まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

街角ピアノ 「旭川」

2022-11-07 08:58:07 | TV

今朝は3時半ころ目が覚めて。
しばらくもそもそしていたが眠れそうにもないので「トイレにでも行ってくるか」と。
パソコン部屋が明るい。あれっ、とガラス戸から外を見たら月が林に沈むところだった。
少しだけ欠けている月、きれいだった。トイレ行きもまんざらではなかったわ。

録画した3日の『街角ピアノ「旭川」』を観ている。好きな番組だけれど、放映時間がつか
めないから番組表を見て気が付いたら録画しておくだけで。
ノーナレーションと定点カメラで演奏者を見つめるだけ、後は演奏者の話。
それが静かで心地よい。

ピアノが置かれた旭川駅が素敵で、今すぐにでも行ってみたいなと思ったくらい。
広い駅舎、高い天井、広々した木の床。窓際に沿った木のベンチ、数々のテーブル。
そこで勉強する女子高生、お弁当食べているご夫婦。
「人にやさしい駅舎」のコンセプトそのものそのもの。
南口を出れば東京ドーム2、5倍もある庭園、北口は冬はスケートリンクができるとのこと。
晴れた日に庭園を散策したらいいだろうなあ羨ましいなあ、と。

2011年に完成した新駅舎は、数多くの建築賞を受賞しているんですって。
設計者の内藤廣さんは「これだけの空間密度を持った駅舎は、世界的にみても例がない」
と述べているそうな。ちなみに内藤さん、みなとみらい線「馬車道駅」も設計しているのね。

♪フォレスガンプを弾いていた64歳の電気設備士の男性は、2番目3番目というのが好き
なんですって。旭川はそれにぴったりなんですって。で、定年後は家族で移住したそうな。

今回は男性が多かったように思う。
友人の前で初めて腕前を披露して、腕前を褒められて照れている高校生。
反対にピアノを見つけたら弾かずにはいられないという部活帰りの高校生。
ふたりともピアノを弾くのが楽しくてたまらないというのが見て取れるのよ。

61歳の行政書士の男性。自転車で25キロ走る、街を走る、川沿いを走る、林を走る。
駅はちょうど折り返し地点だから、ピアノを弾いて帰る。ピアノは独学ですって。

独学の男性はもうおひと方いた。71歳。
定年後、保育士の免許を取り、毎日のように駅に着て弾いて行くとのこと。
独学でピアノ演奏ができるようになるってすごいことだ。もうただただ感心するの。

そんな人生を選んだのかと、転機になった動機は何かと惹きつけられた女性お二方。
ドラマロンバケの曲を弾いていた還暦を迎えた女性。
写真を撮るために夫と息子を残して逆単身赴任で。
好きなことができるのも元気なうち、と送り出してもらったそう。
普遍的な写真を撮りたいんですって。よくきっぱり自分の人生を選び取ったなと。

もうおひとりは41歳で幼稚園教諭からスナック経営に転職した女性。
まるで180度違う転職だ、子供相手から大人相手、昼から夜へのお仕事。
何がきっかけだったんだろう、申し訳ないけれどいろいろと想像したりして。

ほんとにかわいかったのが小4の弟と小6のお姉ちゃんの連弾。
弟が茶目っ気があるのよ、カメラに顔をうんと近づけたりして。
弟「ひとりだと心細いけど、連弾だとお姉ちゃんと一緒で安心する」んですって。
仲がいいのね、お姉ちゃん大好きなんですって。微笑ましい。
いくつまでそう言っているかな、うふふよ。

旭川の街角ピアノは、上手い人だけでなく個性豊かな方たちが思い思いに演奏していて
とても楽しかったし心温まった。
ちなみに、私は音楽も全くダメで楽譜も読めません、ましてピアノなんかとてもとても。
クラシック音楽になると居眠りするくらいで、はい。

 

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大人も楽しめる Eテレ『ワルイコあつまれ』

2022-08-04 08:21:47 | TV

明け方の雷と雨、真っすぐ降り注ぐ大粒の雨、大歓迎。
おかげで涼しい朝を迎えた。なんならあと1日2日、この程度の雨を降らせてくれてもいいわ。

 

私が長年の草彅剛さんファンと言うこともあるけれど。
ジャニーズ事務所を退所した新しい地図の面々(稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さん)が
地上波のレギュラー番組を持つということがとても喜ばしいし嬉しい。

ひところは全てのレギュラー番組がなくなり、SMAPの言葉すら禁止だったのだからね。
それが徐々に地上波解禁になってきて、ほんとによかった。

で、その地上波レギュラー番組、Eテレ「ワルイコあつまれ」

子どもも大人も楽しめる新しい教育バラエティー 社会を楽しく学んでいきましょう。
ですって。はい、ま、楽しめます、ファンだから。


(写真は全て番組HPから借用)

Eテレ土曜日朝10時、再放送が午後10時。私は録画して観ている。
夏休みアンコール放送ということで8月は再放送、時間帯もまちまちのようだ。

いろいろなコーナーがあって、例えば
「国宝だって人間だ!」から。
この回は人間国宝は琵琶奏者の奥村旭翠(きょくすい)さん。琵琶奏者の人間国宝は世界に1人
しかいないそう。

