ
みつめ、彼女が自分の “所有物” と思いこんでいた男性を
めぐる、絶望的な闘いをはじめるしかなかった。 (*1



 「ああ、マティルデ…!」




 〔なに、読んでるのよ、リヒャルト。〕

 「……おお! ヴィルヘルミーネ!! そんな所にいたのか…。」

 〔閉じなくてもいいのよ、その本。 ちゃんと聞えたんだから。
“音楽的想念を察知、理解してくれるのをはじめて知った”…。〕

 「そ、それは、お前のことだよ。」

 〔嘘おっしゃい。 ああ、マティルデ…って叫んだじゃない!
人を騙すのもいい加減になさい。〕

 「……。」

 〔その本、こっちへ寄こしなさい! …なになに?〕




 1854年に彼が『ヴァルキューレ』を作曲し始めたとき、
彼はスコアの一カ所に以下の文字を書き入れている。
“G・S・M” - マティルデに祝福あれ - である。 (*1



 「それは勝手な解釈で、我が心情を正しく伝えては
おらぬ。 Mは、ほら、お前のことだよ、ンナ。」

 〔もうたくさんよ………!〕

 「…それなら、こっちの本を見てごらん。 お前に
好意的なことが書いてあるぞ。」




 ワーグナーの死後現われた多くの伝記は、この楽匠をあまり
に英雄視するために、ミンナの不幸な立場に、充分の理解と
同情を示していない。

 年上で、病身であった彼女は、猜疑と嫉妬に身だしなみを
忘れ、ワーグナーの天才を充分に理解しなかったが、彼女の
堪えねばならぬ苦労は、並大抵のものではなかった。 若い
時から自分の誇大な計画を実現しようとして、大金を使って
は借金に苦しんだ…

 …彼の気性は移りやすく、また極端に走り、好悪の変化も
早かった。 内気で静かなミンナの性格とは、正反対だった
のである。 (*2

 (『リヒャルト・ワーグナーの芸術』 新版 (渡辺 護 著、1987年、
音楽之友社) (以後、*2 と約す)




 〔本当に? 私のこと、そう書いてあるの?〕

 「この侮露愚の読者も、みんな信じてしまうな…。」

 〔…で、その先は何て書いてあるの?〕




 ミンナより前にも、ワーグナーに二、三の恋愛体験はあった。
初恋は1826年、13歳のときで…。 青年時代の、このほかの
女性とのたわむれは述べる必要もない。

 ミンナとの愛も、大きな苦悩なしに結ばれてしまい、創作とは
あまり関係がない。 その後も彼は創作の問題について彼女
と語ることがほとんどなかった。 (*2




 〔まあ! 創作とはあまり関係がない…ですって……。〕

 「…いや、その、“無関係の関係” というやつだよ。」

 〔私も、“作品のための手段” にすぎなかったのね。 でも、
創作とは無関係の存在…だなんて…。 ひどいわ。 あんな
に強引に付き纏われ、こっちは舞台生活を諦め、貧乏暮らし
に堪え、夜逃げまで一緒にしたっていうのに!〕

 「……。」



 〔やっと『リエンツィ』が成功した夜のこと、覚えてる? あなた
のベッドに月桂樹の葉まで敷いて、私、心からお祝いしたのよ。
でも、あなたはまったく気付いてくれなかった…。 (*1)〕

 「成功は、私の作品を大衆が正しく理解したからではない。」



 〔ドレスデン蜂起でお尋ね者になったときだって、私ヴァイマル
まで追いかけて行ったのよ。 ほら、リスト先生のところに隠れ
てたでしょ? あのときだって、私を邪魔者扱いして、一人だけ
でチューリヒへ逃げてしまった…。 (*1)〕

 「二人では目に着きやすいからだと説明したろう。」

 〔いいじゃないの、スイスなんだから。 私、泣きながらリスト
先生のお世話になったのよ。 (*1)〕



 「…。」

 〔やっとチューリヒで一緒になれたと思ったら、そこには
あのM.がいて…。 私はただ、幸せそうな “お二人” を
見せつけられるだけ…。 心臓は悪化し、神経をやられ、
泣きながらミュンヘンへ逃げ帰るしかなかった!〕

 「以後、月々の仕送りは、ほとんど遅れずに…。」




 〔…“ぼくは君の騎士、保護者となろう” (*1)…
なんて、よくも言えたものよ…。〕

 「それは結婚前の話だ…。」

 〔私は、一体、あなたの何だったの?〕



意に介さない天才

2013-10-10 00:00:00 | その他の音楽記事

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 23歳のヴィルヘルム・リヒャルト・ヴァーグナは、4歳年上の
ヴィルヘルミーネ (ミンナ) と結婚しました。

 場所はケーニヒスベルク郊外の小さな教会。 彼は当地の
劇場の音楽監督に就任していました。



 二人の結婚生活は不幸に終わります。 特にミンナにとって。

 それは、避けられなかったのでしょうか。 またミンナとは、
どのような女性だったのでしょうか?



