10/12 頭の体操 (119) 漢字クイズ
これまでの『音楽演奏・体の運動』目録 です。
(14) スフォルツァンド ピアノ (T) 素膚居通安堵干荒野
“sfp”、または “sfzp” と書かれ、音量の急激な変化が求め
られます。
似た記号に “fp” がありますが、明確な区別はありません。
作曲家の筆致や、作品の傾向によって、差の有無を判断し
なければなりません。 でも “sfp” のほうに鋭さを感じるの
は、どなたもきっと同じことでしょう。
“fp” にせよ、“sfp” にせよ、「強さをどれだけ長く保ってから
音量を落とすべきか?」…を考える必要があります。 大事
なのは、他とのバランス。 そして、その前後を含め、「音楽
が自然に聞えるかどうか」…です。
また、“fp” などが、本当の “f” と “p” を表わすとは限りま
せん。 単に「音量を変化させよ!」だけを意味することもある
ので、表現法の選択肢を広くして解釈する必要があります。
“p” が書かれていない “sf”、“sfz” でも、すぐ音量を落とした
ほうがいい場合が、多々あります。
また、全音符など、長い音符に書かれている “sf”、“sfz” は、
要注意。 すぐ音量を落とす場合や、反対に、強い音を長めに
保ったほうがいい場合など、千差万別です。
要は、解釈、判断が、演奏者個々に委ねられるということ。
さらに、たとえAさん、Bさんが同じように弾こうとしても、
自然に聞えたり、不自然だったりします。
ましてや楽典に書かれた指示は、大まかなものでしか
ありません。
09/09 頭の体操 (116) 漢字クイズ
これまでの『音楽演奏・体の運動』目録 です。
(20) マーゴ・フォンテイン (R) 巻顎不穏酊犬
英ロイヤルバレェ団のプリマとして活躍しました。 日本へも
何度か訪れ、オーロラ姫、オヂェット姫、火の鳥などを踊りまし
た。 最後に来日した際は、50歳を超えています。
40歳で引退を決意しましたが、周囲の激励や、ヌレィイェフ
との出会いもあり、結局58歳になるまで現役生活を続けました。
なお、「“フォンテーン” が最も正確な読み方だ」…という記述
も見かけました。
さて、やはり大変なのが歌手、管楽器奏者ですね。 全身の
肉体運動ではなくとも、あちこちの筋肉が必要となる。 鍛錬を
続けないと、筋力は衰えますよね。 生活習慣や年齢は、演奏
に重大な影響を及ぼします。
それに比べれば、はるかに楽なのが弦楽器の演奏。 身体
全体が要する運動量、エネルギー量は、小さい楽器の場合、
上記の比ではありません。 ほとんどの運動が、バランスや
効率の吟味、調整だけで済むのではないでしょうか。
昔、あるオケで Viola を弾いていたとき。 「貴方は筋力が強い
ですね!」と言われたことがあります。
でも、これ、速い弓を使っていたときのこと。 弓の圧力を軽くし、
弦の抵抗が少ない場所を選び、敏捷な手先に運動をリードさせ、
圧力が溜らないような角度を工夫し、弓を動かしていただけです。
要は、無駄な抵抗が発生するのを防ぐこと。 音を聴き、感覚
で覚え、メカニズムを理解し、場合によっては構え方まで変える。
「力には力を」…ではない。 「マイナス要因を減らす」…のです。
…なーんて、今だに、その連続で、キリがありません。
08/12 頭の体操 (113) 漢字クイズ
これまでの『音楽演奏・体の運動』目録 です。
(2) クトゥーゾフ (F) 苦二初譜
大作『戦争と平和』に見られる人物像では、孤高、有能な
元帥として描かれています。 もちろん相手は、ナポレオン
率いるフランス軍。
ところが上記の解説サイトでは、消極的で臆病な老軍人、
みすみすナポレオンを逃がした無能者、偶発的なモスクワ
焦土作戦、さらに、かなりの肥満体質で、女癖も悪かった…
などと書かれています。
私が意を決して読破に挑んだのが、30年ほど前のこと。
以来、重ねて精読する勇気には恵まれません。
同じく、意を決して挑戦した曲も多々ありますが、私には
“難しくて苦しい” ものばかり。 ただ “譜面ヅラだけ弾く”
にしても、音程、リズム、強弱。 さらに、音の形、音質や
音色の変化。 また、形式感や感情などの表現、作品や
作曲者の内面の把握。
「こうなってくると、まるで連立方程式だな…。」 いつも
口を衝いて出るのが、こんな嘆き節なんです…。
もし、未知数が x、y、z だけの三元連立方程式を解き
さえすればいいのなら、演奏なんて楽なもの。
しかも、「x が解ければ y が解ける」…とは決まってない。
むしろ逆で、まるでルービックキューブに近いのが、特に
Violin型の弦楽器の演奏なんです。 少数派の意見ですが。
「x、y、z を一旦捨てないと、“+α” は手に入らない。」
もしそんな状況に置かれたら、貴方はどうしますか?
