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チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

ダイソンDC22が壊れました

2014年03月11日 | 日々のこと

曇り、14度、83%

 私が家を空けて戻って来ると、必ずといいっていい程何かが壊れていたり、草花が枯れていたりします。先月はいつもより1日長く家を空けました。私が留守の間は、洗濯と掃除、モモさんの散歩をタイ人のお手伝いさんにしてもらいます。モモさんとの仲もよく、私たちの無理も聞いてくれますし、人柄がいい彼女です。ところがひとつだけ難点が、ものの扱いが乱雑、力任せのところがあります。窓枠のノブはもう3つ壊れました。植木の受け皿は2枚、力強いモップがけで水道のバブルが破れて水が吹き出したこともあります。でも、私たち二人揃って家を空ける時は泊まり込みで、モモさんの世話をしてくれます。それに、ほんとに人柄がいいので、文句もいわずにきました。

 先月、香港に戻った翌朝、いつものように掃除を始めようと、掃除機を取り出しました。いつものようにスイッチを押しますが、動きません。あの爆音のダイソン君、うんともすんとも言いません。ひと呼吸おいて、お手伝いさんに電話をしました。彼女曰く、昨日までは順調に動いていたそうです。

 我が家のダイソンは、一番初期のオレンジ色の22です。香港で売られるようになって、待ってましたとばかりに買い求めました。もう日本では小型ダイソンが出ていました。香港にダイソンがやって来たのは、日本より随分遅れてのことです。代理店のお姉さんが、我が家のダイソン君、香港で売れて4台目だと言っていました。売られていたのもたったそのオレンジ1機種のみでした。ダイソンにこだわったのは、パグを飼ってる方ならお解りいただけると思いますが、あの抜け毛の多さです。パグにもよりますが、モモさんアンダーコートもトップコートもミッシリしています。よく禿げないものだ思うほど、抜け毛が多いのです。

 さて、修理を頼もうと代理店に電話をしました。九龍サイドの修理工場まで持って行ってくれとのことです。22は大きくて重たいので、車の助手席にのせて、不慣れな工場街まで持って行きました。受付のお姉さん、検査に1週間、その後修理にひと月かかるといいます。ひと月!しかも、私が使い始めて7年4ヶ月、もう保証期間は過ぎているので実費だそうです。お金よりひと月かかることにショックです。カウンターの前で考えること10分。預けずに、持ち帰ってきました。そして帰り道、新しい小さな掃除機を買いました。

 ROWENTAという、フランスの会社のサイクロンです。非常に軽い上に、音も静かです。ダイソンはゴミが10日で一杯になりました。10日おきにゴミを捨てていました。され、このROWENTAを使い始めて20日、10日ごとにゴミを捨てますが、ダイソンの頃に比べて、ずっとゴミが減っています。吸引力が弱いのです。

 軽くて音が小さいのはいいのですが、床に吸い付く力がずっと弱く感じます。ダイソンの頃は、掃除機をかけるのも労働に近かったのに、この掃除機、片手でも操作出来る程、力要らずです。

 うるさい、重い、ダイソンにも文句がありますが、掃除機です、きちんとゴミが吸えることが、掃除機の使命。このROWENTAの掃除機9台分で、ダイソンの新しい小型が買えます。

 ROWENTA ノズルの先が細いのは便利です。ゴーストバスターズの銃のようなダイソンのノズルは太くて、扱いづらかったものです。

 我が家、日本に帰国した時に、もう一度家電を揃える時を迎えます。掃除機ひとつにも、また頭を悩ませるでしょうね。その時までに、ダイソンの爆音が静かになっていますように。


