marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(880回) 不思議なこの国の物語⑬グローバル化における精神性

2021-06-07 12:14:03 | 歴史

◆仏教の創始者と言われる聖徳太子は、第一条に「和をもって尊しとなす」と憲法の筆頭に著したのは、宗教戦争の悲惨さとその悪影響と無駄ばかりであったと、隣国でご先祖が体験した来た彼の背後でのブレーンであった秦河勝のアドバイスがあったものであったろう。第二条は「三法を敬うべし」。それは、仏、法、僧であると言われるが、それは実は大陸から既に流れてきた、仏教、儒教、古来の神道の争いを避けれるためであったと言われる。秦河勝は、宗教の重要さを実に知識からも体験からも重要であることを知っていたのである。レビは、時勢にある為政者も神が執り成しておられるのだ、ということを旧約時代から知っていたので、サポート役に徹し、決して為政者には逆らわなかった。

◆宗教的には、古来、旧約聖書の神を知って旅を続けてキリスト教に改宗したと言われる秦氏が、決して、政治の表舞台に現れず、今も底辺に流れるこの国の精神性に実大な影響をもたらしたのは、彼らはレビでもあったからである。だから、日本中に八幡神社「ヤ―・ハタ(これは古来神の名、ハレル・ヤーのそれである)」を作ったし、土地にも八幡(はちまん)として、その名前がいたるところに残されているのである。そしてそれは実にこの国に富みをももたらす優れた技能集団の集まりだった。何故、こんな東北の田舎の村の名前にもなっているのだろうと、至るところに思わされる。

◆漢字の「津」は港を指す。彼らは海を渡り、実に多数の群衆の一団となって日本に来たのである。だから、その名前はこの国の土地の名前にもなっているし、人名にもなって取り上げられている。その多数の渡来の様子が「津波」という感じになっている。今一度、英語の辞書を引いてみて! 「Tsunami」はDictionaryにもきちんと載っているから。それは、多数の集団の発生状況を著す言葉に用いられている。それが、2021年5月~6月ワシントンD・Cで大発生した17年ゼミは、ワールド・ニュースで"CICADA TSUNAMI” と報道された。 僕の居る近くの港は、14世紀のイタリアの地図に京都と並んでその地名が載っている。

◆彼らレビは、旧約時代、あのモーセから12部族でその役割、神儀を行う為のみのために、割り当ての地が与えられなかったのである。紀元前アッシリヤからバビロン捕囚へかけて、国がなくなり多くの離散者の一団を引き連れ、歴史をとおして太陽の昇る方角、東を目指して旅をつづけたのである。彼らは時代を見通し、その時代に消えてしまうことがない精神性を持っていた。何故なら、天地を創造し歴史を司る永遠の神が導かれる、という信仰を持っていたからである。まさに彼らはそれを信条とする集団であったのだから。天地は我らも作り給た唯一の神がおられると彼らは歴史を経て順次多く民を引き連れこの国に渡来した。日本の国旗が太陽を著しているのは、実は紀元前からの深い精神性の流れの中でできたものである。いたるところに神社があるのも・・・。

◆英語で中国をチャイナ(China)と言われるのは、初めて国を統一した秦(シン)がその国の語源の由来となっているものだ。歴史に出てくる、秦の創立に係わりに画策する呂不葦は、レビだったと言われている。ハタとも読める秦(シン)は、秦一族に、神が壮大な国作りに壮大な実験を仕掛けたものだったのだろうか。中国史では、彼らは西から来た羊を飼う牧畜民族であったとの記録がある。


世界のベストセラーを読む(879回) 不思議なこの国の物語⑫次の時代に向かって!

2021-06-07 10:33:01 | 歴史

◆阿弥陀仏如来が方便であるということは、今の仏教界でどれほど信者に受け入れられているだろうか。誰もあまり真剣には考えてはいないし、仏教に関係する方からお叱りを受けるかも知れないな。しかし、開祖なる方が、本来そう言われているのだから、僕らは更に目に見えない、更にその上の次元のその対象となる開祖ご自身が何を言われての信心なのかを日々、真剣に求めなくてはいけないということになる。涅槃とよばれるもの、キリスト教では天国、神の住まう永遠命の世界。今日も生きている日々の生活には関係ない葬式だけのものではなく、瞬時、瞬時、今このときも問われていることなのである。