社会科見学にやってきた慎吾先生と子供たちが旭翠さんにいろいろと質問。
人間国宝の顔に隠れている人間らしいおちゃめな部分を見つけ出すという趣向ね。

質問は忘れたけれど、稲垣さんはお好みですか、香取さんは、って。しばしの後のお答え。

またのコーナー。
「ガヤガヤ姉妹の今日はガヤガヤ」あの姉妹が全国の“ガヤ”を紹介って、ガヤガヤあるある。
明らかに阿佐ヶ谷姉妹さんのパクリよね、もう画面に映っただけで笑っちゃう。
この日のガヤは「千駄ヶ谷」の紹介、将棋会館とかをね。

その後番組のダンス「ワルイコソーラン」をこの二人が踊るの、この格好で。
慎吾君はこの姿にふさわしく女性らしく踊るのに、剛君は草彅剛に戻ってキレッキレの
ダンスを披露、いやはやおかしくて女性でしょと突っ込んだの。いかにもの剛君だったわ。

こんなコーナーもある。
「昭和歌謡合唱団」この日の先生は阿木燿子さん。歌詞の意味解説。
そして今回のテーマの曲は山口百恵さんの「プレイバック Part2」
って、この曲を10歳前後の児童合唱団が歌うのよ。合唱よ。

♪ぼうや いったいなにをおそわってきたの なんて 意味わかってんのかね。
とは思うけれど、そこは阿木燿子先生、きっちりこの歌詞ができたときのことや時代背景まで
きちんと説明して。私もふんふん、なんて聞いていて。

で、ピアノ伴奏での児童合唱団の「プレイバック Part2」歌。
♪ばかにしないでよ って10歳前後が合唱でどんな風に歌うのさと思ったわ。
危惧したけれどあらまあお見事、なかなかのものでした。もちろん阿木燿子先生も絶賛。

夏休みアンコール放送の一部 子ども記者会見は山中伸弥先生。
8月10日(水)午前9時

そんなに面白くないときもあるけれど、ガチャガチャせずに楽しめるからいいなって。



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大相撲 テレビ観戦

2022-07-19 08:25:22 | TV

 

テレビ観戦するスポーツは、今や大相撲しかない。
若い時は、テニスをはじめラグビー、野球、バレーボールなどけっこういろいろ楽しんで
いた。興奮して夢中になって応援していたのに。
それがたいていのスポーツは試合時間が長いから、勝負がなかなかつかないから、
めんどくさくなってさっぱり見なくなった。それにチャンネル権は夫にあるしね。
だから、あっという間に勝負が決まる相撲がいちばんだと。これだけは譲らない。

制限時間いっぱいになるまでの力士の様子だって観察するのが面白い。
いくら勝負があっという間だって勝ち負けだけじゃつまらない、仕切りを見なくては。
徐々に気合が入って行くのが分かる力士もいれば、いかにも、もういいやが見て取れる
力士もいる。そういう輩には、負けちゃえと念力を送るのよ。
ま、5時前後から夕食の準備をしながら、支度終えて泡飲み物飲みながらテレビ桟敷で。

で、気になるのは力士だけじゃないの、三役格行司の木村容堂さん、お名前覚えた。
制限時間いっぱいになって軍配を返した時のお姿がかっこいいのよ。
小柄で膝をぐっと曲げてそのままの姿勢で微動だにしない。いつも惚れ惚れして見ているわ。
行司って部屋に所属していることも初めて知って。

行司さんのお顔は覚えようとしないけれど、力士の名前と顔が一致しないのにはほんとに
困る。さすがに大関横綱は分かる、が他は毎日見ているのに混同する。
「あれ?大栄翔だったっけ隆の勝だっけ。こっちが霧馬山か豊昇龍か」なんて。
その昔、SMAPの誰が誰だか分らないと言った年寄りがいて。
あんなに違う顔をしてるじゃないとぷんぷんしたものだが、今はその戸惑いがよおく分かる。

それでもようやく、阿炎と宇良、若隆景、兄ちゃんの若元春の区別がつくようになった。
とはいっても、宇良はピンクまわしで認識しているから、まわしが変われば怪しいもんだ。
うん、琴ノ若も鮮やかなエメラルドグリーンまわしでしっかり分かる。ひいきだしね。
若隆景は、今場所からまわしが新しくなったわね。銀灰色の渋くて好きな色だけれど、
若いからもう少し派手でもいいんじゃないの
、なんて。
大相撲がある2週間は夕方が楽しい。今場所は琴ノ若に優勝してもらいたいもんだ。

 

「職業病は腱鞘炎」 行司、華やかな土俵をおりると

 

行司さん、いちばん大事なのは口の堅さか。なれないな、無理。

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ザ・ヒューマン 「止まらない男 柳家小三治」

2021-07-31 08:54:51 | TV

もうだいぶ前のことになる。
NHKBSにチャンネルを切り替えたら「ヒューマン 止まらない男 噺家 柳家小三治」
途中からの視聴でも面白くて、最初から観ればよかったなあと残念に思っていた。
が、再放送があることを知り、今度はしっかり録画して何度も見返している。

小三治さん、本当にお名前だけ。
29歳で17人抜きの真打になって、人間国宝になったことも知らなかった。
もちろん小三治さんの落語も聞いたことがない。それが、TVを観ているうちにその人間性や生き方に惹かれて。
何事も究めようとする人の凄みを感じ、ただただすごい人だなあとため息が出た。

