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まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

男性は村上さん?『一人称単数』 村上春樹著

2021-02-13 07:40:14 | 

村上春樹さん、本当に久しぶりに読んだ。
長編は『ノルウェイの森』『海辺のカフカ』『1Q84』しか読んだことはない。
短編やエッセイはちょこちょこ。なかなか手に取る気にはならないの。
独断と偏見は十分承知で。
洋服の趣味とか飲んでるお酒とか音楽は何を聴いて、なんて書かれていると、
どうも気取ってるんじゃないかなんて。なんかいけ好かないなってな感じで。
そうは言いつつ、読み始めれば物語や文体にけっこうはまってしまう、それが困る。



そうそう。最後の短編「一人称単数」の中で、ある女性から糾弾されることになる。

私が(村上さんらしき人)「洒落たかっこうをして、一人でバーのカウンターに座って、
ギムレットを飲みながら、寡黙に読書に耽っていること」を指して、
「そんなことをしていて、なにか愉しい?」と。

そうなのよ全くその通り、と尻馬に乗りたくなるわけ。
それにしても村上さん、ご自分を俯瞰してそんな自己分析をしているのかしら。
それはそれでちょっとえっ?と思ってしまう。

この本は短編集だというだけで読んでやるか、の上から目線。
収録作は「石のまくらに」「クリーム」
「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」
「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」「『ヤクルト・スワローズ詩集』」
「謝肉祭(Carnaval)」「品川猿の告白」「一人称単数」の八編。

どの物語にも村上さんらしき男性が登場して、
現実に起きたことのような、そんなことありえないよな、のような話が。
「品川猿の告白」
旅先の旅館で、猿が言葉をしゃべり村上さんらしき人とビールを飲み、
人間の女性に恋をしその人の名前を抜き取るなんて、ありえないでしょ。
それが読んでいくうちに、もしかしてあるのか、と思うから不思議。

そんな小説の中で『ヤクルト・スワローズ詩集』だけは、
これはほんとに村上さんご自身の話だなと思うの。
2013年にヤクルトファンクラブ入りして名誉会員になっているぐらいなんだから。
そしてこんなにも好きなものがあること、無条件に愛していることに、
なぜかちょっと胸が熱くなって。
読みながら「村上さん、お幸せだ」と思ってしまったわ。

以下、いかにヤクルトスワローズが好きかの文章抜粋、ちょっと長いけれど。

僕は野球が好きだ。それも実際に野球場に足を運び、
目の前で展開されるナマの試合を見るのが好きだ。


チームがまだサンケイ・アトムズと呼ばれていた時代から、頻繁に神宮球場に通っていた。

そのために球場の近くに住んでいたことだってある。
少年のころから甲子園球場に足を運んでいて、野球を見ることと球場に足を運ぶことは、
疑問をさしはさむ隙間もなく、ぴったりと一体化されていった。

大学に通うために東京に出てきたとき、僕はほとんど当然のこととして、神宮球場で
サンケイ・アトムズを応援することに決めた。

住んでいる場所から最短距離にある球場で、そのホームチームを応援する―それが
僕にとっての野球観戦の、どこまでも正しいあり方だった。

暇があれば、神宮球場に足を運び勝つよりははるかに負けることが多かったけれど、
僕もまだ若かったし、外野の芝生に寝転んで、ビールを飲みながら野球を観戦し、
ときどきあてもなく空を見上げていれば、それでまずまず幸福だった。
たまにチームが勝っているときはゲームを楽しみ、負けているときは
「まあ人生、負けることに慣れておくのも大事だから」と考えるようにしていた。

試合を観戦しながら詩を書く。外野手のお尻の詩を書く。

世界中のすべての野球場の中で、僕は神宮球場にいるのがいちばん好きだ。
一塁側内野席か、あるいは右翼外野席。
そこでいろんな音を聞き、いろんな匂いを嗅ぎ、空を見上げるのが好きだ。
吹く風を肌で感じ、冷えたビールを飲み、まあわりの人々を眺めるのが好きだ。
チームが勝っていても、負けていても、僕はそこで過ごす時間をこよなく愛する。

まず最初に黒ビールを飲むのが好きだ。

そこまで好きになれるものがあるってほんとにいい、羨ましい。
そんな無邪気な村上さんは、かっこいいし素敵だ。
あれ?どっちなんだろう、私。村上さん好きかそれとも。

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水墨画入門のような青春小説 『線は、僕を描く』砥上裕將著

2021-02-05 08:43:15 | 

ややこしいタイトル。
『僕は、線を描く』ならすっと入ってくるのに『線は、僕を描く』
思い出そうとして、線は、とは浮かぶけれどその後がなんだったっけと考えるわけ。
意味があるんだろうな。

『線は、僕を描く』砥上裕將著

Amazonの本内容紹介はたった1行。
水墨画という「線」の芸術が、深い悲しみの中に生きる「僕」を救う。

そうなの、その紹介で十分な内容の小説。
でもでも登場人物がなかなか魅力的に書かれていることと、
水墨画の世界が、ちょっとくどいながら素人にも興味深く読めることで、
入門編のようでもあり、そんなところで面白く読むことができた。

