4月に入ると父の諸々で横浜に帰ることはできないから、無理矢理26日に帰る予定に。夫に電話で、
「私の米やトイレットペーパー、持って行かんなんかしら?」
と聞いたら、
「米穀通帳持って来てくれ」
と答えたので、あちらとこちらで大笑い。
そういえば、私が横浜に就職したころはまだそんな通帳を持っていて、米屋でお米を購入したような気が・・・するようなしないような。
うん、横浜に持って行ったことだけは確か。引き出しの奥深くに眠っていたもの。
米穀通帳なんて、ご存じの方がどれくらいいるかしらね(ーー;)
思い出した。
小学生のころ、新潟の親戚の家に泊りに行く時や修学旅行の時には、荷物の中に1合とか2合のお米持参だったわ。
今思うと、なんて健気な。じーんと、懐かしくなる時代だ。
新潟県の避難所で、マットレスとお布団が支給されている様子を見て、ああ、これならひと安心だと思ったと同時に、震災直後、冷たい体育館に直に座っている映像を見て、なんとか自分ちのマットレスを送りたいと、焦ってメールやらを送った自分が恥ずかしい。どう考えても、自分が優先していた。
「希望を失わないでほしい、明日を信じて」と言うけれど、具体的な日常にそれが見えなければ難しいだろうなと想像する。
昨日は温かい飲み物が支給された。食事が2回になった。
今日は水が出た。お風呂にも入れた。お味噌汁を飲んだ。
明日はきっと燃料も届くだろう、もう少し食糧や衣類も薬も生活用品も・・・
昨日よりちょっと明るい今日。
ほんの少しづつでも実感できれば、希望は湧いてくるのではないかと。
そして、卒業式の映像を見るたびに、この子たちがどうぞこの地にとどまって復興の担い手になってくださいと、願わずにはいられない。