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マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

「こどものとも」 Ⅱ

2016-02-07 | book
1956年には、30円で何が買えたのでしょう、「こどものとも」は高かったのでしょうか?
安かったのでしょうか?
年間購読料408円送料込み!

この本には見本の判が押してあります。
どのようないきさつで、
「こどものとも」をとることになったのか分かりませんが、
私が本好き、物語好きになるきっかけだったことに間違いありません。

「こどものとも」裏表紙には作者からのメッセ-ジが小さな文字で書かれていました。
ほとんどは「こどものとも」を手にとる親や教師に向けて書かれていました。

「セロひきのゴ-シュ」では
周郷博が「おかあさんと教師よ…」と呼びかけています。
『おかあさんや教師は子どもに教えようと思わずに、
子どもたちと共感の世界を作ってほしい、
詩人になってほしい、
…人生に対する勇気の様なものを、
絵本(物語)の中から、
子どもたちとともに感じてほしい…』と書いています。

また「てんぐのかくれみの」では
岡本良雄が『かくれみのがあったらどうする、』と小学生に訊いたら、
…かくれみのを着て、世界中の原爆や水爆を海の底へ沈めてしまう…
と答えてくれたことを書き、そうしたいものですね…と書いています。

「はるですよ」では『こどものとものこころ』と題して、
競争の渦に巻き込まれるな、と
非人間的なっていく現代のとくに大都会に住む人々の利己主義について
反省を込めて書いています。

いずれの本からも作者らの意欲が伝わってきます。
しかしその後、裏表紙からこの欄は無くなりました。
押しつけがましい、と思われるようになったのかもしれません。

Ⅲへ続く












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60年前の「こどものとも」Ⅰ

2016-02-06 | book
『こどものとも』が創刊60周年だそうです。
創刊時から愛読していました。
本屋さんなど無い所で生れ育ったので、
本は郵便屋さんが持ってきてくれるものでした。
「こどものとも」が毎月届くのがそれはそれは楽しみでした。

絵本ではなくて字の多い本を読むようになっても、
時々引きずり出しては眺めました。
その後、絵本は少し残して、いとこ等に譲ったりしましたが、
時が経ち、
自分に子供が生まれ、絵本が欲しいと思う頃に、
今度は、近所に住む友人が、
自分ちの子どもは大きくなったので、と「こどものとも」をたくさん譲ってくれました。
「こどものとも」との二度目の出会いでした。
その後もふと目についたものを買ったりして、
今も本棚の片隅に並んでいます。

「はなとあそんできたふみこちゃん」与田準一 作、堀文子 画

今見返してみると、
私はこれらの絵本にしっかり影響を受けている…と改めて思います。

「ちいさなきかんしゃ」鈴木晋一 作、竹山博 画


「でてきておひさま」うちだみちこ 案、丸木俊子 画


「セロひきのゴ-シュ」宮沢賢治 作、佐藤義美 案、茂田井茂 画


「マッチうりのしょうじょ」竹崎有斐 案、初山茂 画 


「ダムのおじさん」加古里子 作、画

(写真の本はすべて1950年代に発行された「こどものとも」です。
 最初は30円、1957年には40円、1959年には50円になっています。)

Ⅱへ続く

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『死を待つ都市』

2016-01-26 | book
『人類が知っている全ての短い歴史 上.下』
ビル ブライソン著、2015年、新潮文庫
の上巻を読んでいるところです。
この本は、今私たちが生きて、ここにいて、
生命を、自然を、宇宙を考えている不思議を
科学の歴史をたどりながら大急ぎではあるけれど、
科学者たちの姿も通して、
とにかく見てみようと試みている本です。
その上巻の終りの方の「足元の炎」の項で、
東京が『死を待つ都市』と呼ばれていることを知りました
大地は動き、揺れ、炎を噴き出しています。
世界中どこでもその可能性がありますが、
特に可能性が高い都市として、東京は世界から『注目』されているのです。
「日本はすごい」などと言って浮かれている場合じゃないことは明白です。
地震の巣の日本列島に原発の再稼働なんてありえない、
というのが世界の常識です。

