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おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

小話(その1)

2015年10月15日 07時13分54秒 | 日記
齢90の義母の話である。

昔、そうだねえ、戦後まもなくの頃だったか、戦前だったか私も年をとって記憶が
定かではないが・・・そういって義母が語り始めた。

    

義母が嫁いできたのは熊本市内の外れ、普賢岳が目の前に見える有明海沿いの小さ
なミカン農家。

みかんの収穫時になると夫と一緒に山にのぼってみかん千切りの手伝いをしなけれ
ばならない。

農閑期のある日、姑と嫁はその時家にいた。

縁側で肌着の繕いものをしていた。もう霜の降りる月だったが、この村は目の前が
海で日当たりが良くて暖かい。縁側にいると向こうから乞食の親子が歩いてくる。

ここも決して裕福な暮らしをしているわけではない。一日一日清貧に暮らしを続け
ている。

見た目にもわかる「暮らし」なのだが、「得物」がうまく手に入らなかったのだろ
う、その貧相な親子この家にも立ち寄った。

恥ずかしそうに「なにか恵んでいただけるものはありませんでしょうか?」

単刀直入の物言いであった。嫁は隣に座っている姑の顔を横目でちらっと覗いた。

すると老いた姑は「あーたたちゃ(あなた達は)、どっから来なさったか?」

40を幾つかこえているだろうか母親が答える。
「熊本市内の○○というところですばってん、空襲で家を焼かれ無一物になってし
もうてこんな様をしています」

「あーあ終戦の年の7月1日、熊本は米軍のB29に襲われたのは知っとるけど、あ
ん時の空襲かいた(ですか)?」

「はい、私たち夫婦とこの子だけは助かりましたが、姑と下の娘を亡くしました」

「そうな、きつかこつでしたな・・・」泣きながら語る母親の言葉に姑も義母も涙を
溢れさせている。

暫くして姑は土間に下りて行った。そして竹籠に入れたふかしたカライモを5,6個持
ってきて小さな子供が背負っているリックサックに入れてやった。

そしてちり紙に包んだお金を母親の手に握らせ、「私げ(家)もその日暮らしばしよ
ります。少なかお金ですばってん、気持ですけん遠慮せんでよかでばい」と姑。

それから何年も過ぎた。日本は高度成長を遂げ、世は経済発展に酔っているかのごと
き時世。それでも鄙びた農村は「発展」の恩恵には浴さなかった。昔と変わらぬまま。

姑は100歳まであと数年というところで逝った。義母がやっぱり縁側で繕いものを
していた。

「ごめんください」

家の前を流れる小川にかかる橋を渡ってきちんとした格好の青年が入ってきた。

「あさ」の時間になった。朝食の時間だ。中断する!