marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(877回) 不思議なこの国の物語⑩次回の大河ドラマは「徳川家康」

2021-06-06 17:15:13 | 歴史

今回のブログの謎の意味は後半にある。◆この国には理想の国造りをしようと、あの大きなユーラシア大陸を様々な辛酸と経験を体験して、長い長い歴史を通して、順次渡来してこの国にきた集団がいたのだ。そして日本人として同化して、この国造りにその意味を見いださんとして求めてきた、そういう心情(信仰心)を持ち続けてきた人々だった。決して表にはでない地下水脈のような流れ、その一つの芯があったのだ。この地球の上に生きては死んで、死んは生きて、その過程に意味を見いだしていた人々がいたのだね。そのプロセスに意味を見いだそうとしていた集団が。ひとつの芯のような身に染みついた、まさに機械的な言語や文字で表されるよな簡単なものではなくて、それはこの国の多くの人々が感じているものなのだ。人と言う生き物は、生きるため食べ、生殖し、外敵から身を守るようになる。それら初歩の事柄をとおい昔、卒業し、王(天皇)をたて、法律を作り、宗教を総合する新たな国造りを争いながらも目指し、改革もなされたきたのである。

◆例えば、記紀以前、オオクニヌシが国造りに困難を覚えるときに、海(今の韓国)からきた新しい集団が、多くの技能を持ちつぎつぎ彼を助けたりする。これは、更に西からこの国を目指して来た、宗教として同根を持つ一団だった。だから、争いがあっても最後は、この国ために国譲りとか、神有月(他のところは神無月)などで、古来のご先祖に経緯を評するなどということが、今でも僕らは多少なりとも知っている訳だ。日本の神々は、一つの物語にまとめられていく。しかし、これも古来から文字に表すことが、何事かを経験で知っていた者たちなのだ。それが時代が下り歴史となると。藤原不比等らはくせ者であるな。

◆これが順次、あのイスラエルの地で割り当ての地を与えられなかったレビという集団。彼らは、神と人の間にたち、神の求める理想のアドバイザーであって目に見えないが、多くのこの日本の国の統合に画策してきたのである。そして、誰もが”永遠の涅槃”に導くといわれる、この国では今も誰も知らない人はいない”阿弥陀仏”という仏像名。突然、仏教と結びつくような話を書くが、この”阿弥陀仏”、サンスクリットでアミターバから来ているといわれるが、これは遠い西のペルシャから方面から大陸を伝わり日本に来ているのである。・・・この限りなく古いレビという集団のDNAを引き継いで来ている一人が旅の僧、徳川家康の祖先と言われる”徳阿弥”なのである。時代を遡り、仏教をもって国をまとめようとしたといわれる聖徳太子、このブレーンだったのが、大陸で東に移動時にキリスト教に改宗したといわれる秦河勝であった。彼もレビ系統であろう。”阿弥陀如来”とは彼が、形の上では仏教で国をまとめようと彼が創設した仏像であろうと。この真の意味合いは、神仏習合の意味合いがすでにこの如来の中にあるのである。秦河勝は、神道、それも真の天地の創造主を古来から知っていたからである。そういう経緯を知っていて徳川家康は、あらゆる宗教を丁重に保護したのである。