一つのシナリオが浮かびます。
真っ暗闇の未来。
大地震が起きて、
さらなる放射能汚染が広がり、
人が住めなくなり、
日本人は難民となって世界へ散らばり、
やがて日本列島は世界の放射能廃棄物捨て場となりはてる…

地獄への道ではなく、
違う未来へと続く扉をこじ開けなくてはなりません。
どうすればいいのでしょう。


信じられないほど広い宇宙の、信じられないほど小さな原子が、
ほんの一瞬、信じられないほどの束の間、寄り集まって命を宿し、
あっという間にまた宇宙のチリへと帰っていく。
それは本当に瞬間だけど、
地球上のありとあらゆる場所に命が存在する奇跡、
私が存在する奇跡、
すごすぎて、ただぼぉっとするしかないけれど、
その事実を知りたい、
命の秘密を知りたい、と思って考え続けることこそ、
人と他の動物との違いかもしれません。

この本の上巻は宇宙、惑星、地球について書かれていて、
下巻は生命、細胞、私たちまでの道のり…と続くようです。
下巻を買ってこなくちゃ。









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お正月に読んだ本

2016-01-05 | book
お正月前に図書館で借りた新書を2冊を読みました。
どちらも日本の未来を考える上で大切なことを教えてくれる本でした。

『 ヒトラーの側近たち 』
ヒトラーを囲む(崇める)若い閣僚たちが、
急速に出世して権力を手にして、
どのようにヒトラーの狂気を、実行に移して行ったのかが書かれています。
世界経済恐慌のただなかで失業し、生活苦にあえぐ人々は、
軍需産業と関連する重工業等で経済が活性化することを歓迎しました。
そしてユダヤ人を「悪」と決めつけるヒトラーらの
ヘイトスピーチが過激になればなるほど支持者が増えていきました。
ナショナリズムの高揚は、
さらにヒットラーの側近の一人一人の行動を増幅させていくのです。

法治国家が、テロ国家へと転落するまでに、
幾度もそれを押しとどめようとする契機があるのですが、
反対勢力は次々と抹殺されていきます。
そして最後のダムが決壊するともう止めることはできません。

今の日本の状況と重なって見えて来ます。

『 ヒトラーの側近たち 』大沢武雄 著
 2011年、ちくま新書
***************************
『 原発と大津波、警告を葬った人々 』
阪神淡路大震災も東北地方太平洋沖地震も津波も
全く想定外などではなかったということを明らかにしています。
大阪大と京都大の研究者たちからきちっとした文書で報告があり、
警告を受けていたにも拘らず、
神戸市はその内容を無視し、防災対策に盛りこみませんでした。
また東北太平洋沖で大津波が起きる地震が予測されていて、
何度もそのために対策を見直す機会があったにも関わらず、
無視されていたのです。

2001年に東北大の広報誌に簑浦幸治氏は書いています。
津波堆積物の周期性と堆積物年代測定から、
津波による海水の遡上が800年から1100年に一度発生していると推定されました。
貞観津波の襲来からすでに1100年余の時が経ており、
津波による堆積作用の周期性を考慮するならば、
仙台湾沖で巨大な津波が発生する可能性が懸念されます。

しかし警告は誤魔化され、住民には隠され、
安全委員等には圧力をかけ、3,11のその日まで放置したのです。

そして今、
火山学者たちの警告を無視して、
川内原発が再稼働し、
さらに、地震学者たちの調査研究も誤魔化して福井の原発も再稼働へと向かっています。

もちろん地震が起きようと起きまいと、
津波が起きようと起きまいと、
原発は絶対悪だと、私は思っています。
ウランを掘り出す最初から、
廃棄物の処理に至る全ての段階で、
人の命を脅かし、自然を破壊し、
連鎖的に差別を生み出し、原発で働く人の暮らし、
原発の周辺に住む人々の暮らしをずたずたにするのが原発の正体です。