① “+α” は諦め、x、y、z を死守する。
② x、y、z を一旦放棄してでも、“+α” を探す。
08/02 見えないチームプレー
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見えないチームプレー
頭の体操 (120) 漢字クイズ 解答
米オールスター戦に10回も出場した、イチロー選手。
貴方もご覧になりましたか? ベンチ内を写すカメラは、
その笑顔を何度も捉えていましたね。
周囲の大選手たちと対等、あるいはそれ以上の存在
として認められ、楽しげにはしゃいでいる、少年のような
イチロー選手。 一ファンに過ぎない私も、いったい何度、
嬉し涙をこぼしそうになったことか…。
2007年のオールスター戦では、ランニングホーマーを
放ち、MVPに選ばれました。
その年のこと。 一緒に出場した、New York Yankees
生え抜きのスター選手、ジーターから、次のような強い
誘いを受けたと言われます。
「キミとプレーしたいんだ。 一緒に優勝しないか!?」
彼が契約にタッチするわけではありませんが、もちろん
「ニューヨークへ来い!」という意味です。 Yankees には、
やはりイチローを尊敬する、A.・ロドリゲス選手もいます。
イチロー選手は、これまで3度、Seattle Mariners と複数年
契約を結んできましたが、この2007年は、4年契約の最後の
年でした。
2008年を迎えるに当って、イチローは真剣に悩んだそうです。
常勝を義務付けられた人気チームへ移り、優勝を争うか?
それとも、今の環境で同じ目標を実現すべく努めるか?
その場合、同じように高い意識を持つ仲間は数えるほど
しかおらず、自分は “孤高の存在” で在り続け、後進の
面倒も見なければなりません。
彼が選んだのは、Seattle に留まることでした。
「今年こそ、このチームが優勝できるように貢献したい。」
仲間の選手たちの顔、熱烈な Seattle のファンたちの顔
が、彼の脳裏からはおそらく消えなかったことでしょう。
野球はもちろんチームプレー。 個人技ではありません。
「チームが勝つために、自分は何をすべきか?」
イチローは人一倍、その意識が強い選手であることは、
どなたもきっとご存じでしょう。
ところが Seattle では、そのイチローを非難する記事が、
当初から珍しくなかったといいます。
① 「Mariners 敗戦の戦犯として、筆頭的存在!」
② 「個人記録をまず大切にする “高給取りの大スター”。」
③ 「チームの改革を阻害する主要原因。」
① イチローとて神ではありませんから、敗戦の責任を問われる
こともあるでしょう。 それは本人が一番よく解っているはずです。
一流であればあるほど、論調も厳しくなる。 “原因~結果” を
短絡的に書きたがる米メディアには、トルストイの『戦争と平和』
でもじっくり読め!…と言いたくなります。
② 肉体的コンディションを維持するために、イチローは壮絶な
努力を続けています。 道具の取り扱いに払う神経も、並大抵
のものではない。 でもそれは、“個人記録本意だから” では
ありません。
まず個人がベストの状態でなくして、チーム全体にどんな貢献
が出来るというのでしょうか?