ディプロマットケーキ

2014年03月10日 | 菓子

小雨、14度、77%

 3月の我が家は、アニバーサリーや誕生日で少しお祝いムードになります。若い時と違って、記念日も誕生日も今までと同じ年月を重ねることは出来ないと思うからでしょうか、そういう一日を、まずは、気持ちよくそして、やはり大事にすごしたいと思うようになりました。大きなことはなくてもいいから、いやな顔をしたり、言い争いなどは真っ平ご免です。自分の仕事を辞めたので、主人に出来ることと言ったら、せいぜい、喜んでくれそうなものを作ることぐらいです。

 祝いごとのお菓子にしても家で作ると、甘さも控えめに作れます。 こんなケーキを作ってみました。名前はディプロマットケーキ。つまり、外交官ケーキです。何故そう呼ばれるかは、 切り分けると、市松模様になっています。チェッカーボードケーキでもよさそうですが、この市松模様を作るのにはやや細工が必要です。白いスポンジと黒いスポンジを焼いて、同心円に、4枚程切り分け組み替えをします。この作業、なかなか込み入っています。その込み入った作業をするという意味で外交官ケーキ。複雑な背景を外交官がさばくところから名付けたそうです。きっと、名付けた方は、ケーキの作り手だと思います。

 スポンジの茶色も外のバタークリームも、私の古いレシピのノートには、チョコレートを使っています。でも、モモさんにも食べてもらいたいので、全てコーヒーに置き換えて作ります。これも家で作るから出来ること。デコレーションはオリジナルです。マジパンを色付けして、小さいハートで抜いてみました。円周に並ぶハートの数を、合わせたかったのですが、これ以上小さなハート型がなくて無理でした。

 また、来年の記念日を元気に迎えられますように。そのために、一日一日を大切にすごしたいと思っています。


ふるーつ物語とモモさん

2014年03月09日 | 日々のこと

曇り、14度、91%

 ほんの2日前のことです。日本からのお土産で、おミカンを頂きました。何でこんな時期に、おミカンかしら?と思う私です。でも、そのおミカン葉付きな上に、袋にまで丁寧に入っています。袋をとっても普通のミカンです。その袋には、 「ふるーつ物語」香川県産と書かれています。いたって普通のミカンですが、口に入れると、まあ甘いこと、その甘さがなんだか懐かしい甘さです。

 調べてみると、袋がけをして冬を越したミカンだそうです。もちろんそれだけの手間がかかっていますから、お値段だってそれなりにお高いものでした。早生の温室ミカンが、お高いことぐらいは知っていますが、なにぶんにも、日本を離れて永いものですから、そういうトレンドな情報には全く疎くなっています。

 おミカンは、温州みかんとも、マンダリンともいわれるように中國の温州付近が発祥の地だそうです。ここ香港、1月ぐらいまでは、小さなみかんが売られます。「砂糖柑」と呼ばれる金柑を2周り程大きくしたみかんです。名前の通り、砂糖水のような甘さです。ところが私の知る日本人の方達、皆さんあまりその「砂糖柑」を褒めることがありません。日本から入ってくるおミカンは、日系のスーパーで売られています。値段もそれは高いし、たまに外れもあります。私がみかんを買うと言えば、「砂糖柑」のことです。ほんとに砂糖水のような甘さで、それでいて鄙びた味の「砂糖柑」。何故、人気がないのかとこの「ふるーつ物語」を食べながら考えました。おミカンの香りです。皮を剥く時のあの立ち上ってくる甘い香り、「砂糖柑」には香りがありません。

 この香川県の「ふるーつ物語」、甘みばかりか、皮からの匂いも抜群です。出荷は2月に入ってから、しかも、皮を傷めると普通は枝も付けないみかんですが、袋から、ちょこんと葉っぱものぞいています。早生にしてもこの袋がけ越冬ミカンにしても、日本の農業はまれに見る細心さでもの作りをしていると思います。

 ほとんどの食べ物は私と共有する、モモさん。みかんなどの袋がある食べ物は、よく噛まずに食べてしまうのであげません。座卓の上においていると、 その甘い香りと袋に入っている様子から、美味しいものだとご存知です。いくら、あげませんよ、と言っても座卓から下りる気配はありません。しばらくはみかんの番人をしてください。


