まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

突然に。

2015-02-18 13:24:36 | くらし

そりゃあ、今までもそういう事例はいくつも聞いてはいた。

夫婦大喧嘩の末、頭冷やそうと外出し、帰宅したら相手が家の中で死んでいた。
島外のお孫さんの運動会を見に行っての帰り、迎えに来ているはずの夫が来ていないことに腹を立て、
帰宅したら夫はベッドの中でもう虫の息だった。
風邪ひいたみたいだから今日は先に帰らせてもらう、と言って帰宅したまま翌日は冷たくなっていた。
シャワーの音がずっと続いているのを、不審に思った隣人が訪ねていったら亡くなっていた。

家とか顔とか知っていてもそれだけのことだから、そんなこともあるのかと胸の中頭の中素通りするだけだったけれど。
相応の年になって、よおく知っている人の突然の死に接すると、衝撃は大きく深い、響く。
いつまでも引きずる。

 

先月、知り合いから電首都圏に住む「弟が死んどった」の電話をもらう。
「弟が死んどった」って?びっくりするもなにも。
警察から連絡があって「来てほしい」というから行ってきたわ。
定年を過ぎてアパートで独り暮らし。めったに連絡は来なかったという。
警察の人と部屋に入ったら倒れとった。心不全だって。火葬場がいっぱいですぐに焼けんから1回帰って来っちゃ。また行かんならん。
暮れに、兄弟の妹さんが荷物送っても、留守のようで受け取ってもらえないと宅配業者から連絡があって、
初めて異変に気付いたと言う。
倒れてからどのくらいの日が経っていたのだろう。
どんな生活をしていたのだろう。悔いはなかったのだろうか、楽しい日々を送っていたのだろうか。
頭がグルグルした。

仕事に行っとたときはまだよかったっちゃ。酒もたばこもやるからな、定年になったら縛るもんねえもんな、好き勝手ができるさ。
と兄である知り合いは淡々と話す。
それでもおれの手で葬式も何もかもやってやれて、それだけはよかったと思うとる、と。

アパートの部屋に倒れている弟さんの姿が容易に想像できて、しばらくは日に何度も思い浮かべ切なかった。

 

そうこうしているうちに今月初め。
今度は同級生から電話。
「あんたしっとる?アサチャンが死んだのよ」
えっ!?絶句。
別に連絡取りあったり何かする同級生ではなかったが、佐渡に帰った時の集まりではよく近況報告していた間柄だ。
「18日の同級会には彼女も出ていたのよ。2次会にも行ってカラオケで2,3曲歌って、明日仕事があるから
って帰ったのよ、そん時はどっこも具合が悪いようなこと言う取らんかったけどね」
18日の同級会とは中学生時代の首都圏在住者の集まりで、私はあいにく母の法事の準備で佐渡に帰っていた。
「それが、29日だったかな、急に苦しいって、ご主人が救急車呼んで病院に行ったけどもうだめだったって。?大動脈りゅう破裂だって」
18日に元気な顔見せて、10日後には突然旅立つ。そんなこともあるんだと。
言いたいことも整理したいこともたくさんあっただろうに。それは残されたご家族も同じだ。
ご主人のことを思うと胸が痛く、我が身にも振り返って考えること多々で。

中学生時代とまるで変わらなかったいつも明るい彼女の笑顔が浮かんでくる。

私たちは逝くにはまだ早いけれど、逝ってもおかしくない年なんだと、実感する。
去年からの1年の間に何人かの同級生の死を耳にして、あらためてそんなことを考える。
「突然の死」もありなんだ、と、さらに死がそこら辺にあることを意識する。

 

コメント
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