
白川通りから路地を入ったところに「白川温泉」という名の銭湯を見つけました。
宮造りが多い中で、昔の小学校のような構えが個性的。
毎年毎年銭湯が廃業していく中で
頑張っている銭湯を見ると嬉しくなりますが、
ン十年前には随分利用していたものの
現在は全く行かないのに、傍からそんなことを言って喜んでるなんて無責任な話。
申し訳ないことです。
でも、ありました!
京都中の銭湯に入ってルポをしているサイトが!
銭湯を応援しようと思ったらやっぱりここまですべきなんだろうな
「お風呂屋さん的京都案内」
http://www004.upp.so-net.ne.jp/ofuroyasan-teki/ginkakuji3.html#白川温泉
見事なレポートです。
2008年の最新情報も記載されています。
ご一読を。
家族4人で毎日ということになると一人410円は結構大変です。
でも、ゆっくり熱いお湯に入って、
たっぷりのお湯で体中を洗ってさっぱり出来ることを思うと
一人で時々行くなら、決して高くない金額です。
私は中京の有馬湯さんの近くで育ちました。毎日、「喫茶セブン」の前を通って学校に通っていました。また、息子達は高校時代衣笠温泉に部活の仲間と部活帰りに寄っていたようです。あの、汚い男の子たちを受け入れていただいたことに感謝していました。先生の悪口やプレイの反省など裸のミーティングをしていたようです。などなど、懐かしい思いで見せていただきました。
うちでは息子達の友達が来るとお風呂屋さんに行ってもらいます。家のお風呂をきれいにお掃除する手間を省きたいというのもあるのですが、友達と大きなお風呂で話をするのもいいかなあ・・・。って思います。
京都のお風呂屋さん、がんばってほしいですね。
あけましておめでとうございます。
ことしもどうぞよろしく!
有馬湯さんも、喫茶セブンも健在なようす。
ユニークな喫茶店のようですね。
うれしいですね。
祖母は元気な頃、内風呂には入らず、
夕方かならず相生湯に行っていました。
そのころお風呂屋さんは近所の社交場でした。
赤ちゃんを連れてくるお母さんがくればみんなであやしたりして可愛がっていました。
長風呂しながら、旅行の相談やなんだかんだ、
お風呂屋さんは祖母たちにとって、
とても大切な場所でした。
また、従兄や叔父たちが来たときも、
内風呂には入らず、まずは相生湯へ行っていました。
その時は子どもたちも一緒に行って水風呂に入ったりして遊び、脱衣場ではスコールなんかを飲んで楽しそうでした。
残念ながら2年前に相生湯は廃業してしまいました。
後継者がいなくて廃業するところも多いそうです。
お風呂屋さんをやってみよう、という若い人が出てくるといいな。
相生湯あたりは、下宿街でもありました。
祖母も戦後すぐに下宿をはじめて、
年をとって動けなくなるまで「まかない」もしていました。
2年前に家を改築するまで、途切れることなく
下宿生がいました。
中には大学を卒業して、就職して、結婚して、子供が出来ても、そのまま離れに住んで、定年になってン十年ぶりに国へ帰った人もいます。
わが家は主に学生でしたが、松竹の撮影所があったときは近所に多くの俳優さんたちも下宿していました。お風呂屋さんと下宿生、切っても切れないものだったのですが、