 以下は、何度かご紹介した『ワーグナーの世界』 (オードリー・
ウィリアムソン 著、中矢 一義 訳、1976年、東京創元社) (以後、*1
約す)
からの引用です。




 1834年、マグデブルク劇場の音楽監督として契約したワーグ
ナーは、その劇場の美人女優ミンナ・プラナーと激しい恋に落ち
て、1836年11月24日彼女と結婚したのである。

 家庭という点からみれば、ふたりともこの結婚を維持すべく長い
間努力を重ね、過労と経済的に追いつめられていたワーグナー
にとっていくらか報いられるところがあったけれども、知性という
点からすれば、ちぐはぐな悲惨な結び付きだった。

 ワーグナーの硬いコンクリートを思わせる本質的エゴイズムと
芸術的な誠実さだけが、おそらく彼を安易な成功にひざを屈する
ことから救ったのである。

 借金はかさむうえに、ミンナからは、もはや大衆の要求に迎合
した初期の “通俗的な” スタイルによるオペラを書くことができな
い理由をまったく理解してもらえなかったにもかかわらず。 (*1




 二人の間のやり取り。 それは今となっては不明ですが、
辛うじて残っているのが、作曲家自身が書いた手紙です。

 ここではそのうち、ミンナに宛てたものの一部を見てみたい
と思います。



 なおミンナが作曲家に宛てたものは、今日では残っている
ものは皆無に近いでしょう。 作曲家の死を看取ったコジマ
の手で、取捨選択の上、処分されて。

 以下は、『音楽家の恋文』 (クルト・バ―レン 著、池内 紀 訳、
1996年、西村書店) (以後、*2 と約す)
からの引用です。




 「君は、人生はぼくに捧げたいが、しかし劇場での経歴は
捧げるつもりはなく、それがぼくたちを分け隔てる前に、ぼく
がそれを踏みにじっている、というわけだ。 誓っていうが、
ミンナ、ぼくは君の舞台生活など少しも意に介していないし、
そんなもののために二人の愛を犠牲にする前に、即座に君
を劇場から完全に奪いとり、その場で600ターラーの月給
つきで君と結婚する。」

 1835年11月7日、マグデブルク (*2




 「もう決して邪悪な猜疑、邪悪ないさかいを、ぼくの口から
聞くことはあるまい。 ぼくは生涯、君の騎士となり、保護者
となろう。」

 1835年11月11日 (*2




 「夏の終わりにケーニヒスベルクへいき、君と急いで結婚し、
それから一年以内に、一緒にベルリンへもどる。 おそらく君
はそのとき劇場にかかわる必要はまったくないだろうと思う。
そのときまでに作品もいくらかできているはずだから。」

 1836年5月24日、ベルリン (*2




 「名誉、名声、黄金、絢爛たる美がぼくに手招きしてくれます
ように。 … 君は知っているに違いないが、ぼくほど愛した者
は誰もいない
のだから。 君ほど愛された者も誰もいない!!」

 1836年5月27日、ベルリン (*2

 (下線は、原文にあるものです。)




 「おお今、この今、君をかたわらにおき、君を感じ、君の
眼差しのなかに身を沈め、君のいとしい身体と婚礼をあげ、
ぼくの苦しみすべてを甘美なる抱擁の中で溶かすのだ!」

 1836年6月1日、ベルリン (*2




 権力、影響力、支配へのかぎりない望みが彼を揺さぶって
いたが、そのための道を彼はまだ知らなかった。 しかしそう
した力を夢みて、手にする前からすでにそれを感じていたの
である。

 その道をみつけ、切りひらくためなら、何はばかるところ
なかった。 もらえるところから金をもらい、それを返さねば
ならないとは考えなかった。 まさに生きのびて、決断の日
のために力を蓄えたいと思っていた。 ミンナという女性を
強引に腕に抱きしめ、自分のなかで彼女の情熱の炎を燃え
あがらせようとした。 その情熱で、彼はいつの日か、燃え
上がるような音楽 (*) を書くことになる。

