新聞の地域欄に、
゛・・・津島神社(愛知県)の神札を祀る行事(天王祭)として
佐田西出地区では毎年藁で「祠」を作っている。今年も地域の住人28人で祠(ほこら)が作られた・・・"
という記事があったので、早速見に行ってきました。
「織殿神社」の近くの集落の中のT字路に立つ常夜灯の横にありました。
竹と藁で作られています。
頭部に藁を積み上げたユニークな姿に伝統を感じます。
美しい「形」です。
「ここだけやなく他の地区でも作っとったけど、
毎年、藁で造り替える作業が人手不足で続けられんようになって
石の祠に換えてしまったようやな
以前はこの藁の祠作りの作業を、短時間で完成出来たけど、
今は時間もかかって大変や
昔は頭部は、3つの山のような形に藁をもっと厚く積み上げてた・・・」
というような事を近所の人が話してくれました。
中には「津島神社のお札」が供えられています。
ウィキペディアによれば
『・・・津島神社は東海地方を中心に全国に約3千社ある津島神社・天王社の総本社で、その信仰を津島信仰という。
津島神社が諸国に勢力を拡大した背景には、御札を配って祈祷を行う津島御師の活動が大きく、
織田信長は御師の布教活動を保護し、尾張藩もこの保護政策を継承して他領での布教活動に許可を与えた・・・』
とのことです。
津島神社の天王祭は水と火の壮大華麗な祭りです。
祇園祭りで有名な京都の八坂神社(祇園社)も、津島神社(津島牛頭天王社)同様、
祭神は牛頭天王でしたが、明治の神仏分離令以降、どちらも祭神は須佐之男命となっています。
私が住む小さなこの町に「疫病退散」「厄除け」として、
牛頭天王を祭神とするささやかな祭りが今も伝承されています。
今週の土曜日は隣村の天王祭(花火大会)です。
牛頭天王を祭った隣村の社は失われていますが、祭りは続いています。
信仰の不思議、「蘇民将来」の根強さが興味深いです!
明治の神仏分離令で祭神を無理矢理変えられた各地の神社の多くは
須佐之男命(スサノオノミコト)を祭神にしています。
祭神などずーっと変わらないものだと思っていましたが、
意外と多くの神社の祭神が明治以前は違ったのです。
いろんな祭りの形が残っているものですね。
コメントありがとうございます。
秋田には藁人形の道祖神?がありますね。
やはり外から悪い病気などが入って来ないようになどの厄除けで、定期的に造り替えると聞いています。
似ている気がします。