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まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

5月の読書は大当たり

2018-05-21 09:31:38 | 

先程、ない脳味噌を振り絞って書き上げたのにその記事が消えました。
書き上げて、後で読みなおそうとネットサーフィンしている間に不具合が生じて消えました。
何度戻るボタンや復元するにしても下書きのままで書いた記事は上がりません。
もう泣きたいです。いや泣いています。
泣きたいけど泣き寝入りは悔しいので、ごめんなさい紹介文だけでもあげさせてください。

5月の大当たり読書記録。味わった読書の醍醐味。

『あこがれ』 川上未映子著 

麦彦とヘガティー、思春期直前の二人が、脆くはかない殻のようなイノセンスを抱えて全力で走り抜ける。この不条理に満ちた世界を――。サンドイッチ売り場の奇妙な女性、まだ見ぬ家族……さまざまな〈あこがれ〉の対象を持ちながら必死で生きる少年少女のぎりぎりのユートピアを繊細かつ強靭無比な筆力で描き尽くす感動作。

第一章 ミス・アイスサンドイッチ
第二章 苺ジャムから苺をひけば

第一章の物語で二人は小学四年生、麦彦君の憧れの人ミス・アイスサンドイッチ。
彼女がお店をやめるというので麦彦君は会おうか会うまいか悩むの。
そこをヘガティが背中を押す。
「ミス・アイスサンドイッチに会いに行った方がいい」と「はじめましてって言えばいいんだよ」って。

第二章は六年生に。
今度は麦彦君がヘガティの会いたい人に会わせようと画策するわけ。麦彦君とても魅力的な男の子。

二人が別れるときは合言葉「アルパチィーノ」で。素敵でしょ。

『鬼はもとより』 青山文平著 

どの藩の経済も傾いてきた寛延三年、奥脇抄一郎は藩札掛となり藩札の仕組みに開眼。しかし藩札の神様といわれた上司亡き後、飢饉が襲う。上層部の実体金に合わない多額の藩札刷り増し要求を拒否し、藩札の原版を抱え脱藩する。江戸で、表向きは万年青売りの浪人、実はフリーの藩札コンサルタントとなった。教えを乞う各藩との仲介は三百石の旗本・深井藤兵衛。次第に藩経済そのものを、藩札により立て直す方策を考え始めた矢先、最貧小藩からの依頼が。

藩札の仕組みなどさっぱり理解できずすっ飛ばして読んでも面白かった。
コンサルタントの奥脇抄一郎、依頼主の執政の梶原清明個性が際立って魅力的。
最後場面の手紙、泣けたわ。
でも青山さん、女性は登場させなくてもよかったんじゃないの、違和感あるわ。

『祈りの幕が下りる時』 東山圭吾著 

映画化もされていたのね。
「ナミヤ雑貨店の奇跡」を読んでさすが東野さん、やっぱりエンターテイメントな方だわ。
と手に取った1冊。裏切りませんお面白かった。

極限まで追いつめられた時、人は何を思うのか。夢見た舞台を実現させた女性演出家。彼女を訪ねた幼なじみが、数日後、遺体となって発見された。数々の人生が絡み合う謎に、捜査は混迷を極めるが――
第48回吉川英治文学賞受賞作品! 1000万人が感動した加賀シリーズ10作目にして、加賀恭一郎の最後の謎が解き明かされる。

 『乙女の家』 朝倉かすみ著 

若菜17歳。青春真っ最中の女子高生と、三世代女系のてんやわんやの家族の物語。内縁関係を貫いた曾祖母、族のヘッドの子どもを高校生で産んだシングルマザーの祖母、普通の家庭を夢見たのに別居中の母、そして自分のキャラを探して迷走中の娘の若菜。強烈な祖母らに煽られつつも、友の恋をアシスト、祖父母の仲も取り持ち大活躍の若菜と、それを見守る家族。それぞれに、幸せはやって来るのか……。

第1章 家出してみよう
第2章 多忙になってみよう
第3章 病弱になってみよう
第4章 告白してみよう
第5章 遠くをながめてみよう

新聞小説で長編です。
最後の方はすっ飛ばして読みましたが、ぜんぜんokです。朝倉さんごめんなさい。
いやいや、八方美人といわれ自分も自覚して性格改造に取り組んだりしている若菜ちゃんに
自分の高校時代を重ね合わせて、ずいぶん共感して読みました。
章立てで、改造内容がちょっと想像できようというもの。

 

もうここまでで思い出すのも精いっぱいです。うーん。さっさと投稿します。

 

 

 

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狩野永徳の凄まじさ 『花鳥の夢』 山本兼一著

2018-05-07 08:49:52 | 

『利休にたずねよ』を読んでいいなあと、また次の作品をと、
少し軽めの『とびきり屋見立て帖』シリーズを数冊読んだけれど、なんか物足りない。面白いけれど物足りない。

そこで手に取ったのが天才絵師狩野永徳を題材にした『花鳥の夢』 

『四季花鳥図襖』

安土桃山時代。足利義輝、織田信長、豊臣秀吉と、権力者たちの要望に応え「洛中洛外図」、「四季花鳥図」、「唐獅子図」など時代を拓く絵を描いた狩野家の棟梁・永徳。ライバル長谷川等伯への嫉妬、戦乱で焼け落ちる己の絵、秘めた恋。乱世に翻弄されながら大輪の芸術の華を咲かせたその苦悩と歓喜の生涯を描いた長篇。