 すべてが彼には結局のところ唯一の目的、すなわち作品
のための手段にすぎなかった。 目的は手段を正当化する
だろうか? ふつうの道徳観念はこの問いをきっぱりと否定
する。 しかしヴァーグナ―はふつうの人間ではない。 彼
は天才であり、とてつもない任務をはたさねばならないので
ある。 彼がすべてを唯一の目的に従属させるとき、それも
無意識にやっているのだとすれば、彼を非難することができ
るだろうか。 (*2



 (*) 『タンホイザー』、『ヴァルキューレ』など、激しい情愛
を描いた作品を指しているのでしょう。 おっと、後者は別
の女性が関連したか?

 なお、この著者は男性です。




 その年の秋、二人は結婚式を挙げました。 しかしミンナは、
僅か半年でヴァーグナの下を去ります。 幼い娘と共に…。

 彼女には不幸な過去がありました。 15歳のとき、怪しげ
な男に誘惑されて…。 その娘をミンナは、表向きは “妹”
と呼んでいました。 自身の死のときまで。



 さてヴァーグナは、ミンナの行く先を調べ上げ、ドレスデン
の両親の家にいることを突き止めると、次のような手紙を
送ります。




 「わが善良なる愛する、愛するミンナ! 君はぼくの妻と
なり、そしてぼくから逃げ去った!」

 「ミンナ、君のもとにもどる前に、まだ、このうえなく真剣に
いうべきことばがある。 君がぼくの妻となったのは、ぼくが
生涯で最高に不幸な状態にあったときだった。 君はぼくと
ともに不幸と困窮を背負いこんでしまった。 それが君の素敵
で素晴らしいところだった。 君は、ぼくの残酷な態度を非難
しているわけだが、残念ながら君にはその権利がある。 …」

 「もう一度ぼくを信頼し愛する事ができるかどうか、自分の
心と相談してほしい。 もしできぬのなら、明日の朝ぼくが君
を訪ねたとき、ぼくを突き出してくれ。」

 1837年6月20日、ベルリン (*2




 ヴァーグナは、7月にリガの劇場と契約しました。

 1837年10月、ミンナは舞台生活から引退します。
二人は、もう一度一緒に暮らし始めました。




 秋、夫妻はリガへ移り、リヒアルトは二年間その地の劇場
の音楽監督にとどまって、… この過重な分量の仕事も、彼
が第三作目のオペラ『リエンツィ』に着手する妨げにはならな
かった。 … 劇場での務めによって強いられる、作曲とは無
関係な仕事、増大する借金の重荷、それにすでに彼の結婚
生活に伴っていたところの、彼がのちに述べた言葉でいえば、
“家庭的苦難の数々” とに苦しめられていたので、彼はこの
歴史小説への逃避の中に唯一の心の安らぎを見出したの
だった。 …

 1839年、ワーグナーがリガを去らねばならなくなったの
は、ほかでもない、被債権者としての立場が危険なもの
になったからだった。 妻のほかにセント・バーナード犬
のロバ―というやっかいなものまで引き連れてロンドン
経由でパリへ行くつもりで…。 (*1




 債権者の監視が厳しかったので、夫妻は “変装までした”。
また犬は、彼にとって終生お気に入りの動物でした。




 なお、ミンナの人柄に触れて、渡辺護氏は次のように記して
います。



 ミンナはワーグナーを愛していたのだろうか?

 暖かい心をもったこの理知的な女性は、何よりもこの貧乏な
音楽家の、不安な生活に同情した。 そして、この年下の男の
はげしい、官能的な愛をうけ入れたのであろう。

 しかし、この異常な天才の心の奥にひそむ、真の苦悩と不安
を救済することはできなかったのである。

 (『リヒャルト・ワーグナーの芸術』 新版 (渡辺 護 著、1987年、
音楽之友社)
より)




 さて、彼の舞台作品を年代別に大きく分けると、前半期
には次のような作品が見られます。



 (1) 『妖精』、『恋愛禁制』、『リエンツィ』。

 (2) 『オランダ人』、『タンホイザー』、『ローエングリン』。



 ちょうどミンナと知り合った頃 (1834年) に始まり、
ドレスデン蜂起事件で逃亡、別離を余儀なくされる
(1848年) までの時期に当ります。




 さて、リヒャルトの父親問題が、要因の一つとなって生まれた
作品…。

 私は前回そう書いたのですが、今回は触れていませんね…。



父が与えた苦しみ

2013-10-08 00:00:00 | その他の音楽記事

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 以下は、Richard Wagnerからの引用です。




 ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーは、1813年の5月22日に
ライプツィヒで生まれた。