◆唐に渡りあらゆる当時の宗教を見聞きした真言宗の開祖、空海は、大乗仏教たる時代の雰囲気を感じていたのである。キリスト教にも接した彼は、その浄土という教えも知っていたに違いない。彼は、同じものだとは言われるが、それを阿弥陀のそれを大日如来と名付けたのである。ここには太陽の意味あいもある。姿なきご神体を鏡とする神道の結合を匂わせるものだ。自然界その中で生きているあらゆる万物のエネルギーの基になっている太陽のその光には事実、自然の成長させる力が明らかにみられる。そのエネルギーたる基の働きの創始者との同期を求めていたのだ。その交信の儀式として護摩法要を行う。世に満ちる神なる方(方便としての大日如来)と交信して心の安寧とともに世を実際に変える力を求めた、その呪文が真言であったし、それが実にプラグマチックであった。56億7千年後に再び、私は現れるとの給うて御隠れになった彼は今も生きているので、高野山では毎日食事を備えているのである。

◆世界のベストセラー聖書、その旧約聖書の事柄の中で自然と人を創造した神は、私が選んだ民としてユダヤ人を見よ!と叫ぶ。彼らを引き回すから、私が人を作り、歴史を引き回す生きている神であるとこを知れ、と事実、いまも強烈に叫んでいる。天地創造の神たる神は、弱小なへブル人を選び、御自身の演出を人類の歴史の中で世界に著してきたのであった。コロナ禍の中、世界のことがシェアされている時代である、そのことの意味を今一度、よく考えてみなくてはいけない。


世界のベストセラーを読む(878回) 不思議なこの国の物語⑪「阿弥陀如来」は方便である、と!

2021-06-07 06:45:57 | 歴史

◆親鸞の説いた浄土真宗は、キリスト教に似ているといわれる。親鸞の師は、浄土宗を説いた法然であった。それは中国で善導が説いたのだと言い伝えられている。中国には、多くの儒教や道教やインドの仏教や西から来た、ユダヤ教やソロアスター(拝火教)やキリスト教(大秦景教)などがあった。空海もキリスト教に触れている。(今も高野山大学では一般教養でキリスト教を学ぶ)。大乗仏教の中で、善導が開祖と言われる浄土教も、念仏を唱えるならば誰隔てなく涅槃(天国)があり、そこに行けるのである、という教えのキリスト教に近いものの暗示を受けたのであろう。聖書には、「主の御名を呼ぶ者はみな救われる」とう言葉がある。浄土宗、浄土真宗はご本尊が、阿弥陀如来である。親鸞は、これにますますキリスト教にちかいことを述べている。阿弥陀如来は、本来、形のないもので、形で現し示すのは方便であると。神は目には見えないが、その日々の信心が浄土に導くのであると述べているのである。

◆突飛な空論で、善い教えでも宗教性に高められるという教えが定着するには、やはりその開祖が気づかぬが先祖からの肉体的なDNAを持っていたものであろうと思う。先に秦氏は大陸でのキリスト教(ネストリウス派)への改宗者であったと書いた。太陽を求めた東へ移動したデアスポラとなった多くの集団は、旧約のイスラエル人であった旧約聖書の預言、救い主の誕生はその中で先祖伝来知らされたいたが、その途中で国破れあの逃れてきた故郷で救い主の誕生を聞き及びキリスト教に改宗したのである。この当時から、彼らの情報網は、世界規模となっていくのである。僕は高校世界史で、大陸を東へ多く移動したのは”月氏、大月氏”と呼ばれる集団とならった記憶がある。

◆シルクロードは、彼らがいなければできなかった。今も皇后は蚕(シルク)の世話をするしきたりです。これは、まさに秦氏の機(秦)織(はたおり)の語源となったものだし、あの太秦(うずまさ)は、秦氏が天皇に絹の織物をうずたかく献上した場所から名付けられたのだのだと。映画村と呼ばれていたのも意味深ですね。大秦とは、当時のローマの事である(後漢書にもあり)。秦氏は、日本に来た渡来人の後発であるが実に大きな貢献をしたと思う。それは、神仏習合の方便としての仏像を、国をまとめるために、当時、宗教争のあった時に於いて、聖徳太子のブレーンとして”和をもって貴しとなす”と17条憲法の第一条にあげ、天皇が採用しようとした仏教により国を統一の影のコーディネーターとなっていくのである。彼らは、決してこうしろとは出てこない、あくまでサポート役に徹する。それは、天上の神が地上の為政者をあしらうものだから、と旧約聖書に描かれた彼らの役割のとおり、レビや預言者に徹していたのである。

法然は、この古来の多くの技能集団を引き連れ渡来したキリスト教に改宗した秦氏一族のDNAを引いているものであった。父は漆を扱う漆間国時、母は機織の錦織という。