それにしても、たった2冊しか読んでいないけれど、山本さんの書く人物はどうも一筋縄ではいかない。
利休も永徳もその道を究めようとして、それはそれは人には決して見せない研鑽を積み苦悩して
天才といわれるほどに花開かせているのに、その人物像となると好きになれないなあ、
の感想が浮かび上がってくるのが我ながら不思議だ。
こんな人がそばにいたらたまらんなあなんて埒もない気になるのよ。
山本さん、永徳に惚れこんでるの?と聞きたくなるわけ。

対を為すといわれている阿部龍太郎さん著『等伯』では、
等伯の人となりがとても魅力的に書かれているからよけいそう感じるのかもしれない。

だからといって『花鳥の夢』が面白くなかったかといえばそんなことはない。
かなり分量のある長編でも一気に読破できる、読み応えがある。
刺激を受けて改めて狩野派の特集を借りてきたくらいだから。

そしていちばん興味を持ったといおうか心に残ったといおうか気になったところが、
永徳が描いた絵に対して注文主それぞれに、表現は違うけれど同じような内容のことを言わせていること。
抜き書きしてみた。山本さんの意図はどこにあるのかしら。

父松栄の描く山水画はつまらない。_空っぽなのだ。と、永徳は、内心、父のこころの虚ろさを侮蔑するようになっている。大勢の一門を食べさせるのに汲々としていて、画面におのれの気概をぶつけることができずにいる。

そんなふうに思っていた父が
「こころは、観ているものにあるではないか。おまえは、観ている者のこころが遊ぶ場所をなくしてしまおうというのか」
「押しつけがましい絵はうるさくてかなわぬ。観る者がなにを感じるかは勝手なこと。気ままこころをにたゆたわせる場所があるほうがよかろう」
「以前のおまえの絵は、気負いがありすぎて、見ていると疲れることがあった」

天才と認めるがゆえに激しい嫉妬心を燃やしていた長谷川等伯(信春)に己の絵の感想を問う。 
「あまり描きこみ過ぎますと、絵を観ている方の居場所がなくなり、息苦しくなる気がいたしまして」
「この絵では、画面のすべてが緊密に埋め尽くされ、岩山の突兀(とつこつ)、湖水の浩然の広がり
を押しつけられている気がいたします。」

永徳は怒りのあまり等伯を破門し、この後も結構な嫌がらせをするわけよ。
この辺りは『等伯』にも詳しく書かれていて事実が重なる。

安土城の襖絵を見た信長は、
「そのほうは、どうにも思い切りが悪いゆえに、絵が縮まって奔放さがない。かような絵は見ていて気づまりだ」
「見ていてこころがまるで広がらぬ」

大坂城の襖絵に囲まれて千宗易に聞く。「どの絵がいちばん好みか」と。

「この座敷の山水図は、たとえ絵師としての技倆は劣ろうとも、慢心せず、懸命に描いた絵に見えますゆえ」
それは秀吉が凡庸と観た襖絵(父松栄描く)
「見せよう、見せよう、という気持ちの強い絵は、どうも好みに合いませぬ。絵師がおのれの技倆を
鼻にかけているようで、いかにも浅薄な絵に見えてしまいます」
もちろん永徳の絵のことね。永徳が利休を憎むことそれはそれは。

檜図屛風を見て

 (図はwebから借用)

「かいかい奇奇な絵だな」
「これを毎日見て暮らす宮様は、重苦しかろう」
秀吉
「そなたは悪相になったな」
「よい絵だ。わしは好きだ。しかしな・・・」
「あの絵は、何度も描けまい。描いてもらいたがる者も少なかろう」
「絵は、もっと楽しんでゆるやかに描くがよい。長谷川の絵は、観ていて気持ちがゆるやかに楽しくなる。
絵の中に、観る者の居場所がある」
「そなたの絵は、観ていて辛くなることがある。絵は楽しんで描け」

すごいよね、永徳の技量を認め天賦の才を褒め称えた者たちにそんなことを言わせるとは。
いくら好きじゃないなと思っても永徳に同情するわ。永徳はつぶやく。

秀吉のような素人に言われなくとも、むろん、楽しんで描いてきた。
しかし、絵は永徳の命だ。命の発露だ。生きることのすべてをそこに滾らせてきた。
となれば、楽しんでばかりもいられないではないか。

永徳48歳で亡くなる。過労死ともいわれている。


 

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家族のお話 中島京子さんの2作品 『平成大家族』 『桐畑家の縁談』

2018-03-09 08:28:26 | 

中島さんの本が読みたいなと思ってずいぶん待っていたけれど、やっぱり地区センターの蔵書にはなさそうなので
暖かい日に図書館まで出かけた。あったわ!読みたかった探していた本が。

 『平成大家族』

緋田家当主龍太郎さん 72歳 趣味の域に入っている「義歯の製作」以外は悠々自適の隠居生活。
妻の春子さん 龍太郎さんより6歳年下の主婦。
庭の物置に住むひっきーこと引きこもりの透明人間のような長男の克郎さん(30を超えている)。
離れに90を超えるタケさん(やや認知症気味)の3人暮らし、いや4人か、のはずだった。

が突如、長女の逸子一家が同居させてくれと転がり込んできたの。
逸子の夫の柳井聡介さんが事業に失敗して自己破産、何もかも失ったというわけで、よ。
長女一家とは聡介さん、逸子さん、
ひとり息子のさとるくん(めでたく中高一貫の有名私立に受かったばかり、なのに公立中転入になる)の3人。

