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まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

お久しぶりです『たそがれてゆく子さん』伊藤比呂美著

2022-05-31 09:03:17 | 

伊藤比呂美さん、お久しぶりです。

しばらくお名前忘れていた、図書館でも全く手にしていなかった。あんなに愛読して共感していたのにね。
なんてこった。それが急に比呂美さんが呼んだのよ。「たそがれてゆく子さん」なんて名前つけちゃって。
どうしたどうしたって言いたいわ。それでもなにはともあれ勇んでお持ち帰り。

比呂美さん、何と60歳になったんですって。カリフォルニアから帰国して早稲田大学の教授に
なったんですって。よかったわ、故郷の熊本に帰ることができて。
で、かんじんのご本。三分の一くらいまではご主人のこと、死に向かっていくご主人のこと、
が書かれていて。そうかあ、自由に自分の思うままに突き進んで行動していると見える比呂美さんが、そんな気持ちになるのかと。
意外のようなそうでもないような。

ご主人は八十七歳。お二人でロンドン旅行した後、急に老い衰えた。
心臓が悪いご主人はERに入院した、十日間入院した。(以下抜粋)

それにしても、夫入院中の不思議な感覚は忘れられない。あたしは独りだった。
今までのどんな経験を思い出してみても、ここまで独りだったことはない。

娘さんからの電話に「ハメはずしてるよ」と言う。
いや、たいしたハメでもないんだが。犬を連れて日没を見に行って、日が沈んだ後も
暗くなるまで帰らなかった。荒れ地を、海辺をほっつき歩いた。・・・・その程度の
ハメのはずし方だ。
いつもこうしたかった。しなかったのは、夫の目があり、家族の生活があり、帰らなく
ちゃ、ごはん作らなくちゃと気が急いたからだ。

そうなの、帰らなくちゃと気が急くのは私の専売特許かと思っていたが、すぐそばにも
同じように思う人がいたんだ。それが思うがまま行動すると思っていた比呂美さんだったとは。

ご主人はなかなか退院しない。

料理なんかする気もなかった。卵ばっかり食べていた。
自由というより殺伐として、すっきりというよりはポッカリと虚無が口をあけていた。
これが友人たちの言っていた世界かと何度も考えた。
夫を亡くした友人たちが口々にあたしに言うのだ。夫が生きていたころはむかついたし
イライラしたしうっとうしかった。でも、死んでみたらそれどころじゃない、本当に
寂しい、誰もいないと。

ご主人が亡くなった。

夫のことは、死んじまえと何回何十回思ったかわからない。
でもほんとに死んじゃったら
、これがぽっかりと空虚なんだ。
空虚だろうと前々から想像していたけど、こういう空虚だと予想もしていなかったタイプの
空虚さだった。ああ、うまくいっていない古夫のいる女たち、みんなに言いたい。このたび
あたしは身をもって知ったのだ。
寂しい、ほんとに寂しい。
生きているうちにたいせつにしとけということではない。まったくそういうことではない。

今は自由だ、ほんとに自由だ。ケンカもない。口論もない。好きなときに食べて眠る。
好きな時間まで犬とほっつき歩く。
台所に立っているのはあたし一人だ。
窓辺に立って外を見ても、外を眺めているのはあたし一人だ。

こんなことが綴られていて。
なんだか調子がくるってしまって。勝手にイメージしていた伊藤比呂美さんらしくなくて。
あれえ、やっぱり伊藤比呂美じゃなくて「たそがれてゆく子」さんかと。
比呂美さんどうしたのかな。ご主人亡くして立ち上がれないのかな、って。

食べるっていうことが、この頃、ほんとうにつまらない。
ああ、食べるって、ただおなかを満たすだけじゃない。人との関わりだ。つながりだ。
仏教でいったら縁起なのだ。

眠れない。
1日中なんとなく、今日は眠れるか眠れないかと考えている。
夫がいなくなってからこのかた、あたしはいつでも寝られるし、いつでも起きられる。
快適に眠っていたはずなのに、眠れない。もう夫のせいじゃないから、どうしていいかわからない。

著作の後半になってようやく私の知っている(勝手に思っている)比呂美さんになった。
比呂美さん、元気になった。比呂美節が炸裂し始めた。

人生相談の回答
そう比呂美さん人生相談の回答者をやっている、もう20年以上も。

ぜったいに相談してきた人を非難しない。その人の姉か叔母のつもりで、そばに座って
話を聞いているように、その人に寄り添いながら回答を書く。
そうやって二十年生きてきたから、もう人生の達人だ。たぶんそうだ。そんな気がする。

基本その一 「あたしはあたし」
「あたしはあたし」ができれば「人は人」がわかる。
これがあたしの体得した人生のコツで至極まっとうで常識的な考え方だと思ってきた。
五十代後半をすぎるとホルモンが激変し、それとともに「あたしはあたし」が
身に沁みて
わかってくるようになる。ね、そうでしょう?

