goo blog サービス終了のお知らせ 

まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

池波正太郎 鬼平犯科帳(七)『寒月六間堀』

2020-06-03 09:05:26 | 

「寒月六間堀」
いいタイトルだなとつくづく。

寒くて冷たい冬の夜、冴え冴えとした月が江戸の町を煌々と照らしている。
皆が寝静まったそんな夜、六間堀で事がおきる。
はたして・・・
うん、そんな情景が浮かんでくるのよ、タイトルひとつで。
『鬼平犯科帳』私はどうやら地名が入ったタイトルが好きなようだ。

平蔵はいつものように着ながしに編み笠の浪人姿で市中巡回している。
弥勒寺門前の茶店「笹や」で、若いころからの馴染みのお熊婆さんから
茶をもらってのみかけた、と何気もなく、弥勒寺の南、五間堀に
かかっている弥勒寺橋のたもとを見やって、
(や・・・・・?)
きらりと、眼が光った。

もうここら辺からすでに何がおきるのかとドキドキが始まるのよ。

 

平蔵は七十をこえた旅の老武士市口瀬兵衛
(垢じみた、よれよれの旅装を小柄な痩せこけた身につけ、
陽に焼けつくし埃にまみれつくした渋紙色の老眼の、目鼻立ちよりしわが目立った)

が、わなわなふるえる手でよれよれの鉢巻きをしめ、大刀を引き抜くのを注視する。
そして、尾行せずにはいられない悲壮さとあわれさを、老武士に感じてしまって。
息子の仇討ちをするというこの老人を、密偵や与力同心の手助けなく
自らひとりで助太刀することになるわけ。

その助太刀の場面の情景描写がこちら。
本所の堅川と深川の小名木川をつなぐ六間堀川南端にかかる猿子橋の西たもとは、
右が幕府の御籾蔵、左が深川元町の町家であった。
その御籾蔵の角地へうずくまっている市口瀬兵衛と仙次郎の前に、先ずあらわれたのは
長谷川平蔵である。


ドラマのワンシーンにみる映像がありありと。監督やカメラマンは腕の見せどころだろうな。
そして。その夜を池波さんが書くとこうなる。
青白い月光が、道を、家並みを、水の底に在るもののように浮き上がらせ、
寒気はきびしかった。

11巻まで読み終わったけれど、
この「寒月六間堀」のように盗賊が出てこない話は今のところない。
かように珍しい話だ。といきなり池波さんになったりして。
どの話もそうなのだが、ことのほか後味がまことにすっきりして心地良い気分に浸るわけ。
そして、しみじみとして温かいものが胸の内に広がっていくわけ。

ところで、池波さんは冒頭、平蔵に言わせている。
長くなるけれど引用しますね。好きな件なので。

火付盗賊改方の長官(おかしら)・長谷川平蔵宣以(のぶため)は、
その生い立ちが生い立ちだけに、
「四十をこえてみて、わしは、その二倍も三倍もの年月を生きてきたようにおもえる。
さればさ、もう生きているのが億劫になった」
と、妻女の久栄に、よく語りもらすことがある。

つまり、それだけ多彩な人生を体験してきたからであろうが、いまになってみると平蔵、
つくづくとこうおもうのである。
(つまりは、人間(ひと)というもの、生きて行くにもっとも大事のことは・・・・・
たとえば、今朝の飯のうまさはどうだったとか、今日はひとつ、なんとか暇を見つけて、
半刻か一刻を、ぶらりとおのれの好きな場所へ出かけ、好きな食べ物でも食べ、
ぼんやりと酒など酌みながら・・・・・さて、今日の夕餉には何を食おうかなどと、
そのようなことを考え、夜は一合の寝酒をのんびりとのみ、疲れた躰を床に伸ばして、
無心にねむりこける。このことにつきるな)

ま、私もそう思わなくもない。恐れ多いけれど。
が、私のそれは、思ったとしても平蔵さんのように、
日々命を張ってお勤めに励んでいるわけじゃないから、
どうしてもただの怠け者になって、どこの誰へともなく「申し訳ない」
と小さくなるのである。なんて。

それにしても池波さん、40代の平蔵にこんな述懐をさせるなんて。
(いや当時の40代は今とは比べ物にならないくらい老成してたものね)
ご自身にも思うところがあったのかしら、とこれは要らぬお世話。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

装画を楽しむ 『まんまこと』シリーズ

2020-05-18 09:08:11 | 

『まんまこと』シリーズ 作者は畠中恵さん。
私は1巻と最新刊の7巻、途中は2巻くらい読んでいるんじゃないかと思う。
思う、なんてあいまいだけれど、ほぼ忘れているの。ぼんやり思い出すくらい。
ま、江戸庶民の暮らしぶりに接すればいいかなくらいの感じがいけないのね。
ごめんなさい、畠中さん。近ごろは全部なんでも忘れるから許してくださいませ。

で、手に取るわけは(って大げさ)南伸坊さんの装画が大好きだから。
表紙の人物を見るだけで、江戸の町が想像できるような気になってくるから不思議。

人物だけで背景は描いてないのに、
温かみのあるちょっととぼけた表情や姿から、
長屋だったりお店だったり町の賑わいだったり人々の行きかう様子だったりが
鮮やかに浮かんでくる。
装画ってほんとに大事だ。

「ほんとうのこと(真真事)」は
玄関先で明かされる

江戸は神田、
玄関先でさまざまなもめごとの裁定をしている
町名主の跡取り・高橋麻之助

立場が嘘のようなそのお気楽ぶりは、
十六のときの「ある出来事」が原因というが―。

今日も持ち込まれる難問奇問・やっかいごとに、
時には悪友八木清十郎と相馬吉五郎の力を借りながら、
麻之助は敢然と(?)立ち向かう!