そして、あろうことか次女の友恵さんが離婚してこれまた緋田家に転がり込んできたのよ。
おまけに元夫の子供じゃなくて、14歳年下の髪の毛の半分が緑、半分が黄色というお笑い芸人の子供を
妊娠していたというからややこしい。

3人からいや4人か、一挙に8人に増え、
母屋に緋田夫妻とタケさん、母屋の2階にさとると友恵、別棟に柳井夫妻、物置に克郎。
と、すったもんだの末、全員の配置が決まって。
そこからさらに8人それぞれのすったもんだのあれこれが巻き起こるのよ。

私は年齢からいって、どうしても緋田春子さんに親近感がわいてくる、そうそう分かる分かるなんて。
だってね、久しぶりに仲良しグループの集まりに出かけて、
そこで一世一代の決心で自分ちに巻き起こっている災難いや悩みかを打ち明けようとするのに、
途中まで話すと、他の人の別の話に持っていかれて、そのくらいは、とかまだ幸せよとか言われて。
さらに(お幸せよ)なんて。
帰り道で「ああ、疲れた」と思わず知らず声が出るの、それも2回も。そりゃあ疲れるわよね、むりないわ。

そんなに多くは望まない。
ただ年をとってくると、単調で平穏な生活を乱されるのは不快で不都合なことなのだ。
それを誰かにわかってほしい。(略)
憂しとみし世ぞいまは恋しき。出てってほしいー

私が分かって差し上げます、春子さん。なんて。

中島さんの辛辣な文章、その底流にはユーモアと登場人物に寄り添う暖かい心情が垣間見えて、
読後爽やかになる、しみじみする、そうねそうよねと共感する。好きだわ。

 

『桐畑家の縁談』 

気質、性格のまったく違う姉妹、姉、桐畑露子さん・妹、桐畑桂子さんの結婚を主とした
しどろもどろの日常生活エピソードをそれぞれの目を通して綴った作品。
私は最初にこちらを読んだからいいけれど、「平成大家族」を読んだ後ではきっと物足りないだろうな。

目次には1章から13章までずらっと料理名。
そして章の下には 姉露子さん、妹桂子さん、ご両親の心のうちを表すようなタイトル。
最後の13章が 「米の雨」 桐畑姉妹の笑顔 
とあればどのような結末が待っているか想像がつこうというもの。
さてどちらが結婚するのでしょうか。
緩いけれど、仲良しの姉妹のお話は心地よくてほほえましい。

 

 

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ふつうの女など、いない 『つまをめとらば』 青山文平

2018-01-28 08:24:59 | 

女が映し出す男の無様、そして、真価――。
太平の世に行き場を失い、人生に惑う武家の男たち。
身ひとつで生きる女ならば、答えを知っていようか――。
時代小説の新旗手が贈る傑作武家小説集。

表紙の女の流し目の怪しいこと色っぽいこと。
書店で平積みになっていたら、この表紙見ただけでだけで思わず手に取ってしまうだろな。

こなれた文章で何の抵抗もなく作品の世界に引き込まれ、一気呵成に読み終える。
ようやく出会えた時代小説という感じでとてもよかった。

私は時代小説は市井ものが好きなので武士の世界の小説は数えるほどしか手に取ってこなかった。
青山文平さん、お名前しかと記憶しました。描く世界が好きです。
何とも含みがあって読み終えた後、そうきたかと6編とも楽しむことができました。


『ひともうらやむ』

たいそうな屋敷の長倉本家の総領。城下の娘たちを惹きつけてやまない端正な顔立ち。
誇るべきものがあり余っているにもかかわらず、いつもふんわりしている。

とにかく、美しい。もう、どうにも美しい。ただ美しいのではなく、男という生き物の
いちばん柔らかい部分をえぐりだして、ざらりと触ってくるほどに美しい。

そんな男と女が祝言をあげたら・・・
そりゃあ何かが起こると予感させるというもの。はたして。
いやもうドキドキして読んでいったわ。

「つゆかせぎ」 「乳付」 「ひと夏」 「逢対」 したたかでしぶとくて本能的で一筋縄ではいかない女たち。
どれもこれも感想を書きたいけれど長くなるのよ、これ以上。

で、書名の『つまをめとらば』 ざっと抜き書き。

幼馴染が屋敷の庭にある家作を貸してほしいと言う。
56歳になるがこの齢になって所帯を持とうと思っているのだと言う。

ばったり出会ってから幼馴染は5日目で越してきたが越してきたのはひとり。
所帯を持つつもりの女の姿はなかった。半月経ってもひと月経っても女の姿はない。

二人暮らしが始まって手に入れたものは「平穏」 いちばん欲していたものだった。
平かであり、穏やかであるということだ。

私もいちばん欲しているわ。これからずっとそうありたいと思っているわ。

三人の妻といるときは、平穏とは無縁だった。常に、彼女たちなりの正しさに、付き合わなけらばならなかった。
なにしろ、彼女たちは、まちがっていないのである。

そうね、と我が身を省みるもする。が逆も言えるのじゃないか、なって反論したくもなって。はい。

一人暮らしになったときは、ようやく一人になれたと思い、諸々の煩わしさから解き放たれたことを喜んだが、
それは束の間で、すぐに孤独が目の前に居座った。静謐ではあったが、平穏ではなかった

