いやあ、それにしても大胆なタイトルで。ドキッとしました。
あまりに大胆なのでぎょっとしてどれどれと手に取ったわ。
矢部太郎さんのイラストが力が抜けているのも上から目線で「読んでやるか」。
書いた人は岐阜県土岐市で土岐内科クリニックの医師長谷川嘉哉さん。
多くの認知症患者さんを診ている。そんな患者さん家族と接していてのエッセイ。
あくまでもエッセイ。
認知症がどう進行するか知っていると、患者さんにギョッとするような症状が出てきても、
患者さんに余裕をもって対処ができ、ときどき、笑えます、すさみがちになる心を守れます。
と知ることの大切さを教えてくれる。
まずは、患者さんよりも、介護者さんの心身を守ること。
ご家族に認知症の方が出てきたとき、これが一番大切なことだと私は思っています。
このスタンス。うんそう、この本の最初から最後までこの視点と姿勢が貫かれていて、
仮にわが家の夫が認知症になっても(いやもうすでに認知症春の段階だわ)
なんとかやって行かれるんじゃないかしら、と楽観的になれる気がするの。
あくまでも気がする、だけれど。
認知症の進行段階を、「春」「夏」「秋」「冬」の4つの章に区切って。
私目線でざっくり紹介しますね。(ま、私のことだからだらだらになると思うけれど)
ちょっと変な春「認知症予備軍」
春の草木が音もなく芽吹くように、認知症の気配も、そっと芽を出します。
早期認知症害(認知症の一歩手前のこと)の患者さんの特徴は、「ちょっと変」
「すごく変」ではないところがポイント。家族は「あれ?」ちょっと変と。
冷蔵庫や電子レンジに意外なものを放り込んで忘れる、のもこの時期だそう。
そうだ、佐野洋子さんが冷蔵庫にコーヒーカップを入れていてボケたんじゃないかと
えらい心配していたのも、ほんとにそうだったのかもしれないわ。
モンスタークレーマーや「知らん」「聞いとらん」のやりとり、車は傷だらけもこの時期。
「しっかりしてよ」「どうして分からないの」
と今まで通りを求めないことですって。
そうか、私は絶対やりそうだ、気をつけよう。
「認知症になったんだから、これまでどおりできなくて当たり前」そう思うことだそう。
適切な治療やリハビリを始めることで、認知症への移行を緩やかにすることができる、
と心強いお言葉も。
かなり不安な夏「初期・軽度」
今までできていたことができなくなり、モクモクと積もりゆく夏の雲のように
家の中に混乱の気配が積み重なっていきます。
クリニック受診は「中核症状」が出始めたころ。「中核症状」とは、
記憶力、言語能力、管理能力などが低下して、日常生活が困難になった状態。
何度も同じ話を繰り返す、貯金通帳を何回も亡くす、真夏にセーターを着てしまう・・・
老化による認知症はある意味自然、ゆっくり進行していって7~10年は軽度から中等度の
状態が続くのが一般的だそう。ゆっくりだから心配しすぎなくて大丈夫と。
ここでも「わからないことを、試さないで」と医師は念を押す。
「今日は何月何日か分かる?」「何曜日だったっけ?」「私が誰だか分かる?」
と介護者は患者さんに聞く。ああ、私やるな、自分の不安を取り除こうとして。
医師は患者を試しても、一つもいいことはないと言う。
「こんなこともわからなくなるなんて、ああ」と、なぜ自分も患者もつらくなるような
ことを聞くのか。それよりも安心を与えること、安心とは情報だそう。
「今日は何月何日?」と聞くのではなくカレンダーを見ながら「今日は3月3日ひな祭りだね」
と伝える。「ごはんだよ」じゃなく「晩御飯だよ」という具合に。そうか、目からうろこ。
ディサービスやショートサービスを利用して、介護する側ができるだけラクをすること。
行きたくないという患者のちょっとしたわがままのために、介護者が人生の大事を
棒に振るなんてことは絶対やめてって。
困惑の秋「中期・中程度」
暴言・妄想・徘徊・幻覚・・・・
認知症の困った症状がどんどん出てきて、家の中に、混乱の嵐が吹き荒れます。
支える家族にとって、もっともつらい時期です。
中核症状が進行すると周辺症状が出てくる。
中核症状がすべての患者さんに共通して現れる症状なのに対して、周辺症状は
患者が置かれた環境に寄って出てくるので、人によって違う。
家族が本当に困るのはこの周辺症状。幻覚・徘徊・暴言暴力・便を壁に擦り付ける・・・
終わりが見えないと思われがちだが、
「周辺症状は、放っておいても必ず1~2年で落ち着く」
「患者の気持ちを穏やかにする薬がある」
このことを介護家族が知っておくとずいぶん気持ちが楽になる、と。
そうはいっても、2年は介護家族にとっては長いだろうな、絶望的になることもある
だろうなと容易に想像できる。それでも2年という区切りがあることを知れば頑張れる
かもしれない。
周辺症状が出ている患者の幸せを考えた場合、グループホームという選択するのもいい。
認知症介護は一人や二人では絶対に無理、ヘルパーケアマネジャーの力を借りること。
もうこのことはいろいろな見分から合点承知だ。
決断の冬「末期・重度」
失禁・弄弁などが見られるようになり、やがて患者さんは、1日中、ぼんやりするように。
人生の週末を迎える、静かな気配が近づいてきます。
「どんなに攻撃的でアクティブな患者さんも、やがては落ち着いて、一日中ぼんやりする
ようになります。そのあとは、次第にものが食べられなくなって、静かにお亡くなりに
なります」
認知症ではなかったが、父が亡くなっていく時の経過とまったく同じだ。
ということは、誰でもの死へ辿る道筋ということか。
身体的な介護が必要になり、家庭の介護力が問われ、トイレの失禁が緊張の糸を切る。
「もう家では看られない」のタイミングになる。
そして入所の決断は誰?がするのか。医師は主介護者がという。それはそうよね。
ところがそれがなかなかに難しい。介護者のかたの味方の医師が唯一辛辣になる部分。
たまにぽっと出て来て口だけ出す「ぽっと出症候群」にはならないで。
特徴は、ふだんは介護をしてないせいで、患者さんのこれまでの様子や受けてきた
治療についてほとんど知らないこと。
介護に手を出していない人間は、口を出してはいけない。出していいのは、お金。
そうだそうだ、ほんとにそうよ。でも多いよね「ぽっと出症候群」の息子。
ほどほどで、十分です。
十分すぎるぐらいです。
私も近々患者か介護者になることはまちがいない。
知っておくこと、それで対処がずいぶん違ってくるって。そうね。
寝転んで読むような(失礼)軽い語り口だが、なかなかに重い内容だ。
そしてとても参考になる。
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