相関図 こちらも伸坊さんのイラスト。
そうです、登場人物全員ほんとこんな感じです。
1巻から順に7巻まで、おそらくどれから読んでも大丈夫です。

(すべてwebからお借りしました)7冊の表紙絵をお楽しみくださいませ。
帯を読むだけでだいたいの話がわかります。

ちょっと読んでみようかなと思われたら、こちらも参考にどうぞ。

まんまこと

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池波正太郎 『鬼平犯科帳』 再読

2020-05-01 08:53:24 | 

いつも本を借りていた施設が軒並み休館だから、仕方なく家にある中から探す。
といってもほとんど処分しているからめぼしい本がない。
内容の重いものは嫌だ、長いものもごめんだ。エッセイの類もちょっと。
なんて注文していたら「そうだわ」とこちらになったわけ。

『鬼平犯科帳』
はまったわ、繰り返し読んだわ。テレビ版も大好きだったもの。
中村吉右衛門さん、高橋悦史さん、江戸屋猫八さん、尾身としのりさん、梶芽衣子さん。
読んでいるとお顔が浮かんできて、セリフもご本人たちの口調で聞こえてくる。

多分、15年以上は手に取ってなかった、と思う。
もう文庫本の紙が茶色くなっているからね。

春のうらうらした陽気に、盗賊の話はなあとは思いつつ。
いやあ、やっぱり面白い。
冒頭からドキドキハラハラして如何にと、結末はうっすらと分かっているのに。

で、『鬼平犯科帳(一)』 4話「浅草・御厩河岸」
「御厩(おうまや)河岸」
タイトル読んだだけで、江戸の情緒が浮かび上がってきて引き込まれるわけ。

[豆岩]はその御厩河岸渡船場に面した三好町の角の小さな居酒屋だ。
そこで、岩五郎は火付盗賊改方与力、佐嶋忠介に見込まれて手先となる。
もちろんその前は盗賊。
岩五郎がそうなったにはついては、むろん、それだけのいきさつがあった。

ところが。
岩五郎、昔の盗賊仲間に見つかって、あろうことか盗みの手伝いまで頼まれてしまう。
計画がすすむにつれ、岩五郎は綿密な計画に感嘆せずにいられなかった。
岩五郎は蔵の錠前を外す道具をひそかにあつらえ、計画に熱中した。
ところがその計画がひょんなことから駄目になってしまって。 

われ知らず、この頭領と、この大仕事に魅せられて夢中に日をすごし計画に加わっていた
岩五郎の盗賊としての情熱が、(何てえこった、残念な・・・・・)
の心情となって露呈されたのである。

「おれだ」
何気なく岩五郎へ声をかけておいて、さっさと遠ざかって行く。
与力・佐嶋忠介であった。岩五郎は、これに従って歩みだすよりほかに道はなかった。

岩五郎は、密偵というお役目と盗賊の血とが板挟みになって。
そこで佐嶋にあったのでは密偵のお役目を第一にし、密告したのである。
が、盗賊たちの報復を恐れて夜逃げした。
葛藤する岩五郎、なんて人間くさい。

盗賊たちを一網打尽に捕まえた後、清水門外の平蔵役宅で平蔵、佐嶋そして
平蔵の剣友、岸井左馬之助が酒を酌み交わしている。

佐嶋が捕まえましょうかと言うと、平蔵、
「捨てておけ」
「岩五郎が、越中のどこかの街で、中風の親父と盲目の義母と、女房と子と、
安穏に好きなどじょう汁をすすってくれるような身の上になってくれることだな」

酸いも甘いも噛分けたこんなセリフ、今どきの腑抜けたやつに言えるかと惚れ惚れするわけ。

時に平蔵も左馬之助も44歳。
平蔵は占いもするという剣友岸井左馬之助に訊く。

「ところで左馬。おれが寿命は?」
「五十まで」ずばり、いいきったものである。
平蔵は、にやりとして、こういった。
「あと六年か・・・・・やるだけはやってのけておくことだな、左馬」

吉右衛門さんの平蔵がそう言い放つ様が浮かんで・・・・・ああしびれるわ。

 

贔屓の火付盗賊改方同心木村忠吾がはじめて登場するのは『鬼平犯科帳(二)』
「谷中・いろは茶屋」 このタイトルも好きだ。
案外に遅い登場だったのねとの感想。

「とても、あやつめはつかいものにならん」
温和しい性質だし、芝・神明前の菓子舗〔まつむら〕で売り出している
〔うさぎ饅頭〕そっくりだというので、
口のわるい与力や同心たちは、忠吾に面と向かって
あからさまに「兎忠(うさちゅう)さん」などと、よぶ。

その忠吾がお頭の平蔵から市中見回りに谷中方面を言いつかる。
そこで、岡場所の妓、お松にぞっこんとなる。
ところが実はそのお松を川越の旦那こと兇盗の「墓火の秀五郎」が面倒を見ている。

で、そういうことの後、お松が川越の旦那の言った言葉を忠吾に聞かせるわけ。

「人間という生きものは、悪いことをしながら善いこともするし、
人にきらわれることをしながら、いつもいつも人に好かれたいとおもっている・・・・・」
「そういったのか、川越の旦那が・・・・・」