それとも、そこまで打ち込む選手は、米国人には皆無だから?
③ 必要なのは、“意識改革” だったんじゃないの?
上も下も。 Mariners 球団の。
優勝を真剣に争うなら、あんな中途半端な補強なんて
考えられない…というのが、私の抱く毎年の印象でした。
一方では、「あんな遊ゴロで二塁走者が飛び出したら、
三塁でアウトになるのは当たり前じゃないか!」 そんな
光景をテレビ中継で何度、目にしたことでしょうか。
打撃、守備、走塁のうち、「最も難しいのは走塁だ。
1.000 (10割) に近い結果を求められるから。」
イチロー選手の言葉です。 チームプレーの本質を
占める分野だからなのでしょう。 その点で、選手
たちの意識は希薄で、教育も行き届いていません。
ところが、まったく同じ状況で、Yankee となったイチロー
が “無謀にも” 三塁を狙った場面を、数日前にテレビで
観ました。
結果はセーフ! ボールは一塁へ送られたからです。
私が最初に受けた印象は、もしボールが三塁へ送ら
れたら、「間一髪でアウトかな…?」というものでした。
そうなれば、“暴走” の誹りを免れません。
ところが、日本人解説者の直後のコメントは、私の “無知”
を戒めるものでした。 「ちゃんと、送球が背後から来るような
コースを走ってますよね!」 大島康徳氏だったでしょうか。
つまり、もし遊撃手が三塁へ送球しても、「自分の背中に当る
ように、わざと大回りしていた」…ということ。
これでは遊撃手は送球できません! もちろん、自分の俊足
も計算に入れた上のことだったのでしょう。 この深謀遠慮!
ゴロを捕球した遊撃手は、一塁へ送球するしかなかったはず
です。 それを「瞬間的に判断しなければならないのが走塁だ。」
…と、イチローは言うのです。
Seattle のメディアさん? イチローのこの姿勢、解ってる?
Seattle のファンの熱烈な声援。 それをイチロー
選手は、きっと終生忘れないことでしょう。
しかしまた、彼はこうも言っています。
「Yankees のファンは、野球をよく知っている。」
声援の仕方で、それが解るというのです。 その
タイミング、声の大きさ、果ては個々の内容…。
野球は個人プレーではない。 それが一番
よく解っているイチロー選手。
「少しでも質の高い環境でプレーしたい。」
「それをゲームの勝利に結び付けたい。」
「そのためにプレーしている自分を理解してほしい。」
彼がそう望んだとして、誰が今回の移籍を非難できる
でしょうか?
このところ4連敗の Yankees ですが、引き続き東部
地区の首位を走り続けています。
イチローは、悲願のワールド シリーズ チャンピオン
になれるのか?
今期の結果がどうあれ、今年限りで放出されるのか?
その移籍先での野球人生は、どんなものになるのか?
未だに “全国優勝” を経験したことのないイチロー。
何よりもチームプレーを大切にするイチロー選手が、
祝杯にまみれ、泣き濡れる光景!
ファンの一人として、私もそれを待ち侘びているのです。
以下は、イチロー関連記事です。
[史上最強のライパチ君デビュー!]
[移籍は全てにおいてグッドタイミング]
[ヤンキース入りを切望、厳しい条件を全て受け入れ]
[本拠地のNYデビュー]
[イチローがシアトルで得たもの、NYで探すもの]
[ヤンキースがイチロー獲得を急いだ理由とは?]
[38歳イチローに見る中高年の“本懐”の遂げ方]
不確実性の時代に「悔いのない道」を選ぶには?