青山さん、ほんとよく分かってらっしゃる。そうよ、ひとりは静謐ではあるけれど平穏ではないかも。

母屋と家作の距離で、爺二人で暮らしてみて初めて、ほんとうの平穏を知った。
幼馴染もそう思っていたが。
「爺二人の暮らしが、居心地よくてな。なかなか、女と暮らそうという気になれんのだ」だなんて。

なんだか現代結婚事情の様相を帯びてきて。

ふつうの女など、いない。
ごくごくふつうの女に見えて、周りの風景に溶け込んでいた。
それが、大きな借金を残し、輿入れ三日で家から消え、不義を働いた。

しかし、昔訳あった女に会ってあまりの変わりように踏ん切りがつくのよ。
やはり、女に死に水を取ってもらう、って。
爺二人で暮らしていると未練が残るって。爺二人でずっと暮らしていこうと思った未練だって。

ともかく6編ともとても面白かった。
あまりに手練れで口当たりがいいものだから、こんどはもっと噛み応えのある長編を読んでみたくなったわ。

青山さんはこの短編集で直木賞を取っている。
ちなみに2015年下期の直木賞候補作は力作勢揃い、だと思う。

青山文平 『つまをめとらば』
梶よう子 『ヨイ豊』 
深緑野分 『戦場のコックたち』
宮下奈都 『羊と鋼の森』 
柚月裕子 『孤狼の血』

 『戦場のコックたち』以外は読んでいるけれど、もし私が審査員だったら
宮下奈都 さん『羊と鋼の森』 と 『つまをめとらば』どっちを押すか迷いに迷うだろうな。

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鎌倉の魅力と暮らしを余すところなく伝える 『ツバキ文具店』 小川糸

2018-01-21 08:39:59 | 

小川糸さんの本は『食堂かたつむり』『つるかめ助産院』についで3作目。

ラブレター、絶縁状、天国からの手紙…。
鎌倉で代書屋を営む鳩子の元には、今日も風変わりな依頼が舞い込む。
伝えられなかった大切な人への想い。あなたに代わって、お届けします。

平易な文章で代書にまつわるひとつひとつのエピソードが心温まり、あっという間に読み終わる。

悪筆で悩む素晴らしく美人な国際線の客室乗務員をしているカレンさんの義理の母の誕生日カード代書依頼。
15年の結婚生活にピリオドを打つ離婚を報告する手紙。などなどうるっときそう。

私、NHKのドラマの方を先に観ているので、鳩子を取り巻く登場人物全員、
個性の強いその俳優さんの顔が浮かんできてじゃまをするの。しまったと思ったわ。
先に本の方を読んでおけばよかったわ。
ドラマでは江波杏子さんが演じたお隣に住むバーバラ婦人がいい。

見開きには鎌倉案内図もあって。
ツバキ文具店は鎌倉宮の方か。
落語会が開かれた光明寺ね行ったわ。とか物語の舞台になった場所を想像するのも楽しい。

鳩子が依頼された代書も掲載されている。
依頼文にふさわしい筆記用具、紙、文字など細やかに神経を配って選びに選んだ末書いた手紙が。

「言いたかった ありがとう。言えなかった ごめんなさい。伝えられなかった大切な人への想い」
これは、さんざん反抗した亡くなった先代(鳩子の祖母)への長い長い手紙ではなかろうかと想像したりもした。

『春苦味、夏は酢の物、秋辛み、冬は油と心して食え』

台所に張り付けてある先代が書いた標語。(後に鳩子も書く)

引っくり返って読んでも怒られないであろう1冊、なかなかでした。

 

 

 

 

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何とも奇妙な物語 『ふくわらい』 西加奈子

2017-12-07 08:52:56 | 

11月後半借りた本は 『恋歌』 朝井まかてさん 『リボン』 小川糸さん。
どちらも気持ちよく読んで満足して。
『すべて真夜中が恋人たち』 川上未映子さん。
好きな作家なのに身の回り半径1メートルの世界に終始しているように思えて、真ん中あたりで挫折。
そして書名から表紙絵からどこか敬遠していた西加奈子さんの『ふくわらい』を最後に読んで。

いやいやいやいやもうなんと表現してよいのか。
何とも奇妙でずーっっと後を引いて、ふくわらいの世界が頭の中を渦巻いている。
ムンクの叫びの背景のぐにゃりと曲がった何本の線、そんなものが浮かんでくる。
私も誰かの顔を見て、勝手に眉や目や鼻や口を上下横と動かして顔を作り替えてみようかしら、なんて。

西さん、どこをどう叩けばこのへんてこな物語を紡ぎだすことができるのですか?
と聞きたくなる。
そんなおよそ常識とかけ離れたような物語が生み出す混乱はあるけれど、
西さんの力強い文章がぐいぐい引っ張ってくれて、あっという間に読了してしまう。

西さん「サラバ!」で直木賞を受賞しているけれど、「ふくわらい」の方がふさわしいのではないかと思う。
ずっといい。いやもしかしてこの小説は芥川賞の方がふさわしいのではないかしら。
ちなみにこの年の直木賞は「何者」と等伯」が受賞しているのね。

 

マルキ・ド・サドをもじって名づけられた、 書籍編集者の鳴木戸定。
彼女は幼い頃、紀行作家の父に連れられていった旅先で、 誰もが目を覆うような特異な体験をした。
その時から彼女は、 世間と自分を隔てる壁を強く意識するようになる。
日常を機械的に送る定だったが、ある日、心の奥底にしまいこんでいた、自分でも忘れていたはずの思いに気づいてしまう。
その瞬間、彼女の心の壁は崩れ去り、熱い思いが止めどなく溢れ出すのだった――。

