おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

岡田恵和と「カーネーション」

2012年02月09日 09時46分47秒 | 日記
今朝もとても寒い。

空はさっきまで日が差して明るかったのに、今見上げると雲が厚く今にも雪が降ってきそうな日和になっている。

朝の日常として、7時40分ころに起きて(もう定年退職して現職を退いたのだから遅いけれど許して)、部屋の暖房を入れ、カーテンを開け、台所でお湯を沸かし、神棚の水とお茶を淹れ朝食のテーブルをセットし妻の起床を待つ。

8時に始まるNHKの朝ドラ「カーネーション」を見ながら朝飯をいただく。

さてその「カーネーション」、ほっとな関西人の喜悲劇が展開されるのだが、どうもそのどぎつさに辟易するところもあるし、演出にしっくりいかないところがある以前にも書いたけれど、主役が途中交代するということ。主役の女優さん好演していると思う。なのに年老いたから役者を代えるって芝居の常道ではないと思うけどー

老け役って今の化粧技術でやれば今の女優さんでも十分通用すると思うし、その方が役者としても「やりきった」という深い感激を得ることができるであろうにー

だって無理なキャスティングやってるじゃない。娘達も不自然にどんどん代えていくし長女役と母親役が同じくらいの年齢だったり、挙げたらきりがない。

「おひさま」はキャスティングが自然だったように思う。

この岡田恵和の作品って「ちゅらさん」も良かった。「おひさま」でほとんど毎日感動のナミダを流していたが、それから彼の小説を何冊か購入して読んだ。一昨日「ドク」というこれもドラマ化された作品の小説を読んだ。

ドラマは見ていないけど途中何箇所か読んでいて涙した部分があった。決して難しい表現ではないし、人間の何気ない生き様をとても純粋に綺麗に描き出す。

「ドク」はベトナム人の留学生で、豊かで発達した文明の下で暮らす日本人から「遅れた人種民族」と蔑まれ差別を受ける。それを支えようと必死になって動き一緒になって悲しみ日本人の非人情さに憤る。

どこにでもありそうなエピソードなのだが、しっかりと本質を捉えている。

小説を読んで心が仄々としてくる作家っていっぱいいるわけじゃない。

最近読んだものでは重松清、糸山秋子、浅田次郎。現在読んでいる少し毛色が違うけど、藤原伊織の作品が夢がある。惜しい作家を失ったものだ。

今、その藤原の本と後久保田展弘の「日本の宗教とは何か」(再読)、山折哲雄の「西行巡礼」、それから新書で「孫文」を読んでいる。

寒い時期には温泉に入るか、読書をするかしかない。この二つは同時平行に実践できる。