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蛭子流「友達論」 お友達の数 230対18

2018-09-05 | Weblog

総裁選、安倍陣営に議員230人 石破氏の選対会合18人

自民党総裁選(7日告示―20日投開票)で安倍晋三首相(総裁)の陣営が3日開いた総決起集会には、国会議員230人が出席した。代理出席を含めると346人となり、党所属国会議員405人の約85%を占めた。

対決する石破茂元幹事長の支持議員が開催した同日の選対会合には議員18人が出席した。

「ひとりぼっちでもいい」いじめられていた蛭子能収さんが語る真の友 「群れて得するのは力の強い人だけ」

漫画家・蛭子能収さん。「友達は無理につくらなくてもいい」と話します。

絶対に負ける自信があった

――中学時代にいじめを受けていたと聞きました
 
 中学2年生の時に、不良グループからいじめを受けていました。グループの下っ端扱いされて、後片付けを頼まれたり、カバン持ちをさせられたりしていました。

――抵抗はしないのですか

 しないです。「俺は絶対負ける」っていう自信があったんですよ。情けないんですけど。殴られるってことが一番嫌でしたね。ただ、「なんばすっとかー!」って言うくらいの抵抗でした。だから、面白がっていじめてたんじゃないですかね。

――周囲の人たちは助けてくれないんですか

 先生がなんで救ってくれないんだって思いはありました。先生だったら、生徒の様子を見ててわかりそうなものじゃないですか。もう学校を辞めたいくらい嫌でした。

いじめっ子に漫画で「報復」

――その頃、家ではどう過ごしていましたか
 
 家に帰ると、好きだった漫画をひたすら描いていました。いじめを受けた悔しさを絵にぶつけていました。自分をいじめた人をひそかに「敵役」にして、めちゃくちゃ倒す、というようなものを描いていましたね。

――高校に行って環境は変わりましたか

 高校で美術部に入ってから、学校に行くのがすごく楽しくなりました。一人で黙々と、絵を描くだけというだけなんですけど、それが静かで平和で、すごくいいなあって。自分には合っていましたね。

 学校やクラスなど環境が変われば、いじめはなくなります。俺はそれまで我慢しました。

友達はつくらなくてもいい

――当時、友達はいなかったんですか

 俺ね、友達をつくるのがすごく苦手だったんですよ。無理して他人に合わせていると、気持ちが疲れてきますから。学生時代はほとんど一人で過ごしていました。

 友達はいい場合もあるけれど、悪い場合をひいたらそこから抜けられなくなって、恐ろしいことになります。変な友達を作ると、その人から逃れられなくなります。

 地獄のような目に遭いたくなければ、友達をつくらないほうがましです。それは俺、はっきり言えます。
 
 友達をもしつくるんだったら、深く付き合わないことですね。広く浅く。何人もいる友達の中の一人、そういう感じで接したほうがいいです。

い付き合いはしない

――深い付き合いができる親友は必要ないですか

 深く付き合うのはやめたほうがいいと思う。一人と長く付き合うと、その人の性格がだんだんわかってくるに従って嫌になってくるので。いつでもその人から逃げられるような、離れられるような感じの友達だったらいいと思います。

――それは友達と呼べるのでしょうか……。距離感が大事ということですか

 性格とか見抜けない間は、あまり深い付き合いはしないほうがいいですよ。中学生くらいはわからないんですね。高校くらいになって、やっと相手の性格がわかってくるものです。

 この人は絶対安全だと、分かってきた時に、ちゃんとした友達をつくればいい。付き合っていても割とさらっとしているし、いさかいもなく平和的に付き合いをやめることができそうなら。

蛭子的「真の友達」とは

――なぜそこまで友達に警戒するのですか

 そうしないと、すごい疲れることになるし、つらい思いをすることになります。友達に気を使うあまり、だんだん自分が疲れてきますから。

 誘われても断ることができる。そういう人こそが「真の友達」だと俺は思う。あいつに誘われて仕方なく行くかという感じだと、どこか操られています。

 悪い人なら一緒に悪いことを働かざるを得なくなる。本当、友達っていいようであって「毒」があります。

時に自由を奪う存在に

――「毒」ですか

 最初友達だと思っても、相手の性格をきちんとわかっていないもの。だんだん、横柄になってくる人がいるから。

 俺が命令されるほうだったので。だいたい、いつの間にか「蛭子、あれ買ってきて」みたいな関係になっています。

 きょう映画を見に行こうかなと思っていたら、友達から電話がかかってきて「きょうは野球をするよ」。ガクってくるじゃないですか。友達は、自由を奪う存在にもなります。

無理して合わして生きるのはつらい

――いつの間にか主従関係できてしまうと

 そしたら、少しずつ遠ざかっていったほうがいいですよね。急に態度を変えるのは変だから、ゆっくりゆっくり離れていく。10代のころは誘われても断れず、どんどんその人に付きあうんですよね。落ちていくというか、変なことになっていく可能性がある。気をつけたほうがいいです。