かにスフレ

2014年03月08日 | 料理

小雨、14度、93%

 カニ缶を開けると、プッと臭い匂いがします。ほんの一瞬です。それを、サラダに入れて食べても、もう匂いはしません。開けたその一瞬だけのことです。つまり、主婦の私しか知りません。このカニ缶、香港で買ったもの、メーカーはイギリスあり、地元のメーカーもありますが、かにの出所はタイやベトナムです。きっと加工工程が違うのかもしれません。そんなわけで、我が家のカニ缶、主人が、気が付けば日本から持って帰って来てくれます。 

 ここ香港、かに料理も豊富です。地元のかにも年中ありますし、上海がににいたっては、本場よりおいしいかにが食べられるともいわれています。聞くところに因ると、この上海がにが一番美味しいのは東京だそうです。お金の集まるところに、美味しいものも集まるのだとか。でも、生きたかにを自宅で料理するのは、勇気がいります。たとえば、お湯に入れるとき、じっとこちらをあの目で見てます。切なくなる瞬間です。カニ缶なら手間もなく、あの辛い瞬間も経験せずに済みます。

 サラダに入れても、芙蓉蟹にしても、クリームコロッケだってすぐに作れます。ところが私が好きなのは、かにのスフレ。クリームコロッケと違うところは、泡たてた卵を混ぜて、オーブンで蒸し焼きにすることです。

 硬めのホワイトソースではなく、柔らかめのホワイトソースにかにとマッシュルーム残り物のチーズを加えて、そこに、フカフカの卵白のメレンゲを入れてオーブンへ。面倒なようですが、意外に、ここまではそんなに手間もかかりません。この料理自体手間がかからないのですが、肝心なのは、焼き上がったらすぐに食べなくてはならないということです。オーブンから出すや、みるみるうちに萎んでしまうスフレです。

  スプーンを差し込むと、ふにゃふにゃと萎んでしまいました。これは、面白い瞬間です。それで、昨晩などは主人に、家に着く30分前には連絡を入れてくれるよう頼んだ程、この、オーブンから出す瞬間に気を使います。

 スフレは冷たいものも、甘いものも、こうした料理も卵白のメレンゲのおかげで、フワフワと膨らみます。

 もう30年以上前のこと、スフレというものが食べたくて、当時出来たばかりの麻布の裏道にあったスフレ屋に、小さい息子の手を曵いて行きました。デザートのスフレしか作っていませんでした。注文して作り始めます。オーブンに入れている間待っていなければなりません。やっと出て来たスフレは、すぐに食べなくてはなりません。もちろん、お持ち帰りなんて絶対に出来ないスフレです。あのお店はきっと、永くは続かなかったのではないでしょうか。

 日本のカニ缶、メーカーやお値段で随分中身が違います。かには卵やクリームと出会うと、優しく味を引き立て合うようです。まだまだ、日本のカニ缶ストックがあります。さて次は、アボガドとあわせてパスタにしようか?この小さな頭の中は、食べ物のことで一杯です。


MOMOクッキー

2014年03月07日 | 菓子

雨、13度、92%

 日本の製菓用品売り場に行くと、クッキースタンプなるものが売られています。クッキーにアルファベットをタンプするものです。アルファベットの組み合わせも自由に替えれる便利なものです。それを見ているとなんだか似たようなものが家にあるのに気付きました。スタンプセット、 以前、家庭教師の仕事をしていましたので、お月謝袋を作っていました。その袋の裏に押していた私の住所、電話を書いたスタンプは、そのスタンプセットで作ったものです。今から、20年以上前、まだ、PCもプリンターも普及していなかった時のことです。香港の普通の文房具屋で求めました。きっと、中國製です。