 ちょうど「ぶらぶら美術・博物館 河鍋暁斎の底力」を観ていたら、
暁斎は、宴の席などで客を前にして描かれる席画一枚を10分で仕上げるとのこと、
筆が早いので有名、と紹介されていたのよ。

 《松上一烏之図》(web拝借)

この小説にも水墨画の大家の筆の速さに感嘆する場面がなんども出てきてたから、
筆の速さと画力という部分が重なったりしたわけ。

内容1行感想1行じゃあまりになんなので、別のところからのあらすじ紹介。

両親を交通事故で失い、喪失感の中にあった大学生の青山霜介は、
アルバイト先の展覧会場で水墨画の巨匠・篠田湖山と出会う。
なぜか湖山に気にいられ、その場で内弟子にされてしまう霜介。
反発した湖山の孫・千瑛は、翌年の「湖山賞」をかけての勝負を宣言する。
水墨画とは筆先から生み出される「線」の芸術。描くのは「命」。
はじめての水墨画に戸惑いながらも魅了されていく霜介は、
線を描くことで回復していく。そして一年後、千瑛との勝負の行方は。

こちらから引用させていただいた。
このホームページには水墨画の道具や用語なども紹介されていて、そうなのと。

『線は、僕を描く』が本屋大賞候補とあったから、ちなみに2020年の本屋大賞を調べたら

大賞『流浪の月』凪良ゆう(著)2位『ライオンのおやつ』小川糸(著)
3位『線は、僕を描く』砥上裕將(著)4位『ノースライト』横山秀夫(著)
5位『熱源』川越宗一(著)6位『medium霊媒探偵城塚翡翠』相沢沙呼(著)
7位『夏物語』川上未映子(著)8位『ムゲンのi』知念実希人(著)
9位『店長がバカすぎて』早見和真(著)
10位『むかしむかしあるところに、死体がありました。』青柳碧人(著)

あらまあ、大賞から4位までと7位は読んでいるわ。
私としては大賞は『ライオンのおやつ』にあげたいところ。
で『線は、僕を描く』は3位か、うーん、微妙、少なくとも『ノースライト』
よりは下じゃにの。
なんてえらそうだわね。

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新シリーズが嬉しい『きたきた捕り物帖』宮部みゆき著

2021-01-19 09:05:17 | 

私もほんとにアキヤマサン(脳神経外科)が近くなってきた。
手を延ばせばすぐそこにッてな感じよ。あぶないなあ。
1月に入って借りてきた4冊。なんと3冊が既読だったわ。いやはや。
ま、詳しい顛末はおいといて。
こちらの『きたきた捕り物帖』は手に取ったとき8割方読んでいるな、とは思ったの。
でもな、宮部さんの新刊本だしな、ま、いっか正月にはぴったりだと思って。

こちらの装画をじっと見ていたらなんとはなし物語も江戸下町も浮かんできて、
嬉しくなって一度だろうと二度だろうと読んじゃえって気になったわけ。
ちなみに装画・挿画は三木謙次さん。

 

表紙を開けば本所深川の地図まで描かれていて、
これを見るだけでもいいかという気になろうというもの。好きなのよ、江戸地図を見るの。

第一話 ふぐと福笑い

深川元町の岡っ引き、文庫屋の千吉親分は、初春の戻り寒で小雪がちらつく昼下がり、
馴染みの小唄の師匠のところで熱燗をやりながらふぐ鍋を食って、中毒って死んだ。

という書き出しから物語は始まる。四話のお話。
主な人物がさりげなく登場してきて。北一がその人たちに助けられながら
岡っ引きらしい働きをじょじょにしていくという感じ。まだまだ序の口だけれど。
宮部さんらしく下町の人情たっぷりと、怪しげな怪談もあり、人の心の奥底に潜む
醜いいやな部分もあぶり出して。
軽く読めるけれど後味よろしく、やっぱり宮部さん、惹かれるわ。

北一は文庫屋に住み込み、文庫を売り歩いていた。
千吉親分がふぐに中毒(あた)ったことを欅屋敷用人「青海新兵衛」が教える。
「青海新兵衛」登場の場面。


おみつ おかみさん 富勘 北一

「女を顔かたちでくさすなんて、いちばんやっちゃいけないことだ。
そういう話を軽んじるのもいけない」
名台詞集から拝借。

第二話 双六神隠し



──おっかさんだって、我が子なら何でもかんでも可愛いわけじゃねえ。
人の心はそんな便利な作りになっちゃいないからな。不幸な経緯(ゆくたて)で、
情が薄れちまうこともあるんだよ。

第三話 だんまり用心棒

長命湯の釜焚き「喜多次」登場 烏天狗、黒い天狗の彫り物がある。
ここで二人の「きたきた」が出揃って活躍していく、という次第。
ま、北一はまだまだ活躍というほどの働きはできないけれど。
なにしろ下っ端も下っ端、見習いですものね。