東電の犯罪、日本政府による大掛かりな詐欺は、
個人の一人一人の言動や行動とともにしっかりと検証し
責任を追及しなければ、何度でも同じことが繰り返されるでしょう。

『原発と大津波 警告を葬った人々』添田孝史 著
   2014年  岩波新書







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辺野古「大浦湾の生きものたち」2

2015-10-29 | book
写真は京都の地下街(ゼスト)で行われた写真展のようす(一部)です。
「大浦湾の生きものたち」掲載の写真が展示されていました。

絵葉書大の写真がぎっしりと並んでいます。
写真に添えられた短いコメントがとてもいいのです。
実際にその生物に遭遇した時の、撮影者の感動が伝わってきました。

2007年に発見されたアオサンゴのの大群集、サンゴを折ると中心が青いのだそうです。

これ全部違うサンゴ、次のページも次のページも、

こんな生き物の宝庫を潰して軍事基地にしようなんて、
言葉もない位、愚かな行為です。

多くの人の暮らしてきた大切な場所を奪って軍事基地にしてきたことを、
何とも思わない人間たちなので、
海の生物を奪い殺すことなど何ともないのでしょう。
でも、
日本中の人が皆そんな非常な人間であるわけがありません。
まず、辺野古の海の美しさ、
豊かな自然を多くの人に知ってほしいと思います。

上の写真は、大浦湾の深場で、冬から春の間だけに見られるマジリモク(海藻)の林の写真と
会場でもらったジュゴンの折り紙です。

それにしても、シーシェパードはなぜ「辺野古」に行かないのでしょう。
どこが海洋生物保護活動なのでしょう。
なぜ「大浦湾のジュゴンやサンゴや多くの生き物たちを殺すな」といって、
アメリカ軍や海上保安庁や防衛省に抗議に行かないのでしょう?
シーシェパードは「弱い者いじめの団体」というのが正体のようです。
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「大浦湾の生きものたち」1

2015-10-27 | book
沖縄の大浦湾(辺野古)の生き物たちが、
アメリカ軍の基地建設のために失われようとしています。
現在、日本生態学会をはじめとする21の学会が防衛大臣に対して、
基地建設を見直すよう要望書を提出していますが、
全く無視して、支離滅裂な無法な方法で、
何がなんでも基地建設を強行しようとしています。
いったい、安倍晋三は、アメリカにどんな脅しをかけられているのでしょうか。

この本は大浦湾を望む名護で生まれ育った人たちを中心に、
大浦湾の自然、大浦湾の今を発信する活動を続けている
「ダイビングチームすなっくスナフキン」が作った本で、
A5版、123ページ、オールカラーの生き物図鑑です。

パラパラとめくっただけで、
その生き物の種類の多さに圧倒されます。

これ全部ウミウシ、色とりどりのウミウシの小さな写真がびっしり並んでいる数ページには鳥肌が立ちます。

上の左ページ中ほどの、シンデレラウミウシ、
目はどこでしょう。
サンゴだって、海藻だって、こんなにたくさんの種類があるとは!
色も形も全部違います。その生態もそれぞれ全部違うのです。
こんなにも多くの種類の生き物が、生まれ、育ち、暮らしている大浦湾の豊かさに感動です。

この本では、河口、干潟、海草藻場、泥場、砂地、がれ場、沖、瀬、
更に森、川と言ったそれぞれの環境に生きる生き物たちを紹介しています。

下の写真はカツオノカンムリ、三角形の帆を立てて波間を漂うクラゲの仲間だそうです。
いつか見てみたいです。
そして辺野古の浜で、貝殻やサンゴのかけらを探しながら歩きたいと思います。


『大浦湾の生きものたち』
  ダイビングチーム・すなっくスナフキン/編
  南方新社    2015年9月   定価2000円+税

「2」へ続く
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「レッド・ツェッペリン」と「メンフィスミニー」