12月で81歳になった小三治さんは、噺家と呼んでもらった方がいいそうな。
昨年の12月からの撮影だから冬の洋服。それがおしゃれなの。素敵な色のセーターを着て、
それに合わせた色の長い長いマフラーを2枚重ねて巻いてお帽子をかぶる、
外出着はいつもそんな感じ。そういうコーディネートがよく似合っておしゃれ、
とても80歳とは思えないセンス。それでいて年相応にも見えて素敵だ、唸る。

カメラは行きつけの床屋、緊急事態で半年ぶりに催された独演会、NHKでのインタビュー、
京都の仙台の舞台、年明けの初仕事、地方巡業を追いかけている。
端折れないから長くなるけれど、小三治さんの言葉を中心に印象に残った場面を書いてみる。

〇去年の暮れ、長年通っている行きつけの床屋さんで。
「老人らしいんだ俺。さっき鏡見てああ老人だなと思った。老人だと思ったってしょうがない
老人なんだから。でもちっとも老人だって思ってないよ」

髪を手入れしてもらいながら、小三治さんはご自身の人生観をとつとつと語る。
弟子にも話しますよって。でもこれこれこうだという説明はしない、と。
感じる人だけが感じればよい、無理やり感じさせたってその人間の中には入って行かないからね。
人間って面白いね、と言う。感じる人が感じればよい、と言う言葉は随所で話しているからよほどの意味があるのね。きっと。

高座に上がる前の小三治さんの(出し物はその日高座に上がる前に決めるそうな)
楽屋や舞台袖で待機している様子はその時々でずいぶん違う。えらく違う。

〇コロナ禍で中止になって、久しぶりの独演会の前は緊張している様子がよおく見て取れる。
舞台袖、出の前では、
「大丈夫かな、できるかな、どこまで持つかな、できるかなと思っちゃうよ。
なんて言えばいいかな。腹の底から声を出して、喉から声を出すのはだめ。
歩けねえよ。行くか、行くよ。」と独り言。ぶつぶつ。

マネージャーさんは、
「休みたい休みたい」が口癖の人が「仕事がしたい」って初めて言ってきた。
半年も休んでいたから必死に取り戻そうとしていると話す。

一席40分間、休憩10分で2時間喋り続ける独演会、たったひとりの2時間の舞台。
80歳を超えてなお半年ぶりの高座に緊張する。何年も何回もの噺なのに。
そして、お客様を喜ばせ、やり遂げるのだからいくらプロとはいえ凄いもんだと。

〇京都での高座。
頸椎を痛め、長年リウマチも患う満身創痍の身体の地方への移動でとてもしんどそう。
数年前の頸椎手術の定期検査もかねて。リウマチも患っているので進行を抑える注射を
自分で打つことも欠かさない。壮絶だわ。

移動の疲れがたまっていて、楽屋に入ってくるなり「眠たくなったね」って。
開演1時間前。マネージャーさんがまたもや催促、80歳最後の高座とはっぱをかける。
小三治さん「信じられないね自分が80だなんて、ぼう然とするね、嘘だろとか思っちゃうよ。
お前だましてんだろ、もう寝るしかないね」とまたもやテーブルに突っ伏す。

マネージャーさんは「大丈夫じゃなくても、大丈夫なようにだんだんだんだんなっていく。
長年やってきているからね」と。

出の時間が迫っているというのに、準備しなくてはいけないのに、
髭を剃っていても途中でくたびれたといって投げ出してしまう。
それでも徐々に支度をし出し物の確認をし着物に着替えて。
「大丈夫かな、できるかな、何と言えばいいかな」とぶつぶつ言いながら高座に上がる。
高座に上がれば噺家はひとり。見守るしかないとお弟子さん。
終わるとマネージャーさんの肩につかまってようやく立ち上がる。
そういう舞台もあるのね。老人小三治さんかなって怒られるかしら。

〇京都に比べて仙台の高座。心の故郷と言うだけあってとてもうれしそう、弾んでいる。
駅について 懐かしい 故郷だと思っている、と。それには幼少期の切ない思い出が。
疎開でお母さんに連れてこられて「東京行の切符を買ってくる」と言ってそのまま置いて行かれたそうな。
「捨てられたと思ったね」なんとも重たい言葉だ。
預かってくれたおばさんに、この人何になるんだろう、おばさんかなお母さんかなって。
それで「おばちゃん」と呼びかけると仙台弁で「あいよ」って。
この件になると小三治さんは突如涙ぐんで言葉が詰まる。
「お母ちゃんと呼ぶと「あいよ」と言ってくれる。何回呼んでも同じように「あいよ」って。
「あったかいよ、あったかいしまた帰ってきたよって感じ」
こんなところはどこへ行っても他にないと。

小三治さんは、百点以外はだめ東大以外はだめという厳格な両親のもとで育てられたからね。
このエピソードは、観ているこちらももらい泣きしたくなるほど切ない。

ご自身の著書ではこう書いている。
病床のお母さんを見舞って「なんでもそうやって今ははーいはーいって言ってるけど、
なんでもっと前からそういう素直なお母さんになってくんなかったんだよ」
「そういう返事くれたこと、いっぺんもなかったじゃないか」
「だって、お前が素直じゃなかったからだよ」
もう、こいつとはあの世へ行っても仲良くなれないって思ったね」と。