 家に帰って、本当に久しぶりに開けてみました。 ありがたいことにまだ、使っていないスタンプもスタンプに枠もあります。製菓用品売り場のクッキースタンプは、プラスチック製。こちらはアルファベットがゴムで出来ています。プラスチックならきれいに文字が出るでしょうが、ゴムでは柔すぎるかもしれません。まあ、試してみることに。

 

 MOMO、ちょうど、パグのクッキー型があります。パグのクッキー型は、シドニーに行ったまんじゅうちゃんのママの贈り物です。この所、型抜きクッキーに凝っていますから、クッキー地はすぐに用意出来ます。いい具合に焼き上がりました。ついでに、MANAも作って。

 実はもう長い間、ある形のクッキーの型捺しを探しています。東京村上開新堂のクッキーに捺されているようなちょっとレトロな感じの模様です。ちょうど、森永のチョイスクッキーとマリービスケットをあわせてような模様です。海外のものも探しました。アンティークも探しました。これと思うのに巡り会えないでいます。そのおかげで、別の面白い型を買うはめになっています。

 このクッキー、勇んで主人に見せると、ぼくのスタンプは?とおっしゃいます。ちょっと長めの名前ですね。きれいな枠もあるから、次回は作ってあげましょう。モモさんには、MANAのクッキーをあげました。


私の手

2014年03月06日 | 自分ごと

霧雨、15度、85%

 以前にも私の手の話をしました。小さい頃から、可愛いとかきれいとか言う言葉とは縁遠い私です。10代、20代の頃は、私なりにきれいだったらなあなどと思ったものです。いえ、つい先日だって、きれいだったら違う人生があったのではと、ふと、思いを巡らします。

 容姿もそういう具合ですが、もう一つ、手にいたっては、きれいどころではありません。私の手に目が止まった方は、すぐに言葉が出ないようです。先日も、友人がこの私の手を見て直接には言えなかったのか、後で、メールを送ってきました。しかも、私の手に目が釘付けになったというだけで、コメントは差し控えてあります。彼女のやさしさです。

 どういう手かというと、まず、体の割に大きいのです。父親譲りの指も掌も大きな手。爪も父親譲りです。きっちりした四角い爪。しかも、永年の主婦仕事のおかげで節くれだっています。顔貌ばかりがその人の顔ではなく、時としてこの手が大きくものをいう時があります。若い頃はさして気にならなかった、自分の手の無骨さが、年を重ねるごとに気になります。手だって、顔同様しわも出来てきますし、もっと年がいけばシミだって出てきます。それでも、骨格の小さな手、細長い指、指先の爪は、年齢に関係なく美しいものです。

 庭仕事は好きですが、鋤や鍬を持って畑仕事をしたことも、魚のかかった網を引き上げたこともありません。でも、まるでお百姓のおばあさんや漁師のおばあさんのような手をしています。土をいじります、パンをこねます、鍋磨きだってやりますから、爪はいつも短いままです。

 母方の実家に嫁いで来た伯母は、土地があるというだけで朝早くからほっかむりをして、お蔵の裏の畑にキュウリだトマトだのを作っていました。どんな時も、ほっかむりと手の甲を日から遮るものを身につけていました。畑から帰ると、家の仕事です。夕方、その伯母が作る料理に祖父母も、伯父も私たち親戚も集います。そんなによく働く伯母の手は、いつも真っ白で、細い指をしていました。血のつながらないこの伯母のことを、ここ数年よく思い出します。そのきれいな手も。

 私の手は大きく無骨なばかりか、実は非常に不器用です。一度や二度では、仕事の要領もつかめません。いつも、私はこの不器用な手を励まします。もう一度やれば出来るよって。56年間その繰り返しです。そうやって、この手は私の無理難題を聞いてくれました。この2年程、寒くなり始めると、指関節が痛むことがあります。考えてみれば起きている間中、豆に働いてくれています。