そんな折、
「忠吾。このところ御用繁多で作るべき書類もたまっておる。しばらくは、
わしの手もとではたらいてくれい」
平蔵が傍へ引きつけてしまったので、もう外出が自由にならぬ。

木村忠吾はお松に会いたくて会いたくてついに無断で役宅を抜け出す。
そしていろは茶屋に向かうその時。怪しい影を見てしまう。
そりゃあ忠吾、いくら遊びに出かけてもお役目は忘れはせぬ。大活躍。

この後の吉右衛門さんの平蔵と尾身としのりさんの木村忠吾のやりとり
が、すぐそこで行われているかのように目に浮かぶのよ。
褒美を取らそうという平蔵に平身低頭して固辞し、

「あの夜、わたくしは、天王寺のいろは茶屋へ妓と忍び合うため、
無断にて長屋をぬけ出しましてたので・・・・・」

すると平蔵が、若い忠吾の胸の底へしみ入るような微笑をうかべ、
「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、知らぬうちに
悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。
これが人間だわさ」

んんん、シリーズ全編を通して何度も出てくるセリフ(もちろん全く同じセリフではない)
やっぱり長谷川平蔵の懐の深さにぞっこん。
いやあ参ってしまう。

1日、1話か2話を少しずつ読んで楽しんでいる。
ただいまシリーズ(三)を読み終わって(四)に。
で、三の「兇剣」で平蔵、危うく命を落とすところを左馬之助が間一髪で助けるのね。

左馬、おぬしがいつかいった、おれの寿命のことだが・・・・・」
「さよう、そのことが今日の斬り合いのことだったのか?」
「ほかならぬきさまが、役をはらってくれたというわけか・・・・・」

「いのちの恩人、いのちの恩人」
「こやつ、やたらに恩を着せる男だ」
「は、はは・・・・・」

男ふたりの友情というか深いお思いやりのさりげなさが、また胸に染み入るのよ。

24巻もあるからゆるゆる読んでいくわ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受け入れること『ライオンのおやつ』小川糸著

2020-03-10 09:16:11 | 

私が子供のころ食べていた「おやつ」は何だったろうか?
干し柿や焼き栗、ふかし芋はおやつに入るのだろうか。
思い出そうとしても、今でいうおやつはなかったような気がする。
そもそもおやつという感覚がなかったのかもしれない。
おやつにまつわる甘いものの記憶は。
たった1回クリスマスの朝、枕元にあった薄い板チョコ。
母がお通夜の時にもらってくるお饅頭。このいくらいだった。貧しかったのね。

「人生の最後に食べたいおやつは何ですか?」
おやつはその人の人生が浮かび上がってくる。

若くして余命を告げられた主人公の雫は、
瀬戸内の島のホスピスで残りの日々を過ごすことを決め、穏やかな景色のなか、
本当にしたかったことを考える。 

入居してくる人に、ホスピスを運営するマドンナは、
毎週日曜の午後3時からこのホスピスでお茶会が開かれる。
ゲストの皆は、もう一度食べたい思い出のおやつをリクエストすることができる。
できれば具体的に、どんな味だったか、どんな形だったか、どんな場面で食べたのか、
思い出をありのままに書いていただければ、と話す。

そんな意図を持ったおやつの時間。
小説では6人の人のそれぞれのおやつリクエストが紹介される。



雫さんが入居して初めてのお茶会。
アワトリス氏 コンビニのロールケーキをリクエスト。

台湾菓子の「豆花(トウファ)」タケオさんのリクエスト。
貧しかった台湾での生活の中でお母さんが作ってくれたおやつ。
タケオさんは、じーっと、まるで懐かしい無声映画を見るような目で、
豆花を見つめていた。それだけで食べない。

二回目のおやつ「カヌレ」それはフランスに古くから伝わる洋菓子。
銀行員をやめコーヒー屋になったマスターのリクエスト。
学生最後の貧乏旅行でパリのカフェで食べたカヌレ。
「望みは捨てるな、希望を持ち続けろ」とはっぱをかけてくれたカヌレは、
自分の人生にとっての一番星みたいな存在だと。
残念ながらマスターはカヌレを食べることができなかった。

百ちゃん、百ちゃんは自分ではリクエストをしなかった。
イルカの調教師になりたいという夢を書いていた。その前は大工さんになりたいと。
百ちゃんの代わりにお母さんがリクエストを書いた。
アップルパイが食べたいと。

最後に百ちゃんに会わせてもらう雫さん。
壁に「生きる」のお習字が張ってある。生きることをあきらめていない百ちゃん。
雫さんは呼びかける。
「百ちゃん、天国に行ったら一緒に遊ぼうね。私も、すぐに行くからね。
また会おうね。約束だよ」
なるようにしかならない。百ちゃんの人生も、私の人生も。
その通りかもしれないけれど、なんて悲しい現実なのだろう。

「ライオンは動物界の百獣の王だからもう敵に襲われる心配はない。
安心して食べたり、寝たり、すればいいってこと」
『ライオンのおやつ』のタイトルの意味はここにあったのね。

マドンナが部屋を出てから、私は声を張り上げて泣いた。
「私はまだライオンになんんかなりたくない。百獣の王にならなくていいから、
生きたいよ。もっともっと長生きしたいよ。まだ、死にたくなんかないんだってば!」
雫さんの本音がほとばしり出て、そばにいたら抱きしめてあげたくなる。