親子のもつれは、後々まで尾を引いて根深い。

たまたま読んだ小林聡美さん酒井順子さんの「ていだん」で両親のことについて話している。
両親が一番嫌がる「人の前で笑いものになる」落語家になるかって。それは復讐心だったと。
いつか母親に「私が悪かった、お前の好きなことをおやりと言ってほしかった。
それだけが私の望みで、今もそれは変わりません」と言っている。80歳になろうとしてもまだそう言っている、
お母さんは61歳で死んでいるというのにね。うーん、考えさせられ唸る、何とも複雑。

で、仙台での高座。

出を待つときから足でリズムをとり、出囃子に合わせて指揮をする真似をしながら
ご機嫌な様子でとても楽しそう。
枕では「生きてましたね、私も生きてましたよ」
「生きている限り体の続く限り声の続く限り、皆さんが待っててくださるなら、そこへ伺いたい。」と。
舞台が終わると「一生懸命やれた時は嬉しいね」って。
そしてスタッフの人たちに「ありがとう」と挨拶し鼻歌まで歌っている。
心から楽しみ喜んでいる舞台、それが仙台での高座。

〇2021初席 仕事始めの日 出を待つ間、体を上下させて奮い立たせて
元気な足取りで高座へ。緊張した面持ち。持ち時間を聞いて出し物を決める「粗忽長屋」
端折ってはいるものの結構な時間聞かせてくれて、少しだけ小三治さんの芸に触れた気分。

 

〇NHKでのインタビュー

「噺家 目指していたあり方は」

どんな面白いことに出会っても落語の方が面白いといつも思っていた。
だけど面白いというにはもっと究めないと、その面白さは分からないよなと思って、
どう究めたらいいのだろう、というようなことは毎日毎日考えていた。

今日よりも明日、明日よりも明後日というふうに。昨日と同じ時点では留まりたくない、
それにはどうしたらいいのだとそればかり考えていました。
この言葉は「ていだん」の中でも、まずいところがあってもなくてもその上を
いきたい!といつも思う、と話していている。ぶれないのね、ほんとにすごいなと思う。

「噺家人生62年 これからの生き方は」

『もっと素敵な生き方をしたいと、思う』とおっしゃっているの。
そうでなきゃあすべてを投げうって噺家になった代償は得られない。ですって。
80歳になっても「もっと素敵な生き方をしたい」だなんて。いやいやほんと素敵だ。

ああ噺家になってよかったって、いつか思える日があるように。
息を引き取る際に、落語であれもやりたかった、これはどんなふうにやれば面白かった
のだろうと。結局落語にとりつかれた男かね。

噺家 柳家小三治
「ひとつひとつの高座をかみしめながらこれからも落語とともに生きて行く」
と、締めくくる。で、小三治さんは「ただ生きてるだけだよ」ですって。

もうただただ恐れ入りましたって。それも不遜だわね。

 

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「こころ旅」プレイバック2014春・佐渡

2020-06-17 08:30:06 | TV

金曜日の夜だったかしら、飲み終わってごろりとくつろいでいた7時。
ニュースもなんだからとBSプレミアムに。
おやまあ「こころ旅」は佐渡だったんだ。よかった間に合った。
この頃でこそ観なくなっているが、大好きで初回放送富山の旅からずっと楽しんでいた。

もちろん2014年の佐渡の放送も観ている、が何度観ても懐かしく思い出がよみがえる。

1日目は姫崎灯台。
新潟から船上の人になれば、この灯台が見えると佐渡も近いと心弾み、
佐渡から出ていくときは、灯台が過ぎるとああ佐渡ともお別れだなとしみじみする。

私の青春時代ここにはキャンプ場があったの

遠くにカーフェリーが

高速船 ジェットフォイルが 新潟に向かっている

本当に小さな灯台です 2010年6月15日撮影

そして2日目の昨日は真野の梨の木地蔵へと坂道延々チャリオをこいでいた正平さん。
6キロもの坂道、あえいでいたわ。「佐渡、嫌いや」ですって。ふふふ。
私も行ったことがない、車がないと行かれないようなところだからね。
両津から遠いから、さすがの私もマサチャンママには連れて行けとは言えない。

この日のお手紙は加茂湖のほとりで読んでいた。もう懐かしい。
ここのそばで、よ。


2012年6月11日


2010年11月16日

両津からバスに乗って佐和田という町から真野新町へというルート。
以前行ったとき、バスの時間待ちにぶらりした真野湾の海。
いつも見ている両津湾とは違う風景が新鮮だったわ。

今晩は小木の方へ。BSプレミアム7時からです。佐渡の宣伝!