「捕り物の一端にでも関わろうというのなら、人を疑うことを恐れちゃいけない。
心を鬼にしても、みんなを疑わなくちゃいけないんだよ」

第四話 冥途の花嫁

目が見えない千吉親分のおかみさん「松葉」深川一帯の貸家や長屋の差配人「富勘」
おかみさんが冴えた頭で真相を明かす、富勘はおかみさんの手を引いてその場に乗り込む。

「人の死だけは、どうやったって取り返しがつかないし、埋め合わせもできない」
──だから地獄や極楽があるんだ。

宮部みゆきさんのメッセージ
(略)私はいま、「三島屋変調百物語」シリーズをライフワークとして書き綴っています。
それは江戸の怪談なのですが、『きたきた捕物帖』は、謎解きに怪談の要素が加わった物語。
「三島屋」シリーズとともに、私が現役であるかぎり書き続けていきたいと思っています。

宮部さん、よろしくお願いしますね。もうもう期待して次を待っています。
読んだかないやまだかなと思っても何回でも読みます。

 

 

 

 

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「青山玄蕃」とはいったい何者なのか 『流人道中記』浅田次郎著

2020-12-15 08:51:00 | 

いやあ面白かった。
小説の醍醐味を十分味わってしみじみとして、余韻に浸っている。

万延元年(一八六〇年)。姦通の罪を犯したという旗本・青山玄蕃に、
奉行所は青山家の安堵と引き替えに切腹を言い渡す。
だがこの男の答えは一つ。「痛えからいやだ」玄蕃には蝦夷松前藩への流罪判決が下り、
押送人に選ばれた十九歳の見習与力・石川乙次郎とともに、奥州街道を北へと歩む。
口も態度も悪い玄蕃だが、
道中で行き会う抜き差しならぬ事情を抱えた人々を、決して見捨てぬ心意気があった。

酸いも甘いも噛分けた何とも魅力的な青山玄蕃。
痛えからいやだ」が理由であるはずがない。
玄蕃は何故切腹を拒んだのか。
玄蕃と乙次郎、二人は流人「青山玄蕃」と押送人「石川乙次郎」の関係でいながら、
旅を続けるうちにその関係性は変わっていく。乙次郎が変わっていく。

 

乙次郎は御先手組鉄砲同心の次男坊、それが町方与力の家に婿養子に入って
町奉行所与力見習いとなる。 
同心たちからは嫉まれ、与力たちからは蔑まれている、乙次郎はそれを重々承知している。
問わず語りについついおのれのことを玄蕃に話してしまうと、玄蕃は言う。

「しかしまあ、そんな事情があるんならあんたは上出来だ。見てくれも立派な
御与力様だし、まじめのうえに糞がつくわ。それでもうちょいと、
肩の力が抜けりゃあ言うこたァねぇんだがなあ」

玄蕃さんそりゃあまだ無理というもの、まだ十九だ。おまけに町方与力になったばかりだ。
でもそこに玄蕃の温かい情が感じ取られて、乙次郎ならずとも嬉しくなる。

「武士が命を懸くるは、戦場ばかりぞ」流人・青山玄蕃と押送人・石川乙次郎は、
奥州街道の終点、三厩を目指し歩みを進める。道中行き会うは、父の敵を探し旅する侍、
無実の罪を被る少年、病を得て、故郷の水が飲みたいと願う女…。
旅路の果てで明らかになる、玄蕃の抱えた罪の真実。武士の鑑である男がなぜ、
恥を晒して生きる道を選んだのか。

押送の旅も終わりに近づく、玄蕃はなぜ流人になったのか。
腹を切って家を守ろうとする武士としても当然の道を選ばず、
闕所改易を受け入れ流人となって大名の預かりの身となる道を選んだ。
そこに至るまでのいきさつを玄蕃は語る。乙次郎にとつとつと語る。
語るべきは語っておこう、と。

「武士の本分とは何ぞや」

立派な玄蕃とろくでなしの玄蕃。二人の玄蕃が本当にいるのだろうか。
もしその両極の玄蕃が混然としてひとつの器に収まっているのだとしたら、
それこそ大器量なのではないか。人というより、神仏に近いほどの。

姦通という破廉恥罪を犯した武士。切腹を拒んで流刑とされた旗本。
ために御家は取り潰され、家族も家来も路頭に迷った。
乙次郎にとっての玄蕃はそれ以上の何者であってもならない。道中さまざまな出来事が
あったけれど、僕はずっとそう思い定めてきた。押送人の使命を全うするために。

二人の乙次郎がせめぎ合うているんだろうな。
流人の身の上話など聞いちゃならねえ押送人の乙次郎と、
さんざ苦労して鉄砲足軽部屋住みから、与力にのし上がった乙次郎が。

こうやって抜き書きするだけで、玄蕃と乙次郎のお互いを想う胸中が推し量れる。
人としての温かい思いやりが感じられる。

「乙次郎、おれは勝手をしたか」
いや、と言いかけたが声にはならなかった。僕は黙って彼岸を眺めていた。思うところの
何ひとつとして言葉にならぬおのれの幼さに、僕は眦を決したまま泣いた。
父を送る子と同じように。

