08/01 最強の “ライパチくん”
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3か月でクビになるイチローの屈辱
これは、2012年7月30日の新聞で見かけた活字。 さる
週刊誌の記事内容です。
宣伝文句ですから、表現は衝撃的ですね。 副題には、
『スポーツ紙には絶対書けないMLBの「冷徹なる真実」』
とあります。
「3か月でクビになる」…かどうかは解りませんが、
“契約は今期限り” という意味では、そのとおりです。
アメリカ大リーグ野球で活躍しているイチロー選手が、
名門 “New York Yankees” に移籍しました。 メディア
がこれだけ騒ぐのですから、野球ファンならずとも、こう
思われたに違いありません。
「これは大ニュースなんだろうな…!?」と。
1シーズン最多安打、10年連続200安打など、数々の
記録を打ち立ててきたイチロー選手。 その彼が、自ら
トレードを希望し、“Yankees” から付きつけられた条件
を、すべて飲んだ上で移籍したのですから。
それは、次のような三条件だったそうです。
① 守備位置を変更する。
② 打撃順は下位打線。
③ 相手が左投手の場合は、ベンチスタートもありうる。
“右翼手、一番バッター” という指定席が、“左翼手、
六、七、八、九番” になるかもしれない…。 それが
先ほどの “レフパチ” です。
かつて『ライパチくん』という野球漫画があったのを
ご存じのかたも多いでしょう。 原作は1970年代以前
の大昔。 [参考サイト]には、以下のようにあります。
「野球において、守備位置がライト、打順が8番である
ことを指す。」
「少年野球等では左打者、右へ流し打ち出来る選手が
少なく、必然的にライトの守備機会が減るため、ライトは
守備が苦手な選手がつく事が多い。 そのため、ライトで
8番というのは最も活躍しない選手のことを指している。」
「しかし競技レベルが上がる程左打者は多く、流し打ち
出来る選手も増えるため、ライトは重要なポジションに
なっていく。」
若干これに補足させてもらうと、左翼手より、“右翼手の
守備力のほうが重要だ” とも言えます。
相手の走者が三塁へ進むのを防ぐためには、左翼手より
はるかに遠方から、正確で力強い送球をしなければならない
からです。
移籍後7試合を経過した、この記事の時点では、ポジション
はすべて “右翼” です。 打順は1試合以外すべて “八番”
でした。
“史上最強のライパチくん” なる字句を見かけるのは、その
ためですね。
ファンの一人を自認する私としては、何とも複雑な心境なの
ですが…。
ライヴァル チーム、“Boston Red Sox” の現監督、ボビー
・ヴァレンタインは、「イチローが最高の右翼手であることは
間違いない」…と述べています。
しかし数字だけを見れば、昨年、今年と、打撃成績には
陰りが見えるのも事実です。 同じ7月30日の紙上では、
次のような記事も見られます。
『イチロー5戦連続打 攻守にはつらつ』
『雨で2時間以上遅れた試合でも、イチローは攻守にはつらつ
とした動きを見せた。 五回に外寄りの速球を逆らわずに左前
へはじき返して5試合連続安打をマークすると、七回の守備
では右中間を破りそうな大飛球を一直線に走って好捕した。』
『「追いつくには目を離す時間が必要だったけど、それがうまく
いった。 最初の感覚だとちょっと無理かなと思ったけどね」。』
『安定した守備は健在だ。』
(記事の内容は讀賣新聞のものです。)
なお試合は、6-8で “Boston Red Sox” に敗れました
(現地 7/29)。
イチロー自身は、その後も2試合、ヒットを続けています
が、Yankees は “3連敗” を喫してしまいました。
その “7試合連続安打” となったヒットは、ホームラン!
しかも、自身にとって “大リーグで100本目” という、記念
すべき一打なのです。
でもイチロー本人は、むしろ、「残念だ、打たなきゃ
よかった…」と思っているのではないでしょうか?