 

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認知症の第一人者が認知症になった長谷川先生の言葉「変わらない。ふつうだ」

2020-02-14 09:11:20 | TV

『窓の向こうのガーシュウィン』を読んでいたら、認知症かどうか調べるために
「長谷川式」でテストしてみようという話が出てきた。
「長谷川式」?そうだわ、私、NHKスペシャルで長谷川先生の姿を見てえらく感激して
書き留めておいたんだわ、とそのことを思い出して下書きを探し出した。あった。

今は冗談のように、夫に夫から「アキヤマサン(脳神経外科)に行ったら!?」
と言い合いっこしているけれど、遠からず直面するだろう認知症に対する
漠とした不安は身近に潜んでいる。

公式ホームページから

自ら認知症であるという重い事実を公表した医師がいる。
認知症医療の第一人者、長谷川和夫さん(90)。
「長谷川式」と呼ばれる早期診断の検査指標を開発、
「痴呆」という呼称を「認知症」に変えることを提唱するなど、
人生を認知症医療に捧げてきた。
認知症専門医が認知症になったという現実をどう受け入れ、何に気づくのか。
誰もが認知症になりうる時代。
長谷川さんの姿を通して認知症を生き抜くための手がかりや希望をつむぐ。

長谷川さんは研究の師から「君が認知症になって初めて君の研究は完成する」
と言われたそうだ。
ずしんとくる言葉だ、けれどご自分がそうなるとは当時は想像だにしなかった
ことであろう。
そしてある患者さんが発した「僕の心の高鳴りはどこへ行ってしまったんだろうか」
という悲痛な叫びが今も忘れられないと話す。

その患者さんの奥様が 五線譜に書き留められた言葉を見せてくださった。

「僕にはメロディーがない。和音がない。共鳴がない。
帰ってきてくれ、僕の心よ。すべての思いの源よ、再び帰ってきてくれ。
あの美しい心の高鳴りはもう永遠に与えられないのだろうか」

つらいだろうなと思う。
比べることに何の意味もないが、今の自分だって「心の高鳴り」がないことに
虚しさを感じる時があるのだからそのつらさの想像はつく。

書き留めた長谷川先生の言葉、ほんの少し。

自分自身が壊れていきつつあるというのがほのかに分かっている。

いつも確認していなくてはいけない、そういう感じ。
「確かさ」という生活の観念が、生きているうえでの
「確かさ」というのが少なくなってきたように思う。

年を取るということは容易ではない。
僕の生きがいは何だろう。

夢と現実の境目がよくわからなくて、
夢の中のことが現実に起こっているような気がして
はっきりしないことがある。

認知症を生きるとはどういうことか。

余分なものがはぎとられるわけだよね、認知症になると。
心配はあるけれど心配する気づきがない。よくできているよね。
神様が用意してくれたひとつの救い。

最後に番組のスタッフが質問した。
「認知症になっての景色ってどんな景色ですか?」

変わらない。ふつうだ。前と同じ景色だよ。
夕日が沈んで行くとき富士山が見えるときふつうだ。会う人もふつうだ。変わらない。

「認知症になっても見える景色は変わらない」。
この言葉を聞いたとき「そうか、認知症になっても見える景色は変わらないのか」
と全身がほわっと緩むような安堵した気分になって。
ま、認知症になってもそれはそれで仕方ないかと思えたのよ。

(そばで生活を共にしたり介護する立場になったりしたら、
これはまた別な話になるだろうけれど)

番組ディレクターの言葉。

番組で紹介できなかった長谷川さんの言葉…。
「認知症の人は、急にぱっと認知症になったわけではない。
通常の状態と連続しているんだ。だから普通の人なんだよ。」

よろしかったらご覧ください

「認知症の第一人者が認知症になった」

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奇跡のレッスン ハビエル・フェルナンデス「氷の上に君だけの“表現“がある」

2020-01-13 08:52:47 | TV

 

年末、1年間を振り返ったりしてそれなりに反省したわけ。
健康は維持できた。友人知人も無事1年を送った。ブログも無理せずちんたらとはいえ書くことができた。
体重管理はやっぱり甘かったわ。1日1捨は簡単なようで案外できなかったわ。1か月くらいかなできたのは。
なんてetc。


年が変わって、少しは前向きなことをしてみようかとかなんとかぐだぐだと考えていた。
と、そんな折日が経って録画しておいた“奇跡のレッスン ハビエル・フェルナンデス編”を観た。
いやあもともと好きな選手だったの。どこか可愛げがあってそれでいてちょっと哀愁があって。
ピョンチャンオリンピックの時は羽生君より応援していたくらい。銅メダルを取ってよかった。

“フィギュア不毛の地”と呼ばれるスペインで、お父さんが必死に働くことでハビエルとお姉さんはスケートを続けることができたそうだ。なんといってもフィギアはお金がかかるスポーツですものね。
ディレクターは、
「だから同じような境遇・経験をしている子どもたちが相手だとハビエルは伝えられることも多いだろうし、なおかつ子どもたちは希望が持てるんじゃないかなと。そこで調べて行きついたのが青森県八戸市のフィギュアスケートクラブだったんです。」と言うがこのクラブ選定が大正解。

webからお借りしました


懇親会の時、コーチの人は泣きじゃくって感謝する。
「田舎町に住んでいると、子供たちにいろんな夢を見せてあげたいんだけど。
大きな大会が来るわけでもない、こうして来てもらえて伝えてくれるなんて、
本当にあると思ったらうれしくて。」
私ももらい泣き。そうよねそうよね、お気持ちよおく分かるわ。
ハビエルの優しいハグ。これからの励みになったでしょうね。

引退したばかりでコーチ経験のないハビエルは、いろいろ試行錯誤しながら子供たちを指導していた。
その時のハビエル語録、をちょこっと。いかにも外国の人の表現だけれど。

「ジャンプを跳べたとか跳べなかったとか、そんなことは道端の小石みたいなものだよ。
主人公は君なんだ。」

「ジャンプはうまくいく日もいかない日もある。君の笑顔の美しさは永遠だよ」

「フィギアで夢を成し遂げるのはとても険しいと思う。
人生の多くの時間を費やしても、トップにたどり着けるのはほんのひと握り。
そんな現実があったとしても、スケートが好きだという気持ちをあきらめる必要はないよね。
好きなことのために努力することは、結果より大切だと僕は思う。」