「あんた、ひとりで帰れるかえ」
父が子にかける優しい言葉そのものだ。深い深い玄蕃の愛情が溢れ出ていて泣ける。

旅の最後に、ついに乙次郎はたどり着いたのである。
奥州の最涯ての三厩という湊にたどり着いただけでなく、
青山玄蕃という武士の心の奥底に。

「ここでよい。苦労であった」
立ち塞がるようにして玄蕃は言った。取り乱す僕を見兼ねたに違いなかった。
「いいえ、玄蕃様―」
初めて名を呼んだ。僕にとってのこの人は、けっして流人ではない。
立ちこめる霧を腹いっぱいい吸い込んでから、僕は陣屋に向かって進み出た。
「新御番士青山玄蕃頭様、ただいまご到着にござる。くれぐれもご無礼なきよう、
松前伊豆守様御許福山御城下までご案内されよ」
僕は踵を返して歩き出した。すれ違う一瞬、玄葉はにっかりとほほえんだ。
餞の言葉は要らない。鴎の声と寄する波音を聴きながら、僕は真ッ白な霧の帳を
押し開けた。

浅田さん、なんていう別れを用意してくれるんだ。泣けるじゃないの。
乙次郎、渾身の口上。玄蕃を敬い尊敬し、かつ押送人のお役目を全うし。
申し分のない言葉。
玄蕃を想う乙次郎に私は胸が熱くなって。鼻の奥がツーンとなって。

二人の旅の終わりに早くたどり着きたいような、終わるのが惜しいような。
いい小説だった。

(挿絵はwebからお借りしました)

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まさにドンピシャ『老~い、どん!あなたにも「ヨタヘロ期」(70~90代)がやってくる』樋口恵子著

2020-11-23 09:09:32 | 

ちょっと恥ずかしいけれど告白するわ。
実は、原村へのドライブに、私は大人のおむつデビューをしたのです。
紙パンツ穿いたの。

なにしろ私のそちら方面の臓器は我慢ができない。
つんつんと合図したら速攻で出ようとするから油断も隙もない。待てがきかない。
それも6時から7時台に集中して「おくさーん」と来るからね、
その時間帯に出発しようってんだから私は不安なわけよ。
万が一、そういうことになったら、ね。いくらコンビニや何かがあるからって
我慢ができないんだから、間に合うか。夫はすぐ言え、と言うけどむりむり。

そこで登場してもらったの、紙パンツ。多々の疑問もあるけれどいくらか増しだろうと。
見た目も感触ももこもこしているから、うーんとは思ったけれど
背に腹は代えられぬ、まままと穿いてみたらあらまあ違和感なし。
あったかくてお腹までくるし、ズボン掃くのに邪魔にならないし、上げ下げ問題なし。
こりゃあ普段でも穿くかのレベル。安心したから普通にパンツの役割だけで終わったわ。

『老~い、どん!あなたにも「ヨタヘロ期」(70~90代)がやってくる』
 樋口恵子 87歳

(70~90代)と年齢限定に惹かれて、ひっくり返ってめくっていたらまさにドンピシャ。
「第3章 老いて歩けば」
安心パッドとの再びの出会いの項目に「大人用おむつの伸び」とあって。
かいつまんでいえば、
尿取りパッドを上手に使って、いくつになってもお出かけを楽しんで生き、
生涯のできるだけ長い時間、行きたいところへ行き、出会いたい人と接し
見たいものを見る、そんな高齢者の行動の自由を寿ぎたい。
老いて安心パッドは、女性にとっては今ひとたびのまたの出会い。

うんそうだそうだ、これからは尿取りパッド大人用おむつのお世話になりながらでも
外歩きを楽しもうって、心強く思ったわ。
恥ずかしさなし抵抗なし、外歩きの方を優先。

樋口さん、家が老朽化して雨漏りはするし地震対策もしていないからと、
84歳の建て替え引っ越しをした。その後貧乏鬱になったと何回も書いているのよ。
人の寿命が家の寿命を追い越して、第2第3の住居が必要になってくる時代で。
「老後が心配なのよ」と言ったら、友人に(勝手に上野千鶴子さんと踏んでいる)
「樋口さん、今でも充分老後じゃない」と言われたそう。だけど、
人生100時代だから85歳でもまだ老後が心配なのよ、とあったから、そうかあとため息。
「人生100年丸」に乗って ですって。

他にも「買い物の効用」として、
外へ出て人に会う、少しは口をきく、挨拶する
老いても一定の判断力がある限り、買い物という社会参加と決定権を
最後まで持たせてほしい。
「青年よ大志を抱け」「老年よサイフを抱け」なんて。
「買い物の効用」については、以前こまわりくん車中で、老女が元気なわけを老人から
聞いたことがあったから十分納得。

