日々是好日

日記とかそういったもの

ニンニキニキニキ ゴーゴーウエスト(プレ)

2013-09-21 18:31:05 | 日記

かねてから東海道旅行にいってみたいななどと神をも恐れぬ野望を持っておりました。時間がないからねえ、金がないからねえと伸ばし伸ばしにしていましたが、いつやるの?まあそのうちにではいけないと一念発起して予行演習をしてきました。

今回の目的は、1.自分に何がどこまでできるか、2.実際に旅行して道中に起きる問題点を洗い出すの2点です。

ターゲットは、1.近所であり手軽に挑戦できること、2.地理をよく知っていること、3.いざとなったら道中のどこからでも名鉄を使って強制終了できるからです。

準備

マピオンのサイトで超表示を選ぶと地図が全画面表示されます。ネットで調べた旧東海道をなぞるように地図を表示→プリントスクリーン→印刷を繰り返して1/3000の詳細地図を作ります。ここにネットの情報や「東海道五十三次(西)山と渓谷社3000円」から経路上にある一里塚や道標、寺社、名物などを書き入れていれました。

装備としては日帰りなので、デジカメ、携帯電話、財布、杖、帽子、タオルをかばんに突っ込みました。

結果

名鉄東岡崎駅朝10時 いい天気です。車を有料駐車場にいれていざ出発です。今日は岡崎宿の西はずれ、矢作橋からスタートという設定なのでそこをめざして移動します。

岡崎といったら乙川ですね。看板の横の自販機は・・・卵?

近寄ってみました。みかちゃんのえさだそうです。みかちゃんとは?

機械の窓をよく観察するとタバコの箱くらいの袋に小豆大のつぶつぶが一杯?これ1袋が50円なり。

そして自販機の下の土手を目で探って・・・水面に・・・。なぞがすべて解けました。

モンハン4発売記念ガノトトス祭り開催ですね!

投げているえさにクック先生も大集合!

本筋に戻って・・・岡崎城どーん。

二十七曲は今度挑戦の予定。

岡崎城(本体)の遠景

岡崎といったら味噌。工場見学もできるじゃん。でも超地元なので今回見る意味ないのでスルー。

1号線と248号線の交差点にある歩道橋から西の空を見て。この道の先に、京の都があるんでしょうな。

歩道橋に絵が書いてあった。榊原康政さん、徳川四天王の1人だそうです。ふっふっふそいつはわれら四天王の中でも最も(以下略)。史実は知りません。だれですかね?

カクキューさん。味噌屋さん。工場見学もありますがスルー。

やっと今日の出発点。やさ・・・矢作川。

向こう岸まで曲がっているけど一直線。東海道が使用されていた当時340mくらいあった最長の橋だったそうな。

引越しのお知らせ。お探しの徳川家康が矢作橋の袂で蜂須賀小六にであったの像は橋の架け替え工事に伴い一時的に引越ししております。工事が終了次第戻るとのこと。史実ではこの出会いの頃に橋はなかったようだが・・・。ちなみにここまでですでに1時間ほど経過しています。

矢作橋を越えてすぐの道を北に入るとすぐに西に向かう旧道(中央の奥まで続く道)にいけます。

旧道はどことなく風情がありますが、道が狭い。気を抜くと後ろから引かれて小渕さんがお陀仏さん・・・(byまきこ)になってしまいます。

通りかかったお宅の塀にあった小さなプレート。北、北極、南、南極並みにおおざっぱー。でも好き。

しばらく歩くと「安城街道入口」という交差点にでて現国道1号線と合流します。写真は京都方向から東京方向を見てとった。

だらだらと国道1号線にそってあるくことしばし。尾崎東交差点に到達。ここで気分的には半分くらい消化したつもり。マクドナルドの左が現在の国道1号線、右の松並木ルートが旧道。ここは慎重に右を選びたい。

12時30分ごろ熊野神社に到着。境内入口脇にある尾崎の一里塚(跡)にある石碑。写真ではそれなりのものに見えますが、兵隊さんの慰霊碑がメインで、この膝丈の石碑はああ忘れるところだった的に隅っこにありました。この熊野神社の入口で大休止。歩数計をみるとここで1万歩ほど8キロくらい進んだことになります。

永安寺の境内にある雲竜松。写真の松は1本なんですよ。樹齢300年とも言われている風格を感じました。

猿渡川に到達しました。写真は南方向。

写真は北方向。なーんにもないw。

道の向こうにあった石柱。なんか書いてあるけど、近寄る元気がない。

このあと14時30分ごろに来迎寺公園似到着。そこで本当に大休止。来迎寺公園から歩いてちょっといったところにある本日のメインディッシュ。来迎寺の一里塚。一里塚は日本橋を基点に1里(約4キロメートル)ごとに土を盛って小山を作り、そこに木(榎が一般的)を植えたものです。しかも街道を挟むように1対作るものなのだそうです。ただし、現在は江戸時代以降のごたごたで片方だけなくなっただけならまだしも、1対両方ないとか、ひどいところになると、あったという記録はあるが、本当はどこにあったのかすらわからなくなっているなんてお粗末な状況もあるんですよ。原始時代のことならともかく、たった百数十年前のことなのに・・・。この来迎寺の一里塚は珍しく左右の塚が保存されているので愛知県の指定文化財(史跡)に指定されています。

そんな説明文を読んで、左右といっても、道からは1つしか見えないじゃないのと塚の道無化の公民館の裏手に回っているともう1つありました。右側の四角の建物が公民館で、道から見るとこの公民館に隠されて塚が見えなかったんですね。民家にはさまれてしまっていても、保存状態がいい方だそうですから他の塚は押して知るべしです。

新田北の交差点に到達しました。上には衣浦豊田道路が走っています。ローソンの道向かいには道標があり、すこし知立よりに男女同体道祖神がお奉りされていました。

御林の交差点にでる直前にある松並木。これが安城~知立にある松並木の尻尾になります。

御林の交差点。ここで旧道は現国道1号線と交差します。旧東海道は一号線をまたいで細い道へ。

御林の交差点を旧道のほうへ渡ったところにある道標。

 

この後、すぐ近くの名鉄知立駅まで歩きました。駅に到着したのは15時50分。歩数計では2万2000歩。約17キロメートルを6時間ほどかけて歩いたことになります。平均時速3キロを割り込みましたが、1時間に1回くらいの小休止をはさめばこれだけ歩けることがわかっただけよしとしましょう。知立駅から、自動車を止めてある東岡崎駅まで名鉄の特急?だったかで帰ったら10分ほどしかかかりませんでした。恐るべし文明の利器です。

反省

地図は有効に機能した。1時間に1回くらいの小休止をはさめば宿場間は歩ける。汗でぬれるのと取り出しやすさを考えるとカバンか首にぶら下げておけるほうがいい。タオルは首からぶら下げられるものを持って行くべき。カバンは肩掛けでなくしょえるものを。着替えがあるとなお良し。

コメント
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