基本その二は「がさつぐうたらずぼら」
いい子いい人やいい娘を演じる演技がうまくなってがんじがらめになって息がつまる。
これを唱えて、いい子いい人いい母になりそうなときを乗り切る。

付け加えてズンバ。自分の意志とか意識とか、大したことないじゃん、
何もかも自分でコントロールしようとしなくてもよかったんだ、と。

今、比呂美さんはどんな活動をしているのかしら。
伊藤さんのこと、また忘れてまた何年かたって思い出すのかしら。

「たそがれてゆく子さん」
一癖もふた癖もあって、でも比呂美さんの言葉は詩人の言葉で、やっぱり伊藤比呂美さんの本は好きだ。
今『閉経記』をぽつぽつと読み返している。

 

 

 

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次を楽しみに読む『みをつくし料理帖』髙田郁著

2022-02-05 08:12:51 | 

去年の暮れに、肩の凝らない、それでいてわくわくするかしみじみするかの本はないかしら
と図書館でうろうろ。暮れから借りると正月休みを挟むから貸出期間が延びる。
目に飛び込んできたのが書棚にずらっと並んだ『みをつくし料理帖』の文庫本。
そういえば、BSのテレビドラマでちらっと観たことあるなと思い出した。
シリーズ本ね、しかも書下ろし。まあ、いいかって何がいいか分からないけど、
手軽には読めるだろうと作者にずいぶん失礼な選択で。

 

それがはまりました。エンターテイメントな面白さで、次はどう展開するんだ、
料理人澪にこうもいろいろな出来事が襲いかかるなんて、いったいどうなっていく、
店主種市をはじめ、澪が仕えていた「天満一兆庵」の元女将、ご寮(りょん)さんと
呼ばれる芳、つるやの奉公人りょうやふき、りうは、謎の浪人ふうの小松原(こまつばら)
や町医者永田 源斉との仲は、なにより幼馴染野江は、と先が楽しみで。

ときに年寄りの人生訓があったりして、そうよねと頷く。

8巻 「残月」 かのひとの面影膳
吉原「翁屋」の料理番でつるやの助っ人料理人だった又次の弔いの席で。
又次が、高田さんなんで死なせたのと恨みたくなるくらいまたとても魅力的で。
その又次を慕い、料理の手ほどきを受けていた泣きじゃくるふきに店主の種市が言う。

「この齢になってわかることだが、残された者が逝っちまった者のために出来る
ことは、そう多くは無ぇのさ。中でも大事なのは、心配をかけないってことだ」

「そのひとを大事に胸に留めて、毎日を丁寧に生きようじゃねぇか。
身の回りの小さな幸せを積み上げて、なるたけ笑って暮らそうぜ。そういう姿を
見て初めて、亡くなったひとは心から安堵できるんじゃねえのか。
又さんに心配かけない、ってのが、ふき坊にできるいちばんの又さん孝行だと、
俺ぁ思うがなぁ」

2、3巻借りてくる、ときに貸し出し中ですっ飛ばしたりして。
そうやって読み進めてようやく全10巻読み終わった次第。
でもねでも、10巻読み終えると、はてさて1巻はどんな話だったっけ?
澪はどのような経緯でつるやの女料理人になったんだっけ?と曖昧な部分の連続。
まあいいか、面白かったんだから、なんて。
なんでもその時がよければオーライの不遜な態度。

ほんとにそうなの。
女料理人澪の波乱万丈な人生、それを周りの人たちの助けと本人の強い意志と行動力で
乗り越えていく。そして万事うまくそつなくあるべきところに落ち着ていく結末の安心感。
水戸黄門のようなものよ。大団円。
そうだから読後感はさっぱりとほのぼのとで。満足。

それにしても、TVで澪を演じていた黒木華さんのお顔が読んでいる間中浮かんできて、
じゃまで困ったわ。でもでもそれくらいぴったりな配役だったのよ。

全10巻紹介やあらすじとか登場人物とかはこちらでどうぞ。

 

 

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『ボケ日和―わが家に認知症がやって来た!どうする?どうなる?』長谷川嘉哉 著

2022-01-30 09:00:55 | 

いやあ、それにしても大胆なタイトルで。ドキッとしました。
あまりに大胆なのでぎょっとしてどれどれと手に取ったわ。
矢部太郎さんのイラストが力が抜けているのも上から目線で「読んでやるか」。

書いた人は岐阜県土岐市で土岐内科クリニックの医師長谷川嘉哉さん。
多くの認知症患者さんを診ている。そんな患者さん家族と接していてのエッセイ。
あくまでもエッセイ。

認知症がどう進行するか知っていると、患者さんにギョッとするような症状が出てきても、
患者さんに余裕をもって対処ができ、ときどき、笑えます、すさみがちになる心を守れます。
と知ることの大切さを教えてくれる。

まずは、患者さんよりも、介護者さんの心身を守ること。
ご家族に認知症の方が出てきたとき、これが一番大切なことだと私は思っています。

このスタンス。うんそう、この本の最初から最後までこの視点と姿勢が貫かれていて、
仮にわが家の夫が認知症になっても(いやもうすでに認知症春の段階だわ)
なんとかやって行かれるんじゃないかしら、と楽観的になれる気がするの。
あくまでも気がする、だけれど。

認知症の進行段階を、「春」「夏」「秋」「冬」の4つの章に区切って。
私目線でざっくり紹介しますね。(ま、私のことだからだらだらになると思うけれど)

ちょっと変な春「認知症予備軍」
春の草木が音もなく芽吹くように、認知症の気配も、そっと芽を出します。

早期認知症害(認知症の一歩手前のこと)の患者さんの特徴は、「ちょっと変」
「すごく変」ではないところがポイント。家族は「あれ?」ちょっと変と。
冷蔵庫や電子レンジに意外なものを放り込んで忘れる、のもこの時期だそう。
そうだ、佐野洋子さんが冷蔵庫にコーヒーカップを入れていてボケたんじゃないかと
えらい心配していたのも、ほんとにそうだったのかもしれないわ。
モンスタークレーマーや「知らん」「聞いとらん」のやりとり、車は傷だらけもこの時期。

