marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(883回) 不思議なこの国の物語⑯モーセのエクソダスと歴史の筆記者

2021-06-10 07:52:07 | 歴史

◆日本には多くの神社がある。名前も異なり歴史も古く、いわれのある大きな形ばかりでも崇拝される大きな神社があり、しきたり、行事が行われる。日本中にある八幡、諏訪、伊勢、香取、鹿島・・・。しかし、その根本たる信仰たる根本の由来は、記紀以前の古代から知られている神々である。神々は、記紀に書かれている当時の時代の活躍者である。けれど、僕はいつも思うのは、結局、それを第三者としてながめて書き著わしたのは、誰か、どうゆう集団であったろうかということだ。無論、記紀の作者は名前だけは分かる、しかし、言葉で客観的に文字で著わすという時代は、人の歴史ではつい最近のことなのだ。時代が下りその時代の為政者に影響を及ぼし、無論、大きな成果があったから、それらの社殿は、当時の権威を背景に建てられている。

◆遠い西のあのメソポタミア文明の発祥の地で、神と人との間を取り持つレビ<司祭>が起源前にあの時代、あの場所で発生した。彼らは、天空からの神々の摂理を知って筆記者となった人々がいたのである。決して表には出てこない。時代が下り、地上で選ばれた彼らは、モーセに引きつられてエジプトからの脱出を図ったが、各部族の<司祭>の役割として、みずからの部族には割り当ての地がなかったから、国破れて彼らは、長い時間を掛け、太陽が昇る東の国を目指して旅を続け、この日本に多く流れ着いていたのである。縄文遺跡が多く見つかる場所、それは今の首都がある東京湾周辺であった。徳川家康がなぜ、松平から徳川に名前を変え、多くの宗教を保護し、あの場所に江戸を開いたのか、それは、それらの底辺に流れるDNAを引き継いで理想の国造りを目指していたその集団のネットワークがあったからである。(874回参照)

◆1万年も続いた縄文時代、日々の生活に山や川や海での食料調達に、人々は生きていく上では、それらの日々の授けてくれる物に感謝崇拝の念を持って行った。狩猟生活から米が入り、定住生活が始まり、その領土の拡張も行われ、貧富の差が出来ていく。しかし、おおもとの宗教性は、敵味方関わらず命を与える上位の次元への願いと思いであったが、境界を争うようになれば、それぞれにみずからの戦にも勝利祈願する神々を建てることになった。しかし、そのような地上の勝敗より、もっと上位の神の支配の存在から客観的に地上の歴史を見つめ、時代により廃れゆく人の歴史上に理想の国をたてようともくろんだ集団のそれぞれのラビ達が、みずからの神社をこの国の至る所に建てたのであった。