 別の友人が、言葉を選んで働き者の手ね、と言ってくれたのは去年のこと。ほんとによく働いてくれます。私が逝く日まで、せめて、身の回りはこの手にお世話にならなければなりません。指輪なんて、全く似合わない私の手です。今日も、ああしろ、こうしろと手に発破をかけながら、ありがとうって思います。


Facebook A look back

2014年03月05日 | 日々のこと

小雨、16度、93%

 Facebookが10周年を迎えたそうです。それを記念して出されたサービスが、A look back。それぞれの人がFacebookに加入して投稿した写真や動画で過去を振り返るという趣向です。この写真や動画の選択は、Facebookが勝手にやってくれます。このサービスが始まった先月の4日以来、私のまわりでも沢山の人がこのサービスを利用して公開しています。写真投稿の多い人、永年Facebookを利用している人は、それなりに見応えのあるものです。この方は、こんな数年間だったのね、と見せていただきました。でも、自分のA look backには興味もなく開けないまま。そんな時、一人の方のA look back が飛び込んできました。まだお会いしたこともない私よりお若い男性の方です。私がその方のことで知っていることといえば、昨年、大事な愛犬を亡くされたことだけです。

 1分程のA look back、その方のここ数年、亡くなった犬も含めて回想されます。急に、私も自分のA look backをクリックしました。

 2010年にFacebookに登録したようです。遠くに行った友人との連絡窓口のつもりで加入した覚えがあります。ピックアップされている写真は、自動的に選ばれたものですが、この4年間程の自分の足跡が見えます。何度も自分のA look backを見返してみました。 最近、写真はPCに入ったまま。昔のようにアルバムを作る習慣がなくなっています。このA look back、ちょうどアルバムをめくる時のあの感覚に似ています。

 私のA look backを見た友人が、私そのものね、とコメントをくれました。ほんとに、私の身の回りのことだけです。繰り返し見て行くうちに、たった1分少々ですが、バックに流れる曲がいい選択です。気持ちがゆったりする選曲です。

 ここにあげた写真は、私のiPhoneの画面です。もちろん、PCでも見ることが出来ます。過去の見たくない写真がピックアップされていても、自分で編集出来るようにもなりました。

 世界中で12億人の人が利用するというFacebook、沢山の人がこの曲を聴きながら、自分を振り返っているはずです。モモさんがいて、この香港で日本人の私が生きている、小さな自分をふと振り返ることが出来たこのAlook back、 以前の車が忘れられなくて、アイコンもそのままです。

 まだの方は、是非、ワンクリックを。


春の山 きんとん

2014年03月04日 | 菓子

曇り、15°、89%

 2週間前に初孫が産まれました。女の子です。昨日は、本来なら初節句、でも、まだお座りも出来ません。お嫁さんのご実家とも相談して、初節句のお祝いは来年にする事にしました。

 我が家は息子一人です。今飾っているのは、私のおひな様。 出産までに時間がかかったので、なぜか自分のおひな様に孫の無事な出産を祈っていました。初節句のお祝いは来年にするとしても、孫のこれからの健康や幸せを願わずにはいられません。

 珍しく主人も夕飯に戻ってきます。祝いの気持ちを込めて、夕飯はふくさ鮨にしました。

ふくさ鮨と香港で揃うお刺身を少し、お白和えと思っていたのですが日本のお豆腐があまりにも美味しそうなので、奴にして。

 お菓子は、きんとんを作りました。白あんからだけでも出来ますが、山芋を白あんに混ぜるとしっとりとした食感になります。中のあんは小豆のこしあん。本来きんとんには粒あんですが、作り置きのあんがこしあんしかありませんでしたので。きんとんを作るこしザルは竹でできています。このこしザルがあると、竹の目の不揃いでとても表情のあるきんとんが出来ます。お店屋でもないので、お値段も高いこしザルを買わずにいます。ころものきんとんを2色に染め分けて、春の山に見立てました。