「しっかりしてよ」「どうして分からないの」
と今まで通りを求めないことですって。
そうか、私は絶対やりそうだ、気をつけよう。
「認知症になったんだから、これまでどおりできなくて当たり前」そう思うことだそう。
適切な治療やリハビリを始めることで、認知症への移行を緩やかにすることができる、
と心強いお言葉も。

かなり不安な夏「初期・軽度」

今までできていたことができなくなり、モクモクと積もりゆく夏の雲のように
家の中に混乱の気配が積み重なっていきます。

クリニック受診は「中核症状」が出始めたころ。「中核症状」とは、
記憶力、言語能力、管理能力などが低下して、日常生活が困難になった状態。
何度も同じ話を繰り返す、貯金通帳を何回も亡くす、真夏にセーターを着てしまう・・・

老化による認知症はある意味自然、ゆっくり進行していって7~10年は軽度から中等度の
状態が続くのが一般的だそう。ゆっくりだから心配しすぎなくて大丈夫と。

ここでも「わからないことを、試さないで」と医師は念を押す。
「今日は何月何日か分かる?」「何曜日だったっけ?」「私が誰だか分かる?」
と介護者は患者さんに聞く。ああ、私やるな、自分の不安を取り除こうとして。
医師は患者を試しても、一つもいいことはないと言う。
「こんなこともわからなくなるなんて、ああ」と、なぜ自分も患者もつらくなるような
ことを聞くのか。それよりも安心を与えること、安心とは情報だそう。

「今日は何月何日?」と聞くのではなくカレンダーを見ながら「今日は3月3日ひな祭りだね」
と伝える。「ごはんだよ」じゃなく「晩御飯だよ」という具合に。そうか、目からうろこ。
ディサービスやショートサービスを利用して、介護する側ができるだけラクをすること。
行きたくないという患者のちょっとしたわがままのために、介護者が人生の大事を
棒に振るなんてことは絶対やめてって。

困惑の秋「中期・中程度」

暴言・妄想・徘徊・幻覚・・・・
認知症の困った症状がどんどん出てきて、家の中に、混乱の嵐が吹き荒れます。

支える家族にとって、もっともつらい時期です。
中核症状が進行すると周辺症状が出てくる。
中核症状がすべての患者さんに共通して現れる症状なのに対して、周辺症状は
患者が置かれた環境に寄って出てくるので、人によって違う。
家族が本当に困るのはこの周辺症状。幻覚・徘徊・暴言暴力・便を壁に擦り付ける・・・
終わりが見えないと思われがちだが、
「周辺症状は、放っておいても必ず1~2年で落ち着く」
「患者の気持ちを穏やかにする薬がある」
このことを介護家族が知っておくとずいぶん気持ちが楽になる、と。
そうはいっても、2年は介護家族にとっては長いだろうな、絶望的になることもある
だろうなと容易に想像できる。それでも2年という区切りがあることを知れば頑張れる
かもしれない。
周辺症状が出ている患者の幸せを考えた場合、グループホームという選択するのもいい。
認知症介護は一人や二人では絶対に無理、ヘルパーケアマネジャーの力を借りること。
もうこのことはいろいろな見分から合点承知だ。

決断の冬「末期・重度」

失禁・弄弁などが見られるようになり、やがて患者さんは、1日中、ぼんやりするように。
人生の週末を迎える、静かな気配が近づいてきます。

「どんなに攻撃的でアクティブな患者さんも、やがては落ち着いて、一日中ぼんやりする
ようになります。そのあとは、次第にものが食べられなくなって、静かにお亡くなりに
なります」
認知症ではなかったが、父が亡くなっていく時の経過とまったく同じだ。
ということは、誰でもの死へ辿る道筋ということか。
身体的な介護が必要になり、家庭の介護力が問われ、トイレの失禁が緊張の糸を切る。
「もう家では看られない」のタイミングになる。
そして入所の決断は誰?がするのか。医師は主介護者がという。それはそうよね。
ところがそれがなかなかに難しい。介護者のかたの味方の医師が唯一辛辣になる部分。

たまにぽっと出て来て口だけ出す「ぽっと出症候群」にはならないで。
特徴は、ふだんは介護をしてないせいで、患者さんのこれまでの様子や受けてきた
治療についてほとんど知らないこと。
介護に手を出していない人間は、口を出してはいけない。出していいのは、お金。
そうだそうだ、ほんとにそうよ。でも多いよね「ぽっと出症候群」の息子。

ほどほどで、十分です。
十分すぎるぐらいです。

私も近々患者か介護者になることはまちがいない。
知っておくこと、それで対処がずいぶん違ってくるって。そうね。
寝転んで読むような(失礼)軽い語り口だが、なかなかに重い内容だ。
そしてとても参考になる。

ボケ日和

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「心」と書いて「うら」と読ませる『心淋し川』西條 奈加著

2021-12-19 08:35:02 | 

西條 奈加 (さいじょう・なか)著『曲亭の家』を読み終わって。
久しぶりの時代小説でなかなかだの感想を持ったのに、当代一の人気作家・曲亭(滝沢)
馬琴の息子に嫁いだ主人公のお路には魅力を感じなかったわけ。
立派すぎてどうもあまり好きになれない、面白く読んでいるのに好きになれない。
変だなと戸惑いつつ、作者の西條 奈加 さんの他の小説も読んでみようと経歴を見た。
なにしろ、初の作家さんだったからね。あらっ?第164回の直木賞受賞されてたんだ。
そうなのか。そりゃあぜひにその小説『心淋し川』を読んでみようと。