愛情も友情も知らず不器用に生きる彼女は、愛を語ってくる盲目の男性や、 
必死に自分を表現するロートル・レスラーとの触れ合いの中で、自分を包み込む愛すべき世界に気づいていく。
第1回河合隼雄物語賞受賞作。「キノベス! 2013」1位。

主人公の行動に時に気持ちが悪くなり嘔吐したくなるような表現や場面もある。
実際、最後にこの主人公が嘔吐する場面がある、今までの自分と決別するかのように嘔吐する場面がある。
そして鳴木戸定の幸福な終末、それがまたしてもなんとも奇妙な行動をとることになるのよ。

プロレスラー守口廃尊、同じ編集者の小暮しずく、盲目の武智次郎、乳母の悦子さん。
これら登場人物の個性が際立っていて、彼らが物語をより深く鮮やかに浮かび上がらせてくれて。

なかでもやはりプロレスラー守口廃尊とのやり取りは、プロレスのように激しくて迫力に満ちていて、
それでいながら静かで優しさがひたひたとふたりの間に流れていて。
だからこそ守口廃尊の部屋でこそ、
定は身体の中身が全部噴出するように嘔吐することができたのではないかしら。
この二人の交流は凄いのよ。
作者の西さんがプロレスラーを書きたいなと思った、と言っているのがよく分かる。


いずれにしても、あまりに強烈過ぎて後引いて、
西さんの『さくら』を借りようと手に取るもやはり書棚に戻してしまった。

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『眩くらら』 朝井まかて作 北斎の娘お栄が生き生きと

2017-11-27 08:50:22 | 

9月に佐渡に帰った時借りた本が朝井まかてさんの1冊。
書名がどうしても浮かばない、ネットで検索して1冊づつ内容確認するのだがそれらしき作品が出てこない。
ただ面白かったという感想が残っていたのと、お名前がすこぶる印象的だったので機会があったら
読もうと思っていて。


で、手に取ったのがこちら  
いや別に北斎の娘にお栄に興味があったのではない、完全に朝井さんの本だからの選択。

偉大すぎる父北斎の娘にして「江戸のレンブラント」天才女絵師・葛飾応為の知られざる生涯。
あたしはただ、絵を描いていたいだけ。愚かな夫への軽蔑、兄弟子・渓斎英泉への叶わぬ恋、
北斎の名を利用し悪事を重ねる甥―人生にまつわる面倒ごとも、ひとたび絵筆を握ればすべて消え去る。
北斎に「美人画では敵わない」と言わせ北斎の右腕として風景画から春画までをこなす一方、
西洋の陰影表現を体得し、自分だけの光と色を終生追い続けた女絵師・応為。
自問自答する二十代から、傑作「吉原格子先之図」に到る六十代までを、全身全霊を絵に投じた絵師の生涯を
圧倒的リアリティで描き出す。

北斎の解説などに登場するお栄は、やはり父北斎と同じで絵を描くことのみに執着して、日々の生活
身の回り食べること着物などてんで構わずむさくるしい印象が強かった。そうこの絵の感じそのまま。

 webより
(北斎の門人・露木為一による『北斎仮宅写生図』)

作者の朝井さんはインタビューで
応為の人生、画業は謎が多い。その点にも惹かれました。
北斎と応為の人生、時代の出来事をひとつの年表にして、あとはもう自分なりの想像、推察で
再構築していきました。とおっしゃっている。
その朝井さんの想像推察にのっかって葛飾応為の一生をたどっていったらとても魅力的で惹きこまれた次第。
お栄、葛飾応為が女絵師として生きていく様、はたまたひとりの女としての心根が生き生きと描かれていて、
思うさま生きて自由で素敵だなとなんとなくしみじみしたわけよ。

後添えの母親には反抗するが父親北斎想いのごく普通の娘であり、絵さえ描いていれば至極満足、
他は無頓着。善次郎への恋心は秘めて、いや通じていたからこその交流。善次郎が亡くなった時、
弔いまで、女たらしだ。
裸足のまま空を見上げると、鰯雲が風に流れていく。
右手の指先を二本揃えて咥え、半身を屈めて思いきり吹いてみた。
もう、これっきしだ。
善さん、あばえ。
女だてらに鳴らした口笛は川べりの秋草を揺らし、そして空へと吸い込まれていった
この描写、好きなんです、なんていじらしい。

「彼女が絵を描く場面は一部始終、きっちり書こうと最初から決めていたんです。」
インタビューでこう答えた朝井さん。 
代表作「吉原格子先之図」の構想を練っているお栄を朝井さんはこのように書いている。

私が見たのは確かに、夜の張店世だ。
西画じゃなく、かといって昔ながらの吉原図にもしたくないんだ、あたしは。
「挑む方が面白いじゃないか」

webより

見世の入り口を紙の右手に置き、柱の線を縦に引く。
紺の暖簾の下には、ちょうど茶屋から戻った花魁が通っている。
先導の禿は影だけで描き、花魁の襠の文様は後ろに従う男衆の提灯が照らしている。

岩紅と岩紺、岩黄の絵の具しか量が足りそうにないので、墨のほかにはいっそこの三つだけで彩色しようと決める。
色数を矢鱈と使わずとも、濃淡を作ればいくらでも華麗さは出せる。
入口の左手に、格子を縦に何本も引いていく。
見せの奥行きの線と通りに並んだ格子の影の線、この角度をきっちりと揃えた。
この平行に並んだ線があの場の、弾むような賑わいを呼び起こしてくれる。
画面の上方には軒先の影しか描くつもりはないが、二階から太鼓や三味線の音、笑い声が降ってくる。