次の週のおやつの時間。一度だけ母が自分のために作ってくれた牡丹餅。
厨房を取り仕切っている狩野姉妹の姉シマさんのリクエスト。
牡丹餅のことは何も知らなかったけれど、姉のリクエストを作った妹の舞さん。
今日のおやつに時間によって、二人の何かが救われた。
シマさんは妹に対する嫉妬心と、舞さんは姉に対しての無知と。

そしてまた、日曜日のおやつの時間。今度こそ。雫さんのリクエスト。
小学校の二年か三年のときのこと。父の誕生日に初めて一人でお菓子作りに挑戦する。
選んだのはミルクレープ。人生で初めて自分で作ったお菓子。

それに何よりも嬉しかったのは、父が喜んでくれたことです。
あのミルクレープを、旅立つ前に、もう一度食べたいです。

お父さん、六花(ろっか)そしてお母さんが違う妹、がミルクレープを食べている。
雫さんはもう食べることができない。
何気ない日常の間にキラキラした甘い思い出が挟み込まれていて、
それはまさしく私の人生を象徴するように思えた。
このタイミングで旅立ってもいいのかもしれない。
私にはもう、心残りはひとつもない。
振り返ると、なんて味わい深い人生だったのだろう。
私はこの人生で、酸いも甘いも経験した。
きっと、私の人生は、生きることのままならなさを学ぶためにあったのかもしれない。


奇跡的に参加することができた次のおやつの時間。
作詞家の先生のリクエスト「レーズンサンド」
雫さんにとって最後に参加したおやつの時間。

「なにか」を受け入れる。なにかとは、
運命であったり、家族であったり、誰かだったり、過去だったり、そして自分だったり。
なにかを受け入れることは容易にできることではないだろう。
主人公雫さんも、残された日々をマドンナや犬の六花、タヒチくんとレモン島
と呼ばれるホスピスのある島で過ごすうちに、時に激しく格闘しもがきながら、
やがて淡々とすべてを受け入れていく。

―食べて、生きて、この世から旅立つ。
すべての人にいつか訪れることをあたたかく描き出す、今が愛おしくなる物語。―

小川糸さんのこの本、しみじみとじんわりと柔らかい気持ちになって。
私が書店員さんだったらこの1冊を本屋大賞に推すわ、きっと。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『9月1日 母からのバトン』樹木希林・内田也哉子♪海へ来なさい 井上陽水

2020-02-19 08:56:46 | 

『9月1日 母からのバトン』

「死なないでね・・・どうか、生きてください」
希林さんが病室の窓の外に向かって、涙をこらえながら、繰り返し語りかけてた言葉
「今日は、学校に行けない子供たちが大勢、自殺してしまう日なの」
「もったいない、あまりに命がもったいない」
ひと言ひと言絞り出すように教えてくれた、と娘也哉子さんは述べている。

希林さんの死後「不登校新聞」の編集者から、希林さんが不登校・ひきこもりの人たちに
ついて語った原稿が送られてきて、也哉子さんはそれを母からのバトンだと理解した、という。
本当のことをもっと知りたい、その現状を誰かと共有できればと願うようになって。

 (webより)

也哉子さんは4人の方と学校に行けない子供たちについて対話している。
そのおひとりがご自身も少年時代壮絶ないじめにあったという
 ロバートキャンベルさん(webより)

也哉子さんが、希林さんが亡くなってから物理的に慣れないことで忙しくなって、
精神的にも不安がいっぱいだった時に、一回すべてをストップして海を見にいった
という体験を語ったとき。

キャンベルさんは語っている。

7年位前に大きな病気をして入院していたのですが、その時に
井上陽水さんの歌詞を1日1曲、英訳していたんですよ。2か月かけて全部で50曲。
(キャンベルさん、陽水さんの歌が大好きだそうな)

みんな普段分かっているつもりで陽水さんの曲を聴いていると思うんですけど、
僕には彼の日本語のある部分が分からないのです。

本人と会って何回か話をするんですけれど、するりとかわされる。
答えたくないんですよ。みんなそれぞれの解釈があるから、作詞家として言いたくない。
彼の歌をひとつの素材として、英語と日本語で行ったり来たりすることはすごく
おもしろかったし、「日本」を新たな道筋から発見させてくれました。

ああ分かります、陽水さんがするりとかわしたということ。
拙ブログの「深読み音楽会井上陽水さん」でもそうだろうなと想像したことは書いたつもり。
実はこの歌はその番組で♪人生が二度あればの対極として取り上げられている。
陽水さんの長男が生まれた時に作った歌だそうな。
その事実が分かるとなおのこと、キャンベルさんがこの歌を話したいと思ったことが理解できる。

(佐渡)

♪海へ来なさい

太陽に負けない肌を持ちなさい
潮風にとけあう髪を持ちなさい
どこまでも 泳げる力と
いつまでも 唄える心と
魚に触れるような
しなやかな指を持ちなさい
海へ来なさい 海へ来なさい
そして心から 幸せになりなさい

風上へ向える足を持ちなさい
貝がらと話せる耳を持ちなさい
暗闇をさえぎるまぶたと
星屑を数える瞳と
涙をぬぐえる様な
しなやかな指を持ちなさい
海へ来なさい 海へ来なさい
そして心から 幸せになりなさい