もし貴方が “イチローファン” なら、きっと同じように
想像されると思うのですが…。
この記事の時点 (日本時間7月31日) での、イチロー選手
の打撃成績は?
「102試合、112安打、打率 .261。」
この打撃成績は、上から40位以内にも見当たりません…。
では、やはり不調と言われた昨年のシーズン成績は?
「2011年、184安打、打率 .272 で 35位。」
イチロー選手は、この10月22日に39歳の誕生日を迎えます。
もう年齢的に限界なのでしょうか?
それを見越して、この2012年で契約を満了するはずだった
球団、“Seattle Mariners” を飛び出たのでしょうか?
パソコンは一切やらず、必要なときには奥様が代わって
くれたという、イチロー選手。 バッティングでとりわけ重要
なのが視力だから。
かのベーブ・ルースは、回転するレコードの溝が一本一本
見えたといわれます。 “78回転SP” の時代の話です。
それほど重要なのが、動体視力ですね。 私としてはそれ
が一番心配なのです。
以下は、“史上初の10年連続200安打” を達成した際の、
“サンケイスポーツ 2010/09/24 号外” の記事を基にして
若干書き加えたものです。
“新→旧” の順に並べてみましたが、貴方はこの記事から、
“人間イチロー” に、何をお感じになるでしょうか?
「チームメ―トがみんな祝福してくれて、あっ、喜んでいい
んだなと思った。」
五回、一死一塁で迎えた第3打席。 初球だ。 88マイル(約142㌔)
の甘い直球をとらえ、センター前へはじき返した。 一塁ベースに達した
イチローを、チームメ―トが総立ちの拍手で祝福。 イチローはヘルメット
を取り、軽く一礼して応えた。
2010年9月23日、152戦目。 シーズン成績は
“214安打。 .315 は 7位”。
「解放されましたね。 人(ウィリー・キーラーの記録)
との戦いに終わりを迎えることができたな、と。」
2009年9月13日、128戦目。 シーズン成績は
“225安打。 .352、2位”。
(下線は、リーグ最高成績。 以下同じ。)
「正直、メチャクチャしんどかった。 できなかったら日本に
帰りたくない。 それは恐怖。 8年という数字から生まれた
恐怖だった。」
2008年9月17日、151戦目。 シーズン成績は
213安打。 .310、7位。
「今年は今までと違う状況だったが、そこで同じような
数字を残すことはボクにとって“マスト(必須)”だった。」
2007年9月3日、135戦目。 シーズン成績は
238安打。 .351、2位。
「重かったですね。 もう解放されました。 リラックスする
瞬間なんて、この日を迎える以外にないですからね。」
2006年9月16日、148戦目。 シーズン成績は
224安打。 .322、6位。
「切れそうになったこともある。 でも本当に切れずに
よかったな、と。 この200という数字がすべてを救って
くれましたよ。」
2005年9月30日、160戦目。 シーズン成績は
206安打。 .303、11位。
「130試合で200本は日本でボクが打ってから、誰も
できないものと思ってました。 それもメジャーでできた、
ということが、ボクにとって重いです。」
2004年8月26日、125戦目。 シーズン成績は
262安打。 .372。
「言葉にできないくらいうれしい。 個人としては最高の
目標が200安打。 それがいかにタフなことか、今回よく
分かった。 簡単には口にできないと強く思いました。」
2003年9月20日、152戦目。 シーズン成績は
212安打。 .312、7位。
「200安打のチャンスというのはそうないですから、
達成できてよかったです。 健康とかいろんな要素
がないとできないので、これからも安定した状態を
つくっていきたいですね。」
2002年9月22日、152戦目。 シーズン成績は
208安打。 .321、4位。
「シーズン前には全く想像できなかった。 ある程度
過ごしてきて、ぼんやり見えてきた数字です。」
2001年8月28日 129戦目。 シーズン成績は
242安打 .350。
(続く)