 
「誰の心にも淀みはある。でも、それが人ってもんでね」
江戸、千駄木町の一角は心町(うらまち)と呼ばれ、そこには「心淋し川(うらさびしがわ)」と呼ばれる
小さく淀んだ川が流れていた。川のどん詰まりには古びた長屋が建ち並び、
そこに暮らす人々もまた、人生という川の流れに行き詰まり、もがいていた。

小説は連作短編6作からなる。

「心淋し川」
「閨仏」
「はじめましょ」
「冬虫夏草」
「明けぬ里」
「灰の男」

小説のタイトルになった「心淋し川」の冒頭の一節。

その川は止まったまま、流れることがない。
たぶん溜め込んだ塵芥が、重過ぎるためだ。十九のちほには、そう思えた。
岸辺の杭に身を寄せる藁屑や落ち葉は、夏を迎えて腐りはじめている。梅雨には
川底から呻くような臭いが立つ。
杭の一本に、赤い布の切れ端が張りついていて、それがいまの自分の姿に重なった。
ちほはここで生まれ、ここに育った。

この文章に書かれている川の空気が6作全編を流れている。
「心」と書いて「うら」と読ませる。
もうそれだけでこの長屋に住む登場人物の人生が浮かんで来ようというもの。
6作とも決して希望に満ちた明るい話ではない。かといって暗さ一辺倒でもない。
それぞれの主人公の生きる哀しさ生きる喜びはこの心町にあって、なんとかここで頑張って
みようともがいている姿が健気だ。
そんな心淋しい人々にも希望の一筋が見えて、読後はどこかほっとするものがあり温かい。
それが救いとなって、6作とも楽しんで読み通すことができたわ。

なかでも「閨仏」と「灰の男」の話が心に残って。

「閨仏」
青物卸の大隅屋六兵衛は、一つの長屋に不美人な妾を四人も囲っている。
その一人、一番年嵩で先行きに不安を覚えていたおりきは、
六兵衛が持ち込んだ張形をながめているうち、悪戯心から小刀で仏像を彫りだして・・・

四人のお妾さんが四人とも不美人だなんて、せっかくのお妾さんなんだから美人が
いいと思うけれど、六兵衛には六兵衛の思いがある。読み進めていくと明かされていく。
そういうことかなんて。六兵衛からお呼びがかからなくなったおりきが閨仏を作ることで、
ようやくこの心町を抜け出すことができようというのに。
おりきが最後に選んだ道が、そうよねえ、としみじみするの。

「灰の男」
茂十が心町の差配になって十二年が過ぎた。茂十は本名を久米茂左衛門という侍であり、
旧友の会田錦介と年に一度会って酒を酌み交わすのを常としていた。
久米茂左衛門が何故茂十と名乗り心町の差配となったのか。

差配の茂十は、それぞれの話の中に登場する。
茂十が中心にいて五つの話が糸でつながれなおかつ円になっていく。
差配なんだからそれは当然なのだが、茂十の心配りや佇まいにどことなく謎めいたものが
潜んでいて、どういう経歴を経て来たのかと憶測を生むわけ。
同じく心町に住みついている老爺・楡爺との謎のやり取りがあり、その関係はいかにと。
茂十がこの心町の差配として暮らし始めた理由が明かされたとき。
いやいやそんな結末を迎えようとは。
茂十の選択も悲しい、そしてやはりそうやって生きて行くしかないのかなと。

この小説は、晴れて空があくまでも澄み渡ったときに読む本じゃないな、なんて。
どんよりと曇った空の日に読むと、同じ心町び住んでいるような気になって、
ほんと、「心淋しくなる」を実感するのよ。

 

その後読んだ西条さんの本。

          

『涅槃の雪』が圧倒的に面白かった。

 

 

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その司書にお会いしたい『お探し物は図書室まで』青山美智子著

2021-09-28 08:32:45 | 

くさくさするから心温まる軽い読み物が読みたいなと図書コーナーで探していると、
並んでいる本たちの中の1冊がそれなら「これがいいですよ」と訴えていて。

『お探し物は図書室まで』


5編からなる短編集。
1章の朋香さんの変わりたい願望を読みんでいくうちに、あらあらふんふんと。
何の変哲もないさりげない文章なのに引き込まれていく。
5編とも、ま、べたといえばべたな展開。
でも今の閉塞感のある時代にぴったりなお話で読後感が心地よい気持ちいい。

で、2章3章と読み進めていくと、あらこのお話の構成はどこかで読んだことがあるな
と記憶を探っていくと、そうそう、『鎌倉うずまき案内所』」だわ。
シチュエーションと展開がぴったり重なるのよ。

悩める人がいて 行く場所があって 聞いてくれる人がいて 小さなプレゼントがあって。
それらが重なり合っていつの間にやら問題が解決方向に。
それって結局あなたがあなたの力でつかみ取ったものですよ、と。
で、登場人物同士がぐるぐるっと回りながら繋がっているの。
まさに『鎌倉うずまき案内所』
作者青山美智子さん(そもそもお名前で気が付かないということがおかしい)
青山さんの紹介文を読んでいたらあった、やっぱり。

お探し物は、本ですか? 仕事ですか? 人生ですか?
人生に悩む人々が、ふとしたきっかけで訪れた小さな図書室。
相談者は誰にも言えなかった本音や願望を司書さんに話してしまいます。
彼らの背中を、不愛想だけど聞き上手な司書さんが、