私の今後は「結婚生活は一幕ものからたっぷり二幕に、時間にして2倍の長丁場に」
になったこれからを、
「自分の弱さを受容する、必要な支援を受け入れる「ケアされ上手に」
な老女になれるかだわ。
自我に対するいさぎよく清々しい諦念。
その上になおも輝く筋をとおして生き抜いてきた自信と自尊心。
「ありがとう」と感謝のことばや介護者を認めることばを持っている。
どこかユーモアがあること。「ヘルプミー」と言えるかどうか。

ああ、難しい。どう想像しても無理そうだわ。

健康寿命と平均寿命の間のおよそ10年を「ヨタヘロ期」という87歳の著者。
「老~い、どん! 」の号砲が鳴った自らの生活や、心と体の変化をユーモラスに語ります。
また、老いてなお自立して生きるための提言も。
大笑いしながら、人生後半の生き方を考えずにはいられない、著者渾身のエッセイです。

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物語もうずまき『鎌倉うずまき案内所』 青山美智子著

2020-11-09 08:55:37 | 

完全にタイトルに惹かれて手に取った1冊。
「鎌倉」「うずまき」「案内所」あらま、面白そう。
作者の青山美智子さん、著作もちろん初めて。失礼ながらお名前も初めて。

 

悩みを抱えた人たちは それぞれ鎌倉の町へと。
目的の行先から外れて 別のところへタイムスリップ そこは。

古ぼけた時計屋 店の端に分厚い一枚板の看板「鎌倉うずまき案内所」
下向き赤い矢印 たどって一番下までたどりつくと
グレーのスーツを着た小柄な爺さんがふたり、同じ顔同じ背格好、
髪の毛のカールが 外巻さん内巻さん
このおじいさん二人がいい味出して、思わずクスっとなったりして。
壁にはアンモナイト 実は所長さん。アンモナイトの所長さん、うふふ。

「はぐれましたか?」
いい言葉ね。
道を外れたのか人生の何かを外れたのか分からないけれど「はぐれましたか?」

さらに案内されると大きな甕。
かめのぞき色の甖の中に見えるものは悩める人を手助けするアイテム。
例えば蚊取り線香。

決め言葉は「ナイスうずまき!」

悩むものに対してアンモナイト所長が宣託する、それは例えば
「変化を恐れず味方につけよ」なんてアドバイス。
出口の籠の中にはセロフアンに包まれた青い渦巻き模様のキャンディが
「困ったときにのうずまきキャンディ」
おひとり様につき、おひとつ限定。このキャンディがいい働きするのよ。

そして、悩みの解決の糸口を見つけてそれぞれ己の人生を進んでいくわけ。

平成を6年ごとにさかのぼりながら6人の悩める話が続いていくわけ。
会社を辞めたい20代男子。ユーチューバーを目指す息子を改心させたい母親。
結婚に悩む女性司書。クラスで孤立したくない中学生。
40歳を過ぎてしまった売れない劇団の脚本家。ひっそりと暮らす古書店の店主。

手助けアイテムは目次通り、どれもうずまき。
蚊取り線香の巻 つむじの巻 巻き寿司のの巻
ト音記号の巻 花丸の巻 ソフトクリームの巻

読んだ後はとても温かい気持ちになります。ほっとします。
悩みも解決方法もべたと言えばべた、でもそれがとても心地いいの。
変にひねってないから、しみじみと共感できて余韻はしばらく続いて。
そして、あれっこの人、確か前の回に出て来た人よね、なんて戻って頁をめくったりして。
話を遡りながらぐるぐると。まるでうずまきのように、よ。

私も青い渦巻き模様のキャンディをなめてみたいもんだわ。







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奥田英朗 著 短編『夏のアルバム』長編『罪の轍』

2020-09-19 09:07:49 | 

 短編集『ヴァラエティ』の中の一作品『夏のアルバム』

雅夫くん、伊藤君、下川君、仲の良い小学2年生。
雅夫くんだけが補助輪なしの自転車に乗れない。雅夫くんは何とか自分も乗れるようになりたいの。

伊藤君の自転車は親戚のお下がり、伊藤君は気に入らない、新しい自転車が欲しい。
がお父さんは買ってくれないわけ。自転車をくれた伯父さんはすぐ近くの家でよく来る。
それで、もし新しい自転車に買い換えたら、せっかくあげたもんが気に入らん
かったんかって、伯父さんが思うかもしれんで、それですぐには買いかえれんのやと」
「仲のいい親戚ほど、気を遣わんとあかんのやと。お父さんが言っとった」

下川君が続けて、うちもそういうことあるわ、って。
「お母さんの親戚に、子供がおらん叔母さんがおるけど、その叔母さんと在所で会うとき、
お母さん、おれに言うもん。なんで子供がおらんか、絶対に聞いたらあかんよって」
「人の気持ちを考えなさいーって」

親が子供に教える大事なこと、人に対する思いやり。
子どもはどんなに小さくても、子ども心にそれを感じ取り心に止める。
ちょっとできすぎかな、なんて思わなくもないけれど、やっぱり大事なことだ。