 しかし、洗礼を受けたのは8月16日になってからである。 当時
の習慣によれば、生まれた翌日に受ける事になっていたのである
が、この時はそんな事はできなかったのである。 それは5ヵ月後
にこのライプツィッヒでは、プロイセンとオーストリアとロシアの連合
軍がナポレオン軍と戦う事になるので、その準備のために市中は
混乱を極めていたからである。

 戦いは連合軍の勝利に帰した。 “ライプツィッヒの戦い” と言う。
彼が洗礼を受けた教会は、かつてバッハが合唱長をしていた、
あのトマス教会であった。



 父親カルル・フリートリッヒ・ワーグナー(1770-1813)は、
ライプツィッヒの徴税官をしていた人の長男である。 市の裁判
所の副書記をしていた28歳の時に、24歳のヨハンナ・ロジ-ナ
(1774-1848)と結婚した。 パン屋の4女である。 特別の教養
はなかったが、美人で明るい性格の人であったという。



 “ライプツィッヒの戦い” は10月の16日から19日まであり、連合軍
の勝利となった。 しかし間もなく、この地方一帯はチフスに襲われ
る事になる。 父親はこの犠牲となって、11月22日にわずか43歳で
この世を去ってしまった
。 リヒャルトが生まれてから半年後の事で
あった。



 父親の死後9ヶ月して新しい父が来た。 母親が再婚したので
ある。 ルートヴィッヒ・ハインリッヒ・クリスチャン・ガイヤー(1779
-1821)と言った。 俳優であり、台本作者であり、また画家でも
あったという多才な人である。

 一家はドレスデンに移った。 2月に妹のチェチリエが生まれた。
演劇一家として有名になった彼らは、それぞれ舞台に立ったが、
幼いリヒャルトも子役として働いたという。 ピアノもいじるように
なった。

 1820年に7歳になった彼は、ドレスデン近郊のポッセンドルフの
聖職者の家に預けられ、初等教育を受ける事になったが、翌年
の9月20日に新しい父親も死んでしまい…。




 生まれて半年で父を亡くし、7歳のときには継父を…。

 こと、父親の愛に関しては、ヴァーグナは恵まれませんでした。



 ところで、以下の5人については、前回も触れましたね。
後にヴァーグナの作品に登場するヒーローたちで、ほとんど
が劇中で命を落とします。

 タンホイザー、トリスタン、ジークムント、ジークフリート、
パルジファル。



 では、この同じ5人の中で、生まれる前に父親を亡くし、
父親の顔を知らない人物は?

 もちろん作曲家が、そう設定したもので、3人います。

 解答は、この記事の奥にあります。



 いずれにせよ、自身の不幸な体験が、作中
に反映されている…。 たとえ無意識でも。

 そう見ていいでしょう。



 

 ところが、実態はさらに複雑なようです。

 以下は、前回ご紹介した『ワーグナーの世界』 (オードリー・ウィリ
アムソン 著、中矢 一義 訳、1976年、東京創元社)
からの引用です。




 カール・フリードリヒが実際、彼の実父であったのか、かなり
疑わしいところである。 … 母は俳優のルートヴィヒ・ガイヤー
と再婚した。

 ガイヤーは毎年ライプツィヒ劇場での興業期間中はワーグナー
家に寄宿するのが慣わしだったし、彼らの娘、つまりリヒアルト
の妹チェチリエが、しかるべき時期よりも相当早く生まれたこと
も確かなことである。

 そしてリヒアルトはその生涯も終りに近いころ、チェチリエ
に彼女の出生の意外な事実を知らされてからは、ガイヤー
が自分の父親であることをほぼ間違いのないものとして、
妻コジマともども認めていたようだ。




