今日の天気はのち時々しびしび
ちょっと日が開きましたが、前回の続きです
室津の町並みを抜けて
賀茂神社へ向かいました。
石鳥居をくぐると、右手に
たくさんの蘇鉄が群生しています
これらは日本列島北限の野生の蘇鉄なんやて~
四脚門
門の看板には「平清盛参拝の社」と書かれています。
平清盛が高倉上皇と厳島神社へ参拝する折、
ここ室津で一泊し、
この賀茂神社を詣でて旅と海上安全を祈願したそうです。
前回もお話したけど、
江戸時代には沢山の西国の藩が参勤交代で
ここ室津を経由したので
室津港はとても栄えました。
シーボルトも賀茂神社を訪れたそうですよ~。
四脚門の裏手にまわると
こんな張り紙が。
「馬足の龍」??? 何やろか???
矢印の先を見上げてみると…
ほんま 龍の前足が馬のヒズメや
これは珍しいね~
四脚門をくぐると、さらに珍しいものが
右が本殿で、左が拝殿。
え通路を隔てて離れてる~
何とも珍しいこの形態、「飛び拝殿」と言うそうです
本殿
主祭神は、京都の上賀茂神社と同じ賀茂別雷神です。
本殿を中心に五つの社殿が並びます。
絵馬堂には
いろんな奉納絵馬が。素敵
これは明治に奉納された絵馬。
年月が経ち大分絵や字が薄れてるんやけど
どういう絵なのか気になって
読める所だけで調べてみたら…
どうやら「日本最後の仇討ち」である『高野の決闘』のお話みたい(多分)
明治時代に入ってからの
「もう一つの忠臣蔵」と言われている赤穂藩の仇討です。
この仇討がきっかけになって
明治6年に「仇討禁止令」が出来たんやて~。
本殿の左側にある
愛の榊
二本の榊が途中から一本になってるから不思議
境内を抜けて、もう一方の参道へ行ってみると
こちらからの風景もイイね~
シーボルトも絶賛した風景が広がります
穏やかな海や~
梅が咲いて来てる
頂いたご朱印です
「室津の町を楽しんで行って下さいね」と声をかけて頂き
とても嬉しかったです
室津のある御津(みつ)町のマンホール柄は
海とヤマモモと梅の花。
近くに綾部山梅林があるんやて~。
今まさに見頃みたいやで~
ちょっと日が開きましたが、前回の続きです
室津の町並みを抜けて
賀茂神社へ向かいました。
石鳥居をくぐると、右手に
たくさんの蘇鉄が群生しています
これらは日本列島北限の野生の蘇鉄なんやて~
四脚門
門の看板には「平清盛参拝の社」と書かれています。
平清盛が高倉上皇と厳島神社へ参拝する折、
ここ室津で一泊し、
この賀茂神社を詣でて旅と海上安全を祈願したそうです。
前回もお話したけど、
江戸時代には沢山の西国の藩が参勤交代で
ここ室津を経由したので
室津港はとても栄えました。
シーボルトも賀茂神社を訪れたそうですよ~。
四脚門の裏手にまわると
こんな張り紙が。
「馬足の龍」??? 何やろか???
矢印の先を見上げてみると…
ほんま 龍の前足が馬のヒズメや
これは珍しいね~
四脚門をくぐると、さらに珍しいものが
右が本殿で、左が拝殿。
え通路を隔てて離れてる~
何とも珍しいこの形態、「飛び拝殿」と言うそうです
本殿
主祭神は、京都の上賀茂神社と同じ賀茂別雷神です。
本殿を中心に五つの社殿が並びます。
絵馬堂には
いろんな奉納絵馬が。素敵
これは明治に奉納された絵馬。
年月が経ち大分絵や字が薄れてるんやけど
どういう絵なのか気になって
読める所だけで調べてみたら…
どうやら「日本最後の仇討ち」である『高野の決闘』のお話みたい(多分)
明治時代に入ってからの
「もう一つの忠臣蔵」と言われている赤穂藩の仇討です。
この仇討がきっかけになって
明治6年に「仇討禁止令」が出来たんやて~。
本殿の左側にある
愛の榊
二本の榊が途中から一本になってるから不思議
境内を抜けて、もう一方の参道へ行ってみると
こちらからの風景もイイね~
シーボルトも絶賛した風景が広がります
穏やかな海や~
梅が咲いて来てる
頂いたご朱印です
「室津の町を楽しんで行って下さいね」と声をかけて頂き
とても嬉しかったです
室津のある御津(みつ)町のマンホール柄は
海とヤマモモと梅の花。
近くに綾部山梅林があるんやて~。
今まさに見頃みたいやで~