marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(874回) 不思議なこの国の物語⑦なぜ「松平」から「徳川」になって天下統一をしたのか

2021-06-03 06:11:28 | 歴史

◆今という時だけで無く、過去から未来まで少なくとも推測して、今という時を十分ベストを尽くせるよう意識して生きて行くことにしよう。歴史の主人公たる人のやる気を大切にしよう。能力を伸ばして、国の為に貢献してもらおう。あわよくば、そう思っている自分らの利益にもなるように・・・・。しかし、みずからは歴史の表舞台に出ず、チャンスという可能性を出来る限り主人公となるべく彼らに与えることだ。そう、背後に控えるブレーンたるプロデューサーは考える。そして、彼らは、決して表には出てこないが、世界に散らばっている。出てくるとすれば、名前を変え歴史に名を残すが、消滅するとも構わないことを知っている。しかし、彼らの集団からすれば、突然変異と見なされ悲しまれる。我らの、思いは歴史のドラマを行うこの地上の舞台と天上の間の次元の異なるところにある。地上の人々も、彼らの思いの軌道にのれば、きっと幸せになれるだろう、少なくともこの地上に於いては・・・。突然に人生訓のようですがそうではなく。。。

◆なぜ『徳川』という名前を名乗るようになったのだろう。そのきっかけとなった人には、歴史の表舞台でない背後のブレーンが古来から沢山いた筈です。敵とか味方とかに関係なく、どにでも存在していた筈で、ネットワークに情報を持ち、もっとも時勢において正しいと彼らが判断した時の武将に加担したのです。時勢において正しい? これは徳川家康が、実に多くの書物を読み、神仏の求めているその究極の存在、歴史に動かすその何者かを察して、それにより天下統一を図ろうとしていたことに賛同した目には見えぬ集団の存在があったからだと思われるのです。

 ◆徳川家康は24歳まで「松平」という姓だった。愛知県豊田市の『松平郷』には、背丈が2m以上もある不思議な人物像がある。これはどう見ても日本人ではない。そして、この人の名前は「徳阿弥」というのだそうだ。ここに「徳」と「阿弥」という文字が出てくる・・・。これも不思議な名前だと思いませんか?



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