命が見せる束の間の賑わいをこそ、光と陰に託すのだ。
そう、眩々するほどの息吹を描く。

「あたしはただ、絵を描いていたいだけ」。
お栄の諸々はもうこのことに尽きる。

閑話休題
それにしても興味がない知識がないって恐ろしい。
私、10月に太田美術館の「葛飾北斎」展に行って、同時に展示されていた「吉原格子先之図」を観ているのよ。
畳の部屋に展示されていたから、靴脱ぐまでないやとこちらからちらっと眼の隅に入れてただけ。ああ勿体ない。

 そのときのパンフレット。

おまけ。三曲合奏図(ボストン美術館蔵) webより

三曲合奏図(ボストン美術館蔵)
琴、胡弓、三味線を弾く3人の女性の様子。今にも音が聞こえてきそうな躍動感が感じられる。
琴を弾く女性の左手の形が、結構ムリした形。
演奏中の勢いがないとこの形にならないのではないか、激しい演奏を思わされます。
ここに描かれている三人は町娘と芸者と遊女で、
実際にこの身分の違う三者が一緒にいることは在り得ない構図です。
絵の中に遊女という吉原の女の人を描いていますが、蜘蛛の巣は囚われの身、
露は儚い身の上を表わしているそうです。

 

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『利休にたずねよ』 山本兼一

2017-11-08 08:57:07 | 

『等伯』を読んでいたら後ろ盾になってくれたひとりが利休ということを知り、興味がふつふつと沸いてきて。

 を借りた。

面白かった、等伯に匹敵するくらい、いやそれ以上かしら面白かった。

物語は、利休切腹の日から時を遡って。(私は頭が混乱して後ろから読み直そうかと思ったくらい)
利休切腹の前日、利休切腹の十六日前、そして堺に追放の前日、利休切腹のひと月前
利休切腹のひと月とすこし前、利休切腹の三月ほど前、利休切腹の前年、利休切腹の三年前、
利休切腹の五年前、切腹の九年前・・・と章を立てて戻って行く。

かかわりのある人物(秀吉、相恩、細川忠興、古渓宗陳 、 古田織部、徳川家康、
石田三成、黒田官兵衛、山上宗二、あめや長次郎等)がかかわりのある出来事をもとに利休像に迫って行く。
たとえば
この男は、稀代の騙りである(家康) 
しかし、気に喰わぬ(三成)
利休のこころの底には、いったいどんな毒の焔が燃えているのか(古渓宗陳)
利休居士には、ほかの茶人にない理がありまするな(官兵衛)

 等伯の描いた『利休』

利休の人物像は幾重にも重なり厚みを増して行って浮かび上がってくる。
読み終わると、まず「利休って嫌な人だな」が感想、わくわくしながら読んだのにね。
嫌な人だが嫌が単純じゃないから、いやむしろ魅力的だからかえって困る。

利休は切腹の日の朝述懐する。
ーわが一生は・・・。
ただ一滴の茶を、静寂のうちに喫することだけにこころを砕いてきた。
この天地に生きてあることの至福が、一滴の茶で味わえるようにと工夫をかさねてきた。
ーわしが額ずくのは、ただ美しいものだけだ。
美の深淵を見せつけ、あの高慢な男の鼻をへし折ってやりたいー。
秀吉の茶頭となって、そう想い暮らすうちに、あっという間に九年がすぎた。

利休切腹のふた月と少し前、利休はやはりおのれの生き方を述懐している。
ーつまらぬ生き方をした。
ー茶の湯など、なにほどのことか。

瞼を閉じると、闇の中に凛々しい女の顔がくっきりとうかんだ。
あの日、女に茶を飲ませた。あれからだ、利休の茶の道が、寂とした異界に通じてしまったのは。

その女とは。最終章のまえ、恋 千与四郎 のちの利休 19歳
高麗から連れてこられた高貴な娘に恋をして娘を連れて逃げようとするが追手が来て、
娘に石見銀山毒を飲ませ死なせる、自身はとうとう飲むことができずおめおめと生き残る。
女の小指は桜色の爪があまりに美しかったゆえに、食い千切り切腹の日まで持っていて。

妻相恩を悩ませてきたその女のことが全編を貫いてひたひたと流れている。

この小説においては、秀吉と妻相恩が感じた利休に対する気持ちに心底共鳴できる。
そうよそうよそうでしょ、そういう気持ちになるの、分かるわ、なんて。
秀吉なんてすごいわね、嫉妬が交じってこれでもかと利休に対してありとあらゆる嫌味。
1ページも2ページもそこまで言うか、というくらい。

利休切腹の前日

ーこれで、清々する。
ながいあいだ喉の奥に刺さって取れなかった小骨が、やっと取れる。天下人秀吉に、逆らう者は、
もうただの一人もいなくなる。

あの男は、あのときのほかは、冷ややかな眼でしか、わしを見たことがない。
だいたいあの男は、目つきが剣呑で気に喰わぬ。首のかしげ方がさかしらで腹が立つ。
黄金の茶室といい、赤楽の茶碗といい、わしが、いささかでも派手なしつらえや道具を愛でると、
あの男の眉が、かすかに動く。
そのときの顔つきの顔つきの高慢なことといったら、わしは、生まれてきたことを後悔したほどだ。
まこと、ぞっとするほど冷酷、冷徹な眼光で、このわしを見下しおる。
ー下賤な好み。口にはせぬが、目がそう語っておる。
(略)
悔しいことに、あの男の眼力は、はずれたことがない。だからこそ、歯噛みするほど口惜しい。
悔しいが、ただ者でないことは認めねばなるまい。
あの男は、こと美しさに関することなら、誤りを犯さない。それゆえによけい腹立たしい。