2015-08-19 | book
8月6日、ジミーペイジが44年振りに再び、広島の原爆慰霊碑を訪れ、
献花したそうです。

レッドツェッペリンの美しいメロディとカッコいいリズムと
爆音とあの発声法は今でもハードロックの王道です。

ツェッペリンから繋がって、
いろいろ思い出されることがあります。

映画「依頼人」グリシャム原作のサスペンス。
 主人公は11歳の少年マーク、
 殺人を目撃したために弟ともにギャングに命を狙われます。
 助けを求めて走り回りますが、警察は情報だけ欲しがって、
 マークたちの命など何とも思っていないことがわかります。
 そんな時、マークが出遭ったのは、うらぶれた女性弁護士、レジー。
 マークのポケットに入っていた、たった1ドルで、
 少年と弟と彼らの母を守る、と約束するのです。
 マークはその時もう大人を信用できなくなっていますが、
 マークのTシャツを見たレジーが「レッドツェッペリンが好きなのね、私もよ、」
 と言います。
 マークは「知りもしないくせに、大人はそういうことを言う、」
 と反発し、「じゃあ4番目のアルバムのタイトルは?」と聞きます。
 その日の別れ際に、「レッドツェッペリンのアルバムにタイトルは無いけど
 Ⅳと言えばファンにはわかるの。」とレジーは言って笑うのです。
 印象的なシーンでした。勿論それでレジーは少年の信頼を得るのです。


そのアルバム「Ⅳ」に入っている天国への階段はあまりに有名ですが、
B面の、最後の曲、
レヴィー・ブレイク」がミシシッピー河の大洪水で家族や家や耕作地を失った
多くの農民たちの苦しみを唄った歌だということを、
先日たまたま読んだアメリカの小説『たとえ傾いた世界でも』の中で、初めて知りました。
ここ(ユーチューブ)で1927年の洪水の写真と原曲を聴くことができます。
ブルースギタリスト、メンフィス・ミニーの曲で、
メンフィスミニーは1930年から1960年にかけて活躍した黒人のブルースシンガーです。
  
メンフィスミニーの動画はありませんが、
ギターと歌声を聴くことができます。
ローリング・ストーンズやエリック・クラプトンが多くの黒人のブルースに影響を受けたように、
レッドツェッペリンも黒人の音楽に強く影響を受けています。
ロックミュージックの魅力の源です。
そしてまた、レッドツェッペリンの影響を受けているロックバンドは世界中に数知れません。
*************************************
『たとえ傾いた世界でも』
2014年08月
著者/編集: トム・フランクリン, ベス・アン・フェンリイ
出版社: 早川書房
サイズ: 新書
サスペンスですが、とても味わいのある小説でおもしろかった!
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『わたしが外人だったころ』鶴見俊輔

2015-07-24 | book
高校生の頃、
鶴見俊輔らの出していた「思想の科学」を一生懸命読みました。
それらの本を通して「考える」ことを学びました。
今朝「鶴見俊輔」が亡くなったことを聞いて、
思い出したくない高校生の頃のことなど少しだけ思い出しています。
戦後70年の平和、と言っても、ベトナム戦争の頃、
日本の各地のアメリカ軍の基地から次々と戦闘機がベトナムに向かって飛び立ち、
ベトナムで爆弾を落し、枯れ葉剤を蒔き、人を殺し続けていたのです。
アメリカ兵の死体も日本の基地からアメリカに送り返されていました。
人は何でこんなひどいことが出来るのだろうと思い、
同時に自分の無力さを知りました。

「たくさんの不思議・わたしが外人だったころ」が出版されたのは1995年、
今年の5月に傑作集としてハードカバーになって出版された本を、
この間図書館で見つけて借りてきました。
鶴見俊輔は15歳でアメリカに行き、
「日本が負ける時は日本にいたい」と考え、19歳のとき交換船に乗って日本に帰ります。
そして直ちに徴兵されジャワに連れて行かれます。
敵国のラジオを聴いて翻訳して書け、と命令されます。
鬼畜米英の声が飛び交う中で、
鬼畜は自分のことだといつもおびえたそうです。
アメリカで「外人」として過ごし、日本に帰っても「外人」だったのです。
読者は、「国」って何だろう、「日本人」「外人」ってどういうこと?
とおのずと考え、「日本人」「ニッポン」と声高に喚くことに恥ずかしさを覚えるかもしれません。
そうやって考えることの大切さをこの本は伝えています。