「主人公を演じ切らないとだめだよ。フィギュアスケートはスポーツだけど芸術なんだから」

 こちらもwebから

 

そしてこう言うの

幸せになろう

努力をしよう 

自分の願う自分になろう

一度きりの人生を大切に生きてほしい

もうもうハビエルさん。なんてこと言ってくれるんだ。泣けるじゃないの。

自分の願う自分になろう だなんて。私が願う「私」ってどんな私?さて。
一度きりの人生を大切に生きてほしい って、うんそうする、そうしてみる、これからでも遅くないよね。

今日は成人の日。
午後2時からBS1で再放送がある。けっこうな人生の指針になると思うの。

 

 

 

 

 

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深読み音楽会「井上陽水~Love Songs シュールな愛の詩人」

2019-12-18 09:04:22 | TV

井上陽水さんはドンピシャ私と重なる世代。
陽水さんの20代は私の20代、70代は私も70代。陽水さんの歌はよく聴いていた。
だからこそ、メロディー抜きの歌詞だけを深読みするというこの番組を興味深く観たわけ。
もしこれが全く知らないシンガーだったら、こんなめんどくさい番組は見なかっただろう。

名曲探偵は、ミュージシャンの小室等さん、作家の高橋源一郎さん、版画家の山本容子さん、
これらのお三方はリアルに陽水さんを聴いていた世代。
作家の朝吹真理子さん、シンガーソングライターの安藤裕子さん、
このお二人は他の歌手だったり教科書だったりで陽水さんの音楽を聴いた世代。
その5人が集まって歌詞深読み大会。

ちなみに皆さんの陽水評。
「謎の人」「はぐらかしの達人」「危険な感じ」「臆病」「流れる」
ほかにも「複雑な人」とか「本心を明かせない、明かさないじゃなくて」
小室さんなんか「フェロモン」ですって。うん、分かる。
私の印象は安藤さんが言った「はぐらかしの達人」に近いけれど「つかみどころがない」人ね。
陽水さんとリリー・フランキーさんのお二方、こんなつかみどころのない人を
恋人にしたり夫にしたら思いっきり振り回されるんじゃないかしら、とみている。きっと疲れるわ。

名曲探偵が取り上げた楽曲

歌詞を全部書くことができれば、深読みの内容が分かりやすいのだけれどそうもいかない。
この方たち、取り上げたほとんどの歌詞に死や死者の匂いを嗅いでいるのよ。
そうかともそうかなとも。
♪傘がない ♪夢の中へ ♪氷の世界 ♪人生が二度あれば ♪少年時代 ♪あなたにお金 ♪最後のニュース

これらの曲はもう十分に分析されているからパスして。
でも♪人生が二度あれば 陽水さん20代の曲とは、しかも「井上陽水」の名でのデビュー曲とは驚き。
小室さんは、そんな若い時に父と母を素直に賛美できる?かね、と言っているけれど、私もそう思うのよね。だから陽水さん40代くらいの曲かと思っていたの。
でもその後、泣きますけどね、反則だ、と付け加えて。ほんとその通りだわ。

♪帰れない二人 安藤裕子さん一押しの曲 ♪心もようのB面、忌野清志郎さんと。
この歌詞を、朝吹さんは心中しようとしてできない二人と深読みしていたが、
ミュージシャンの小室さんと安藤さんに、メロディーが洋楽的でおしゃれ感満載と却下されピュアなラブソングとして認定された。そうよね。

♪なぜか上海 高橋源一郎さん一押し 大好きな曲だけれど深読みはパス、面倒だから。

♪カナリア 山本容子さん一押し
切なくとても寂しい詩だ。
カナリアになぞらえてシンガーとしての自分の出現や閉じ込められたい感じを歌っているのではないかと。
歌い手の自分を悲しい者ととらえている。と深読みしていたけれど。

♪リバーサイドホテル 朝吹真理子さん一押し

 

朝吹さん、やはりこの歌は心中の歌だと主張。皆さんふんふんと頷く。
リバーサイドホテルは「三途の川ホテルだ」と。
リバーサイドホテルは「生と死の中間の場所」だって。
「チェックインなら寝顔を見せるだけ」変ね、だけど永眠している顔がパスになると。
そう言われればそうかもしれないな、なんて思ったけれど小室さんが、
「作家さんたちは深読みだ(ま、深読み大会だからね)。
僕はシンプルで上等なポップスだと気持ちよく終わった」と言ってくれて。
うん、私、小室さんに大賛成。大好きな曲で、なんだか訳が分からない歌詞だなと思ったけれど、
なにしろメロディーありきだから 
♪ホテルはリバーサイド 川沿いリバーサイド
とあの甲高い粘っこい声で歌われるともうそれだけでじゅうぶんでなの。