うーーん、この文章を読むと秀吉にいたく同情する。切腹させたくなる。利休憎し!よね。
いっぽう、妻の相恩は利休をどのようにとらえていたか。

ー薄情な人
ただ、できることなら、傲慢ななかにも、妻をいつくしむ心ばせをもってほしい。もっとよく妻を見ていてほしい

利休の才気は身震いするほど素晴らしい。茶の湯者としての美意識は、まさに天下第一等にちがいない。
そんな繊細な感覚の持ち主は、遠い憧れとして眺めているのがふさわしい。
夫であるとなれば、話はいささかちがってくる。

夫は、なにかを隠しつづけている。本当に惚れた女はどこか別にいるはずだ。
女の勘が、宗恩にそうささやいている。

とまことに現代にも通じるやるせない気持ちを夫に持ち続けていて。とうとう利休切腹の日。

その知らせを受けた相恩は利休切腹の部屋で床の間に飾ってあった緑釉の香合をにぎり。
ーくちおしい。
相恩は、手を高く上げ、にぎっていた緑釉の香合を勢いよく投げつけた。
香合は、石灯籠に当たり、音を立てて粉々に砕けた。

これで、利休は完全に相恩のもとに帰って来たのかしら、ね。

『若冲』『等伯』『利休にたずねよ』と読んできて、自分の全く範疇になかった小説が一気に近づいてきた
気がする。食わず嫌いはいけないわね。

それにしても、「利休にたずねよ」のタイトル、何を利休にたずねよといっているのかしら。
茶の湯のことかしら、美についてかしら、それとも、秀吉のように、
ーどうしてあそこまで、茶の湯に執着するのか。
一度、訊いてみればよかった。
ーいまからでも、遅くはないか。
ということかしら。ぼんくら頭には分からん。

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小説 『等伯』 安部 龍太郎

2017-10-29 09:53:40 | 

 

  

『等伯』 安部 龍太郎著

今まで時代小説は捕り物帳か市井物しか手に取ったことがなかったが完全に食わず嫌い。
歴史小説がこんなにわくわくするものかと。
地区センターの書棚で「どうぞ読んでください」とでもいうように目に飛び込んできて手に取った次第。

『等伯』
文句なく面白くドンドン引かれてあっという間に読み終えた。
だいたい実在の人物の小説は初めての「若冲」(すみません、どうにも違和感を覚えたので)で終わりと
思っていたら、ましてや男性作家の小説は好きじゃないからほとんど読まなかったのに、ね。

等伯、武士としても絵師としても一人の男としてもとても魅力的に書かれている。
私は歴史が苦手、生い立ちを綴る文章が苦手、と敷居はとても高かったはずなのにこの満足感。
「何者」と同時直木賞受賞だなんてまことに喜ばしい、と上から目線。

登場人物の脇役がこれまた魅力的で、実の兄武之丞、藩主の妻夕姫など全く憎らしい存在と思える人物も、
藩主を思うがあまりの行動と思えば、さもありなんと。
何度も苦い目にあいながら二人を切り捨てきれなかったことも、
等伯が武士の出であったことを思えば読んでいての歯がゆさも半減される。

妻の静子や後添え清子への濃やかな心遣いにも泣かされる。
そして最大のライバルの狩野永徳への対抗心や、自身がのし上がって行こうとする策略には等伯も
野望が大きかったんだな、なかなかだわい。と。

だいたいこのように実在の人物を書いた小説って、どこまでが事実でどこからが作者の解釈になっているのか
しらね。そんなこともちらっと思うのだが、そんなことどちらでもよろしいと魅力的で面白ければよろしいとひとり納得。

 

webで読んだ等伯のざっとした略歴。

等伯は染物屋の養子となって能登の七尾に育ち、30歳を過ぎてから京都に出てきた中年までは「絵屋」
すなわち絵を売る商売を営み、京都の繁華街に店を構えるまでになったいわゆる「成り上がり」の絵師。
そんな等伯が、同時代を生きた100年以上の歴史をもつ名門狩野家の4代目御曹司永徳
を超えるには
等伯をバックアップする有力者が必要だったというわけ。

能登から家族と筆だけを携えて上洛した等伯は、当初、画壇に何の足がかりもなく。
彼は法華信者だったので、そのつながりから日蓮宗の高僧や信者である武将、町衆と関わりを持ちやがて。

千利休や大徳寺の僧侶らの肖像画を描くことで彼らと交わるようになる。
権力者の肖像画というのは、社会的・政治的な立場が揃わないと描くことができなかったというので、
等伯は、それを戦略的につくり上げ、一大プロジェクトで周辺を固めた。と。

この事実を知るだけでも等伯がなかなかの策略家野心家であることが裏付けされるわね。
そうよ、時代を作り上げるにはそれだけの器量がなくては。
いずれにしても小説『等伯』は私にとって歴史小説への扉を開けてくれた(大げさね)貴重な1冊になったわ。

