今日の天気は
のち
めっちゃ曇って来た…
明日は葵祭…。開催されるかな?
GW明けの先週土曜日(9日)、5月末(土日祝のみ)まで特別公開されている
総見院に行って来ました
総見院は大徳寺の22ある(凄っ
)塔頭の一つで、
本能寺の変で自刃した織田信長の一周忌に
豊臣秀吉によって建立されました。
寺名の「総見院」は信長の法名から名付けられました。

正門と土塀は、秀吉公が建立した当時のままの姿で現存しているそうです。
土塀は「親子塀」といわれるもので
塀の中にもう一つ塀があって、中に隙間があるんだそうな。
そこに、昔の武士は隠れたり
大事な物を隠したりしたんやって。面白いね~
本堂には、運慶・湛慶の流れをくむ当代一の仏師康清作の

等身大の信長公木像があります。(看板の写真の切り抜きです
)
あまりのそっくり具合に秀吉公も驚いたのだとか。
へぇ~、こういうお顔だったのね~。
この像は2体作られ、1体は信長公の葬儀で荼毘に付されたのだとか。
本能寺では信長公の遺骨とか出てこなかったそうやから
信長公の代わりにしはったのね。
…一方、由縁あって変後遺骨を持ち帰って供養したというお話が阿弥陀寺にあります。
こちらも以前訪問してんけど
写真を誤って全部消してしまったという…おバカまろりんこ
興味のある方は是非行ってみてね

正門前にある『信長公廟所』の碑。
そうなんです、ここ総見院には信長公をはじめとする
一族のお墓があるのです。

真ん中が信長公のお墓。向かって右が嫡男信忠公、左が二男信雄公。

信長公の正室、濃姫のお墓。

側室お鍋の方…の墓石だけ何故か石?

信長公の長女、徳姫のお墓もここにあるんやね。
境内には3つの茶室もあり
一休さんの書きはった掛け軸などもあります。
そのお茶繋がりなのか

茶筅塚があるんやけど

お花入れが茶筅に、お水入れが抹茶茶碗になってて面白い

お茶人に珍重される侘助椿
樹齢なんと400年
幹がめちゃ太くてビックリ

こんなお花が咲くそう。秀吉公お気に入りの椿やったんやて

加藤清正が朝鮮出兵の時に持ち帰った石を彫り抜いて作った掘り抜き井戸
今でもこんこんと水が湧き、使ってはるそうです。
それにしても、清正は朝鮮出兵の大変な帰路に
何でこんなデカい重い石をわざわざ船に乗っけて帰ったのか?
それは、帰りは船が軽くなってしもたから…という
ちょっと怖いリアルなお話
境内の外には立派な袴腰の鐘楼があります。

信長公の家臣・堀久太郎秀政が寄進したもので、創建当時のもの。
『信長協奏曲』を読んでる私は「あの久ちゃんが…
」って感じ

頂いたご朱印です
「施無畏(せむい)」と書いてあります。
「何ものをもおそれない力を与えること」との意で
無施畏者は観世音菩薩の別名だそうです。
書き置きやけど素敵な和紙に書いてありました~
次回は5月10日まで特別公開されていた
大徳寺を紹介します


めっちゃ曇って来た…

明日は葵祭…。開催されるかな?
GW明けの先週土曜日(9日)、5月末(土日祝のみ)まで特別公開されている
総見院に行って来ました

総見院は大徳寺の22ある(凄っ

本能寺の変で自刃した織田信長の一周忌に
豊臣秀吉によって建立されました。
寺名の「総見院」は信長の法名から名付けられました。

正門と土塀は、秀吉公が建立した当時のままの姿で現存しているそうです。
土塀は「親子塀」といわれるもので
塀の中にもう一つ塀があって、中に隙間があるんだそうな。
そこに、昔の武士は隠れたり
大事な物を隠したりしたんやって。面白いね~

本堂には、運慶・湛慶の流れをくむ当代一の仏師康清作の

等身大の信長公木像があります。(看板の写真の切り抜きです

あまりのそっくり具合に秀吉公も驚いたのだとか。
へぇ~、こういうお顔だったのね~。
この像は2体作られ、1体は信長公の葬儀で荼毘に付されたのだとか。
本能寺では信長公の遺骨とか出てこなかったそうやから
信長公の代わりにしはったのね。
…一方、由縁あって変後遺骨を持ち帰って供養したというお話が阿弥陀寺にあります。
こちらも以前訪問してんけど
写真を誤って全部消してしまったという…おバカまろりんこ

興味のある方は是非行ってみてね


正門前にある『信長公廟所』の碑。
そうなんです、ここ総見院には信長公をはじめとする
一族のお墓があるのです。

真ん中が信長公のお墓。向かって右が嫡男信忠公、左が二男信雄公。

信長公の正室、濃姫のお墓。

側室お鍋の方…の墓石だけ何故か石?

信長公の長女、徳姫のお墓もここにあるんやね。
境内には3つの茶室もあり
一休さんの書きはった掛け軸などもあります。
そのお茶繋がりなのか

茶筅塚があるんやけど

お花入れが茶筅に、お水入れが抹茶茶碗になってて面白い


お茶人に珍重される侘助椿
樹齢なんと400年



こんなお花が咲くそう。秀吉公お気に入りの椿やったんやて


加藤清正が朝鮮出兵の時に持ち帰った石を彫り抜いて作った掘り抜き井戸
今でもこんこんと水が湧き、使ってはるそうです。
それにしても、清正は朝鮮出兵の大変な帰路に
何でこんなデカい重い石をわざわざ船に乗っけて帰ったのか?
それは、帰りは船が軽くなってしもたから…という
ちょっと怖いリアルなお話

境内の外には立派な袴腰の鐘楼があります。

信長公の家臣・堀久太郎秀政が寄進したもので、創建当時のもの。
『信長協奏曲』を読んでる私は「あの久ちゃんが…



頂いたご朱印です

「施無畏(せむい)」と書いてあります。
「何ものをもおそれない力を与えること」との意で
無施畏者は観世音菩薩の別名だそうです。
書き置きやけど素敵な和紙に書いてありました~

次回は5月10日まで特別公開されていた
大徳寺を紹介します