♪ワカンナイ 小室等さん一押し

君の言葉は誰にもワカンナイ 慎み深い願いもワカンナイ
明日の答えがわかればつまんない 君の時代のことまでワカンナイ

小室さんが陽水さんは?マークの人で何に対しても「はてなはてなと言ってないと気が済まない人」
と言っているのがおかしい。
宮沢賢治に対して盾突くことができるということが身の程知らずもいいところ。高橋さんは、
いったん宮沢賢治を否定する立場になっているんだよね。だから“ワカンナイ”し、ダサいし。でも否定しきれないね、っていうところで歌を作っている。ついでに言うと宮沢賢治を擁護しつつ、これは自分の立場だよね、理解されないっていう点では。
うーん、陽水さんは詩の中の何かに自分を託していることが多いわ。

「皆さん、ついてこられましたか?」と問われたので速攻で「ついていけません」と答えたの。
うん、でも面白かった。

そして♪最後のニュース筑紫哲也NEWS23』のテーマ曲
1989年の楽曲ながらその詩を読むと、現在の世界状況とほぼ変わらないところが鋭い。
小室さんは、ありそうなプロテストソングなのに、
♪今あなたにGood-Night ただあなたにGood-Bye
皆に言っているんじゃない「ただあなたに」と言っていることで極上のラブソングになっている、と。
もうもうその通りよ。「ただあなたに」と言われたらドキッとするという山本さんじゃないが
自分に言ってくれてるのね、と思って泣きそうになるわ。

よろしかったら筑紫さんとのいきさつが書いてあるこちらもどうぞ 最後のニュース  

番組の企画を聞いて 陽水さん「自分が出なくていいのならお任せします」と番組作成を快諾したそうだ。
テレビ大好き陽水さんはきっとにやにやしながら観ていたに違いない。
「そう?」「ふーん」「そんなこと考えていたのかしら」なんて例の調子で言いながら。

コメント (2)
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プレミアムカフェ 昭和を代表する女性脚本家『没後20年 向田邦子が秘めたもの』

2019-12-06 08:55:58 | TV

録画しておいた『金曜特集 没後20年 向田邦子が秘めたもの』を何回も観ている。
うとうとしたりぼんやりしたりして観ているから、観るたびに新しい気付きがあったりして新鮮で面白い。

向田邦子さんが脚本家作家として活躍されていた当時、向田さんは私の憧れの人だった。
暮らし方から生き方そのものが格好よく、出版された雑誌やエッセイは片っ端から読んだ記憶がある。
そのころ自分のお給料と同じくらいの金額の水着(だったと思う)をえいっと買うなんて芸当は、
みみっちい私としては逆立ちしてもできない芸当だ。
ハードカバー本はだいぶ処分したが、
向田さん関係の本はまだ何冊か残っている。
日に焼けて縁が茶色になっていることが長い年月が経っていることを示している。

向田さんの年譜は昭和38年が空白になっていて、そこには13歳年上の恋人の存在があると。
飛行機事故で亡くなった後、納戸の中から何の変哲もない茶封筒をご遺族が見つけた。
男性が急死した後、母親が向田さんへと持ってきた大学ノート1冊、手帳2冊、手紙3通。
向田さんから男性あての手紙が5通、電報1通。それだけ。

向田さんの手紙の言葉はきれいだ。たとえば
「お具合いかが?」「ガスストーブお買いになって」
それでいながら最後に「バイバイ」と結んでいたりする。気を許していることがよくわかる。

男性の日記には、仕事のこと食事の献立のこと身体のこと等々が細かく記されている。
一皿一皿のおかずのメモ。ああ、これがのちの向田ドラマの食卓風景の原点になっているのかと。
向田さんは、忙しい仕事の間をぬってバブと呼んでいた男性のもとに駆け付けてる。男性の日記。
夕方、邦子来る。4時、邦子来る。突然邦子来る。
そして帰った時間も几帳面に記している。
10時半、邦子帰る。11時邦子帰る。大抵は10時半から11時ころ。
向田さんは天沼の実家暮らしだったから、二人の気遣いで帰宅はそんな時間だったのかしら。


(「向田邦子の手料理」からプロカメラマンだった恋人が撮ったとされる写真)

それにしても誰にも言わず22歳ごろからの恋、20年間も胸に秘めていた恋。
男性が妻子ある立場の人とは言え、すでに別居しているのだから結婚しようと思えば強引にできたはず。

久世光彦さんはその著「触れもせで」の中で向田さんの恋について記している。

欲しいと思うものを、奪れるようでなければ人間一流でないと言っていた向田さんが、
たった一つ、奪れなかったものがある。他人の幸せである。さびしい恋をしていた。
あの人の恋はみんなそんな恋だった。ここで自分の気持ちを通したら、きっと誰かが
一人不幸になる。そういう赤提灯の歌謡曲の世界で泣いていた。
しかし、所詮は人の幸不幸、他人の私に推し量れるものではない。

向田さんのご遺族の意志によって20年間どこにもその存在は知られなかった。が、
妹和子さんが自身の責任においてこれらの手紙を公表することに決めたという。

「どういう形であっても、これは向田邦子っていう人生なんだから、それを通らなければこの作品は
生まれなかったのではないか」
「これも姉の人生だった。いっぱい傷ついてでも好きな人もいて。これが人生だ」
「作品として言い続けていた。向田邦子の人生だった」と話している。
最初はいくら作家といえどそんな秘密を公にしていいのかしら、お相手のご家族もあることだろうし、
と少し違和感を持ったが、和子さんの話を聞けばそれもありかなと。
かなりの年数もたっていることでもあるし。
いずれにしろ、向田さんの作品の原点がそこに潜んでいることを知ることは、読者としては有難く嬉しい。