 香港、例年のガスがかかった季節になりました。香港桜ともいわれるブーへニアのピンクの花が、遠目にも山桜のように見えます。今月の終わりには緑が一斉に芽吹き始める香港です。

 遠くから、孫の幸せを願って主人と夕べをすごしました。


絵のない絵本 新潮文庫

2014年03月03日 | 

曇り、15度、86%

 日本から来た友人がお土産の袋を手渡してくれました。中を覗き込むと文庫本が1冊。古い本だけど、と彼女。取り出すと、アンデルセンの「絵のない絵本」でした。アンデルセンのお話は、小さい頃から講談社の絵本で馴染んで来た私です。2005年の生誕200年には、そうした童話を英訳したペンギン出版からの本も読みました。そういえば、「絵のない絵本」は読んだ記憶がありません。

 本にかかったカバーの色合いがとても素敵です。裏を見るとなんと串田孫一の装幀です。いつもは文庫本カバーを外して読むのですが、付けたまま読み始めました。

 月が画家に、自分が見て来た世界中の風景、小さな家の中での出来事などをを語る33話の短い短編集です。その月の視線が、あのアンデルセンの風貌と重なり、童話同様に、心が温まる一話一話です。

 薄い本ですので、あっという間に読み上げました。実は、翻訳物の本を読むのは久しぶりです。読み進めて行くうちに、文体のぎこちなさが気になります。奥付を見ると、文庫の初版が昭和27年、途中改訂がされていますがこの本自体は昭和56年の出版物です。つまり、はじめて訳されたのは、昭和27年以前になります。

 ぎこちなさ、と書きましたが、私が中学、高校時代に読んだ古典と言われる翻訳物は、概ねこうしたぎこちない文体が多かったように思います。ロシア、イギリス、ドイツ、フランス、あらゆるこれはといわれる古典はそんな翻訳物で読んだものです。まだ、原文で読む力なんてありません。こうした、翻訳物のぎこちなさは、翻訳者の意訳があり、翻訳者の持つ許容量が翻訳の書物に於いて、大きな意味を持つとは高校ぐらいの私には解りませんでした。

 この本を読むと、高校の頃を思い出しました。その反面、今の若い人たちにはこの翻訳では読んでもらえないのでは、と不安に思います。たとえば、「露台」という言葉が使われています。これが訳された昭和27年以前には、バルコニーでは通じなかったため、「露台」となったのでしょうが、果たして若い世代の人でこの「露台」を正確に捉えれる人がいるもか、疑問です。

 こんないい話が読まれなくなるのはもったいないことです。ウェッブで調べてみると、各出版社から違った訳者の本が出ています。もちろん、この新潮文庫も昭和56年の出版の後、新たに改訂されているはずです。

 翻訳の難しさを感じます。翻訳者は、作者の背景もしっかりと知っていなければなりません。そのうえ、その翻訳を読む側の人たちにいかに、その背景も含めたものを伝えるか、言葉の選択肢も豊富でないと務まらないと思います。

 各国の生活風景などは、テレビでも雑誌でも、そして直に旅行してでも知ることが出来る現在、翻訳は幾分楽にはなったのではと思います。それでも、原作者の持つ深さを同じように共用出来ない翻訳者の手にかかると、薄っぺらな本になってしまいそうです。

 こんな翻訳云々と書いてしまいましたが、この本は、私に高校時代、夜更けまで本を読んでいた頃を思い出させてくれるのに充分でした。あの頃は、知らない世界に大きな夢を抱いていたものです。

 いいお土産をありがとう。

 