参考までに。


智積院『楓図壁貼付』

『松林図屏風』 右隻

 『松林図屏風』 左隻


 

 

 

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ざらっとする  3冊 『何者』『コンビニ人間』『冷血』

2017-10-15 09:43:07 | 

発行された順に並べると

2012年 『何者』 朝井リョウ
2013年 『冷血』 高村薫 
2016年 『コンビニ人間』 村田沙耶香 

となるが、私が9月下旬から十月上旬にかけて読んだ順は、
「何者」から始まって佐渡で「コンビニ人間」そして最後に「冷血」となる。
今までなら手に取らないような小説ばかりが目に入って3冊読破。

3冊をひとくくりにするなんて乱暴で失礼な話とは思うけれど。それを承知の上で。
どんなストーリーだったか、そもそもこれといった変化にとんだ物語はあっただろうか。
うっすらとしか思い出さないけれど、偶然3冊とも、
読後にどこか身体にざらっとする感覚が残るという気味の悪さはいつまでもそのままで残っている。

20代の朝井リョウさんが20代の若者たちの生態を就職活動を通して描き、
大学生が仲間とともに就職活動に励んでいく中、自分とは何者?と突きつけるそんな小説かな
と読み進めていくうちにちょっと退屈になって来たと思ったのが、最終でまさかの展開。

Twitterでのやり取りや空気を読みあって表面はいかにもなかよしこよしの関係を気づいているけれど、
実は裏のアカウントを取って、そのアカウント名が「何者」。そこで仲間への攻撃、挑戦、本音。
それをまた仲間のひとりがのぞきにいっている、と。なんだか気持ちが悪い、胸が悪くなる。
彼ら彼女に理解も共感もできなく、ああそういうものなのかと。
でもやはり何となくの生きづらさは伝わってきて切ない。

30代の村田沙耶香さんが、コンビニで働くことで自己の確立を実感している30代の女性を描いている。

「コンビニ人間」として生まれ変わってから19年間、コンビニでアルバイトとして働き続けてきた主人公・恵子。
完璧なマニュアルの存在するコンビニこそが、 私を世界の正常な「部品」にしてくれる――。
そんな生活に満足していた恵子のもとに、ある日、婚活目的の新入り男性、白羽がやってきて、
そんなコンビニ的生き方は「恥ずかしくないのか」とつきつけられるが……。
「普通」とは何か?現代の実存を軽やかに問う衝撃作。

「普通」とはなにか?と問われても困るがこの小説を読んでいると、世間の普通もおかしいのかもしれないが
やはり「普通」であることが普通よ、と言いたくなってくる。
主人公の恵子の考え方も不気味なら、なんのかんの理屈をこねまわして白羽さんという同居人が潜り込んでくるといっそう不気味さが増してくる。白羽さんという男性は気持ちが悪いくらいにもっと不気味だ。

sns、コンビニを背景にどちらもその時の今を映しだしていて。
それが象徴するのかどうかわからないけれど、生身の人間同士のやり取りが少なくなり、
人が他者に対して不寛容なことをつくづく実感するわけ。

 

2002年クリスマス前夜。東京郊外で発生した「医師一家殺人事件」。
衝動のままATMを破壊し、通りすがりのコンビニを襲い、目についた住宅に侵入、一家殺害という凶行におよんだ犯人たち。彼らはいったいどういう人間か?何のために一家を殺害したのか?ひとつの事件をめぐり、幾層にも重なっていく事実。

犯行までの数日間を被害者の視点、犯人の視点から描く第一章『事件』、容疑者確保までの緊迫の2ヶ月間を捜査側から描く第二章『警察』を収録。

「子どもを二人も殺した私ですが、生きよ、生きよという声が聞こえるのです」
二転三転する供述に翻弄される捜査陣。容疑者は犯行を認め、事件は容易に「解決」へ向かうと思われたが・・・・・・。合田刑事の葛藤を描く圧巻の最終章

携帯で知り合った30代の男同士が大した目的もなく留守と踏んで侵入した家で家人がいたことに
動転して殺人、目が合ったその目が気に喰わないというだけで殺人、次は自分がやらねばというだけで子供二人を殺害。金が目当てでもなく。犯行理由を問われても「わからないっす」の言葉。
こんな犯人たちを理解できようか。「わからないっす」の裏に隠れている心理を探れようか。

「刑事さん、俺は、自分にとって不本意な結果を招いたら後悔はする。でも反省はできねえ。
自分が可哀そうで泣くということもしないのに、人のために泣くなんてできるわけがねえ。
そんなことができるんなら人の頭を叩き潰すなんてことは吐き目からしてねえよ。」

と30代の犯人の男ひとりは告白している。
もう背中がぞわぞわしてくる不気味である。それでいながら、奇妙にどこかでそうかもしれないなと思ったりもして。

全編が取り調べ、供述書、録音などの記録。下巻はほとんどが供述供述書だけ。
供述は供述でしかない。それ以上でもそれ以下でもない。犯行の動機を詮索するのは止め。

「事件のなぞが解かれた先の、答えの出ない堂々巡りの世界を言葉で編んでいくのが私の仕事だと思うんですよ」
と高村さんはインタビューに答えている。

ここ1週間でも父親が妻と5人の子供を包丁で殺害するという事件。
出頭してきたとき震えていたという父親の内なるものはいかがだったのだろうか。
そもそもそんなものはあったのだろうか。
これからも理解不能の痛ましい犯罪が起きるたびに、この小説が浮かびそうだ。

 

 

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