 もし、このとおりなら…。



 リヒャルトは “実父”、カルル・フリートリッヒの顔を知らない。

 さらに、ガイヤーが実父だとすれば、彼は私生児である。



 いずれにせよ、リヒャルトは苦しみ続けたことになります。

 少なくとも、多感な少年期には確実に。




 何度も引用させていただいた『リヒャルト・ワーグナーの芸術』
新版 (渡辺 護 著、1987年、音楽之友社) には、次の記述があります。




 ワーグナー自身、ガイヤーの深い情愛には、感謝の心をもって
語っていた。 1870年、ワーグナーが57歳になった時に、彼はチェ
チリエに手紙を送り、「われらの父ガイヤーが、全家族のために
献身的な面倒を見てくれたのは、彼が一つの負い目を償っている
と信じていたのではないかと思われる」と書いている。

 ……  ……

 この問題が解決できれば、遺伝学の方面からは興味あること
にちがいない。 なぜならワーグナーがガイヤーの実子であると
すれば、その包括的な芸術才能は、父親から受けついだことに
なるからである。

 しかしワーグナー自身は、これを表面的には重大な問題とは
しなかったこと、そしてワーグナー自身にもはっきり判らなかった
ことも事実である。 後年ワーグナーの妻コジマが夫にそのこと
を尋ねたとき、彼は「ガイヤーが私の父であるとは思われない。
私の母が彼を愛したことは事実だが」と言ったそうである。




 最後の部分は、おそらくコジマの証言だろう。 だから、とても
“信頼がおける” とは言い難い。

 自分は “コジマ・ガイヤー” になってしまい、バイロイト音楽祭
は、“リヒャルト・ガイヤー” の名作上演の場になりますから。



 今日の末裔たちの中で、“遺伝学的調査” に協力する者は、
おそらく皆無でしょう。




 さて、リヒャルトにとって深い苦悩だったろうと思われる、
この “父親” 問題

 「それが、要因の一つとなって生まれたのではないか。」



 私が勝手にそう考えている作品があります。

 これ、何だと思われますか?



 ただし、先ほどの5人が登場する作品ではありません。

 これについては次回に…。




 さて、“クイズ” の解答です。

 タンホイザー、トリスタン、ジークムント、ジークフリート、
パルジファルのうち、生まれる前に父親を亡くし、父親の
顔を知らない人物3人は?



 貴方がヴァグネリアンでしたら、簡単ですね。

 解答は、トリスタン、ジークフリート、パルジファルです。



 ジークフリートは、ジークムントの子。 しかし父親は、
戦いの最中に命を落としてしまいます。



 そのジークムントは、ヴェルズンク族の大神ヴォータンが、
人間の女性に産ませた存在。 「父ヴォータンを知りながら、
戦いの最中にはぐれてしまう」…という設定になっています。

 生き別れ…。




 “父親の顔を知らない” 件は、これでお終い。 でも、
さらに問題が…。

 ジークムントは、死の直前にジークリンデと知り合い、
愛し合って生まれた子が、ジークフリートです。



 ところが、この父母は、実は兄妹の関係であった…。

 つまりジークフリートは、“近親相姦” という複雑な問題を
抱えて、この世に送り出された英雄…ということになります。



女性的なる愛

2013-10-07 00:00:00 | その他の音楽記事

10/07         女性的なる愛



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 白鳥の騎士の物語は、デンマークとアングロサクソンの
スキフ (シェアフ) の伝説や、アイルランド統治下にあった
時代のウェールズの四つのマピノーギオン (ウェールズの
民間に流布していた中世騎士物語集)
伝説に盛り込まれている。

 このケルト的背景は、アーサー王と円卓の騎士たちの
伝説の創造にも影響を及ぼし、聖杯 (キリストが最後の晩餐
に用いた杯で、アリマテアのヨゼフが、それで十字架上のキリストの
傷口から流れる血を受けた)
の物語は、このアーサー王伝説
に由来するものなのである。

 もっと後の時代の伝説になると、聖杯の安置されている
場所がスペイン、ピレネー山脈のモンサルヴァ―トへと移り
変わり、そこで聖杯を守護する者は、罪なく圧迫されている
人々を救うために旅に出るという、中世騎士道の形式を、
いまだに取っている騎士たちとなる。

 パルジファル (ときにはペルセヴァルと呼ばれることもある) は、
その聖杯守護の騎士たちの頭であり、窮地に立たされた
エルザを救いにやって来るのは、ほかならぬこのパルジ
ファルの息子なのである。