雅夫は家族でお盆に母の在所に行く。お母さんは8人姉妹だからいとこも多い。
一番仲のいいのがお母さんのお姉さんの子ども恵子ちゃんと美子ちゃんの姉妹。
二人のお母さんはちょっと前に亡くなった。

4人で遊んでいると年上の恵子ちゃんが自転車の乗り方を教えてくれる。
「雅夫君、すぐ下を向くからあかんの。もっと遠くを見るの。やってみて」
その通りに挑戦すると、雅夫君ははじめてふらつかずにどんどん乗れるようになった。
恵子ちゃんが、
「自転車の練習だって、わたし、自分が教わったときのことを思い出して、
それを雅夫君に教えただけやもん」
「恵子ちゃんは誰に教わったの?」
表情が硬くなり、少し間をおいて、「お母さん」と答えた。語尾が少し震えていた。

恵子ちゃんの妹美子ちゃんが声を上げて泣き出した。
雅夫のお姉さんも泣き出した。
つられて雅夫も泣いた。
子どもたちの泣き声は、蝉との合唱になって、しばらく境内の森の中に響いた。

つられ泣きしている子供たちの姿や神社の境内の情景が絵になって浮かんでくる。
あたたかくてしみじみして。短いからこそのいいお話。
作者の奥田さんご本人が5本の指に入る作品とおっしゃっている。

 ガラッと作風が変わって長編小説『罪の轍』

義展ちゃん誘拐事件をモデルにしたと思われる小説。
物語は犯人の宇野寛治、捜査一課の刑事落合雅夫、労働者の街山谷で旅館を営む在日韓人の町井ミキ子三者の視点で描かれる。
それこそページをめくる手がもどかしい、早く先が読みたい、結論は分かっていても
そこにたどり着くまでの道筋にドキドキさせられて。
長編小説の醍醐味を味わった次第です。

 

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川上未映子著 『夏物語』

2020-09-14 08:57:37 | 

川上さん、ずっと以前に読んだ『ヘヴン』からの2冊目だと思う。
もう忘れているので何とも言えないが、かなり衝撃的な小説だったことはかすかな記憶にある。それ以来。

 いい小説だった。ずっしりとして読みごたえがあった。

手に取ってからかなり日数をかけて読み終えた。
読みづらいというのでもなければ、どうも好きになれないというのでもない。
共感とか理解するなんて次元を通り越していて、ただただ小説の世界に浸るだけで。
読み進めるのが惜しいような、1日にこれ以上の頁数を読むと沈んでいきそうな、
何とも不思議な気分に陥って少しづつ読んでいった。


小さめの文字で543ページの長編。
第一部 二〇〇八年 夏
豊胸手術をすると大阪から上京してきた姉の巻子、巻子とは一切話さない姪の緑子と
三輪のアパートで過ごした3日の夏の話。
死んだコミばあ、母との思い出が絡まった話に、読んでいる間中切なくて泣きたい気分が
ひたひたと胸に押し寄せてきた、変。それは第二部にも続いて。

第二部 二〇一六年 夏~二〇一九年 夏
夏目夏子は38歳、初めて刊行した短編集がヒットして、どうにか文筆業で身を立てるようになっていた。
けれどー。
ーつまり毎日のなかでふと、この「けれど」が現れるようになって。

大学ノートに綴られたメモ。

いいけど、わたしは会わんでええんか
わたしはほんまに
会わんでええんか後悔せんのか
誰ともちがうわたしの子どもに
おまえは会わんで いっていいんか
会わんでこのまま

第二部は、ほとんどこの命題で話が進んでいるから面倒と言えば面倒だが、
川上さんの圧倒的な筆力と詩情溢れる筆致で物語は豊かに膨らんでくる。

夏子は、自分は普通のそういう手段では子供が生めないと特殊な方法を検討している。
AID(第三者の精子を使った人工授精)

そういう手段で生まれた逢沢潤。インタビューで呼びかけている。
「身長百八十センチと大きめで、はっきりした二重まぶたの母とは違って、一重まぶた、
子どもの頃から長距離走が得意です。現在は五十七歳くらいから六十五歳くらいのかたです。
心当たりのあるかたは、いらっしゃいませんか」
同じくそういう手段で生まれた善百合子。百合子は夏子に言う。
「あなたは、どうしてそんなに、子供が生みたいの」(川上さんは「生む」を使っている)
続けて、
「自分の子どもがぜったいに苦しまずにすむ唯一の方法っていうのは、その子を存在させないことなんじゃないの。
生まれないでいさせてあげることだったんじゃないの」

二人は鍵になる重要な存在。

そして、私とならもっといい作品を一緒につくれるという編集者の仙川涼子。
同業の売れっ子作家遊佐リカが登場して、物語は広がり厚みを増してくる。

夏子が住んでいる三軒茶屋や生まれ故郷、今も姉の巻子と姪の緑子が住んでいる大阪
笑橋の日常情景の描写が素晴らしく、生活音や匂いまでが漂ってくるようでいっそう引き込まれていった。
そしてなぜか川上さんが使う「寂寥感」に襲われる、それはいつまでも続いて。