そういえばドラマや小説でも不倫の人たちや離婚歴のある恋人がよく出てきたと思う。
一筋縄ではいかない恋の数々。
「阿修羅のごとく」の長女綱子(加藤治子さんが絶品だった)の不倫 父の浮気(実際にあったそうだ)
大抵の場面は忘れているが、母親(大路三千緒さんが演じていた)が買い物帰り夫のもうひとつの家庭を物陰から目撃する。衝撃のあまり買い物かごから卵が落ちて割れた卵から君が流れ出る。
この場面は大路さんの驚愕のお顔が鮮明に記憶に残っており、すごいものを見たなと感じた。
「蛇蝎のごとく」では、娘を通して向田さんご本人の若き日の恋を告白している。
「寺内貫太郎一家」娘の結婚の場面 
父の祝福を受けて結ばれることが果たせなかった向田の夢かもしれない。と。

「その人と作品が密接に関連し、生き方が作品に反映している。
だれに話すこともなく、つらさ悲しみを作品の中にだけ残している。」
番組中繰り返される言葉。 

作家の高橋俊男さんは、向田さんは、
小説という全体をフィクションにして、最後のところに自分の中の真実を書いていこう。
フィクションなのだからだも作者のこととは思わない。と述べている。作家って似ても焼いても食えない。

 誰にも話さない、なんてよく苦しくないなと思ったけれど、そりゃあ凡人のことだ。
そうか、いちばんの友、分身である作品に投影しているのか。それもまたすごいことだわ。

それなりの文箱じゃないいかにも向田さんらしい何の変哲もない茶封筒に、
誰にも言わなかった恋の形見を仕舞っておいて。
和子さんじゃないけれど「なんで捨てなかったのかな」
まさか忘れてたなんてことはないでしょうね。やはり捨てられなかったのかしら。


 


 

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森若さーん!応援します ドラマ『これは経費では落ちません!』

2019-08-06 08:53:14 | TV

金曜22時NHKドラマ「これは経費では落ちません」がすっごく面白い。
あああ、ドラマで面白いのがないなと嘆いていたら思わぬ拾い物。いやあ情報不足、ごめんなさい。
だいたい、しみじみ系か泣きたい系かが好きだから、この手の痛快ドラマは全く見たことがなかったのよ。
食わず嫌いは損しちゃうわね。

 (昨夕)

石鹸メーカー「天天コーポレーション」の経理部に勤めるアラサー独身女子森若沙名子、多部未華子チャンね。
もう彼女がぴったりどんぴしゃのはまり役。これ以上はないわ。
あの目力の強さできりっと「これは経費では落ちません」なんてばっさり、
伝票出した輩ははああとすごすご引っ込むわけよ、厳しいんだからなんて愚痴りながら。

多部ちゃん含め経理部は4人 。後輩役に伊藤沙莉、先輩に平山浩行、部長役に吹越満さん。
この3人が絶妙。
現実にいそうだよね、こんな部員たち、という役どころを3人とも生き生きと演じていて楽しいのよ。
平凡でいながら個性あふれるキャスト、なんて最高です。
私、特に吹越満さんが好きだから、彼が演じるちょっとおちゃらけていて、
それでいてほんとはできるんじゃないかしらの感がある部長を見ているだけでも満足。

さて先週の金曜日は第2回「落とす女落とせない女の巻」
当然の経費を請求できない社員、必要以上の経費を当然のごとく出してくる社員、話はそこから展開する。

広報誌のインタビューに答える森若さん。
「会社の利益と社員の経費がイーブンに過不足なく使われているかチェックするのが経理の仕事です」
どうよ、まるで見本のような答えでしょ。

「怖がられている嫌われていることは平気じゃないです。
隈なくチェックして各部署から疎まれるならそれも私の仕事です。人に好かれるのは仕事ではありません。」
どうよ、この肝っ玉の据わった明快な解答。スカッとするじゃないの。
その長セリフを多部未華子さん、滑舌よろしくどすんとストレートに投げ込んでくるの。痛快よ。

そして森若さん、ただ四角四面のがちがち経理社員じゃない。
インタビュー場所には、先の落とす女落とせない女のお二人もいることは承知の上で、
「ただ人から好かれるのが仕事の人もいます」
「その予算を無駄なものにでなく、効果的なものに使ってほしいと思います。本当に正しいと胸を張れるものに
会社の大事なお金を使ってほしいです」
と、それとなく必要以上の経費を使っている広報社員に伝えているの。ここらあたりの脚本がまたいいの、上手い。
現実は厳しくて、とてもそんなこと言えないよの声が聞こえてくるかもしれないけれど、森若さん、私応援するわ。

インタビューの最後は
仕事とは「きっちりと働いて責任を果たし、働いた分の給料を適正にもらうこと」
とのあまりにそっけない答えに、広報誌の人がね、夢とか楽しいことは?なんて訊く。
森若さん「数字がぴたりとしまった瞬間が楽しいです」ですって。わはは、らしい。

ちなみに森若さんの座右の銘は、余計な事に手を出さない意味の「ウサギを追うな」。

1話ごと完結のドラマですから3話からでも十分大丈夫。
話の展開、多部未華子チャンや脇のキャストの演技、その他もろもろを楽しみながら観ても損はないと思います。
絶対暑苦しくないですから。

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