思いもよらない本のセレクトと可愛い付録で、後押しします。

変わりたい変えたい、自分の職業、環境もろもろを抱えた五編の登場人物は

朋香  21歳 婦人服販売員      フライパン

諒   35歳 家具メーカー経理部   横たわって眠るキジトラ猫 アンティーク

夏美  40歳 元雑誌編集者      地球

浩弥  30歳 ニート         小さな飛行機

正雄  65歳 定年退職        赤いカニ

オレンジ色で記したものは さゆりさん言うところの羊毛フェルトでできた 「本の付録」

小学校に併設するコミュニティーハウスの一画にある図書室。
そこでレファレンスしている司書の「小町さゆりさん」
ひっつめられた髪の頭の上には、ちょこんと小さなおだんご。
かんざしが1本、先には上品な花飾りの房が3本垂れていた。そんな小町さゆりさん。

彼女に対する5人の印象がそれぞれ面白い。

☆ものすごくものすごく大きい人 穴で冬ごもりしている白熊 
☆ゴーストバスターズに出てくるマシュマロマン
☆ディズニーアニメ ベイマックス
☆早乙女玄馬のパンダ らんま2分の1
☆巨大な鏡餅

いったいどんな風体の人なんだろうと興味津々よ。

さゆりさんのレファレンスで「何をお探し?」と訊かれた5人の印象ね。

★抑揚のない言い方なのに、くるむような温かみがあって。
★優しい声、ちっとも笑ってないのに、いつくしみに満ちていた。
★親切でもなく明るくもない、フラットな低音。身も心もゆだねたくなるような、
 懐の深さを感じられるひとこと。
★深みのある低い声
★思いがけず凛としていて、体の奥まで響いてきた。

うーん、私も小町さゆりさんに「何をお探し?」とその声で訊かれたい。
そして悩める私にぴったりな選書をしていただきたい。うんうん。

彼女に選書された本の中に1冊だけは異質な本が。それは悩みとは全く異なる本。
でもそれが重要なヒント。そこから登場人物5人はどんな人生をつかみ取っていくのか。
応援したくなるようなお話が進んでいく結末は温かくてほっとして。よかったなと。

 

ちなみに、この本は2021本屋大賞2位。
書店員さんだったら私も薦める。

 

 

 

 

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大人の絵本第5弾 『ヨーコさんの″言葉″ じゃ、どうする』

2021-08-20 09:07:44 | 

(ある日の夕景)

佐野洋子さんのエッセイは好きだ。けっこう読んでいると思う。
お母さんとの葛藤を書いた「シズコサン」なんて何度読んだかしれない。
内容は忘れているけどほぼ忘れているけど。母娘の葛藤が衝撃的だったのよ。
物事をきっぱりバッサリ、洋子さんの物差しで切りつけ忖度がない。
洋子さん、ガンになって、かかりつけ医師に余命を聞き、かかる費用を聞き、
それならと、速攻で緑色のジャガーを買って乗り回すなんて、潔くて男前すぎる。
そんなシンプルで手加減なしの生き方の中に、どこか哀しみのようなものが
常に流れている気がして軽く切なくなる。

Eテレの人気番組「ヨーコさんの“言葉”」が、大人のための絵本になった。

シリーズ第2弾 それがなんぼのことだ
    第3弾 わけがわからん
    第4弾 ふっふっふ
    第5弾 じゃ、どうする                   (第1弾はサブタイトルがない)

この絵本のサブタイトルにも開き直っての哀しみを感じるの。
悟りきっているような捨て鉢のような諦めのような、それでいてあたたかく優しく包んでくれるような。
ものごとにはどうにもならないことがあるのよ、それでも生きていくのよと言ってるような。

私も時々Eテレのその番組に出くわした。
イラストレーター北村裕花さんの絵と語りの人の声、ヨーコさんの言葉がバランスよくて
ユーモアがあってそれでいながらしみじみとして、5分という束の間を楽しんでいた。
それが絵本になっていたのね、5冊も刊行されていたのね。そっか。

で、第5弾「ヨーコさんの”言葉“ じゃ、どうする」

  2018年 講談社

  • その1 とどのつまり人は食う
  • その2 先入観
  • その3 大地(はは)
  • その4 口紅
  • その5 私は母も子供だったのかと大変驚いた
  • その6 もう東京には行きません
  • その7 親切だなあ
  • その8 じゃ、どうする
  • その9 あとがき

で、いちばんうんうんと気に入った話が、その8「じゃ、どうする」
もう手を叩いて「洋子さん、あなたもか」と共感し笑い、そしてちょっとだけ切なくなる。

 
もの忘れによるトラブルが増えてきたような気がするって。
いくらリモコン押してもつかないからテレビが壊れたと思って、
手元を見ると電話を持ってたって。

1年前は冷蔵庫を開けたら、洗ったコーヒーカップが3個並んで置いてあったって。
家の中でボーっと立ち止まっていることが日に10回以上あると。
何かを取りに行こうと思って立ち上がり、二、三歩あるくと、
何を取りに行こうとしているかわからなくなっているんだって。

もう「あるある」よ。日常茶飯事よそんなこと、洋子さん。
さすがに冷蔵庫にコーヒーカップはおいたことがないけれど。
私、自分の物忘れは、コロナワクチン接種の副反応だと思うことにしているの。
頭の中に風船がいくつも浮かんで空洞になっている感じがするわけよ。脳みそ空っぽ。
空っぽになった脳みそがまた埋まるかって、そんなことはないない。
だから、しかたないわよ、と思うことにしているわけ。

読んでどうする、どうにもならん

それを次々と友達に送る。
「洋子さん、アハハ、あなた同じ本をまた送ってきてるよ」

あああ。

忘れたからどうするって。「どうにもならん」
そうよ、どうにもならんわ。あがいてももがいてもどうにもならん。
いいねえ、今度から「しかたない」と諦める代わりに「どうにもならん」と切り捨てよう。
切り捨てごめん!