 『わたしが外人だったころ』
      鶴見俊輔 文   佐々木マキ 絵     
          たくさんのふしぎ傑作集   2015年5月(1995年、7月) 福音館


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3.11「アノヒカラ・ジェネレーション」

2015-03-11 | book
二十歳前後に地震と津波と原発事故という
あまりに過酷な出来事を体験した若者たちに、
直接インタビューをして書いた本(ドキュメンタリー)を紹介したいと思います。
本書を企画しインタビューを実行し、執筆し、編集したのも同年齢の若者、
被災者の一人です。

1990年から1993年生れの若者8名のそれぞれの3・11と今が語られています。
若者のまっすぐで柔らかい感性と諦めない意思が伝わって来て、
心が熱くなります。
彼らが今何を考え何を学び、どう生きているのかを知ることは
被災地から遠く離れた場所に住んでいる私にとっても、
これからどう生きていくべきかを考える上で大切なことです。

毎日、日本のどこかで、
反原発(再稼働反対)のデモや集会や、
基地建設反対のデモや集会などが行われ、
多くの人が参加し発言していますが、
新聞やテレビはほとんど無視する姿勢を決め込んでいるようです。
真実は自分で動いて探したり、聞いたり、見たり、学んだりしなくては見つかりません。

世界を救うものがあるとしたら、
それは若者たちが抱く希望です。
希望のかけらを私も大切にして生きていきたいと思います。

アノヒカラ・ジェネレーション
東日本大震災と東北の若者
笠原伊織 著


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『ボラード病』吉村萬壱

2015-02-12 | book
福島の原発の事故からもうすぐ4年、
たった4年で過去に追いやられようとしています。
あったことをまるで無かったかのように、
誰も責任をとらず再稼働を言い募るというおぞましい事態が進行しています。

この小説『ボラード病』は
あくまで小説で、架空の町「海塚市」の物語ですが、
福島かもしれないし、日本の地方都市のどこかかもしれません。

海塚市には大災害があったけれど、復興を果たしたとして、
人々は町に戻っています。
学校では「ふるさと海塚」を讃える教育が行われ
たえず「海塚」の歌を唄い皆で海塚を愛する気持ちを確かめあいます。
海塚産の野菜や果物は一番美味しく魚は新鮮です。
町では「絆」が絶えず強調されます。
表だって反抗的な言辞や態度を示す者はある日どこかに連れていかれて消えてしまいます。


主人公は母と二人で暮らしている小学生。
母は地元のスーパーで食料品を買うのですが娘には決して食べさせません。
娘には寄付をしていると言うのですが、実際には捨てている事を娘は知っています。
災害から8年経って、クラスの友達が急に何人も入院し次々亡くなります。
葬儀で、遺族や町の人々は、
「○○は海塚の風になった、海塚の自然に帰った、私たちの心の中に生きている、」と言うのです。


母の苦しみと娘の苦しみと、
それぞれの苦しみが頂点に達するかと思う時、
娘はある日、ボランティア活動の中で、ふっと楽になったことを発見します。
なんだ、こんなに楽に息ができる、と。
明るくなった主人公の顔を見て母が言うのです。
「同調したのね」

物語の底から慟哭が聞こえます。

日本の小説と翻訳ものの海外の小説と半々くらいに読んでいますが、
大抵の日本の小説は毒が無くて生ぬるく感じます。
でもこの小説には毒があります。
毒は大切です。

静かに忍び寄るファシズムの不気味な姿が浮かび上がってきて、
苦しくて、悲しくて、怖ろしくて凄い小説でした。
*ボラードとは港などで、船を繋ぐ紐などをひっかけて結びつけるための、
 鉄などで出来たキノコ型の杭のようなモノのこと。

ボラード病2014・文芸春秋
   吉村萬壱 著(1961年生まれ、2003年芥川賞受賞)


              



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