[移籍後のイチローが見せる「笑顔」のワケ]
[シーズン終了時にはNYから放出とMLB評論家が指摘]
08/01 最強の “ライパチくん”
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イチロー選手が小学6年生のときに書いた作文
最強の “ライパチくん”
見えないチームプレー
頭の体操 (120) 漢字クイズ 解答
「レフパチ」も「代打要員」もOKしたのに
3か月でクビになるイチローの屈辱
これは、2012年7月30日の新聞で見かけた活字。 さる
週刊誌の記事内容です。
宣伝文句ですから、表現は衝撃的ですね。 副題には、
『スポーツ紙には絶対書けないMLBの「冷徹なる真実」』
とあります。
「3か月でクビになる」…かどうかは解りませんが、
“契約は今期限り” という意味では、そのとおりです。
アメリカ大リーグ野球で活躍しているイチロー選手が、
名門 “New York Yankees” に移籍しました。 メディア
がこれだけ騒ぐのですから、野球ファンならずとも、こう
思われたに違いありません。
「これは大ニュースなんだろうな…!?」と。
1シーズン最多安打、10年連続200安打など、数々の
記録を打ち立ててきたイチロー選手。 その彼が、自ら
トレードを希望し、“Yankees” から付きつけられた条件
を、すべて飲んだ上で移籍したのですから。
それは、次のような三条件だったそうです。
① 守備位置を変更する。
② 打撃順は下位打線。
③ 相手が左投手の場合は、ベンチスタートもありうる。
“右翼手、一番バッター” という指定席が、“左翼手、
六、七、八、九番” になるかもしれない…。 それが
先ほどの “レフパチ” です。
かつて『ライパチくん』という野球漫画があったのを
ご存じのかたも多いでしょう。 原作は1970年代以前
の大昔。 [参考サイト]には、以下のようにあります。
「野球において、守備位置がライト、打順が8番である
ことを指す。」
「少年野球等では左打者、右へ流し打ち出来る選手が
少なく、必然的にライトの守備機会が減るため、ライトは
守備が苦手な選手がつく事が多い。 そのため、ライトで
8番というのは最も活躍しない選手のことを指している。」
「しかし競技レベルが上がる程左打者は多く、流し打ち
出来る選手も増えるため、ライトは重要なポジションに
なっていく。」
若干これに補足させてもらうと、左翼手より、“右翼手の
守備力のほうが重要だ” とも言えます。
相手の走者が三塁へ進むのを防ぐためには、左翼手より
はるかに遠方から、正確で力強い送球をしなければならない
からです。
移籍後7試合を経過した、この記事の時点では、ポジション
はすべて “右翼” です。 打順は1試合以外すべて “八番”
でした。
“史上最強のライパチくん” なる字句を見かけるのは、その
ためですね。
ファンの一人を自認する私としては、何とも複雑な心境なの
ですが…。
ライヴァル チーム、“Boston Red Sox” の現監督、ボビー
・ヴァレンタインは、「イチローが最高の右翼手であることは
間違いない」…と述べています。
しかし数字だけを見れば、昨年、今年と、打撃成績には
陰りが見えるのも事実です。 同じ7月30日の紙上では、
次のような記事も見られます。
『イチロー5戦連続打 攻守にはつらつ』
『雨で2時間以上遅れた試合でも、イチローは攻守にはつらつ
とした動きを見せた。 五回に外寄りの速球を逆らわずに左前
へはじき返して5試合連続安打をマークすると、七回の守備
では右中間を破りそうな大飛球を一直線に走って好捕した。』
『「追いつくには目を離す時間が必要だったけど、それがうまく
いった。 最初の感覚だとちょっと無理かなと思ったけどね」。』
『安定した守備は健在だ。』
(記事の内容は讀賣新聞のものです。)
なお試合は、6-8で “Boston Red Sox” に敗れました
(現地 7/29)。
イチロー自身は、その後も2試合、ヒットを続けています
が、Yankees は “3連敗” を喫してしまいました。
その “7試合連続安打” となったヒットは、ホームラン!
しかも、自身にとって “大リーグで100本目” という、記念
すべき一打なのです。
でもイチロー本人は、むしろ、「残念だ、打たなきゃ
よかった…」と思っているのではないでしょうか?