 

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2017年発行日のエッセイ4冊 +1冊

2021-08-09 09:34:27 | 

こう暑くっちゃ頭の中が煮えくりかえそうだから、7月から図書館から借りてくる本は、
もっぱら楽しく読めるエッセイ本。
1話1話が短く完結だから、えっ?と思ったりふんふん頷いたり。
どこから読んでも終わってもすっ飛ばしても大丈夫な懐の深さがなおのこと気楽で。
こんなこと言ったら作家さんに叱られるわね。ま、そんなもんよ。はい。
で、偶然発行日が2017年を選んだ。いや選んだ本がそうだったというわけね。
なんの意味もないけど、偶然が面白かったので。

『赤いゾンビ、青いゾンビ。』川上弘美著

あとがきで川上さん、
読者から「ほんとうのことがほとんどだ、と言ってもそれはやっぱり嘘で、
東京日記の半分くらいは、つくりごとなのですよね」と聞かれます。って。
そうです、私ももちろん聞きます。ほんと?ってちょっと疑うから。
川上さん、「たいがい、ほんとうのこと」とこたえてますけれど。そうかしら。
でも、川上さんならありそうかな、と思うのも半分。

『対岸のヴェネツィア』内田洋子著

内田さんのエッセイは好きなのです。
ジュデッカ島に住むことになった内田さんが、暮らしていくうちに見たヴェネツィア。
ジュデッカ島からみた対岸のヴェネツィア、人々の暮らし日常。
読んでいるそばから情景が生き生きと浮かんできて、目の前で生活が営まれているかのよう。

『ていだん』小林聡美著

いちばん興味を持った鼎談は 小林聡美×もたいまさこ×片桐はいりのお三方のそれね。
「かもめ食堂」から10年。
鼎談でよかったなって。対談だったらちと大変だったんじゃないかと邪推。
もたいまさこ×片桐はいりさんの対談だけは難なく成立しそうな気がするの、って内緒。

『忘れる女、忘れられる女』酒井順子著

「老老社会の未来」

酒井さんはバスによく乗るそうな。
都にはシルバーパスなるものがあって(横浜では敬老パスにあたるわね)パスがあればバスは乗り放題。
(もちろん最初に一定金額をはらう、ここら辺も同じね)だから乗客はお年寄りが多い。(これも同じね)
で、バスに乗る時に何となく考えてしまうのが、
「この席はずっと座っていられるかどうか」(うんうん同じ同じ、と大きく頷く私)
となると、後方座席、それも奥の方をせこく選んでしまう。(またまた大きく頷く私)
酒井さんはとても疲れているときだというけれど、私はそこはもう通り過ぎていつも、なの。

でそこから酒井さんは考えてしまう。
どちらが若いおばあさんかによって「座席の老老譲渡」がはじまり、またスマホ操作の若者たちが気が付かないための
「老妊譲渡」が来るって。これが近未来の日本の姿ですって。(またもや大きく頷いて憂える)恐ろしや。

 

関川さんだけは2017年ではない。ただ一人男性「やむを得ず早起き」が面白かったので。

 『夏目さんちの黒いネコ やむを得ず早起き②』関川 夏央著

将棋界の世界をとらえた「早熟という「災い」とたたかう小社会」から。

中国の古人がいった「人生の三災」とは。
中年で親に死なれること 老いて妻を喪うこと
それらとならぶ災いとは「少年得志」。若いうちに成功してしまうことね。
将棋界は天才だらけだから「少年得志」が多いと。そして続けて、
残酷なことに人生は意外と長い。不幸なこととたたかいつづけなければならない。
ですって。そうだなと軽く頷いたりして。
オリンピックのスケボーで13歳の少女が金メダル獲得、すぐに彼女のこれからが
浮かんだわ。
別にか、年寄りが要らぬお節介しても今どきの若者だ、案外にするっと生きて行くよね。

どれも外れなしでとても面白かった。と、えらそう。

 

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第二弾だそうで『欲が出ました』ヨシタケシンスケ著

2021-06-13 08:47:13 | 

 

  欲が出ました

前作『思わず考えちゃう』の第二弾という位置づけ。
思いの外ご好評をいただけたことをうけ、出版社の方に欲が出たようで。
とおっしゃる。

そうです『思わず考えちゃう』はヨシタケさんに、
そうよね、そうそう、ほんとほんと、なんて思わず頷いたりにやにやしたり、
そこはちと違うななんて話がたくさんあって嬉しくなったもの。
そりゃあご好評を得るわ、うん、次をと欲も出ようというもの。

うーん、でもねでもね、『欲が出ました』ってタイトル見て飛びついたのは、
おおー、ヨシタケさんもついに欲が出たのか、いったいどんな欲が出たというんだ
なんて冷やかし混じりの期待だったのよ。
それが・・・