結末は、私が願う通りに運んでいってあたたかな幸せな気分でいる。
昨日読み終わったばかりとはいえ、毎度のことながら文章が取っ散らかって。
いやいや川上さん、素晴らしい作品を書いてくださいました、と頭下げたい気分。
静かな興奮はまだ続いているんですもの、次の本が手に取れない。

 

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静子さん、75歳 『静子の日常』 井上荒野著

2020-07-28 09:09:20 | 

井上荒野さんの作品3作目。これがいちばんよかった。

夫が亡くなった後独り暮らしだった静子さん、息子一家が新居を構えるのに合わせて
自宅を売り払い、それを持参金として息子家族のもとにやってきた。
嫁の薫子さん、孫のるか、息子愛一郎。息子家族との日常生活が始まった。

フィットネスクラブに通う静子さん、クラブのあちらこちらに張り出される注意書きに
「ばかみたいだわね」と呟いて。広辞苑で「ばか」と言う言葉を調べる。
注意書きの小さな張り紙。そこに小さな黄色い付箋。付箋には細い毛筆の字で「ばか?」

夫の十三さんは筋金入りの下戸だった。
それに合わせて静子さんも一滴のお酒も飲まなかった。
それは夫にではなくて、自分への忠誠として。
妻でいる間は、飲まない、と決めていた静子さん。
十三さんの通夜の後、五十年ぶりにビールを飲んだ。手ずからコップに注いで。
十三さんの死とともに、十三さんの妻をやめる決心をしていたから。その儀式。

静子さんは息子夫婦の子育てには一切口を挟まない。
人が決めたことについてはそうでもないが、自分が決めたことはぜったい守る。
それは静子さんの信条である。

と言う具合で、なかなかの個性の持ち主の静子さん。
静子さんのこと、好きなようなそうでもないような。

見合い結婚だった静子さんは夫を愛そうと努めた。
定年になった夫がそれに気づきはじめたようなので、
「それはあなたの気のせいですよ」と思わせるためにいっそう努めはじめた静子さん。
そのことにひどく疲れて、十三さんが死んだときは、正直言ってほっとした静子さん。
ほっとしたのに今頃になって(どうして死んじゃったんですか)などと思うことがある。
不思議だなと。不思議なのは心か、それとも過ぎていく時間か、
あるいは生きていくことだろうか?

ここらへんの微妙な静子さんの心の揺れは、まだ私には分からない。

静子さんは昔の想い人大五郎さんに会いに施設へ行った。
「私、あなたを愛していません。そう言いに来たの」そう告白しに。
ある日、大五郎さんから青いクレヨンで書いた「くるな」の葉書が届いた。
それを読んだ後、和服を着てフィットネスクラブに行き泳ぎ出した静子さん。
泳ぎながら泣いた。嗚咽をこらえて「ばか」と呟いた。

あの道はどこに通じているのだろう。静子さんは行ってみたいと思う。
「行ってみればいいじゃないか」亡くなったご主人の十三さんは言ったものだ。
行ってみればそれがたんなるつまらない道だということがわかるんだから、と。
随分がっかりさせられたものだったが―でも、いつか行ってみましょう、
と思った静子さん。

家族の章が間に挟まれて書かれている。
出会い系サイトにはまっていた息子の愛一郎さん。
仕事でいろいろと悩みがある嫁の薫子さん。
青春真っただ中のあれこれがある高校生の孫るかちゃん。

適度な距離感を持っての家族の日常。
家族全員それぞれの小さな屈託を抱えていながらも、
日々を大過なく過ごしていく知恵を持っている人たち。

肩肘張らなくて読むことができ、あっという間に読み終わる。
読み終わった後は温かく清々しい気持ちになる。

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モノローグで綴る『おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子著

2020-06-27 09:07:49 | 

あいやぁ、おらの頭このごろ、なんぼがおかしくなってきたんでねべが
どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如(なんじょ)にすべがぁ

いきなりの東北弁独り言。

だいじょぶだ、おめには、おらがついでっから。
おめとおらは最後までいっしょだがら
おらだば、おめだ。おめだば、おらだ。

何とも衝撃的で。どんな状況でこんな言葉が出てくるのか分からない。
説明も何もないんだから。
が、分からないなりになんとなくずいぶん分かった気にさせてくれて。
そうねと一気に引き込まれる。
おらだば、おめだ。おめだば、おらだ。

74歳、ひとり暮らしの桃子さん。夫に死なれ、子どもとは疎遠。
新たな「老いの境地」を描いた感動作!圧倒的自由!賑やかな孤独!
これで全部なのだけれど、もう少し桃子さんのことを。
結婚を3日後に控えた24歳の秋、東京オリンピックのファンファーレに
押し出されるように、故郷を飛び出した桃子さん。

身ひとつで上野駅に降り立ってから50年――住み込みのアルバイト、
周造との出会いと結婚、二児の誕生と成長、そして夫の死。

「この先一人でどやって暮らす。こまったぁどうすんべぇ」
40年来住み慣れた都市近郊の新興住宅で、ひとり茶をすすり、
ねずみの音に耳をすませるうちに、桃子さんの内から外から、
声がジャズのセッションのように湧きあがる。