――蛭子さんの「友達論」。10代の共感は得られますか

 誰でも彼でも友達さえつくればいいんだよ、という考えはないです。無理して人に合わして生きるのは、本当につらい。ひとりぼっちでもいいんですよ。それを広めていければいいですね。

グループは好きじゃない

――学校の友達グループは、蛭子さんにとってどういうものですか

 そういうグループの中に入って活動するのは、俺は好きではないです。無理して人に合わせて、その中にとどまっているほうが、後々窮屈な思いをすると思います。

――嫌になったきっかけはありますか

 中学時代のいじめを受けたことが大きいです。「蛭子、来いよ」って、不良グループからよく誘われました。だいたい俺が手下みたいにいろいろ買ってくるとか、使い走りでした。

 行っても全然おもしろいことないんですよ。行かないと呼び出しくらって殴られるんですよね。

得するのは力の強い人

――学校では仲良しグループができます。仲間外れを怖がる人もいます

 俺はむしろ、仲間外れにしてほしいって思っていました。群れないほうがいいに決まっていますよ。

――それはどうしてですか

 グループとか群れでは、強そうな人が一番上になります。大将格か、家来格か、そういう風に分かれていくもの。得するのは命令する立場になる力の強い人ですね。自分の性格はだいたい命令されるほうでした。

 俺は一番下っ端の使い走りなのに、先生から真っ先に怒られていました。よく教室で立たされていましたね。本当、この学校を辞めたいと思っていました。

一人でさびしくても

――今は、スマホなどのSNS上でグループができて、そこでいじめられることもあります

 俺ね、そこからはじかれたほうがいいと思っているの。今はネットでやり取りするので、すごい簡単に呼ばれると思うんですけど、あまりそれに乗っかるとね。グループから離れられなくなるのは本当につらいと思う。

 もし、そのグループのリーダーみたいな人の言うとおりについていくようなグループだったら、即刻抜けたほうがいいと思う。一人でさびしくても、そのほうがましです。

窮屈だと思ったら

――もし自分が抜け出したいグループにいたら、どうしますか。ひとりぼっちは勇気がいることです

 たしかに、勇気がいります。だけども、この人のいうままに動かされているって察知したら、断ってほしい。

 窮屈だと思ったら早め早めに抜けたほうがいい。離れたいんだということを、少しずつ行動で示しておいたほうがいいです。「僕は今日はいけない」って、2日にいっぺんとかやって少しずつね。そしたらあいつはダメだと仲間が勝手に思ってくれます。

気にせず、好きなことを

――居心地のいいグループもあるのではないですか。主従関係が強くなく、趣味で結びついているとか

 趣味で合うグループならいいですね。(自分が好きな)絵を描くグループとかなら。

 でも、そういうのがね、ないんですよ。こっぱずかしいじゃないですか。絵を描くグループって。馬鹿にされるかもしれないですね。ちょっと強いグループからさ。

 でもね、そう思われても微動だにせず、絵を描いておけばいいんですよ。俺はそうでした。

嫌だ嫌だと思いながら

――蛭子さんのひとりぼっちの哲学は、いつ育まれたのですか

 性格ですね。自分自身、我慢強いと思います。嫌なことも割とずっとやるタイプでした。いじめられながらも学校に通い続け、高校卒業後に看板屋に就職した時も嫌だ嫌だと思いながら続けていました。それがよかったかどうか、自分でもわからないですけどね。

 とにかく俺は自由なほうがいいな。苦しい思いをしてまで、人に合わすことはないんですよ。

 ◇ ◇ ◇
蛭子能収(えびす・よしかず) 1947年、熊本県生まれ。生後すぐ長崎市に移る。高校卒業後、ちりがみ交換の作業員、掃除用品の営業マンなどを経て33歳で漫画家に。「ヘタウマ」な画風の草分け的存在で、不条理な作風で注目を集める。


取材後書き「ひとりぼっちの勇気」

 「ひとりぼっちだっていい」。そのシンプルなポリシーは、終始一貫していました。一見気の弱そうな蛭子さんに、孤独を恐れない強さを垣間見ました。

 蛭子さんの中高生時代は半世紀以上も前。けれど、蛭子さんが語られた友達やグループが抱える問題は、今も通ずるものがあるはずです。

 蛭子さんの友達論の底流には、自由を何より大事にする価値観が一貫してありました。

 一見気ままなように見えても、それは、ひとりぼっちでいることの覚悟や強さに裏打ちされたものです。

 誰もが蛭子さんのように生きるのは難しいかもしれない。けれど、彼の本音の言葉が少しでも心の足しになってくれれば。自分にとって「友達」とは何なのか、考えるヒントになってくれれば、と思います。