「意味のわからない箇所もあるかと思いますが、
寛容とやさしさを総動員してあたたかく見守って、幸いでございます。」
なんておっしゃられても、いくら寛容とやさしさを総動員しても、何というか
肩透かしを食ったような置いてけぼりにされたような、もやもや感が残るのです。はあ。
そりゃあ私の今の心持ちがひねくれているのかもしれないし、やさしさも読解力もない。
うんそれは分かっとる、分かっとるけれど。重々承知の上でよ。
ちなみに3回も読んだんだぞ。ってえばるほどのことでもないか。

どうもヨシタケさん、ご自分の中で完結しすぎているんじゃないの。
オレいいこと言ってるんじゃん、ってな感じがちらちら見えるのよ。
いじわるね、嫌なばあさんだわ。うーん、ごめんなさい。
そんなにいやなら書かなきゃいいのにね、はい、いつもならそうしている。
でもヨシタケさんの場合は悪口も書きたくなるの、ごめんなさい。
やっぱりヨシタケさんのこと好きなのよ、ヨシタケさんのものの見方が面白いのよ。
だから言いたくなるの。ほらヨシタケさん前作『思わず考えちゃう』で、
老後のいちばんのしあわせは「近所の悪口が言えること」て書いてたよね。
私の場合「ヨシタケさんの悪口を言えること」かもしれない、なんてね。

人間が午前中にやってしまいたいことっていうのが、あるらしいんです。(略)
あるある、私なんて1日の大半のことを午前中にやってしまいたい口だから、
そうそう、そうなのと大いに共感して頷いていたら、
で、人間て午前中にやってしまいたいことがあるんだな、と知ったとき、
「ああ、だよなー」って。すごい大事なこと、大事な何かのしっぽを見つけた気がしました。
すごいビジネスチャンスにもなるな、とも思いました。
それは洗濯とかそういうこまごましたことのほかにも、もっといろいろあるはずなんです。

こう続けられたら、あれあれ何のこと???とこうなったのです。はい。
私なんか単純に、午後はぶらぶらしたいごろごろしたいぐだぐだしたい、
としか考えていないから、ま、要は私の頭が追いつかないということね。

そうそう全面大いに共感したことだってもちろんあるのです。
うん、ヨシタケさんそうよね、私も経験済みだわって。

わー!イライラしてきた!はなれて!はなれて!今すぐその場所をはなれて。
気分転換の方法として、その場所から物理的に、精神的に、いかにして一旦逃げるか
みたいなことを真剣に考えるのって、結構大事なことだと思います。

行かないで ぼくの興奮、って
戻ってきてぼくの興奮、ずっとそばにいて、って。
今までドキドキワクワクしてたことにドキドキできなくなってくる。
「興奮したい」や「驚きたい」が年とともに消えていく。これはこわいですよ。

こわいですよ。さみしいですよ。つまらないですよ。ほんと。そのとおりです、はい。

 

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緩く『思わず考えちゃう』 ヨシタケシンスケ著

2021-05-28 08:47:28 | 

イラストレーターで絵本作家のヨシタケシンスケさん。
って前向きの考え方ってしないよね。
かといってすぐに絶望的になるわけでもない。そこら辺の塩梅がすごくいい方だと思う。
私はくすりとと笑ったりにやにやしたり、それはないなと突っ込んで楽しんだけれど。

 

年配の男性氏は、なんだこいつは軟弱な、なんて喝を入れたくなるんじゃないかしら。
おばさんもめんどくさい男だって思うんじゃないかしら。
うーん若者はどうかしらね。
だってたかが3個つなぎのヨーグルトのことであれこれ考えるんですもの。
で、私は、そんなどうでもいいことをぐだぐだ考える人がわりあい好きでして。

三個パックのヨーグルトってあるでしょ。
一つ食べました。残り二つが繋がって、下に紙の台座がついて、冷蔵庫に入っています。
二つ目を食べた時、その台座をどうするか問題があって。
それはもうひとつ目を食べた時点で、つまり残り二つになった時点で、捨てますよね。
一つ目を取った時、残り二つなのに、三つ並べるための台座が残っていることが
もう許せないのです。
私は許せないほどではないけれど、一つ残った時点で台座は捨てるわね。
ヨシタケさんのお嫁さんは、最後の一つになっても、ぜんぶがーんと残ってたりして、
いやあ世界は広いなあというか、こういう身近に、そういう分からないことって
あるんだなあっていうのよ。すぐそばの人なのにね。
ほんとよね、分からないことって多いよね。異星人に見えることがあるわ。

心配事を吸わせる紙
こういう商品できたらいいな。
あぶらとり紙みたく、ああいう感じで、おでこにピトッとすると、心配事を吸い取ってくれる。
こんなにとれたって、すごい汚―くなるわけです。

うん、いいいいそんな吸い取り紙ぜひ作っていただきたい。
私なんか、一瞬で真っ黒けっこになって何枚あっても足りないわ。100枚単位で買う。

 

世の中の悪口を言いながら、そこそこ幸せに暮らしましたとさ、っていうのが、
理想の老後だなって思ったりするわけです。
とおっしゃっているから思わずくすりと笑うわけでして。
で、まんざら当たっていなくもないななんて頷いたりするわけでして。
普通に世の中の悪口言いながら、日々過ごせるって、いちばんの娯楽が残っている
ということですよね。
どんなに満ち足りた状態でも、何か足りないものをつい探してしまう。
何かに対して不満を述べたくなってしまうっていうのは人間の心のありようとして、
やっぱりあるはずなんです。
どこかに不備な部分を見つけて、そこが気なってしまうというのは、なんか人の業の深さ
の一つなんじゃないかと思うんですけど。
だから、ご近所の悪口を言える人って、やっぱり世の中で、一番幸せなはずなんです。
そうかい?それ以外が全部満ち足りてるわけだってことか。
ふーんそういうことか。