この歌はずっと「しなさい」でつながっていますよね。
「何かをしなさい」って言葉は、普通なら子どもにプレッシャーや
規範意識を植えつける言葉じゃないですか。
でもこの「しなさい」ほどやさしい日本語はないんです。

この歌がひょっとすると、それこそまだ若い、グラグラした砂の上に立ち、
バランスがうまくとれずにいる、まさに渚に立つような人と出会ったときに、
私たちがどういう言葉をかけることができるのか、どう向き合えるのか、
というテーマに通ずるかもしれないと思ったので持ってきた。
とおっしゃっている。

大人の私でさえ漠然と生きづらい世の中だな、なんとなく息苦しいな
と感じている今の社会状況。
孫のチュッパは4月から小学1年生、学校という複雑な社会に一歩出ていく。
緩やかなしなやかな感性を持って、たくましく漕ぎ出していってほしいものだ、
と陽水さんの歌に乗っかってばあばは強く願っているのです。

 

海へ来なさい 井上陽水 1992 SPARKLING BLUE (日本武道館)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

直木賞受賞作『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』大島真寿美

2019-11-14 05:34:03 | 

 

直木賞 大島真寿美さん  

虚構と現実が反転する恐ろしさまで描き切った傑作! ──桐野夏生氏
いくつもの人生が渦を巻き、響き合って、小説宇宙を作り上げている。──髙村薫氏

「妹背山婦女庭訓」や「本朝廿四孝」などを生んだ
人形浄瑠璃作者、近松半二の生涯を描いた比類なき名作!

江戸時代、芝居小屋が立ち並ぶ大坂・道頓堀。
大阪の儒学者・穂積以貫の次男として生まれた成章(のちの半二)。
末楽しみな賢い子供だったが、浄瑠璃好きの父に手をひかれて、竹本座に通い出してから、浄瑠璃の魅力に取り付かれる。
父からもらった近松門左衛門の硯に導かれるように物書きの世界に入ったが、
弟弟子に先を越され、人形遣いからは何度も書き直しをさせられ、それでも書かずにはおられなかった……。
著者の長年のテーマ「物語はどこから生まれてくるのか」が、義太夫の如き「語り」にのって、見事に結晶した奇蹟の芸術小説。

筆の先から墨がしたたる。
やがて、わしが文字になって溶けていく──

直木賞選考概評から

「私は人形浄瑠璃はもとより歌舞伎にも疎い不勉強者なので、最初のうちは敷居が高く、おそるおそるという感じだったのですが、大島さんの筆による近松半二の明るい人柄に惹きつけられ、すぐに読むのが楽しくなりました」-宮部みゆきさん

推せなかった理由は、ほとほと感心して読みながらも、あまりに大衆文学としての普遍性を欠くと考えたからである。」「いったいどれほどの読者の理解を得られるかと思えば、ためらいが先に立った。」ー浅田次郎さん

「文楽に詳しい読者の心を動かしても、私のように無知のまま読んだ人間を動かすだけの普遍性は持ち得ていなかったと思う」
ー北方謙三さん

「扱っている題材が一般の人には馴染みのない世界だという理由と、自分が大阪出身だから読みやすかったのではないかという疑念から、三番手に推した」-東野圭吾さん

人形浄瑠璃も「妹背山婦女庭訓」なる演目も、ましてや近松半二という浄瑠璃作家にたいしてもなんの知識もないままに
読み進めたけれど、わくわくするほど面白かった。
いったい半二は浄瑠璃作家としてものになり大成するのか、早く先が読みたいなと思うほどに。
それにしても、主人公の近松半二が実在の人物だということすら知らなかったし、読み終わった後も
大島さんが生み出した人物だとばかり思っていたのだからお粗末極まりない。

「近松半二(ちかまつ はんじ、享保10年〈1725年〉 - 天明3年2月4日〈1783年3月6日〉)は、浄瑠璃作者」
と知って、あらそうだったのか、という体たらく。実際にいた人物だったのか、なんてほんと無知。

そんなだから、選考作家さんたちの危惧は、私の場合全く当てはまらない。直木賞!うんいいかもと頷くわけ。
宮部みゆきさんの概評が私にもぴったり当てはまる。
半二のものごとにとらわれない、いい加減とも思える生き方がうらやましく思えるほど。

もちろん創作しているときの、のたうつような悶々とした思いは伝わってくるがそれすら楽しんでいるような半二。
ゆるゆると語る全編大阪弁も抵抗なくすーっと入ってきて少しも邪魔にならず、むしろ音楽的な効果を生み出しているよう。
道頓堀の芝居小屋界隈の雰囲気を感じさせて、物語を生き生きとさせるている。

それにしても長い小説で、最終章の妹背山婦女庭訓主人公お三輪の語りは、私にとっては退屈で、素人考えでここは省いてもいいんじゃない、その演目が大好評を博し熱狂させたところで幕を閉じてもいいのじゃないとすら思った。

そうそう、文楽についての何かがないかなと探していたら2019年5月国立劇場の通し狂言『妹背山婦女庭訓』の
公式ホームページが見つかりました。まだ掲載されているのでよろしかったらどうぞ。
人形の写真を見ているだけでも楽しいです。

 こちら

受賞作の『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』をはじめ 、今回の候補作品三作(『美しき愚かものたちのタブロー』『トリニティ』)
がいずれも実在の人物をモデルにした小説であることは単なる偶然かしら、ね。