捨てた故郷、疎遠になった息子と娘、そして亡き夫への愛。
震えるような悲しみの果てに、桃子さんが辿り着いたものとは――



作者の若竹さんいわく
「出来事としては、なんもないの、なんにも起こらないんです。ぜーんぶ頭の中だけのこと」

そのぜーんぶ頭の中だけのことが、

そそそそそ、そうなのよ、そういうことなのよ。
なんだかうまく言えなくてもやもやしていたけど、そういうことなのよ、と。
桃子さんが目の前にいたら、よくぞ私の心の中をぴったりの言葉にしてくれました。
と抱きついて感謝したいわ、おかげですっきりしましたってね。

頭の中に、小腸にあるような柔毛突起がふんわりふわふわあちこちに揺らいで
桃子さんに語り掛けて。
全編これ桃子さんの心象風景をただただ綴っているだけなのに、読んでいて退屈しない。
退屈しそうになるとまたまた、そうそう私にも覚えがあるわ、なんてことがでてくる。

どの部分に共感するかと言われても、全部だから困る。
私の年代なら、桃子さんの柔毛突起が語り掛けることに頷くところはたくさんあると思う。
それでもといくつか書き出してみると。

、わたしで、ひとりで 逝きます。

普段の桃子さんはせいぜい隣近所とあいさつを交わす程度、
たまに郵便配達や新聞の集金の人と二言三言話すくらいである。
それでも取り立てて寂しいとは感じない。まぁこんなものだろうと思っている。

孤独などなんということもないと自分に言い聞かせもし、もう充分飼いならし、
自在に操れると自負してもいるのだ。さびしさぁ、なにさ、そたなもの、などと
高をくくっていたのである。

ところが、いけない。飼いならし自在に操れるはずの孤独が暴れる。

読んでいるうちに、このところ引っ込んでいた「寂しい」という感情がふっと
湧き出して暴れ出してなだめるのに困った。

そうそう、私も同じような思いはもつ、そして「いかんいかん」と起き上がる。

頭はもう一滴だって眠れやしないのに、体はまだ布団を離れがたい。
どうせ早く起きても何もすることもないのだし、おんなじことの繰り返しだし。
目覚めた時からどうせどうせのオンパレード、そんなときもあるさ、仕方ながんべさ、
言い訳とも慰めともつかぬ合いの手入れ、輾転反側何度も寝がえり繰り返していた。

私には夫がいて桃子さんと全く同じ境遇ではないけれど。
この、桃子さんの夫の死に一点の喜びがあった、の件は
何人かの友人たちを見ているから容易に想像できるし、自分もそうだろうと思う。

周造は惚れだ男だった。惚れぬいだ男だった。それでも周造の死に一点の喜びがあった。
おらは独りで生きでみたがったのです。思い通りに我の力で生きでみたがった。
それがおらだ。おらという人間だった。なんと業の深いおらだったか。
それでもおらは自分を責めね。責めではなんね。周造とおらは繋がっている。

体が引きちぎられるような悲しみがあるのだということを知らなかった。
それでも悲しみと言い、悲しみを知っていると当たり前のように思っていたのだ。
分かっていると思っていたことは頭で考えた紙のように薄っぺらな理解だった。(略)
もう今までの自分では信用できない。おらの思っても見ながった世界がある。
そごさ、行ってみって。おら、いぐも。おらおらで、ひとりいぐも。

若竹さんいわく、の続き。
「人間って面白いもので、年齢と共に体は衰えていきますが、
心は成長していくんです。老いるということは心は成熟に向かうということなんだなと
最近思います。孤独は心に絶対的な自由をもたらしてくれる。
その自由を享受しながら生きることは楽しいことです」

うーん、深い。ここに来ると私は果たしてそんな境地になることができるか、と恐れる。

ところで、『おらおらでひとりいぐも』の「ひとりいぐも」って。

私は「行くも」と取っていたけれど、いかにも浅いわね。
「逝くも」かもしれない。
自分はひとりで「生きて行く」こちらかもしれない。きっとこちらね。

74歳、ひとり暮らしの桃子さん。
おらの今は、こわいものなし。

『小説の主人公は、子どもが独立し、夫に先立たれた74歳の“桃子さん”。「どうすっぺぇ、この先ひとりで何小説の主人公は、子どもが独立し、夫に先立たれた74歳の“桃子さん”。「どうすっぺぇ、この先ひとりで何如にすべかぁ」と、自らの内側に響いてくる生まれ故郷の言葉たちと向き合いながら、孤独をかみしめる日々を描く。如にすべかぁ」と、自らの内側に響いてくる生まれ故郷の言葉たちと向き合いながら、孤独をかみしめる日々を描く。自由だ!おらは自由だ!』って」(「おらおらでひとりいぐも」とは、「私は私でひとり生きていく」という意味。(Ora Orade Shitori egumo)
Ora Orade Shitori egumo)

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