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marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(875回) 不思議なこの国の物語⑧「徳」が「川」のように途絶えず流れる

2021-06-03 15:16:48 | 歴史

◆彫刻家の作者が如何にギリシャ彫刻が得意だったとしても、あまりにその像の面構えはこの国の人では無いな。家康の父親は松平広忠。松平郷を治めていた2代目の重信の時代に旅の僧である徳阿弥(とくあみ)を娘婿に迎える。そう簡単に「徳」とか「阿弥」(あの阿弥陀仏とかの阿弥だ!)付けられたものだろうか? それはさておき、徳阿弥は僧侶から俗人へ戻り、名前を松平太郎左衛門親氏(ちかうじ)と改名する。家康の初代、祖先となったのだね。

◆ここで覚えて欲しい。各地の豪族が勢力拡大する中に於いて、親氏は近隣諸国を平定、西三河北部を平定するようになる。僧侶でもあったから、貧しい人々の救済や道路の整備などをおこない慕われていたらしい。そのなかで、彼は僧侶として何を信心していたのだろうなと思う。彼の信じていたものは、これという目に見える信心対象にはなかったのではないだろうか。いろいろな宗派の宗教を家康は保護していたのだから、天皇をも。いろいろな神社や寺にも徳川の葵のご紋が見られるし。彼は見えぬ次元の異なる神を信じていたんだ。

◆まさに、徳阿弥は前回書いた、もっと次元の異なる未来の予測も出来、国造りのコーディネーターとなるべく、昔、この国に渡来した集団の血を引く一員の信仰を持っている者だったと思われるのである。彼の信仰の集団の情報網は、凄いものだった。理想の国造りに、ふさわしい武将がいれば、みずからが敵国になっていたとしても、この国の理想の国造りを優先して代々、加担していたのだ。大陸で経験してきた、理想国家のあり方、王(天皇)を尊重し、法律を作り、宗教を保護する。ここで、民衆を平定するには、宗教が大切なものだったことを知っていたのです。

◆徳阿弥の遠い祖先は、縄文時代から多数遺跡のあった、昔、あの江戸と呼ばれたまさに日本の中心としての位置を知っていたのである。遠い昔、どういう人々が太陽がのぼる国を求めて旅をし、あの地に多く住むようになったのかを。それは古代から、永遠の故郷を求めて太陽の昇る地を求めてひたすら旅を続けてきた割当ての地がなかったレビが引き連れてきた一団だったのである。


世界のベストセラーを読む(874回) 不思議なこの国の物語⑦なぜ「松平」から「徳川」になって天下統一をしたのか

2021-06-03 06:11:28 | 歴史

◆今という時だけで無く、過去から未来まで少なくとも推測して、今という時を十分ベストを尽くせるよう意識して生きて行くことにしよう。歴史の主人公たる人のやる気を大切にしよう。能力を伸ばして、国の為に貢献してもらおう。あわよくば、そう思っている自分らの利益にもなるように・・・・。しかし、みずからは歴史の表舞台に出ず、チャンスという可能性を出来る限り主人公となるべく彼らに与えることだ。そう、背後に控えるブレーンたるプロデューサーは考える。そして、彼らは、決して表には出てこないが、世界に散らばっている。出てくるとすれば、名前を変え歴史に名を残すが、消滅するとも構わないことを知っている。しかし、彼らの集団からすれば、突然変異と見なされ悲しまれる。我らの、思いは歴史のドラマを行うこの地上の舞台と天上の間の次元の異なるところにある。地上の人々も、彼らの思いの軌道にのれば、きっと幸せになれるだろう、少なくともこの地上に於いては・・・。突然に人生訓のようですがそうではなく。。。

◆なぜ『徳川』という名前を名乗るようになったのだろう。そのきっかけとなった人には、歴史の表舞台でない背後のブレーンが古来から沢山いた筈です。敵とか味方とかに関係なく、どにでも存在していた筈で、ネットワークに情報を持ち、もっとも時勢において正しいと彼らが判断した時の武将に加担したのです。時勢において正しい? これは徳川家康が、実に多くの書物を読み、神仏の求めているその究極の存在、歴史に動かすその何者かを察して、それにより天下統一を図ろうとしていたことに賛同した目には見えぬ集団の存在があったからだと思われるのです。

 ◆徳川家康は24歳まで「松平」という姓だった。愛知県豊田市の『松平郷』には、背丈が2m以上もある不思議な人物像がある。これはどう見ても日本人ではない。そして、この人の名前は「徳阿弥」というのだそうだ。ここに「徳」と「阿弥」という文字が出てくる・・・。これも不思議な名前だと思いませんか?