もし、私が選考委員だったら『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』か『トリニティ』のどちらかを推そうと選考委員会に臨むな、
なんてしょうもないことを妄想するわけでして。(『トリニティ』は「渦」の後に読んでこちらもとても面白かった)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妻が読む『妻のトリセツ』黒川伊保子著

2019-10-09 09:03:44 | 

子育て真っ只中の夫に向けて書かれた本だからなあ、と思いつつニヤニヤしながら読んだわ。
ふふふよ。

本書は、脳科学の立場から女性脳の仕組みを前提に妻の不機嫌や怒りの理由を解説し、夫側からの
対策をまとめた、妻の取扱説明書である。戦略指南書と言い換えてもいい。(略)
プロの夫業に徹することで、その結果、妻から放たれる弾を10発から5発に減らそうというのが本書の目的である。

この間大好きなテレビ番組「ドキュメント72時間」を観ていたら、ある男性の言葉に感動したの。
巨大ホームセンターでのインタビュー。その63歳の男性氏、妻を突然の病で亡くした。
(録画は消したので正確な言葉ではないけれど、ニュアンスは出ていると思います)
「仕事仕事でしたから。男は仕事が第一と思っていましたから。バカでしたね」
息子が部活で使ったユニホームを妻にどさっと投げたことに怒り心頭で言い放った言葉。
「お前にとってはお母さんかもしれないけれど、俺にとっては好きな女だ!」
どうよ、言える?男性氏!こんな言葉。涙ぐむ男性にもらい泣きしそうになったわ。

このエピソードとそっくりのトリセツが本書に描いてあるの。

息子の思春期になったら女性脳を慰撫する役目を夫の手に取り戻そう。
息子が妻に反抗した場合は「俺の大切な妻に、そんな暴言は許さん!」と毅然と言おう。
妻がいちばん大切だと宣言することは、妻の心に響く。
このひとことがあれば一生夫と寄り添っていけるという妻も少なくない。
ほんと、そうよ。言ってほしいもんだ。もう今さらだからいいけれど。

「名もなき家事がふたりを分かつ」

そう、名もなき家事。ニュースで見たわ、9割は妻が引き受けているって。
そしてこの名もなき家事が(たとえば食料品日用品のストックを考える、献立を考える、等々膨大な数よ)
妻のストレスをため込んでいく。との指摘に「そうだ!」と大きく頷いたの。

たとえば。
妻は「ついで家事」をする。トイレに立つついでにテーブルに置かれたコップを台所に持っていく。
歯を磨くついでに鏡も磨く。
ところが夫は、トイレに立っても、目の前の汚れたコップを下げようとしないし、トイレの帰りに、
台所によって水を飲んでコップをそのまま放置して、家事を増やしさえする。って。

でもね、それも男性脳のなせる技らしい。男性脳は女性脳にくらべて行動文脈が短い。女性脳が、
「トイレに立ったついでに、こちらのものをあちらに持っていき、そしてトイレに行って、
帰りにこれをああして、こうして」と比較的長い行動文脈を常時紡ぎ続けているが(よおく分かるわ、その通り)
男性脳はこの能力が低いんですって。だから、男性脳は、
トイレに行くなら「行く、出す、戻る」しかない。
キッチンにコップを持っていくなら、それしかできない。
妻からついでにこれとあれをやって、なんて言われると大きなストレスになるそうよ。
横浜友よ、ご主人の入れ歯の件、これでお分かりいただけたでしょ。

じゃあこんなストレスを抱えた妻の取り扱いはどうすればいいの、よね。
ま、そんな男性脳だから、名もなき家事と戦っている妻を助けることは不可能に近いと、きっぱり黒川さんは断言。
でも、それじゃあなんだから、ただひとつ。
大爆発を防ぐには、とにかくねぎらうことだそうだ。
毎日じゃ嘘くさいから月に一度でいいからねぎらいの言葉をかけるんだって。
そうよ、その通り!「大変だね(決して上から目線で言わないでね)、ありがとう」言ってくれれば
ま、やってやるかと、しわしみだらけの面の皮の厚い妻でもその気になろうというもの。

こんな事例が多々。妻の取り扱い方も具体的。
事例はあるあるだけれど、取り扱い方法は「もうそんなこといいわよ」と寛容になった妻はかえってめんどくさい。
いや、まだまだ現役バリバリの夫諸君はそれなりに参考になるんじゃないかしら。
ざっと読めますから試にどうぞ。


 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選考委員になったつもりで 直木賞候補作『平場の月』『マジカルグランマ』『美しき愚かものたちのタブロー』

2019-10-06 08:53:34 | 

えらそうに上から目線で感想をざっと書いたりして。
ま、読者は自由に読むことができるからね、見当はずれなことは許してくださいませ。

私は今のところ小説についてはハードカバーは買わない。
すべて地区センターか小学校の市民図書で借りている。圧倒的に新刊本に出会う確率が高いからだ。
そんなわけで9月上旬、2週間の間に偶然にも今年度直木賞候補作品を読むことができたの。

【直木賞】候補作品
▽朝倉かすみ「平場の月」(光文社)
▽大島真寿美「渦 妹背山(いもせやま)婦女(おんな)庭訓(ていきん) 魂(たま)結び」(文芸春秋)
▽窪美澄「トリニティ」(新潮社)▽澤田瞳子「落花」(中央公論新社)
▽原田マハ「美しき愚かものたちのタブロー」(文芸春秋)▽柚木麻子「マジカルグランマ」(朝日新聞出版)

