まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

転ばぬ先の

2009-01-25 10:54:39 | モブログ

横浜で目いっぱい遊んでくるので、佐渡に帰ってからは腑抜けのようになっています。空模様も悪いので、4本足につかまったきり、父と二人してなにするでもなく・・・の状態です。

横浜で最後の職場の友人たちと久しぶりの食事をしました。
「来月、モロッコに行ってくるのよ。」とお二人。
「父が、ま、来月くらいは大丈夫だろうけれど、4、月5月になるとどうなるか分からないからね。」と。すぐに命がどうのこうのではないけれど、今でも歩くことも食べることもおぼつかないそうで、ますます手がかかるだろうからね、と言います。
私たちの年代では必ず出てくる話で、情報交換も現実的かつ即役に立つと。
彼女から介護食の宅配があることを教えてもらい、父が固形物を食することが厳しくなった時にと、頭の中にメモしました。




父が、腰の痛みを訴えたり物忘れがひどくなったりする様子を見ていると、いくら暢気な私でも父のこれから先を考える時があります。

病気の場合は入院するだろう。
入院までいかない場合はどうなるのだろう。施設は利用できないだろう。
これは周りの人たちを見ていると一番大変で難しそうだ。ケアマネさんと相談して、介護のあらゆるお手伝いを利用するようにしなければならないだろう。
たとえば体格のいい父を私一人でトイレまで連れていくことなどできない。

骨折とかで歩けなくなる場合はどうするだろう。
退院してきたら実家では狭くて車イスは使えない。
老健施設にお世話になるのか、それができない場合はショートステイをお願いするのか。そうなると家にいる間は訪問介護とかヘルパーさんをお願いするのか。

認知症がひどくなったらどうするのか。
店番友も同級生男子もマサチャンママもみな大変だったと訴えた。
昼夜逆転
徘徊
これが悩みの種だったと言ってた。

店番友は職場と家が近かったから何回も見に行ってたそうだが、まず排泄物がそこらへんにないか確認したそうだ。後半は寝ていただけだったから助かったと言う。
同級生男子は常にジャージで寝て、いつでも起きられるようにしていたと言う。もちろんヘルパーさんに1日3回手伝ってもらっていたが、それでも間に合わないそう。今は母と同じ特養施設に入ってようやく一息ついている。
マサチャンママも、疲れさせるために車で遠くまで散歩に連れ出し、思いきり歩き回ってもらったと言う。「せつねかったが。」と今でも言う。
そんなこんなを聞くと、なまじな覚悟ではできないと恐ろしくなる。

もしそうなったら、その時やることは何か。
役所に相談したり、ケアマネさんに相談したりして情報をもらう。
認知症のデイサービス施設を利用する。
いろいろ考えても結局これに尽きるのか?

眠れぬ夜にそんなことを思い悩んでいても、肝心のご本人は「ボケたらおれは分からんから、その方がいいな。」ととぼけたことを言います。
そんな言葉を聞くと力が抜けて、ま、なってもいないうちから悩むのはよそうと思うから、やっぱり我ら親子には、深刻に突き詰めて考える能力が不足しているのかしら。


 

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