          『ワーグナーの世界

(オードリー・ウィリアムソン 著、中矢 一義 訳、1976年、東京創元社) より




 タンホイザー、トリスタン、ジークムント、ジークフリート、
パルジファル。 いずれもヴァーグナの作品に登場する
ヒーローたちです。 

 ほとんどが劇中で命を落とす。 生身の人間だから。



 この中で唯一の例外、パルジファルは、伝説中では
神的な存在です。 ただしヴァーグナ作品では、その
前半生だけが描かれている。 もちろん “創作” です。

 人間、それも “聖なる愚か者” として、まず登場する。
これについては、また後日触れたいと思います。




 パルジファルの息子、ローエングリンは、したがって神的、
超人間的存在。 悩める女性エルザを救うために、人間世界
に下って来る。

 しかしそこには矛盾がありました。 神的な愛は、人間同士
の愛とは相容れない要素があるから。



 前者は、ひたすら信じることを要求する。 いわば超自然
的な愛です。

 エルザが求めたのは、知的思考によって、理性的に安堵・
納得させてくれるような愛でした。 両者は本質的に異なる。
それが、悲劇の大きな原因でした。




 「名、氏、素性を尋ねてはならぬ。」

 無理な話ですね。 夫の名も呼べないなんて…。



 これほど特殊な例でなくても、好奇心、詮索好きな行動は、
愛情関係を破綻させる。 …よくあることです。

 歌劇では、思い付くものだけでも、青髭公の城夕鶴

 それぞれは、ペローの童話、新潟県の民話が元になって
います。



 ユングの言葉を借りれば、集合的無意識でしょうか。
伝説、説話、民話、寓話などに、時代や場所を超えて、
共通にみられるモティーフです。




 さて、清らかな、第一幕への前奏曲。 一方
で、無慈悲な結末。 あまりにも対照的ですね。

 神的な愛と、人間的な愛との、歩み寄り難い
乖離を示すものでもある。

 作曲は、第三幕の終結部、第三幕、第一幕、
第二幕、前奏曲…の順で行われました。



 私は最初の前奏曲を聴き始めると、ほんの数秒のうちに
必ず涙が浮かんでくる。 今も、これを書きながら。

 この曲について、作曲者は次のように記しているそうです。

 前回もご紹介した『リヒャルト・ワーグナーの芸術』 新版 (渡辺 護 著、
1987年、音楽之友社)
によるもので、上記の作曲経過についても同様です。




 「グラ―ルの聖杯が奇跡力を蔵しつつ、天使の群に
伴われながら、至福の人々のもとに下ってくる。」

 「…あるいは喜ばしき苦痛が身をはしり、あるいは
見る者の胸に至福の快さが湧き起こる…ついに聖杯
みずから奇跡のまま、あからさまなる現実に現われ、
これをみとむる資格のある人のまなざしに届く。」



 エルザは、その資格に、あと一歩及ばなかった。

 自分を窮地から救い出してくれる “白鳥の騎士” を、夢の
中で認めながら。 そして、結婚式まで挙げたというのに。




 それでは騎士ローエングリンは、ただの超人間的存在
にすぎないのか? 人間界にエルザを認め、これを神的
な愛で救おうとしたのですが。

 同著によれば、作曲者は次のように記しているそうです。
ローエングリンを “精神的、人間的な存在” として捉え、
自己の思いを重ね合わせています。



 「このような最高の頂点へと、思索する者はのぼってゆき、
…。 しかしこのような至福の孤独に到達するや、私の心に
は新しい、圧倒的な力をもつ憧憬が目ざめ、高所から低所
へと、もっと貞節高き純潔の陽光にみちた輝きから、人間的
な愛の抱擁のなつかしい陰へとあこがれる。 この高所から、
私の欲求するまなこは “女” をみとめる。 “女” こそ、陽光
の高所からローエングリンを、大地の暖かき胸へと引き降ろ
したものなのである。」




 私には難しい。 日本語で読んでも。 詩人の文体です。



 “低所” から人間の愛を希求するのは、オンディーヌであり、
人魚姫ですが。 いずれも水の中の存在だね…。

 “水” から連想する言葉。 無意識、混沌、羊水、原初…。



 天上から、祈りによってファウストを救うのはグレートヒェン。

 Das Ewig-Weibliche……“永遠に女性的なるもの”。



 “女”……。




 同著の巻末の年表には、以下のように記されていました。

 「1883年2月13日。 随筆『人間的なものの中の女性的なもの
について』を執筆中、狭心症の発作におそわれ死去。 69歳。
彼が書きつけた最後のことばは “愛 - 悲劇” である。」



 ヴァーグナは、妻コジマの腕の中で息を引き取りました。





    『ローエングリン』 第一幕への前奏曲 音源サイト

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