『平場の月』 朝倉 かすみ

朝霞、新座、志木。
家庭を持ってもこのへんに住む元女子たち。元男子の青砥も、このへんで育ち、働き、老いぼれていく連中のひとり。
元女子須藤とは病院で再会した。50歳になった男と女の、心のすき間を、求めあう熱情を、生きる哀しみを、
圧倒的な筆致で描く大人の恋愛小説。

私、『田村はまだか』を読んだときずいぶん新鮮な感じがしていいなと思ったから期待した。
が、元男子青砥からなのか元女子須藤からなのか、視点が交錯して文章がとても読みにくいのよ。
そこで引っかかるからなかなか前に進まず、内容も頭に入りづらい。
おまけに男子はともかく女子が、いくら同級生とはいえ元男子に「青砥」と呼び捨てするかしら、
なんてどうでもいいようなことに拘ってなおさら進まない。
さらにさらに会話の内容が、これは高校生じゃないよね、と何度も確認しなくてはいけないほどで参ってしまった。
二人の間に漂う乾いた空気感が悪くはないだけに、とても惜しい気がする。
大人の恋愛小説ってそうかしらと思うほどでもないな、いややっぱりそうかなの内容。

『美しき愚かものたちのタブロー』 原田マハ

日本に美術館を創りたい。
ただ、その夢ひとつのために生涯を懸けた不世出の実業家・松方幸次郎。
戦時下のフランスで絵画コレクションを守り抜いた孤独な飛行機乗り・日置釭三郎。
そして、敗戦国・日本にアートとプライドを取り戻した男たち――。
奇跡が積み重なった、国立西洋美術館の誕生秘話。

いつもの原田さんのお得意分野で、安心して読み始めたけれど。
今までの絵画小説よりも、絵画に携わる人や事実に基づくフィクションの部分が窮屈で想像力を駆使されてない感じがする。
なんだか小学生の読む伝記小説のようだな、とは言い過ぎかしら。
やはり松方幸次郎が日本人であまりにもよく知られているから、膨らませようがないのかしら。
むしろ、戦時中に松方の部下だった日置釭三郎が「松方コレクション」をパリ郊外の田舎町・アボンダンに疎開させて、
それらを守り抜いたエピソードがいちばん面白くドキドキしたから、
そっちをメインにしたどうだったかしら、なんて余計なおせっかいね。

 『マジカルグランマ』柚木麻子

いつも優しくて、穏やかな「理想のおばあちゃん」(マジカルグランマ)は、もう、うんざり。
夫の死をきっかけに、心も体も身軽になっていく、元女優75歳・正子の波乱万丈の人生。
「理想のおばあちゃん」から脱皮した、したたかに生きる正子の姿を痛快に描き切る極上エンターテインメント! 

柚木さんの小説は「ランチのアッコちゃん」など数冊読んでいて、若いのになかなか手練れな方だなとは思っていた。
うーん、正子さんパワフルだけれどどこか絵空事だなと共感はしない。実も蓋もないわ。
自分が近い年齢だから厳しくなるのね、とバッサリ。

以上、独断と偏見による手前勝手な選評でした。
あっそうそう、厳しいこと書きましたが3冊とも面白かったのよ。なんて取ってつけたような、いやほんとです。
三作品の装画が、それぞれ内容の雰囲気を的確に表現していて素晴らしいな、との感想も蛇足ながら付け加えます。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ざわっとする3冊 『真実の10メートル手前 』米澤穂信『噛みあわない会話と、ある過去について』辻村深月 『とめどなく囁く』桐野夏生

2019-09-07 08:50:15 | 

8月後半にごろごろしながら読んだ小説。
これがけっこう怖いのよ。人間の深層心理をついているようでぞわぞわぞくぞくとくるの。。

3作品のタイトルが秀逸、そのものずばりの内容を表していて、
タイトルで内容を想像すれば本文は読まなくてもいいのじゃないかしらと思うくらい。

2冊が短編集『真実の10メートル手前』『噛みあわない会話と、ある過去について』
1冊は2段組みという今どき珍しい長篇『とめどなく囁く』

読後の後味がよくないことが共通していて、本来私は苦手なのだけれど、
一種の怖いもの見たさに共通する「でどうなっていくの」というストーリーの面白さがあって一気読み。
それでいながら、何となく物足りないな、の欲深さ。なんなのだろうね。
やっぱり読んだ後の「しみじみ」がないからかしら。私、好きだからねそれが。 

『真実の10メートル手前 』

真実の10メートル手前」会社倒産で失踪した女性を追う万智。女性が乗っている車まで10メートルに近づいた時、車の窓枠に目張りがしてあるのに気がつく。
「正義漢」人身事故発生後、万智は事件と気付き犯人を誘い込む。「人を線路に突き落とした感想はいかがですか?」
「恋累心中」高校生の心中事件と発火物事件。黄燐自殺を万智は化学教師が薬品残量を合わす為の自殺幇助とみる。
「名を刻む死」孤独死した老人は肩書きのある死を願う。
       万智は言い放つ「田上良造は悪い人だから、ろくな死に方をしなかったのよ」
「ナイフを失われた思い出の中に」姪を殺害した16歳少年の証言は殺害を認めるが裏は無実で姉を庇う。
「綱渡りの成功例」土砂崩れで生還した老夫婦が生還し懺悔する。万智は死亡した隣人の家の冷蔵庫を使った秘密を知る。