もし貴方が “イチローファン” なら、きっと同じように
想像されると思うのですが…。
この記事の時点 (日本時間7月31日) での、イチロー選手
の打撃成績は?
「102試合、112安打、打率 .261。」
この打撃成績は、上から40位以内にも見当たりません…。
では、やはり不調と言われた昨年のシーズン成績は?
「2011年、184安打、打率 .272 で 35位。」
イチロー選手は、この10月22日に39歳の誕生日を迎えます。
もう年齢的に限界なのでしょうか?
それを見越して、この2012年で契約を満了するはずだった
球団、“Seattle Mariners” を飛び出たのでしょうか?
パソコンは一切やらず、必要なときには奥様が代わって
くれたという、イチロー選手。 バッティングでとりわけ重要
なのが視力だから。
かのベーブ・ルースは、回転するレコードの溝が一本一本
見えたといわれます。 “78回転SP” の時代の話です。
それほど重要なのが、動体視力ですね。 私としてはそれ
が一番心配なのです。
以下は、“史上初の10年連続200安打” を達成した際の、
“サンケイスポーツ 2010/09/24 号外” の記事を基にして
若干書き加えたものです。
“新→旧” の順に並べてみましたが、貴方はこの記事から、
“人間イチロー” に、何をお感じになるでしょうか?
「チームメ―トがみんな祝福してくれて、あっ、喜んでいい
んだなと思った。」
五回、一死一塁で迎えた第3打席。 初球だ。 88マイル(約142㌔)
の甘い直球をとらえ、センター前へはじき返した。 一塁ベースに達した
イチローを、チームメ―トが総立ちの拍手で祝福。 イチローはヘルメット
を取り、軽く一礼して応えた。
2010年9月23日、152戦目。 シーズン成績は
“214安打。 .315 は 7位”。
「解放されましたね。 人(ウィリー・キーラーの記録)
との戦いに終わりを迎えることができたな、と。」
2009年9月13日、128戦目。 シーズン成績は
“225安打。 .352、2位”。
(下線は、リーグ最高成績。 以下同じ。)
「正直、メチャクチャしんどかった。 できなかったら日本に
帰りたくない。 それは恐怖。 8年という数字から生まれた
恐怖だった。」
2008年9月17日、151戦目。 シーズン成績は
213安打。 .310、7位。
「今年は今までと違う状況だったが、そこで同じような
数字を残すことはボクにとって“マスト(必須)”だった。」
2007年9月3日、135戦目。 シーズン成績は
238安打。 .351、2位。
「重かったですね。 もう解放されました。 リラックスする
瞬間なんて、この日を迎える以外にないですからね。」
2006年9月16日、148戦目。 シーズン成績は
224安打。 .322、6位。
「切れそうになったこともある。 でも本当に切れずに
よかったな、と。 この200という数字がすべてを救って
くれましたよ。」
2005年9月30日、160戦目。 シーズン成績は
206安打。 .303、11位。
「130試合で200本は日本でボクが打ってから、誰も
できないものと思ってました。 それもメジャーでできた、
ということが、ボクにとって重いです。」
2004年8月26日、125戦目。 シーズン成績は
262安打。 .372。
「言葉にできないくらいうれしい。 個人としては最高の
目標が200安打。 それがいかにタフなことか、今回よく
分かった。 簡単には口にできないと強く思いました。」
2003年9月20日、152戦目。 シーズン成績は
212安打。 .312、7位。
「200安打のチャンスというのはそうないですから、
達成できてよかったです。 健康とかいろんな要素
がないとできないので、これからも安定した状態を
つくっていきたいですね。」
2002年9月22日、152戦目。 シーズン成績は
208安打。 .321、4位。
「シーズン前には全く想像できなかった。 ある程度
過ごしてきて、ぼんやり見えてきた数字です。」
2001年8月28日 129戦目。 シーズン成績は
242安打 .350。
(続く)