この世はすべてねむくなるまで

ってなことを毎日ぐじぐじぐじぐじ考えて、ねむくなってきて、ああ、もうねむい、
おしまいって感じです。
何かもう世の中いろいろあるけれど、結局ねむってしまえば、一回終わる。
だからどんなことも、所詮は、もうねむくなるまでの話なんじゃないかと思えば、
ちょっとだけ楽になる。一晩寝ると、だいぶ変わりますからね。何もかもがね。
だから結局、この世はすべてねむくなるまでの空ぶかしのようなものなんだろうなと。
一晩寝ればなんとかなる、ということは大好きな草彅剛さんもよく言います。
私もそうなればいいけれど、そうは問屋が卸さない。ままま。

そんなこんなのお考えがイラストと一緒に書かれていまして。
鬱々としたときにひっくり返って読むと、なんだかとても緩くなってしまします。

 

ヨシタケシンスケ『思わず考えちゃう』

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小石川第六天町 『徳川慶喜家の子ども部屋』榊原喜佐子著

2021-04-15 08:52:53 | 

最後の将軍の孫として生まれ、慶喜公の思い出の残る小石川第六天町の三千坪のお屋敷で少女時代を送った著者の回想録。
高松宮妃となる姉の盛大な婚儀、夏休みの葉山や軽井沢へのお転地四季折々の行事や毎日の暮らしなど、
日記をもとに多感な青春の日々をつづる。
戦前の華族階級の暮らしの貴重な記録。

大河ドラマ「青天を衝け」を観ている。大河ドラマを観るのはほんとに久しぶり。
そりゃあもちろん草彅剛さんの演じる徳川慶喜が観たかったからね。
そこから、恥ずかしながら歴史に疎い私は徳川慶喜のことが気になりはじめた。
まずは司馬遼太郎さんの「最後の将軍」を読み、次に手に取ったのが本書。

全くかけ離れた世界が私の生まれるずっと以前にあったのかと。
まるで想像がつかないから、ひとつの小説を読むような感覚で読み終えた。

三千坪の敷地に建坪一千坪の日本屋敷、常時50人の人が働いていた敷地内に
その人たちの長屋が建っていたというのだから、なんともかんとも。
掲載されていた見取り図と見比べながら、皮廊下はどこ畳廊下ってとお二方の部屋って
など探していたが、あまりに広くて探すも大変ですぐに止めた。まあすごい。

その暮らしぶりの象徴と思えるエピソード。

「自分のことは自分でしなさい」
学校ではそう言われていたのに、このころの私たちは自分のことを自分でしなかった。
母は「自分でお召をたたむような家には、嫁にやらないよ」と常々言われていたし、
お付きの人は黙っていても何でもしてくれたし、私たちは、「そういうものだ」と思い込んでいたのだ。

おたた様とよんでいたお母さまは有栖川宮家から嫁いできた方。
「自分でお召をたたむような家には、嫁にやらないよ」
ご自分も幼少のころからそのような生活をしてきたのでしょうね、きっと。雲の上の話。

(慶喜公と姉喜久子さま webより拝借)

他にも
姉喜久子は高松宮妃に嫁ぐことが決まっていたので、母は、
「喜久さんは雲の上にお上がりあそばす方なのだから」
と姉のことには特別のご配慮がおありだったし、母が病気になって、
姉がお見舞いにいらっしゃったとき、母はハッとお目覚めになり、上げられないおつむを
無理に上げて起き上がろうとされ、
「君様がおいであそばしたのに眠って下りまして」とお詫びになったという。

ドラマがひとつ書けそうなエピソードだ。

ご主人に「昔をとる」ように言われた結婚生活や戦後の暮らしについても書かれているが、
やはり生き生きと書かれた少女時代の話が興味深かった。

祖父慶喜公については作者の生まれる8年前に亡くなられているので、
幼児の頃から祖父にお小姓として仕え、蟄居の頃もおそばにいた古沢から聞いた話が。

明治天皇が京都へ行幸になられるの知ると祖父は、静岡御通過の時刻に合わせて紋付羽織袴に威儀を正して
紺屋町の家の門に立ち、お召列車の音が聞こえなくなるまで門からは出ずに
遥拝しておられたという。

小石川の邸に移った当時は、徳川宗家からの月々のお仕向けだけで暮らしを立てていた。
身辺も実につつましく、その暮らしぶりを知る人は「これが元将軍のお暮しか、おいたわしい」と嘆いたという。
この苦しい切り盛りを陰で支え、お家の基礎を作ったのが、一ツ橋家家臣でもあった実業家渋沢栄一翁だった。
「渋沢のご恩をお忘れになってはいけません」と古沢は常々言っていたそうだ。

外を歩かれるときは、どんな服装でも道の真ん中をまっすぐ歩かれ、たとえ水たまりがあっても
避けて通られることはなかったという。

夜、床に就くときは、「武士は右下の片寝をするもの」と幼少の頃の教えを守り、
晩年まで
ずっと右を下にして休まれたそうだ。

これは完全に「最後の将軍」の慶喜像とダブる。

「これからの世に生きるには、女といえども手に職をつけたほうがいい」

慶喜公の言葉。当時にあってはずいぶん進歩的な考えの持ち主だったのね。

他にも作者の姉妹が書かれた本もあるようだから、今度はそちらも読んでみたい。

 

 

 

 

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