太刀洗はなにを考えているのか? 滑稽な悲劇、あるいはグロテスクな妄執――己の身に痛みを引き受けながら、
それらを直視するジャーナリスト、太刀洗万智の活動記録。
『王とサーカス』後の6編を収録する垂涎の作品集。 

 太刀洗万智の魅力で読ませる短編集だな、と。ぞくっとは大刀洗万智そのもののからくるんだな、と。

『噛みあわない会話と、ある過去について』

「ナベちゃんのヨメ」「パッとしない子」「ママ・はは」「早穂とゆかり」の4編。

この短編集がいちばん怖い、ぞくっとする、ざわつく。辻村さん、こんな小説も書くんだとちょっと驚き。
2話と4話の「する側」「された側」の話。
自分はそんな気がなくて言ったりやったりしたことが、された側にとってはいつまでも覚えている不快な言動だった、
という話は私にも覚えがあるから恐ろしい。自分の発言が意図しない別の解釈を生み、
後で、当の本人から言われて「えっ?そんなつもりはなかったのに」は言い訳にもならない。
悪気はなくても、立場、見方が違うと捉え方は随分変わるから、
「悪気はなかったの」はもしかするといちばんたちの悪い言葉かもしれない。

美術教師の美穂には、有名人になった教え子がいる。彼の名は高輪佑。国民的アイドルグループの一員だ。しかし、美穂が覚えている小学校時代の彼は、おとなしくて地味な生徒だった――ある特別な思い出を除いて。今日、TV番組の収録で佑が美穂の働く小学校を訪れる。久しぶりの再会が彼女にもたらすものとは。

『とめどなく囁く』 

久しぶりに桐野作品を読んだ。
桐野さんの小説って、えげつないといっていいのかしらえぐいと言った方がいいのかしら、
そんな印象を持っていたのだが、それがずいぶん弱まって長編の割に薄味な気がする。少し肩透かしを食った気分。

一番近くにいるのに誰よりも遠い。
海釣りに出たまま、二度と帰らなかった夫。
8年後、その姿が目撃される。そして、無言電話。
夫は生きていたのか。

ほんとうにそんなことがあるのかというこの小説と同じような体験をした友人がいる。
何の前触れもなくある日突然ご主人が帰らない、家を出たまま何年も帰らない。
ご主人のお母さんがよくしてくれたとはいえ、彼女はひとりで子育てと仕事を頑張った。
離婚を考え始めた頃、出て行ったときと同じく突然帰ってきたという。

何をどうとらえてどう考えたらいいのか、自分の存在は何だったのだろうか。
何もかもが拠りどころなく曖昧なままの怖さ。やはりざわっとする。
でもこの小説はどこか絵空事で、切羽詰まった主人公の心象が見えない気がするのは、舞台の設定のせいかしら、ね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏はライトミステリーで『本と鍵の季節』米澤穂信著 『検事の信義』柚木裕子著

2019-08-04 09:12:13 | 

ここ2夜わりあいと涼しく、窓を開けて寝ていれば風が入ってきてエアコンのお世話にならずに済んだ。
朝晩が涼しければ昼間暑くても何とか凌げる。

昨日は前日の大活躍の疲れが出たのか、買い物にも行かず朝っぱらからごろごろうとうと。
午後は廊下に茣蓙を敷いてごろごろごろごろ。
玄関からの風が通り抜けるここがいちばんの場所。そこで本を片手にひっくり返って読む。
椅子に座って正しい姿勢で読書ができないから、お行儀が悪いけれどこの格好が私のスタイル。
暑い夏はライトミステリーがいい。軽いから時にうとうとしながらも至福のとき。

二人の図書委員男子高校生がなかなか知的でかつ個性的。
こんな子たちと会話したら刺激的で楽しいだろうなと思わせてくれる。
タイトルの「本」と「鍵」がキーポイント。

放課後の図書室に持ち込まれる謎に、男子高校生ふたりが挑む全六編。
爽やかでほんのりビターな米澤穂信の図書室ミステリー。
ほんのわずかの隙間時間があったら、この本を手に取って一編読むとスカッとするんじゃないかしら。



こちらも連作短編集。
(裁きを望む/恨みを刻む/正義を質す/信義を守る)

ライトミステリーと括ったら柚木さんに叱られるかもしれないが、
『孤狼の血』『盤上の向日葵』の重苦しさにくらべたら、やはり読みやすく読後も爽やか。夏にぴったり。

「裁判は私のためにあるものではありません。罪をまっとうに裁くためにあるのです」
という信念を貫く佐方検事。調書の中から疑問や違和感があると徹底的に自分で調べる。
それは時に裁判所や上司の不利益になる場合もあるけれど、あくまでも貫く。
やりきれなくなると、屋上に1本の煙草を吸いに行く。うーん、なかなかかっこいいわ。

任官5年目の検事・佐方貞人は、認知症だった母親を殺害して逮捕された息子・昌平の裁判を担当することになった。
昌平は介護疲れから犯行に及んだと自供、事件は解決するかに見えた。
しかし佐方は、遺体発見から逮捕まで「空白の2時間」があることに疑問を抱く。
独自に聞き取りを進めると、やがて見えてきたのは昌平の意外な素顔だった…。(「信義を守る」)

 

「佐方貞人シリーズ」6年目の新刊だそうで、これはすべて読んでみなくては、ね。楽しみが増えたわ。

 

 

 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする