赤道(あかみち)という言葉をこちらへ越してきて初めて知りました。
里道(りどう・さとみち)と呼ぶこともあるそうです。
古くから利用されていた道で、道路法の適用のない、番地もない法定外公共物の道は、
公図上に赤色で着色することが義務づけられていたことから「赤道(あかみち・あかどう)」と呼ぶそうです。
近くの山裾にその「あかみち」が通っています。
子どもなら二人並んで、大人は一人が歩いて通るのがやっとくらいの細い道です。
車がなかった時代はこれでよかったのです。
ほっておけば、草むらの中にすぐにも消えてしまいそうな道です。

人が歩いているのを見たことがありませんが、
近所の人が草刈りなどをして、道の手入れをしているようです。
その「あかみち」に、今年も「道切り」の新しいしめ縄が掛けられました。

「道切り」とは村の出入り口や辻に、悪霊や疫病が入ってこないように注連縄を掛ける風習です。
同じ場所に、山の神様も祭られていて、お神酒や米を供えます。
普通の道路から「あかみち」に入ると、突然雰囲気が変わります。
少し歩くと、荒れた竹やぶの中に入り左右に道が分かれています。
そこにも「道切り」がしてありました。

左へ少し歩くと、集落の中へと入っていきました。
何となく昔の道筋が理解できました。
里道(りどう・さとみち)と呼ぶこともあるそうです。
古くから利用されていた道で、道路法の適用のない、番地もない法定外公共物の道は、
公図上に赤色で着色することが義務づけられていたことから「赤道(あかみち・あかどう)」と呼ぶそうです。
近くの山裾にその「あかみち」が通っています。
子どもなら二人並んで、大人は一人が歩いて通るのがやっとくらいの細い道です。
車がなかった時代はこれでよかったのです。
ほっておけば、草むらの中にすぐにも消えてしまいそうな道です。

人が歩いているのを見たことがありませんが、
近所の人が草刈りなどをして、道の手入れをしているようです。
その「あかみち」に、今年も「道切り」の新しいしめ縄が掛けられました。

「道切り」とは村の出入り口や辻に、悪霊や疫病が入ってこないように注連縄を掛ける風習です。
同じ場所に、山の神様も祭られていて、お神酒や米を供えます。
普通の道路から「あかみち」に入ると、突然雰囲気が変わります。
少し歩くと、荒れた竹やぶの中に入り左右に道が分かれています。
そこにも「道切り」がしてありました。

左へ少し歩くと、集落の中へと入っていきました。
何となく昔の道筋が理解できました。
なんだか迷路みたい!お写真では、入ったら出られないように見えます。
けれど、こんな道を残しているところに「祈り」を感じます。
最初普通の道路脇から、この道への入り口を発見して、覗いた時は、ちょっとドキッとしました。
来年は稲藁で縄を編んで、ミョウガの葉や紙垂れを挟んだり、椿の葉に米を供えたりの行事に、参加することになりそうです。
竹やぶの広がりを抑えるのは本当に大変で、
この道の上には氏神様や小さなお寺、そして中世の山城跡がありますが、かなりの範囲が竹やぶに覆われてしまっています。
そうなんですか。
車で走っていても、竹やぶが増えてることを残念に思います。
若い頃ならまだしも、この歳では竹やぶに立ち向かうのは難しいでしょうね
その時を過ぎると固いし、量も大きくて大変です。
根は浅いけれど、縦横に伸びて防ぐのが難しい。
何でも竹で作っていた時代は、もう戻ることはないですね。
訪問ありがとうございます。
私は三重県のことを、つい数年前まで全然知らなかったので、今は何でもへ~と驚いたり感心したりして楽しんでいます。
そしてもちろん長崎のことも、埼玉のことも、秋田のことも全く知りません。ここで(ネットで)思ってもいない世界との出会いがあり、自分の中に新たな部分が生まれていくのを感じています。
どうぞよろしくお願いします。