黒田辰秋の世界 そごう美術館

2014年03月02日 | 日々のこと

ガス、19度、97%

 日本を離れて永く生活をしていると、日本古来のものが懐かしくなります。香港は、食べ物に於いては、ありがたいことにここ数年はほとんど不自由なく暮らせるようになりました。和食、ラーメンやお寿司屋さんは雨後のタケノコ状況です。どうしても手に入らないものは、和服まわりのもの、焼き物や漆器です。そして、年を重ねるごとこうしたものへの思いが強くなるのは致し方ありません。和服はこの蒸し暑い香港では、なかなか袖を通す機会がありません。季節の入れ替えのとき、少しずつ揃えた着物をそっと撫でます。器の好みも、若い時とは少し変わってきました。それはやはり自分が作る料理の変化もあるように思います。

 中國、東南アジア伝来の漆器、海外ではジャパンと呼ばれます。確かに質の高さ、芸術的なものにまで漆器を高めたのは日本人です。蒔絵も施されていない漆器の深い光沢が好きです。

 こんな私に、10数年もの間月に1,2度、東京の黒田陶苑から図録が送られてきます。物故者、現役の方の焼き物や漆器の数々が紹介されています。きちんとプライスリスト付きです。その図録の中ではじめて知ったのが黒田辰秋という塗師です。塗師と一概にいえず、木工作家といった方がいいのかもしれません。図録で見たはじめてのもは、螺鈿の棗でした。私は九州の福岡の出身です。韓国由来の螺鈿を目にすることが多くありました。黒の塗りに夜光貝などの真珠層をはめ込み模様を作り出す、凝ったものです。小さい頃から見慣れた螺鈿細工は文様が花鳥や山水的なもので、それほど深く興味を抱かないままでいました。ところが黒田辰秋の螺鈿の棗、貝がタイルのように扱われ全面を覆っています。光を当てると、まるで手に納まる光の壷です。以来、黒田辰秋の作品に興味を持ちました。

 今年で生誕110年、お亡くなりになって30年近くたっているそうです。先日の帰京の折、私鉄の車内広告に横浜そごうで黒田辰秋の展示会があることを知りました。午後には、お嫁さんと孫の面会で多摩川を渡る予定です。病院から横浜まで、ちょっと時間がかかるけど、高校を出てから馴染みのある一帯です。土地勘があるので、時間も苦にならず暗くなり始めた夕方、横浜へと向かいました。

 デパートの美術館、時間的にもお勤め帰りの人がいるのかと思っていると、私以外にったった一人の方の参観です。この展示は、黒田辰秋と各界の著名人との接点を基軸に、それぞれの方達の所蔵品が展示されていました。河井寛次郎、柳宗悦、白州正子、小林秀雄、川端康成、黒澤明。しかも、これらの方達は、特別に注文をして作品を作ってもらったようです。たとえば、黒澤明は別荘に置く椅子を一式。白州正子は、自宅で使う蓋付きのお椀をという具合です。その細工も、螺鈿ありただの拭漆まで様々です。

 黒田辰秋のお椀を見たのははじめてのこと、そのおおらかな姿、塗りの深さには惚れ惚れとします。チケットの写真は、白州正子所蔵のお椀です。さすがに皇居の納められた調度品は出品されていませんでしたが、「王様の椅子」と題された、黒澤明所蔵の拭漆の椅子は、大きさが棗とは対極にあるせいか、黒田辰秋というひと一人の創造力の大きさに圧倒されます。

 出品物の中で、私を惹き付けたのは、赤い螺鈿の菓子箱。京都の老舗の菓子屋、鍵善良房が注文した菓子箱です。目も覚めるような赤の漆に、螺鈿で鍵善の屋号が意匠されています。なんとモダンなこと。

 日本の漆は、蒔絵のものが頂点にあるように思われますが、黒田辰秋の螺鈿は、それにも匹敵する、いえ、それ以上の存在感を持って目に映ります。赤の漆の色が一通りではありません、そのものに合った赤が使われています。ちょうど、柳宗悦らの民芸運動の頃、なんと、今よりも現代的と思えるものを作った方だと思います。

 日本を離れているからこそ解る日本の美に、この漆との時間は、私に充足感を与えてくれました。